「観察者たちの朝」
翌朝。
居間には、ちゃぶ台を囲んで6人が座っていた。
シンイチは妻子のもとに帰っていて、今朝は不在。代わりに霞が加わった6人の朝食だった。
ちゃぶ台の上には、トーストとゆで卵、インスタントのスープ。
それでも、誰かが運んできたらしいフルーツや、霞が淹れたという香りのいい紅茶が、いつもと違う空気を漂わせている。
政悟がパンを咥えたまま、隣に座る八真人に顔を向ける。
「……イチくん、なんか顔がこわいけど。大丈夫?」
八真人は、視線を霞に一瞬だけ流したあと、政悟に向き直る。
わずかに口元を崩し、小さく頷いた。
「……いや、なんでもない」
その返事に、政悟は首をかしげつつも、パンを咀嚼しながら黙ってうなずいた。
その向かい側、霞は隼斗の隣にぴたりと寄り添っていた。
「はい、隼斗さん、朝ごはん、ちゃんと食べて」
「……俺は子どもか」
眉をしかめながらも、隼斗は差し出された皿を受け取る。霞はくすっと笑い、冗談めかして言葉を重ねる。
「じゃあ、お兄ちゃん。はい、あーん」
「……やめろ。からかってんのか」
「違うわよ。元気でいてもらわないと、困るでしょ」
霞の声は、からかい半分、本気半分。
隼斗が渋々パンをひと口食べるのを見て、すかさず言葉を重ねる。
「どう? おいしい?」
「……ああ」
「朝からアツいですねー」
やり取りを見ていた政悟が、あからさまに嫌な顔をして言った。
部屋の中に一瞬、薄い沈黙が落ちる。
和大はスープを啜りながら目を伏せ、イハラは気まずげに曖昧な笑みを浮かべた。
――誰も、空気を壊そうとはしなかった。それぞれが別の思惑を抱えながら、朝は静かに流れていった。
政悟が「先に片づけてくる」と言って台所に立ち去ったあと、一瞬だけ、場の空気が緩んだ。
その隙を突くように、霞が八真人を見た。
「ふふ、伊知くんって、朝は無口なのね」
微笑をたたえたまま、紅茶のカップを口元に運ぶ。
「……もともと、しゃべる方じゃないので」
八真人の返答は素っ気ない。けれどその目だけは、霞の表情を正確に測っていた。
無邪気を装った声色。わざと他の誰かにも聞こえるように話す、軽い調子。
それでいて、視線だけは鋭く、ひとつも笑っていない。
霞はわざと隼斗の食器に手を添えながら、続ける。
「職場実習はどうだった? いろいろと社会勉強になった?」
八真人は目を細めた。
「あなたは、朝からよく喋りますね」
「だって、同業者に会う機会なんて、そうそうないもの」
その言葉に、八真人の視線がわずかに揺れた。次の瞬間、和大の声が割って入る。
「あ、そうだ、政悟、蛇口ひねりすぎるなよ! 最近調子がおかしいんだ!」
その場に流れる、また別の会話。
霞も八真人も、表情を変えずにそちらへ向き直った。一瞬のやり取りは、他の誰にも気づかれないままだった。
静けさの中、霞は何のためらいもなく、隼斗の方へ身を寄せた。
「あら、隼斗さん、ネクタイ、少し曲がってる。動かないで……はい、いいわよ」
「……自分でやるから、触るな」
隼斗はわずかに身を引きながら、眉間に皺を寄せた。霞は怯むどころか、むしろ楽しそうに笑う。
「照れ屋さん」
「いや、違う。……距離感を守れって言ってるだけだ」
ピシャリと言い放たれた言葉に、霞は一瞬だけ表情を止める。
が、すぐにまた笑顔を貼りつけて「意地悪ね」と囁いた。
――そのやり取りを、イハラは黙って見ていた。
スープを啜るふりをしながら、視線だけで隼斗と霞を観察する。
(隼斗のやつ……慣れてないな)
隼斗の肩がごく僅かに強張っているのを、イハラは見逃さなかった。無関心に見せているが、内心は明らかにうんざりしているのがよく分かった。
(しかし、こんな空気の中でよく笑ってられるな、彼女……まぁ、男ばかりの中でいろいろと気を遣っているんだろう。けなげだな……)
「隼斗、モテモテですねー」
紅茶のお代わりをと席を立った霞と入れ替わりに、居間に戻ってきた政悟がわざとらしく声を伸ばして言った。和大が苦笑いをし、イハラはスープを啜る音で誤魔化した。
隼斗は無言で政悟の方をにらむ。
「茶化すな」
「だって、こんなに構われて、拒否してないし? もしかして、照れてるんですか?」
政悟の声は軽い。けれど、その目だけはどこか冷めている。
隼斗はわずかに身を屈めて、政悟にだけ聞こえる声でぼそりと呟いた。
「……朝からめんどくさい女にまとわりつかれて、うんざりしてるだけだ」
「なら、もっとちゃんと断ったらどうです?」
政悟は小声で返す。その口調には、珍しく皮肉が混じっていた。
隼斗が一瞬だけ政悟を見やったが、すぐに視線を逸らした。
「……任務の都合もある」
「ふーん。そういうことにしておきますよ」
政悟の目には、どこか釈然としないものが残っていた。
戻ってきた霞が
「私、台所を片づけてきます」
そう言って食器を手に取ったとき、背後から声がかかった。
「手伝いますよ」
イハラだった。
霞が、ほんの一瞬だけ動きを止める。その視線が、肩越しにゆっくりと彼を振り返った。
「……あら」
微笑んではいるが、わずかに、ほんのわずかにだけ目が揺れる。イハラはにこやかに言葉を続けた。
「霞さんが一人でやるのは大変でしょう」
「ありがとう。助かります」
霞はもう一度微笑んだ。
その笑みは自然だった――けれど、八真人は黙ってそれを見ていた。




