彗星が話を語るとき
『彗星が話しを語るとき』
引きちぎられた彗星を追いかけているうちに、僕の意識は知らない土地に運ばれていた。
そこではうわさを囁くように、風が色々な事を教えてくれる。そんな不思議な場所だった。
それらの噂は映像となり、僕の頭の中で再生される。
それは何処か遠くの出来事のようにも、物凄く近い出来事のようにも思える。
しかしどれも正確に伝えているわけじゃないく、朝起きた瞬間に霧散してしまうような夢物語なのかもしれない。
………
……
…
窓枠で縁取られた空からは、灰色の分厚い雲覗いていた。
そこからは結晶となった白いものがゆっくりと舞っていた。
室内との温度差で、先程拭いたばかりの窓ガラスも曇りはじめている。
視線を部屋に戻すと、目の前の彼は視線を落としていた。
そこに話す言葉が映し出されるかのように、じっと机を見つめている。
「なあ__」彼は視線を上げ、呟いた。
僕は机に置かれたボックスから、ワインを注ぎながらいう。
「なに?」
ボックスには半分ほどのお酒が残ってる。
コップになみなみと注ぎ彼に渡した。
「結局のところ、あの旅はなんだったんだろうな」
彼はコップを受け取りながらいった。
その言葉はゆっくり空気を震わし、この部屋に波紋を広げていく。
僕にいったというよりも、自然に言葉が漏れたというような感じがした。
僕は返事につまる。
それは『僕にも、分からないこと』なのだ。
「さあ、どうだろう」
だから曖昧に答える。
それでも彼は気にせずに言葉を続ける。
「君は何を手に入れたと思う?」
「目には見えないし、手には取れないもの、かな」
僕は以前、考えていた事を口にした。
しかし思っていることの半分も上手く言葉にすることは出来ない。
いつもの事だ、と僕は思う。
言葉を重ね、紡いでいこうとするたびに、本来伝えようとしているものが薄められていく。
実際、口にする前に僕の言葉はどこか遠くの国に去っていってしまう。
言葉とは本来そういうものなのではないか、と僕は漠然と考える。
完璧ではないのだ。
決して全てを伝えきれるものではないのだ、と。
彼は黙っている。
何かを考えているようにも、何も僕の言葉が聞こえていないようにも見える。
「もう一度、旅に出ようかと思っているんだ」
しばらくして彼はそう呟いた。
僕はワインに口をつける。これは、以前どこかで飲んだ事があるな、と今更ながら思う。しかしそれがどこなのか分からない。
言葉と一緒で記憶すらも完璧ではない。
全てが曖昧に流れている。
「そう。良いんじゃない」と僕はいう。「でも結局は、何も見ることも、手に取ることも出来ないんだろ?」
彼は握ったり開いたりしている自分の手を眺めている。
「そうじゃない。得たものを見たり、手に取ったりは出来ないんだ」
「同じことだろう」
彼は分からないと言うように首を振った。
「違うよ。言い方を変えよう。得たものは、見たり手に取れるものじゃないって事さ」
彼はカップを口に運び、視線を外に向ける。
窓ガラスは曇り、その向こうでテレビの砂嵐のように雪がちらついている。
彼は雪を見ているようで、見ていないようだった。
僕には分からない別の何かを見ているのだろう。
「雪は君の友達なんだろ」
僕がそう言うと、彼は何か言いたそうに口を開いた。
しかしワインと一緒にそれを飲みこんだ。
それから彼は「なんだか慰められている気がする」とぽつりといった。
「アダムとイブが追われているとき――」
僕は彼の空になったコップにワインを注いだ。彼がこちらを向く。
「――降っていた雪に天使が触れたところ、スノードロップという名の花に変わったらしい」
「なんの話しだい、それは?」
彼はコップを受け取り、首をかしげる。
「ヨーロッパの伝説なんだ」
「スノードロップ。直訳すると『雪のしずく』か……」
そういって彼はひとり頷く。
「雪の消え残る初春、下に垂れた一輪の白い花をつけるんだ」
「ふうん」
彼は曖昧に返事を返す。話が見えない、と目が語っていた。
僕は言葉を続ける。
「その花には意味があるんだ」
「どんな?」
「『慰め』って意味が」
「なるほどね」彼は小さく笑った。「そう来たか」
「まだあるんだ」
「まだあるのか。これ以上俺に何が必要なんだ?」
彼は肩をすくめてみせた。僕は笑った。
「『友情』って意味もある」
「ふうん」
彼は曖昧な表情をした。どんな顔をすればいいのか分からないのだろう。
「ところで足は治った?」
僕は彼に訊ねた。
彼は少し前に怪我をしたのだ。
「ああ、だいじょうぶだよ」
彼は何でもないと言うように手のひらで、ぽんと膝を叩いた。
「そう、だったら歩けるね。前に向かって」
彼はいぶかしそうに眉を寄せる。僕は言葉を続ける。
「スノードロップで一番有名な意味は何か知ってるかい?」
「いや、分からない」
「それは……」
…
……
………
気がつくと、僕はひとり立っている。
一瞬、自分が立っている場所が分からなくなる。
冷たい風が流れて、今までの映像が消えていく。
僕はその風に「『希望』なんだ」と囁く。
言葉は風に運ばれ、誰かのもとに届けられる。
言葉が、どのような形で伝わるのかは分からない。
しかし、この言葉は必ず何処かに運ばれていくのだ、と風の声を聞き僕は想像する。
引きちぎられた彗星は、ゆっくり空を横切っていく。
End
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他にも色々短編書いてますので、よろしかったら読んでみて下さい。