「静謐の選別~セミナー潜入2日目①」
任務二日目の朝、シンイチと和大は家にいた。
シンイチは渡された資料を熱心に読んでいる。
《羽瀬川 芽衣 はせがわ めい》26歳
・現資産:土地不動産数件、美術品多数
・職業:個人投資家 社交場には顔を出さないが、文化・教育支援の分野に金を投じている
・親族関係:両親は事故死。戸籍、渡航記録、死亡届すべて一致。
・後見人:八神 湊(表向きは信託顧問、現在は婚約者)
・出身:清泉女学院高等部 → 海外語学留学 → 現在国内
《八神 湊 やがみ みなと》28歳
・フィンテックベンチャー「Minato Capital」代表。海外大学経由で帰国後に起業。
・公式HP・インタビュー記事あり。SNSも稼働中。
・羽瀬川財団とは資産運用顧問契約あり。
・最近、羽瀬川芽衣と婚約。
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「しかし、まぁよくこんな人間を作り上げたもんだな」
シンイチが感心したように言うと、和大はにやりと笑った。
「二人の経歴は完璧に仕上げてある。霞さん――羽瀬川芽衣の両親は実在しないけど、海外の死亡記録も公証済。日本の役所にも遺産相続の履歴を通してある。調べられても問題ない。隼斗――八神 湊は若手実業家。経歴の裏づけ用にSNSの足跡や投資家の偽レビューもつけてある。偽のインタビュー記事の日付・写真も最新のだし、登記情報もTNTの内部サーバーで仮想構築済。TNTのデータ班が架空の公式HPまで作ったから、検索されても問題ない」
「すげぇ……見出しもちゃんとそれっぽい。インタビュー記事の写真なんか、ほんとに青年実業家に見えるな。まぁ、黙っていればだけど」
シンイチがにやりと笑う。
「ネット検索でヒットするように、記事風のページも複数公開済だ。まぁ、ここまですれば教団側に調べられても、正体はバレないよ」
「いやぁ、データ班、張り切りすぎじゃないか? だいたい海外大学卒って大丈夫なのか? 隼斗、英語話せないだろ」
シンイチが苦笑いする。
「そこは霞さんがうまくフォローする予定だ」
和大の答えは渋い。わかってて、あえて黙認しているような口ぶりだった。
「無言のリアクションで乗り切る気か? まあ……隼斗らしいっちゃ、らしいな」
「でもあいつ、聞き取るのはそこそこできるらしい。中学の時にやたら洋画見てたせいで」
「地味な努力だな……ま、二人にとって婚約者ごっこなんて、どうでもいいことなんだろうけど」
シンイチはもう一度、資料に目を落とし、わずかに笑った。
「それよりも、イハラと連携は取れてるか?」
和大が聞く。
「ああ、ばっちりだ。今夜は政悟のフォローにつくよ。隼斗にも連絡済み」
「頼んだぞ。何かあったらすぐに知らせろ」
「了解、じゃあ俺は行くわ」
そう言って、シンイチはゆっくりと立ち上がった。
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翌日、「次のステージ」に選ばれた5組10名の参加者たちは、一般の参加者とは別の小型バスに乗せられ、施設の奥にある特別棟へと案内された。
「心を整えるための場」と称されたその建物は、モダンな造りでありながら、どこか異様な静けさを湛えていた。外からは完全に隔離されており、電波は届かず、スマートフォンは預かりとして回収された。
「携帯の電源を切ると、心のノイズも少し軽くなりますからね」
そう微笑んだ案内係の女性の言葉に、何人かは頷いていたが、隼斗は受け取りの瞬間、わざとらしく眉をひそめた。
「やっぱり、情報を遮断する気だな」
小声で言う隼斗に、霞はわずかに微笑んで返す。
「ここからが本番よ。うまく波長を合わせて」
午前中は内観と名付けられた瞑想セッションに費やされた。だが、スタッフは常に視線を配っており、些細な仕草や態度を観察している気配がある。
霞はそれを知っているように、ゆったりと目を閉じ、呼吸を整えていた。
一方、隼斗は意識的にぎこちない協調を演出した。瞑想室の壁際、天井の通風口、床の微妙な傾斜まで目を配りながら、まるで心を開ききれない青年実業家を演じている。
昼食後は数人ずつに分かれて「体験セッション」が行われた。一見、穏やかな空気――そのなかに、二人の男女がさりげなく近づいてきた。
「あの、もしよかったらセッションをご一緒しませんか?」
そう声をかけてきたのは、白いポロシャツ姿の男――彼は桂木 崇
桂木の隣に立つ女――妻の千晶も、控えめに微笑んでいる。
「昨日のセッション、すごかったですよね。僕なんか、目から鱗って感じで」
「ほんと、何度聞いても感動します……」
二人は自然に霞と隼斗の間に入り込むように立ち、さりげなく距離を詰めてくる。霞と隼斗のグループには、主催側の幹部らしき男も同席した。
「羽瀬川さん――あなたは、何か特別な力をお持ちだと感じます。……霊的な直観とでも言うのかな」
幹部の男の言葉は穏やかで、よく通る声だった。霞は驚いたような表情を浮かべて、しかしすぐに柔らかく笑う。
「そうなんですか? 初めて言われました」
幹部はさらに口調を落とし、声を低めた。
「選ばれる者には、宿命があります。この場所は、その宿命に気づくための場所でもあるのです」
「宿命、ですか……」
霞はあくまで自然な笑みを浮かべている。同席した桂木夫妻は、幹部の話を目を輝かせるように聞いていた。
「すごいな……やっぱり、本当に選ばれた人って、最初から空気が違うんですね」
桂木がやや大げさに感嘆すると、千晶が霞に視線を向ける。
「でも、羽瀬川さんって、なんていうか、すごく落ち着いてますよね。感じたことをあまり言葉にしないタイプっていうか……ちょっと、損してません?」
一見、無邪気な感想に見せかけて、言葉には確かに棘があった。霞はにこやかに微笑んだまま、すっと視線を返す。
「言葉にしないからこそ、伝わることもあると思いますけど。ね、湊さん?」
そう言って、隼斗の方を向く。
「さぁな。俺は目から鱗ってのが何枚くらいあるのか、気になっていたところだ」
「ふふ、ユニークな方ですね」
桂木はわざとらしく笑ったあと、小声で付け加える。
「でも、こういう場では素直さが鍵なんですよ。本質に触れるには、ちょっとした財産――いえ、勇気が必要で」
財産という言葉に隼斗の眉がピクリと動く。
「私、以前このセミナーに参加したときは涙が止まらなかったんです。何より講師の先生の話が素晴らしくて……」
千晶が感慨深げに言うが、
「泣ける話って、ああいう場に都合よく用意されてるもんですよね。考えさせず、ただ泣かせるのが目的で」
話の途中で隼斗が口をはさんだ。
「え?」と千晶がわずかに眉を寄せた。
隼斗は気にした様子もなく続けた。
「感情が出ると、考えなくて済む。だから便利なんでしょう、そういう泣ける導線って」
一瞬、場に沈黙が落ちる。霞が隼斗の袖口を、そっと引いた。
「……少し黙って。今は、そういう時間じゃないのよ」
その一言で、場の空気がまた柔らかく戻る。幹部は微笑を浮かべたまま、何事もなかったように次の話題へ移った。
桂木はうっすらと苦笑を浮かべながらも、ちらりと霞を見た。
「でも、羽瀬川さんって、すごく芯が強い方なんですね」
「いえ、まだまだです」
霞はさらりとかわすが、その口元には自信を感じさせる笑みがあった。




