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空の色は変化し続ける、ということだけが変化しない。~宵と暁の空~  作者: 来夢創雫
任務「潜入任務007:「信仰の影 潜入の3日間」
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「夜の境界線」

 夜。

 寮の裏手にひっそりと停まる車の中で、政悟はライトと通信機を確認していた。


 イハラは低い声で告げる。

「滞在は最長でも15分。無線が切れたら撤収する。わかったな」


「はい」


 八真人が横から、簡易な地図を指差す。

「サホの部屋は二階の突き当たり。廊下に監視はないが、巡回が来る時間と重なると危険だ。戻りはこの非常階段を使え」


「ありがとう。行ってくる」

 政悟はうなずき、黒いパーカーのフードを被った。


 建物の中は、昼間のざわめきが嘘のように静まり返っていた。

 足音を忍ばせ、階段を一段ずつ登っていく。ドアにはプレートが貼られている。

《203》

 サホの部屋。


 政悟は小さくノックをした。応答はない。


「……サホ?」

 低く呼びかけると、内側から鍵が回る音がした。


 ドアがわずかに開いた。


「……どうして……?」

 サホは寝間着の上にカーディガンを羽織り、怯えた顔で政悟を見つめていた。


「迎えに来た。ここを出よう」


「……無理だよ。私は、ここにいない人間なの。いない方が、きっと……」


「そんなこと言うな」

 政悟は一歩踏み込んだ。部屋の奥には、最低限の家具と薄い毛布がたたまれたベッド。

 彼女の暮らしぶりは、想像よりずっと静かで、そして孤独だった。


「私は大丈夫。だから、あなたが来たら、逆に……」


「サホ」

政悟はかがみこみ、目線を合わせた。


「……助けてって、言ってないって顔してるけど、あのとき渡した紙、あれは願いだったんだろ?」


 サホの肩が小さく震える。彼女は唇を噛みしめたまま、答えなかった。


「……きみは、もうずっと、自分を犠牲にすることでしか、生き延びる方法を知らなかっただけだ」


 政悟はそっと、彼女の手を取った。細くて冷たい手。サホの目が揺れた。


「……でも、もし連れ出したら、あなたが……」


「僕なら大丈夫」

 政悟は、いつもの笑顔ではなく、少し照れくさそうに笑った。

「仲間が、ちゃんと助けてくれるから」


 一拍の沈黙のあと、サホはこくりと、小さくうなずいた。


 政悟とサホは非常階段を駆け下り、八真人の待つ裏口から無事に外へ出た。


 草むらを抜けてワンボックスのドアを開けると、イハラが無言で頷いた。

 政悟が車内にサホを乗せ、ドアを閉める。


「……急げ」

 イハラの一言で、車は走り出す。


 政悟の手には、まだサホの冷たい手の余韻が残っていた。


 車の中でサホが、ふと政悟に小さく聞く 

「……私、本当に、出られたの?」


「うん。出たんだよ、もう」


サホを乗せた車は建物を離れていく。まだいなくなったとは誰も気づいていない。

だがそれも、時間の問題だった。後部座席のサホは、眠るように座席に寄りかかっていた。

その顔に浮かぶのは、怯えでも安堵でもない、ぽっかりと穴が開いたような表情。


助手席の八真人が小声で運転席にいるイハラへ伝える。

「――目的地まで20分です」


イハラは短く頷いた。


これから向かう施設は表向き「青少年福祉センターの研修棟」となっている。しかし実態は、TNTが用意した保護下の一時避難所で、証人や被害者の仮名登録を用いた生活が可能な場所だった。


「班長がすべて段取りした。すでに職員が待機してる。偽名の入所記録、医療記録、全部手配済みだ。追跡されることはない」


 政悟はそのやりとりを聞きながら、車の窓に額を預けた。吐く息が、わずかに白く曇る。


「政悟、大丈夫か?」

 八真人がふと振り返る。


「……うん。ちょっと寒気がするだけ。平気」


「おまえ、少し前から咳してたろ」


 政悟は力なく笑って見せた。

「今さら止まれないよ。まだ、もう一つ……あるから」


 イハラがバックミラー越しに視線だけで合図する。

「金庫の件は予定通り、だな」


「はい。金庫を開ける手順は覚えてます」


「よし。中身を確認したらすぐ出ろ。おまえの体調じゃ、長居は危険だ」


 政悟は無言で頷いた。その横で、サホがぽつりと囁く。


「……ごめんね。私のせいで……無理させて……」


「違うよ」

 政悟は顔を上げた。

 その目は熱で少し潤んでいるが、意志は変わっていなかった。


「きみのせいじゃない。僕が……助けたかっただけだから」


 しばらく沈黙が流れたあと、サホがそっと彼の手を取った。

 冷たいその手を、政悟は握り返すことなく、ただ包み込むように軽く触れた。


 車はやがて、郊外の静かな建物の前に滑り込んだ。

 看板もないその小さな建物は、外見は古びた保養所のようだったが、扉を開けると白衣の職員がすぐに現れた。


「連れてきました。夜間の対応、感謝します」

 八真人が礼を言い、書類を渡す。


 職員が封筒を受け取り、内容を確認する。

「部屋をご用意しています。こちらへ」


 サホは、政悟の方を振り返った。

「……また、会える?」


「うん。きっと」


 小さな頷きのあと、サホは職員に付き添われ、扉の奥へと消えていった。

________________________________________


 車に戻った政悟は、手の甲で鼻を拭い、深く息をついた。息は熱を帯びて、胸の奥でざらついた音を立てていた。


「政悟、大丈夫か?」

 イハラの声には、明らかな疑念が滲んでいた。


「はい。行けます。今夜しか入れないんです。主任は今、家族と外食中です。それに、近々異動するようです。今夜を逃したら、鍵も暗証番号も変わります。せっかく物理キーを複製したのに、使えなくなってしまう」

 政悟の声は落ち着いていた。だが、その肌はやや青白く、時折乾いた咳が混じっていた。


「……お前、熱あるだろ」


「ちょっと寒気がするだけです。問題ありません」


「政悟――」


「イハラさん。僕しかあのタイミングを知らないんです。暗証番号を押すのと、鍵を回すのを同時にやらないと開かない。場所も、順番も……僕しか見てない。なら、行くしかないでしょ」

 政悟はファイルを閉じて立ち上がった。


 もう一つの任務が、待っていた。

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