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「疑念の中の信」

 同じ時期にTNTに加入した和大とイハラが参加したのは、体力的にも精神的にも極限に追い込まれる訓練だった。訓練場所は人気のない山奥。参加者は全国から10名足らず。


過酷な訓練は一か月も続いた。


ただ走り込んだり撃ち合ったりするだけではない。問われたのは、協調性、判断力、そして信頼の価値だった。仲間とどこまで協力できるか、危機にどう動くか、そして何より、機密をどれだけ守れるか。


 中には、想定外の事態も用意されていた。たとえば――仲間だと思っていた者が敵だった場合、自分はどうするのか。


 とくに参加者の精神を揺さぶったのは、訓練も終盤に差し掛かったある日のことだった。


「この中に、内通者がいる」

 突然そう告げられたのだ。


 内通者は、参加者の動向を本部に逐一報告し、訓練内容も事前に把握していた。食事も休息も充分に取っており、他の参加者とはまったく異なる条件で訓練を受けていたという。


「誰が内通者か、見つけ出せ」


 その一言で、すでに心身ともに疲れ切っていた参加者たちは、たちまち殺気立った。

 自分は食事もとれず、ろくに眠ることもできずに訓練をこなしてきた。なのに、誰かが楽をしていたのだ。

 誰が敵で、誰が味方なのか。あるいは、自分以外の全員が内通者なのでは――。

 疑心暗鬼が広がり、終盤にようやく芽生えかけていた仲間意識は一気に崩れ始めた。


 誰かが不利な状況になると、過剰に助けて信頼を得ようとする者もいた。逆に、わざと無視して孤立させ、内通者ではないかと責める者もいた。芝居ではないかとすべてを疑う者も現れ、訓練はほとんど混乱状態だった。


 ――そんな中、和大だけはまったく変わらなかった。


 イハラは体力訓練の中で、何度か和大に助けられていた。それは特別なことではなかった。和大は誰であっても見捨てなかったのだ。

 励ましの言葉を並べるのではなく、必要なときに手を差し伸べ、場合によっては厳しく叱咤し、それでも仲間を脱落させることはなかった。


 誰もが心身ともに疲弊している中、行われた課題は頭脳戦――いわゆるキムのゲームの変形版だった。  訓練官がテーブルにかけられた布を外すと、机の上には10数個の雑多な品が並べられていた。体力が限界を迎えたころ、すべて覚えるよう告げられ、30秒後に再び布がかけられる。


 ほとんどの訓練生は半分も思い出せず、言い淀む中、イハラだけは一気に答えを並べ立てた。


「……折れた鉛筆、錆びた10円玉、乾パンの袋、擦った跡のあるマッチ箱」


 細部まで言い当てる彼に、ざわめきが広がった。

 イハラは内通者ではなかったが、頭脳戦の課題を次々にクリアする様子から、『事前に情報を得ていたのでは』と何度も疑いを向けられていた。今回も、完璧な答えに、周囲はますます疑念を抱いた。


「落ち着いて観察すれば、誰でもわかることだ」


 イハラは淡々と答える。しかしその冷静さが逆に孤立を生み、疑念の目が突き刺さる中、イハラは肩をすくめるだけだった。完璧に答えたはずなのに、誰も信じてはくれなかった。……ただ一人、和大を除いて。

 和大だけは、何があっても一貫して彼への態度を変えなかった。和大にとって、誰が内通者かなどは問題ではなかった。助けが必要なら助ける。ただそれだけだった。

 その姿に心を動かされたのか、次第に他の参加者たちも和大のやり方に倣うようになった。

 

――もう、誰が内通者でも構わない。とにかく、この訓練を全員で乗り越えよう。

 

 そうして、再び協力の輪が広がっていった。ランニングで助け合い、夜の警戒で互いの動きをカバーし、頭脳戦の訓練で信頼を積み重ねる。体力・精神・頭脳が絡み合った力が訓練生の中に芽生えていった。


 最終的に、内通者は自ら名乗り出た。

 一番手がかかり、訓練中も常に誰かに支えられていた人物だった。


 誰もが「まさか」と思った。けれど、誰も彼を責めなかった。責める必要がなかった。

 そのときにはもう、訓練の目的は達成されていたからだ。


 訓練終了後、イハラの方から和大に声をかけた。


「組ませてほしい」


 そう言った彼は、頭脳派。体力派の和大とは正反対だったが、だからこそ良いコンビになった。

 その後、イハラが声をかけた男――シンイチも仲間に加わる。

 和大は当初、イハラの方が年上なのだから班長にふさわしいと考えていた。

 しかしイハラはそれを頑なに拒んだ。


「班を導くのは、お前だ。お前にしかできない」


 そう言って譲らず、最終的に和大が班長となったのだった。


――――――――――――――――――――


そして勉強を教える、という名目のもと、政悟とイハラが並んで座る時間が徐々に増えていった。政悟はイハラが言うとおりにノートをまとめ、きちんと間違いを直していた。彼はイハラが投げかける問いに対して、自分なりの答えを返そうとする姿勢を見せている。


 「ここな、途中で計算ミスしてる。ほら、ここをこう……」


 そう指摘すれば、眉を寄せながらも、彼は素直にペンを持ち直す。

 訂正された式を書き写す手元はまだ幼く、だがその目は、何かを掴もうとするようにまっすぐだった。


 ──ああ、よく頑張ってる。


 イハラはそんな彼の横顔を、ふとした拍子にじっと見てしまうことがあった。


 そして気づいたことがある。政悟は、自分の中にある正しさを持て余して、それをどう扱えばいいのか分からずにいるだけなのだ。


 その不器用さが、痛いほど分かるような気がして──それはイハラ自身の若い頃と、どこか重なって見えた。表紙の角が擦り切れるほどに開いた問題集。気づけば、イハラの中に芽生えていたのは、任務とも、善意とも違う──それでも確かな、情のようなものだった。


数か月後、イハラが勉強を見てくれた甲斐もあり、政悟は無事、地元の公立高校へと進学できた。



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