「沈黙の司令塔」
建物裏手の搬入口から、政悟と工具箱を持った八真人は敷地内へと足を踏み入れた。二人は薄いグレーの作業服に、無線機を隠した帽子。肩には名札のように見える偽の入館証がぶら下がっている。万が一、誰かに呼び止められても、作業員のふりをして設備点検と言えば通じるようにしてある。
彼らは周囲に注意を払いながら、歩を進めた。
「イチくん。こっちに中の事務エリアに通じる扉が一つある」
八真人は軽くうなずき、足元に工具箱を置くと、中からドライバーと小型の端末を取り出した。
「監視カメラ、二基。電源系統を一時的に落とす」
そう告げて、壁際の配線ボックスに取り付けられた小型装置に手早く細工を施す。端末の画面に電流の流れが表示され、一時的にカメラの映像が途切れる。
「30秒。入るなら今だ。気を付けて行けよ」
「了解」
政悟は身をすくめ、物音ひとつ立てずに扉の中へと滑り込む。
八真人はその背中を一瞥し、作業員のふりを続けながら、何食わぬ顔で資材の点検作業に戻った。
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通常ならにぎやかな一軒家に和大の姿があった。和大は机に両肘をついたまま、無線機に目を落としていた。
耳元のヘッドセットから、途切れ途切れに入ってくる声。
政悟の緊張した小声。霞の演技交じりの口調。イハラの分析。シンイチと八真人の淡々とした報告。
そして隼斗の、誰よりも鋭い応答。
――全員の息遣いを、和大は聴いている。
通信を切ることはできない。全てを把握していなければ何かが起きた時に対応が遅れる。
今この瞬間、彼は家にいながら、現場の全員と共に行動していた。
政悟はだれもいない管理室にこっそり忍び込むと、手袋をはめた手で金庫のテンキーに手を伸ばす。事前に主任が使っていた暗証番号は「0719」。二度繰り返すことで確信を得たものだ。静かに金庫の扉を開けると、書類の中から「帳簿らしきもの」を選び出し、急いでページを一枚一枚撮影する。
次に、権利証の束を、イハラが用意した印刷レベルの偽物と差し替えた。本物よりやや厚みがあるがすぐにはわからないだろう。
(バレない……はず)
けれど額には汗がにじんでいた。
《……帳簿の撮影完了》
短く返る政悟の声の中に、不安が滲んでいた。彼は今朝から体調が悪かった。だが、無理を押して任務に参加しているのだ。
――その証拠に、今、カメラがとらえた政悟の映像はどこかおかしかった。
足取りが少しだけふらついている。いつものような滑らかな動きではない。手に持った端末を確認する指先が、ほんのわずかに震えている。
(熱が上がっているな……)
和大は眉間に皺を寄せた。通信越しに聞こえる呼吸音も、どこか荒い。
《……権利証のすり替え……あと5分で出ます》
政悟の小声が無線に乗る。かすれた声。息継ぎが多い。
そして次の瞬間――映像が一瞬、揺れた。
政悟が壁に片手をついた。視界がぐらついている。熱による眩暈だ。
《……大丈夫、問題ないです。いけます》
無理に強がるような声。それを聞いた瞬間、和大はすぐに口を開いた。
「政悟、無理はするな。中断する判断もお前の任務だ」
《……了解》
それぞれの潜入経路、退路、想定リスク――全ては緻密に計算されていた。だが、現場は生き物だ。
一つの判断ミスで、誰かが傷つく。あるいは、命を落とす。それが、指揮官という孤独な役割だ。誰もいない静かな部屋の中で、和大は目を閉じた。
次の瞬間、通信が再び動いた。
《こちら隼斗。霞が部屋に入った》
隼斗の緊張を帯びた声がする。
《こちらイハラ、……班長、政悟が倒れた》
イハラの声が途端に鋭くなる。
《こちら隼斗。霞が入った部屋の扉が閉まった。ロックされてる。5分後に警備員が入ってくる。それまでに救出が必要》
複数の通信が一斉に交錯した。
小さな部屋の中、情報が錯綜する。だが、和大の動きは一瞬たりとも鈍らない。
「シンイチ、制御盤を掌握。霞さんが閉じ込められた区画のロックを物理的に解除できる経路を探せ」
《了解。通路にサブパネルがある。解除まで20秒。隼斗動けるか?》
《了解。警備員はこっちで何とかする。シンイチ、解除を頼む》
「イハラ、政悟を救出する。八真人、政悟のところまで行けるか?」
《了解です、政悟を運びます。30秒後、バックヤードに出る。イハラさん、指示を》
《こちらイハラ。バックヤードで待機する。周囲に人影なし》
和大は最前線にいない。だが、全員の視線が彼の声を中心に動く。
彼がいることで、誰もが「最悪の瞬間」にも迷わず動ける。
「こちら和大。……全員聞け。」
低く、力強い声。
「政悟の確保と退避、霞さんの救出を並行して行う。イハラ、周囲の監視を怠るな。シンイチ、制御解除が不可能ならば、現場破壊の準備を整えろ。隼斗、必要なら強行突破だ」
《こちら隼斗。警備員、霞と接触せず。シンイチがロック解除。霞は無事に脱出》
「了解、よくやった。シンイチ、車を出せるか? ルート、最短コースでイハラのところまで。政悟を運ぶ」
《了解》
シンイチは無言で車に乗り込む。その背中に、和大の声が重なる。
「頼んだぞ」
《了解。任せとけ!》
シンイチは答えると同時に車のアクセルを踏み込んだ。




