「監視者の影」
ここはとある高層ビルの一フロア。表向きは警備会社の名義で借りられているが、実際はTNTの幹部が使用するオフィスの一つだ。国内には同様の施設がいくつか存在するが、その実体を知る者は極めて少ない。
広いフロアの一室には、薄いカーペットが敷かれ、会議用の長机と椅子が整然と並び、正面にはホワイトボードとプロジェクターが据えられている。窓の外には、夜の都市が瞬くように広がっていた。
「あの班は解体したほうがいいだろう。彼らは私情が入りすぎる」
「父親の件をもっと考慮するべきだったな。加害者と接触して刃傷沙汰でも起これば、マスコミの餌食だ」
「その通り。班員は目立たず、一般市民に紛れて生活する。それが鉄則だ」
幹部たちは険しい面持ちで意見を交わしていた。その時、会議室の扉が控えめにノックされた。
「入れ」
「失礼します」
扉が開き、一人の若い男が静かに入室する。幹部の一人が椅子にもたれたまま、鋭い視線を彼に向け、低く言い放った。
「お前はこれからも監視を続けること。気を抜くな。いいな――八真人」
「……あの、解体というのは……」
名を呼ばれた八真人は、静かに質問を投げかけた。
「お前は何も知らなくていい。不穏な動きがあれば、ただ報告するだけでいい。――先日、あの兄弟は、父親を殺害した男と接触を図っていたんだぞ。なぜ黙っていた」
「すみません。把握していませんでした」
実際、接触したと聞いたのは後からだった。兄弟三人の様子がいつもと違うと思っていた矢先、隼斗と政悟が何やら話していたのを、偶然耳にしたのだ。だが彼は、それを報告しなかった。
(一度ぐらい……いいはずだ。そう思った――いや、思いたかった)
「あの、どこからその情報が……いえ、自分が把握していないので、信憑性に問題があるかと」
「相手の婚約者からだ。彼の将来を考えても、お互いのためにも、今後会わないようにしてほしいと、警察に連絡があったそうだ」
「……そうですか」
心臓が一瞬、脈を乱した。だが顔色ひとつ変えず、八真人はうなずく。
「いいか。お前の任務は監視だ。逐一、報告しろ」
男の語気が強まる。室内の空気がわずかに凍る。天井の蛍光灯が静かに唸りを上げている。その音が、やけに耳についた。
八真人は冷静を保ちながら、自分に言い聞かせるように言葉を選んだ。
「しかし、あの班のメンバーは全員優秀です。実戦において、彼らほどの人材はそう多くありません。このまま解体するのは……」
「余計なことは言わなくていい。お前が事件を起こしたこと、忘れたとは言わせんぞ」
低く静かな一言が、鋭く突き刺さる。
「……はい」
その言葉には、逆らえなかった。あのときの過ちが、今も彼の首に鎖のように絡みついている。
(それでも、あの班を壊すのは、間違っている)
胸の奥に渦巻く思いは飲み込んだ。
「まあまあ、親子喧嘩はその辺にしておこう。八真人くんはよくやっているじゃないか。あの班にも溶け込んでいるし、我々が懸念していた10代の班員にもよく寄り添っている。将来は優秀な幹部になれそうだ」
誰かの軽い言葉が場を少し和ませた。だが八真人の胸の内には、重たいものが沈殿していた。
『将来は優秀な幹部』――そんな言葉をかけられるたび、心の奥の傷が疼く。
(幹部……俺が?)
父が真正面から向き合ってくれたことなど、一度もなかった。
「――監視を強化しろ。次に何かあれば、解体だ」
冷え切った命令が会議室に響いた。
「殺しはしないが、全員を隔離する。兄弟であろうと関係ない。バラバラに活動させる」
「そんなことをすれば……」
八真人が思わず漏らした言葉は、無視された。
「もういい、用件はそれだけだ」
「失礼します」
会議室を出た八真人は、廊下で深く息を吐いた。
(兄弟だから私情が入る? だったら、任務に血を通わせないで済む人間が、いったいどれだけいるというんだ)
八真人はそっと目を閉じた。




