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「覚悟の線引き」

 任務が終わったあとの帰り道。

 

車内は静まり返っていた。ラジオもかけず、夜の道路を走るエンジン音だけが微かに響いている。

 助手席の隼斗が、不意に口を開いた。


「……なあ、シンイチ。お前は大丈夫なのか?」


「何が」


「奥さんと子供、いるだろ」

 前を向いたままの声は、いつになく柔らかい。


 運転席のシンイチは、ほんの少し目を細めて、短く笑った。

「……何度も考えたよ。やっぱり辞めるべきか……って。辞めて監視付きで一生過ごそうか、とか。でもさ、きっと後悔するんだろうなって思った。だったら、誰かを守れるほうを選びたいって思った。誰かを守るために、俺はこれを選んだ」


「それ、とてもかっこいいです」

 後部座席から八真人が言った。


「そうか? だいたい俺、独身だったらTNTに入ってないぞ。お前らにも会えなかっただろうな。まぁ、人生ってそんなもんじゃないか? 思いがけないことばかりの連続でさ。でも、家族に黙って死ぬわけにはいかない――とは思うよ。必死に足掻いてでも生きてやるって思ってる」


 誰もすぐには返さなかった。どこまでも平坦な道を、車は走り続ける。


──それでも、空気は変わっていた。

 誰かの言葉を待っているような、静かな期待が車内に満ちていた。


「……あの」

 ぽつりと、八真人が口を開いた。

 その声は穏やかで、どこか遠くを見るような響きだった。


「奥さんは、この仕事のことを知らなくても、きっと、シンイチさんに生きててほしいって願っていると思います。それって、きっと、シンイチさんが誰かを守りたいって気持ちと、同じくらい尊いです」


 静寂が戻る。けれど、どこか柔らかな温度が残っていた。八真人はゆっくりと、告げる。


「……俺も、みんなに、生きててほしいです。そして……俺も、誰かに、そう思ってもらえるようになりたいです」


 車内の空気が、ふと止まったように思えた。

 前も後ろも、誰も何も言わない。ほんの数秒の沈黙のあと――


「……お前、それ先に言えよ」

 隼斗が、目を伏せたままぼそりとこぼす。


「ちくしょう、完全に霞んだな、俺の台詞……」

 シンイチが肩をすくめると、後部座席の八真人が、少しだけうつむいて言った。


「え……あの…… すみません……」

 隼斗の顔にかすかな笑みが浮かぶ。


 ──闇の中でも、少しだけ灯るものがある。誰も声に出して笑ったわけではなかった。けれど、確かに、あたたかいものが車内に残った。


 南雲誠四郎は、表向きには山中での事故死として処理された。『高所から転落後、動物による損壊』など、死因も曖昧なままだ。処理班によって引き取られていったのち、裏でTNTの手が回り、詳細な検視は行われなかったのだ。

 保険会社にも一定の説得がなされたらしい。遺族には「遺体の引き渡しは不可能」とだけ伝えられたが、残された妻子には、彼がいつの間にか契約していた高額の保険が支払われていた。


その夜。

「どうだった、三者面談」

 隼斗が聞いた。


「英語以外はもうちょっと勉強した方が良いって。あいつ、どうやら授業中も寝てばかりみたいだな」

 和大は苦笑いするが、ふと真顔になって続けた。

「やっぱり政悟の任務、減らした方が良いだろうか……」


「それは無理じゃねぇか。今日だって、なんで連れて行かないんだって、むくれてたんだぞ。ったく困ったやつだよ」

 隼斗がため息をついた。


「親の心子知らずだよなぁ」

「確かにな」 

『はぁ…………』

 和大の言葉に隼斗が頷き、二人は同時にため息をついた。


 そこへ、風呂上がりの政悟が濡れた髪をタオルでごしごしと拭きながら、廊下を通りかかる。

「……僕」

 唐突に口を開く。

「この先、どこの高校へ行くとか、大学に進学するとか、先のこと、よくわからないです」


 二人の視線に気づいたのか、タオルの下からちょっと気まずそうに目をそらす。


「……でも、和兄さんと隼斗と一緒にいるのは、嫌じゃないので。僕が選んだ道です。まだやめませんよ」

そう言って、ぽんとタオルを肩にかけたまま、台所の方へ歩いていった。


「……あいつ」

 隼斗が鼻を鳴らした。

「全然わかってねぇくせに、たまに一番わかってるんだよな」

「そうだな」

 和大が目を細めて、静かに笑った。


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