「赦しの不在」
政悟が高校生になってしばらく経ったある日、彼は突然、和大と隼斗を外へ連れ出した。
「なんだよ、急に。どこ行くんだ?」
隼斗が眉をひそめる。
「会わせたい人がいるんです」
政悟はそれだけを言って、黙々と歩き出した。
「なに? お前、彼女でも紹介すんの?」
和大がからかうように笑いかけたが、政悟は無言のまま、やや強張った顔をしている。
「おいおい、マジか。まさか相手の親とか?」
隼斗は苦笑しながらついていくが、政悟の横顔は硬いままだった。
電車を乗り継ぎ、バスに揺られ、降りたのは郊外の静かな住宅街だった。日曜の午後、どこかの家からはテレビの音が漏れている。
しばらく歩いたあと、政悟が足を止めた。
「そろそろ、来る頃です」
そう言って政悟は、手に持ったスマホを二人に差し出した。
地図アプリの画面に、赤いピンが打たれていた。ピンは少し先の角を示している。
「誰が?」
和大が声を落とす。
政悟は一拍置いて、静かに答えた。
「父さんを殺した男です」
その場の空気が凍りついた。
「偶然か?」
隼斗の声が低く問う。
「違います。調べました」
政悟は淡々と続ける。
「3年前、仮釈放されています。今はここに住んでいて、支援者の女性と交際中。近々、籍を入れるそうです」
「お前、何のためにそんなことを――」
「知りたかったんです」
政悟は短く言った。
「どんな顔をして生きてるのか。父さんを殺して、今どんな表情で暮らしてるのか、見ておきたかっただけです」
政悟が歩き出す。
隼斗が無言でその背を追い、和大もためらいながらあとに続いた。
住宅街の角の、小さな喫茶店。
その前に立っているのは――。
「あいつ、です。更生した人間を演じるのは簡単です。仮釈放中でもね。あと一年、何事もなければ完全に無罪の市民になる。見ててください。きっと笑って祝いますよ、自分の自由を」
政悟が指さした。
男は笑っていた。隣には一人の女性。親しげに言葉を交わしている。女性が何か言って男から離れたその瞬間、隼斗の中で何かが弾けた。
「おい、お前……」
隼斗の声に男が振り返る。
「お前は……俺の父親を殺した」
隼斗の声は、怒りでかすれていた。
「……は?」
「お前は人殺しだ」
男は数秒沈黙した後、小さく笑った。
「ああ、お前は……あの警官のガキか。復讐に来たのか? で、どうする? 俺を殺すか? やってみろよ。今の俺は善良な市民だぞ」
「善良だって?」
隼斗は信じられないという目を向けた。
「ふざけんな。お前が――父さんを――」
「で、なんだ。謝ってほしいのか?」
男は目を細める。
「悪いが、俺は謝らない。もう罪は償った。それで十分だろ?」
「てめぇっ――」
「隼斗、やめろ。落ち着け」
和大の制止も届かない。道行く人が何事かと足を止め始めた。
その時だった。
「どうしたの? 何かあった?」
先ほどの女性が戻ってきた。彼女は男の肩をつかみ、不安そうに和大たちを見つめる。
「……いや、何でもない」
男が短く答えた。
「もしかして、この人たちって……」
女性の顔が曇る。
「……あの。もう彼に関わらないでください」
静かだが、芯のある声だった。
「彼は罪を償いました。これ以上過去を引きずらせないで。こういうことがあるから、いつまでたっても社会復帰できないんです」
「そういうことだ」
男が鼻を鳴らすように笑った。
「じゃあな。二度と俺の周りをうろつくんじゃねぇぞ」
二人は並んで、通りの向こうへと歩き去っていく。
「あの人が結婚相手ですよ」
政悟がポツリとつぶやいた。
「支援者の人」
「あいつのせいで、俺たちの人生はめちゃくちゃになった」
隼斗が吐き捨てた。
「父さんが殺されなければ、今ごろ5人で暮らしてた。あんな奴が父さんを……っ」
隼斗のこぶしが震えていた。脳裏に浮かぶのは、父の優しい笑顔。実母は隼斗を産んで間もなくこの世を去った。祖父母の協力もあったが、父は一生懸命自分を育ててくれていた。
5歳で和大たちに出会うまで、隼斗にとって、父は誰よりも大好きで尊敬できる大人だった。そんな父をあの男が殺したのだ。詫びろとは言わない。でも、全く罪の意識もない様子を見て、彼の中で怒り以上の何かが沸き上がってきた。
こんな奴に父さんは殺されたのか。
「……あいつ、あとで殺しましょうか」
政悟の声がした。
「僕に任せてください。絶対にバレませんから」
「政悟」
和大が、普段にはない鋭さで呼んだ。
「――あれは対象者じゃない」
「でも、反省なんてしてませんよ?」
政悟はゆっくり顔を上げる。
「法で裁かれたら、それで終わりなんですか? 被害者は、置き去りのままですか? だからこそTNTがある。そう言ったのは和兄さんじゃないですか」
政悟の声は、どこまでも冷静だった。
「いいです。僕一人でも、やれますから」
「政悟、よく聞け」
和大の声は低く、重かった。
「上から指示された人間しか、殺しちゃいけない。彼は対象者じゃない。もし殺せば、それはただの――人殺しだ」
沈黙が落ちた。
政悟は黙って、視線を逸らす。
その時だった。
「……和兄はさ」
隼斗がつぶやくように言った。
「本当の父親じゃないから、そんなことが言えるんだよ」
和大の顔が動く。
「俺と政悟にとって、父さんは血のつながった実の父親だ。でも、和兄にとっては――違うだろ?」
『パシンッ』
乾いた音が空気を裂いた。
和大の掌が、隼斗の頬を打っていた。
「……お前は、ずっと……そんなふうに思っていたのか」
絞り出すような声だった。
「今のは、隼斗が悪いです」
政悟が言った。
「和兄さんに、謝ってください」
「謝らない」
隼斗は顔を背けた。
「お前が殺すなんて言うからだろ」
「僕のせいですか? 責任転嫁も甚だしいですね。隼斗は無神経すぎますよ。ほら、和兄さんに謝って」
政悟は眉ひとつ動かさず、隼斗に詰め寄った。
「嫌だね」
「……政悟、お前は俺に気を遣ってるのか?」
和大の声は穏やかだった。
「俺と隼斗は血がつながってないからって……。疎外感を感じるんじゃないかって、そんなふうに思ってるのか?」
和大の口調は穏やかだった。が、政悟は何も言い返さなかった。代わりに口を開いたのは隼斗だった。
「あのなぁ。こいつが、そんな殊勝なこと考えるかっての。和兄のことになるとムキになるだけだよ」
「俺は、先に帰る」
和大は静かに告げ、背を向ける。
その後ろ姿は、大きくて、でもどこか遠かった。
隼斗も、政悟も――誰も、その背中を追うことができなかった。




