「兄の願い」
「おたくの子、まだ若いだろう。学校にはちゃんと行ってるのか?」
合同任務を行った班の一人が声をかけてきた。
「ええ。任務の合間にきちんと通わせてます。出席日数や成績は問題ないですよ」
和大が穏やかに答えると、相手班の一人が感心したように唸った。
「へえ……。まさかこの年で、この前線に立ってるなんて。将来、どんな化け物になるんだか」
「すでに充分、化け物だろ」
隼斗が横からぶっきらぼうに口を挟む。
「化け物って……僕、人間ですよ?」
政悟は首を傾げながら、悪びれもせずに答える。それを聞いて、何人かがくすりと笑った。
「まあ、政悟は見た目がアレだからな。変に目立つ」
和大が苦笑しながら呟いた。
「行くぞ。雑談はもういい」
隼斗はため息混じりに言い、背を向けた。隼斗に促され去っていく政悟の背中を見ながら、相手班の一人が呟いた。
「……やっぱ、ちょっとすげぇな、あの子」
物心ついたときから、政悟の保護者は11歳上の兄・和大だった。両親の顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。
彼にとって和大は、兄であり、父親のような存在だった。
「お前は母さん似だな」と、兄たちはよく笑って言った。色白で、整った目鼻立ち、美人だった母。長いまつげと、柔らかな口元――政悟は母の面影を兄たちの言葉から知った。
政悟が小学6年生のとき、次兄・隼斗も警察官になった。しかし、すぐに様子がおかしくなった。今まで口うるさかった隼斗が、政悟に対してすっかり小言を言わなくなり、和大との会話にも張り詰めた空気が漂っていたのだ。何を聞いてもはぐらかされる。
政悟は知らないふりをしながら、兄たちの周囲を密かに探った。
そして、ある日。
「和兄。隼斗と何しているか教えてよ。僕も仲間に入れて。僕だけ何も知らないの、嫌なんだ」
突然の申し出に、和大は苦笑を浮かべた。
政悟はまだ中学生。警察官になるには、早くても高校を出てからだ。
「今は勉強しろ。仕事は遊びじゃない。お前が思ってるより、ずっと厳しい世界だ」
「わかってるよ。人を殺すんだよね」
その言葉に、和大の表情が変わった。
「……どうしてそう思う。何か見たのか?」
政悟は深く息を吸い、矢継ぎ早に言った。
「僕は全部、見たんだ。兄さんたちの仕事が普通じゃないって気づいて、何度も後をつけた。だけど決定的な場面にはたどり着けなくて……だから、GPSと盗聴器を仕掛けた。五番街通りの地下、空き店舗に4人集まっていた。銃を持って、黒い車で出発するのも見た。僕、車の中に隠れてついていったんだ。そして、兄さんたちは……」
「もういい、政悟。……わかった」
和大は観念したように目を伏せた。
「ちょっと外に出るか」
連れて行ったのは、TNT専用の射撃訓練場だった。
「よく見てろ。これが、俺たちの仕事だ」
和大は政悟に防音ヘッドホンを渡し、38口径のリボルバーを構える。人型ターゲットの心臓を、正確に撃ち抜いた。
「任務によっては、人を殺すこともある。お前には無理だ。諦めろ。学校に行って、勉強して、進学して、普通の人生を歩んでくれ。それが俺の願いだ」
政悟は静かに聞いていた。そして、銃に視線を移した。
「その銃、貸して。僕に撃たせて。命中したら、仲間に入れて。約束して」
和大はため息をついた。中学生がいきなり銃を撃てるはずもない。まず、この重みに躊躇するだろう。
「いいだろう。ただし、外したらもうこの話は終わりだ。もう二度とこの話はするな。いいか、まず―――」
政悟が撃った。説明もろくに聞かずに。
そして、すべての弾が的の急所に命中していた。和大は息を呑んだ。
「僕、トカレフも扱えます。これで仲間に入れてくれますよね、班長さん」
この瞬間から、政悟は和大に敬語を使うようになった。
「……約束は約束だからな。一応、上に話してみる」
和大は渋々そう言ったが、内心では衝撃が収まらなかった。いつの間に政悟にここまで知られていたのか。銃の扱いをどこで、誰に教わったのか。
何が彼を、ここまで駆り立てたのか――。
「で、上は何て?」
隼斗が苦い顔で言った。
「政悟はまだ中学生。さすがに正式には認められない。だが、兄弟ってことで黙認だとさ」
和大の声に棘が混じる。
「ただし、不都合が起これば――始末しろと」
「始末、ね……」
隼斗の目が細められる。苦々しさが滲む。
「結局、使えるなら使え。でも責任はこっち。お目付け役も兼ねろってことか」
兄たちは政悟を見た。
「僕は構わないですよ。お荷物でも、特例でも。兄さんたちと一緒にいられるなら」
さらりと答える政悟に、兄たちはそろって溜息をついた。
「政悟。TNTに加入する以上、お前には訓練を受けてもらう」
「兄さんたちも訓練をクリアしているんですか?」
「ああそうだ」
隼斗が即答する。
「じゃあ僕にもできます」
政悟の目は真っ直ぐだった。二人の兄は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
「勝手にしろ。でも学校は行け。明日も授業があるんだ。早く風呂入って寝ろ」
「はぁい」
政悟の姿が浴室に消えてから、和大は深いため息を吐いた。
「あいつ、俺らが知らない間にどこかで銃の練習をしてたんだろうな。すげぇよ。けどあの訓練は無理だ」
「だな。あの訓練、今でも思い出したくねぇよ」
隼斗が顔を顰める。
「あの時の相手、人間だった。けど、人間じゃなかった。いったい、何だったんだろうか」
「和兄、そういう話、他の奴にはすんなよ。口止めされているだろ」
「わかってる。けど、政悟が同じ場所に行くと思うと……なあ、隼斗。あいつ、どっちに似たんだ?」
「和兄だろ」
「いや、隼斗だって」
「はあ?」
まるで子供の性格について、どちらに似たかと話し合っている夫婦のようで、お互いに顔を見合わせて笑った。
「誰に似たとかじゃなくて、政悟が生まれ持っていた性格だろうな」
和大がそう言って、納得したようにうんうんと頷いた。