「命の温度」
数日後、兄弟三人で買い物に出かけた時のこと。
近所のスーパーのレジ前で、怒鳴り声が響いていた。
「だから言ってるだろ、遅ぇんだよ! さっさとしろよ」
声の主は中年の男だった。
レジ係に詰め寄り、隣に控えた店長らしき人物にも食ってかかっている。
どうやら、このあたりでは有名なクレーマーらしい。
店内のあちこちから、ひそひそとした声が聞こえてきた。
「あの人……また来てるよ」
「ストレス発散って、聞いたことある、可哀想にね、店員さん」
三兄弟の耳にも、その噂話が届いていた。
和大は小さく息を吐き、男のもとへ歩み寄った。
「まぁまぁ。落ち着いてください」
静かな口調で声をかける和大に、男はギロリと睨みつけた。
「てめぇ、なんなんだよ。誰に向かって口をきいてるんだ。え? 俺が誰か知ってるのか?」
怒号が飛び、男は和大に詰め寄る。怒鳴る対象を和大に変え、周囲に見せつけるように大声を張り上げていた。
その時だった。
少し離れた場所でその様子を見ていた政悟が、ぽつりと口を開いた。
「……あいつ、どこかに誘い込んで殺しますか? お店の人が気の毒ですよ。和兄さんが説得したところで、どうせまた店に来るんでしょ。客だからって、ああやって大声出して、喚いて、みんなの迷惑です」
隼斗は思わず弟を凝視した。
冗談にしては、政悟の声はあまりにも冷ややかだった。
「おい、落ち着け政悟」
隼斗は弟の肩に手をかけ、低い声でたしなめる。
「お前が動いたら、和兄の努力が全部無駄になるだろ。おとなしくしとけ」
「あいつも命乞いするんですかね」
政悟の瞳はどこか遠くを見ていた。
「は?」
思わず問い返す隼斗に、政悟は淡々と続けた。
「ああやって、一般人に悪態をついてるけど、いざ殺されそうになったら泣いて命乞いするのかなって」
「するに決まってるだろ」
隼斗は眉をひそめる。
「ああいう奴に限って、いざって時は真っ先に『助けろ』って騒ぐし、自分可愛さに必死で命乞いするんだよ」
政悟は黙って兄の言葉を噛みしめるように聞いていたが、ふと問いかけた。
「隼斗がもし敵に捕まったら、命乞いをしますか?」
「しないよ」
即答した隼斗は、少し口元を歪めた。
「たぶん、さっさと殺せって言うだろうな。でも――」
「でも?」
「捕まる前提で考えるな」
隼斗は視線を政悟に向けた。
「俺は、そんな間抜けなことはしない」
結局、和大の粘り強い説得で男は店を出ていった。
残された空気は重く、張りつめていた緊張の余韻だけが漂っていた。
「お疲れさん」
隼斗がぽんと和大の背を叩く。
和大は少し苦笑いを浮かべて、つぶやいた。
「働いてる人たちにいろいろ要望があるのはわかるよ。その声が叶えば、きっと暮らしやすい社会になるんだろう。そう思うし、望むこと自体は悪くない」
言いながら、ふと遠くを見るような目になる。
「でもな――」
和大は、レジに戻っていく若い店員の背中を見つめた。
「あの時はやってくれた、と感謝されるかもしれない。でも、やって当然が積み重なれば、働く人にばかり負担がのしかかっていく。個々の事案は対処できても、そうやって一個人に押しつける社会は、やっぱりどこか違う気がするんだ」
政悟はそれに何も返さなかった。けれど、黙って和大の横顔を見ていた。
班の秘密活動は静かに、だが確実に拡大していった。
再犯防止のため、出所者を監視。再犯の予兆があれば事前に抹殺。表の法執行機関では追い切れない犯罪、触れられない真実は秘密裏に片づけた。彼らは「正義の味方」だけではなく「混乱を防ぐために犠牲を選ぶ組織」でもあった。




