「選別の儀式~セミナー潜入3日目①」
隼斗と霞は今日も、施設の奥にある特別棟へと案内されていた。
食材にこだわった朝食の後、「内観」と名付けられた軽い瞑想セッションが行われた。参加者たちは円になって座り、講師の言葉に合わせて呼吸を整えていく。
霞は穏やかな顔で目を閉じていたが、周囲の様子には意識を向けていた。前方に座る幹部の男が、何度かこちらに視線を送っているのを感じる。
終了後、昨日の幹部が声をかけてくる。
「羽瀬川さん。やはりあなたは、他の参加者とは明らかに違う……。次の段階に進むことを考えてみては? 選ばれし者として」
霞は一瞬考える素振りを見せるが、あくまで柔らかく返す。
「私はまだ、自分の何を選ばれたのか分かっていないんです。だから、もう少しだけ、考えさせてください」
幹部は満足そうに笑った。
「では、またお話ししましょう」
一方その頃、隼斗はトイレを口実に、昨日呻き声を聞いた区画に再び足を踏み入れていた。
前日と同じ廊下の突き当たり。赤ランプは点灯していない。
(空いてる……?)
無音のまま、隼斗はノブをゆっくりと回す。中には誰もいなかった。窓もなく、簡素なベッドと棚があるだけの殺風景な部屋。だが、棚の引き出しには「違和感」があった。
使用済みの拘束具。色あせた薬品リストには向精神薬・鎮静剤の名前が並んでいる。
誰かの私物らしき古びたスニーカー、空のバッグ……
隼斗は一つひとつを記憶に刻みつけるように見つめ、扉の外の気配に耳を澄ませた。
(長居は危険か)
そして何もなかったように部屋を後にした。
午後は「選ばれし者だけが進める特別なワーク」へと進んでいた。
照明が落とされ、壇上に立つ講師がゆっくりと手を広げる。
「これより、内なる目覚めの儀式を始めます」
参加者たちが一斉に姿勢を正す。誰もが緊張し、次の動きを講師の指示に委ねていた。
「まずは、感謝の証をこの箱に――ご自身が最も大切にしている象徴を納めてください」
壇上に置かれた金属製の箱。その前に、列ができる。
動きが止まる中――霞が、迷うことなく立ち上がる。
バッグから小さな封筒を取り出し、それを箱に納める。
その一連の動きに、隼斗はごくわずかに眉をひそめた。
(……早いな)
他の参加者たちは、何を納めるべきか戸惑っている。
「象徴って何?」「財布でいいの?」「この指輪とか……?」と、ささやき合いながら立ち尽くしているというのに、霞はすでに戻ってきていた。
しかもその表情には、わずかな迷いもない。
さらに、次のステップでも同じことが起きた。
「これから自己を開く宣言を一人ずつ行っていただきます」
進行役がそう言ったとき、会場にざわめきが走る。誰が最初になるのか、誰がどう話すのか――その迷いが支配するなかで、またしても霞が静かに席を立った。
「……私からでいいですか?」
進行役が驚いたように目を見開くが、すぐに頷いた。
「もちろん、どうぞ」
霞は中央に立ち、落ち着いた声で話し始める。
「私はこれまで、どこかで与える側でいなければならないと思ってきました。でも今は――与えられることの意味も、少しずつ分かってきた気がします」
その言葉は、いかにもこの場にふさわしい内容だった。
壇上から戻ってきた霞に、隼斗はぽつりと呟いた。
「……なんで、そんなに迷いがないんだよ。まるで手順を知ってたみたいだな」
その声に、霞は意味ありげに微笑んで見せた。
「慣れてるから、かしら」
夕刻。
セミナーを終えた参加者たちはロビーのような大部屋に集められている。
「自分のなかに、他人を赦せない子どもがいるって話、あれ、すごく刺さって……」
「おふたりも、何か気づきましたか?」
桂木崇と妻の千晶が目を細めて話始めた。霞は微笑みながら頷くだけで、何も言わない。
「でも羽瀬川さんって、なんか……ちょっと警戒されてる気がして、怖いなぁ」
千晶が唇に笑みを乗せたまま言ってくる。
それを聞いた隼斗が口を開きかけたとき――
突然の警報に、部屋中の空気が一変する。
「えっ、なに?」
「火事?」
扉の外から、焦げたような臭いが漂ってきた。
赤い警告ランプが明滅し、スタッフが「こちらです! この階段を使って!」と叫んでいる。
数名の参加者が悲鳴をあげ、動揺の波が広がる中――
「大丈夫です!こちら、避難ルートは安全が確認されています!」
堂々とした声が響いた。
見れば、桂木 崇が両手を広げて参加者の先頭に立ち、スタッフと一緒に誘導を始めていた。
「怖がらないで。これはきっと本当の自分を知る試練なんです。私たちはこの困難を乗り越えられる。皆さんで乗り越えましょう」
彼の言葉に、不思議と何人かが落ち着きを取り戻す。
霞はその光景を見つめながら、小さく呟いた。
「仕掛けてきたわね。全員を目撃者にした、なるほど」
隼斗は煙の濃度と流れを観察し、低く吐き捨てる。
「煙突が逆流してるだけだ。火災じゃない。演出だ」
避難後、参加者は再び別のホールに集められた。
壇上には幹部が立ち、静かに語り出す。
「皆さん、本日はご不安をおかけしました。ですが……これは、決して偶然ではありません。恐怖を前にして、あなたは何を感じ、何を選んだか――それが選ばれし者の証となるのです」
照明が落ち、スポットライトが壇上を照らす。
静寂のなか、幹部が手元の名簿を開いた。
「……八神 湊 様」
「羽瀬川 芽衣 様」
「桂木 崇 様」
「桂木 千晶 様」
参加者の間にどよめきが走る。
それぞれ名前を呼ばれた者たちは、一歩前へ出て、スタッフに導かれていく。
「選ばれなかった方々は、どうかご安心ください。これはあなた方の準備が整っていないというだけ。次の機会に、またお会いしましょう」
そう言って、スタッフが優しく退所の案内を始める。
名残惜しそうに後ろを振り返る人、涙ぐむ人――それぞれが部屋を後にした。




