表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/85

「兄の断章」

任務の話し合いを終え、イハラ、シンイチ、八真人はそれぞれ帰路についた。


 古い二階建ての家には、兄弟三人だけが残されている。

 夕食も済み、時計の針が9時を回った頃。


「……和兄は、相変わらず甘いな」


 隼斗が低く切り出した。少しだけ怒気を含んだ声音だった。


「俺たちみたいな組織じゃ、上官の甘さは致命傷になる。和兄はいつも非情になれない。もっと部下を駒として見るべきだ。さもないと、いつか寝首をかかれるぞ。俺や政悟だって、必要とあらば見捨てろ」


 和大は静かにその言葉を受け止め、口元だけで笑った。


「お前たちを見捨てるなんて、できるわけないだろ」


 柔らかな声だった。


「だいたい、俺の甘さは隼斗がカバーしてくれるって思ってるからさ」


 その言葉に、隼斗は大きくため息をついた。


「だからそれが甘いって言ってるんだ。俺をあてにするなよ」


 ぶっきらぼうだが、そこに兄を思う気持ちは滲んでいた。


「まぁまぁ、そこが和兄さんのいいところでしょう」


 政悟が口を挟んできた。足を畳に投げ出してぶらぶらと揺らしながら涼しい顔をしている。


「隼斗が冷酷すぎるんですよ。ほんと、人の心ってものがないですよね」


「お前にだけは言われたくねぇよ。あのさ、前から思ってたけど、なんで俺だけ呼び捨てなんだ?」

 隼斗は政悟を睨む。


確かに政悟は、「シンイチさん」「イハラさん」「イチくん」と、他の班員には敬称をつけているのだ。


「……あ、僕、宿題がありました。じゃ、失礼します」


 言うが早いか、政悟はそそくさと立ち上がり、二階の自室へ逃げ込んでしまった。

 廊下を踏みしめる足音が、どこか軽やかだった。


「ったく……」


 隼斗が呆れたように吐き出す。


「でも、本当に和兄はお人好しだよ」


「違うな。お人好しなんかじゃない」


 和大はちゃぶ台に肘をつき、ゆっくりと話し出した。


「隼斗、お前は俺を買いかぶりすぎてる。だいたいお人好しの人間がTNTの班長なんてしないだろ?」


 言葉の端に、どこか自嘲めいた色が混じる。


 少しの沈黙のあと、和大はぽつりとこぼした。


「……俺はな、親父の顔をなんとなく覚えてるんだ」


 不意に語られるその言葉に、隼斗は息を止めた。


「父さんじゃない、俺の本当の親父だ」


 和大の実父は、彼が5歳の頃に失踪した。

 その男は、優しい人だったという。

 困っている人を見れば黙っていられず、誰にでも手を差し伸べていた。

 その優しさは多くの人に好かれる一方、しばしば利用された。


「連帯保証人って、意味もよくわからないまま書類に判を押したらしいよ。知人に頼まれて断れなかったんだって」


 そして、ある日突然、その知人は姿を消した。

 残されたのは借金と、家族だけだった。


「『和大を頼む。家族には迷惑をかけたくない』って置き手紙を残して、親父は消えたよ」

 和大の声が、少しだけ震えていた。

「警察に届けは出した。でも、事件性がないって理由で積極的には探されなかった。結局、あの人は二度と帰ってこなかった」


 母はその後、懸命に働き、再婚した。



 再婚相手――隼斗の父は、和大にとって「二番目の父」だった。

「父さんも、人を救おうとして死んだ。犯人を諭そうとして、逆に殺された。二人ともさ、人を信じた結果がそれだよ。俺は、理不尽だと思う。でも、そういう世の中だってことも、分かってる」


 和大はふっと目を伏せる。


「俺が警察官になったところで、救えない人間はいくらでもいる。法律の外にこぼれ落ちる人たちは、民事不介入って言葉ひとつで、切り捨てられていく」


 静かな語りは、どこか決意に満ちていた。


「だから俺は、お前たちには苦労させたくなかった。それだけだったんだよ。どんな仕事でもやるって、そう決めたのに――結局、お前らもここにいるんだもんなぁ」


 和大は苦笑した。けれどその目は、どこまでも優しかった。


 和大には愛されて育った記憶がある。

 家族旅行。笑い声の絶えなかった食卓。

 母が再婚してからの8年間――和大の記憶には、確かに「家族」があった。

 だが、弟たちは違った。

 政悟は物心ついた頃にはすでに母が病床に伏していた。

 隼斗にも、父との記憶はそう多くない。

 だからこそ、和大は愛情をかけたかった。

 与えられなかった分まで、兄として。


――それなのに。


「見せたことあったっけ、親父の写真」


 和大はポケットから古びた写真を取り出した。少し黄ばんだ小さな写真には笑顔の男が写っていた。


「親父、左頬に火傷の跡があってな。笑うと右の口元に小さなえくぼができるんだ」


 背が高く、肩幅が広い。整った顔ではないが、どこか柔らかな雰囲気があった。


「似てないってよく言われるけど、俺は、雰囲気は似てると思うんだけどな」


 写真を受け取った隼斗は、黙ってそれを見つめた。

 それが兄の出発点だったことを、少しだけ理解した気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ