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第9話 失われたプロトコル

大学のアーカイブ室の空気は、古い紙と埃の匂いがした。シオリは、指先をわずかに湿らせながら、黄ばんだ公文書のページを慎重にめくっていた。彼女の研究テーマは「女子力発電システム導入初期における技術思想と社会変容」。修士論文に向けて、膨大な一次資料と格闘する日々が続いていた。


公式記録によれば、女子力発電システムの導入は、エネルギー危機に瀕した国家を救った輝かしい技術革命として描かれている。効率性、経済性、そしてクリーンであること。そのメリットばかりが強調され、開発プロセスは驚くほどスムーズに進んだかのように記述されていた。


「本当に、そうなのかな……」


シオリは釈然としないものを感じていた。どんな大きな技術革新にも、必ず試行錯誤や対立、そして犠牲が伴うはずだ。この、あまりにも「きれい」すぎる歴史には、何か隠された側面があるのではないか。そんな予感が、資料を読み込むほどに強くなっていた。


その日、彼女は開発初期のプロジェクトメンバーに関する資料を調べていた。政府関係者、著名な物理学者、大手電機メーカーの技術者……リストには、錚々たる男性の名前が並んでいる。そのリストの末尾、ほとんど見えないくらい小さな手書き文字で、インクが掠れた名前が書き加えられているのを、シオリは見つけた。


月島つきしま あおい - 生体エネルギー工学担当(臨時)』


アオイ。聞いたことのない名前だった。公式のプロジェクト報告書や関連論文には、一度も登場しない。まるで、存在しなかったかのように。シオリの胸に、小さな疑問の棘が刺さった。


アオイについて調査を始めたが、情報は驚くほど少なかった。当時の新聞記事をデータベースで検索しても、学会発表の記録にも、彼女の名前は見当たらない。まるで、意図的にその存在が消されているかのようだ。シオリは諦めず、当時の開発に関わったとされる人物の子孫や、退職した元関係者を訪ね歩いた。


数週間後、ようやく有力な手がかりを得た。プロジェクト初期に技術顧問を務めていた老教授の娘さんが、父親の遺品の中から、当時の日記やメモを保管していたのだ。その中に、アオイに関する記述がいくつか見つかった。


「月島君の着眼点はユニークだ。エネルギー効率だけでなく、装着者の精神的安定性ウェルネスにも注目している」

「彼女の『心拍同調アルゴリズム』は画期的だが、コスト面と、"非科学的だ"とする上層部の反対が強い」

「会議は紛糾。月島君、孤立。プロジェクトからの離脱を示唆される」

「……残念だ。彼女の理想は、高すぎたのかもしれない」


日記の記述は断片的だったが、アオイが単なる技術者ではなく、独自の思想を持った研究者であったこと、そして、プロジェクト内部で何らかの対立があったことを強く示唆していた。


決定的な発見は、その娘さんが「父が最後まで気にしていた書類」として見せてくれた、古い封筒の中から現れた。中には、アオイ本人の手によるものと思われる、数枚の設計図のスケッチと、走り書きのメモが入っていたのだ。


その設計図に描かれていたのは、現在のリストバンドとは明らかに異なるデバイスだった。エネルギー変換回路の横に、「生体フィードバック・ループ」「感情スタビライザー・ユニット」「自律神経モニター」といった、見慣れないブロックが書き込まれている。そして、メモにはこう記されていた。


『エネルギーは、心と体の調和から生まれる。搾取ではなく、共生を。リストバンドは、女性を輝かせるための"鏡"であり、"杖"であるべきだ。我々が開発しているのは、単なる発電機ではない。ウェルネス・プロトコルこそが、その核なのだ』


ウェルネス・プロトコル――失われたプロトコル。


シオリは息を呑んだ。アオイが目指していたのは、現代のリストバンドとは全く異なるものだったのだ。単に女子力を電力に変換するだけでなく、装着者の心身の状態をモニタリングし、感情のバランスを取り、健やかな状態をサポートする機能。女子力を、効率的に「搾取」するのではなく、女性自身の幸福と「共生」する思想。


しかし、その理想は、当時の「効率」と「経済性」を最優先する流れの中で、異端視され、排除されたのではないか。アオイの思想も、彼女が開発した技術も、そして彼女自身の存在さえも、歴史の闇に葬り去られたのだとしたら……。


現代社会に目を向ければ、女子力発電システムがもたらす歪みは明らかだ。過度なエネルギー生産を強いられる女性たちの精神的負担、外見至上主義の助長、感情のコントロールによる見えざる搾取。これらの問題の根源は、もしかしたら、システム開発初期における、アオイの思想の敗北にあるのかもしれない。


「アオイさんの研究ノート……どこかに残っていないでしょうか」


シオリは、老教授の娘さんに尋ねた。アオイがプロジェクトを離れた後、彼女の研究資料がどうなったのか、知る者はいないだろうか。


指導教官からは、これ以上深入りすることのリスクを指摘された。「歴史の闇に触れることは、時として危険を伴う。特に、現在の社会システムの根幹に関わる問題なら尚更だ」と。


しかし、シオリの決意は揺るがなかった。これは単なる過去の研究ではない。アオイが残そうとしたメッセージは、現代社会への重要な問いかけを含んでいるはずだ。埋もれた声に耳を傾け、その意味を現代に問い直すこと。それこそが、歴史を研究する者の使命ではないか。


アーカイブ室の片隅で、シオリはアオイに関する数少ない資料――日記のコピー、設計図のスケッチ――を改めて見つめていた。そこにアオイの顔写真はなかったが、彼女の強い意志と、叶わなかった理想が、文字の端々から伝わってくるようだった。


「あなたの声、必ず見つけ出します」


シオリは、静かに、しかし強く心に誓った。歴史の中に埋もれた真実を探し出す、長く困難な道のりが、今、始まろうとしていた。

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