第19話 撤収
二人は背をかがめたまま、扉の隙間を抜けてベランダに出た。
「先に俺が跳び下りるから、すぐにお前も跳び下りてこいよ」
「怖いけど頑張る」
ケルビンは一度下を見て、それからベランダの手すりを越えて下に飛び降りた。
それを見たビージーも覚悟を決めて手すりを越えて、手すりの縦棒につかまりベランダの床まで少しずつ下がっていき、そこで手を放して飛び下りた。
トン。と、軽い音がした。
「大丈夫か?」
「うん。足の裏が少し痛かったけど、もう治った」
「よし、帰るぞ」
敷地内を三人組の私兵が何組か見回っていた。
まだ彼らとの距離はあったが、ケルビンは腰をかがめ物陰の暗闇を伝うように塀まで走り、ビージーもケルビンの後に続いた。
ケルビンは塀のスパイクに向けて例の紐付きの鈎爪を投げ上げ、うまく引っ掛かったことを確かめてするすると塀をよじ登り、ビージーが続いた。
ビージーがスパイクに手をかけたところで、ケルビンは鈎爪をスパイクから外して紐を巻き取ってからマントにしまい、先に塀を乗り越え通りに飛び下りた。
スパイクに手をかけたビージーは、一度振り返って館を見上げてから塀を乗り越え、音を立てることなく通りに跳び下りた。
「まずい。向こうから五人組がこっちにやってくる。
ここからでは顔は見えないが、この時間に外を歩いている五人組となると、おそらく審問官だ」
ビージーがケルビンの言う方向を見ると、たしかに通りの向こうから、五人組がこちらに向かってきていた。
ケルビンは急いでマンホールの蓋を開け、
「ビージー、先にいけ」
ビージーがマンホールの中に消えた後に続いて、ケルビンもマンホールの中に入り、梯子を少し下ってから、マンホールの蓋を閉めてビージーの後を追った。
梯子の途中から下水道の側道に跳び下りた二人は、しばらくそこで息を殺していた。
『連中は俺たちほどじゃないが耳もいい。
連中がいなくなるまで、ここでしばらくじっとしているぞ』
『わかった。
審問官って、ケルビンよりも強いの?』
『二人までなら斃したことがある。だが後が面倒になる。連中はすぐに仲間を呼ぶからな。
取り囲まれたらまず逃げられない。だから連中にはなるべく関わらない方がいい。
これは連中相手に限ったことじゃないが、殺るんだったら一人でいるところを後ろから忍び寄って首のあたりのフードを切り裂き、相手が気付いて動く前にスタブナイフをそこから頭と首の骨の付け根に突き刺す』
『首筋に切りつけちゃダメなの?』
『殺すだけならそれが一番だが、血が吹き出して目立つし、すぐには死なないから死ぬまで大騒ぎになってしまう』
『色々あるんだね』
『そういうことだ。ビージーはそういったことが怖くはないのか?』
『別に。
人っていつか必ず死ぬんだし、それが早いか遅いかの違いしかないもの。ちょっとくらい早めてあげてもそんなに差はないと思ってる』
『そうか。お前、俺以上に「影の御子」に向いているかもな』
『そうなの?』
『いずれわかる』
二人が下水道の側道で息を殺していたら、頭上の石畳の上を歩く数人の足音が聞こえ始め、それが近づいてきて、やがて去っていった。
「よし、もういいだろう。
ローズの所に寄って赤茸を卸してからうちに帰るぞ。
ビージー、ここからローズの所までの道順はわかるか?」
「ここから直接いく方法が多分あるんだろうけど、この前辿ったところまで戻って、そこからならローズの所まで行ける」
「その道でいいから、ビージーが先になってくれ」
「分かった」
ビージーが駆け出し、その後をケルビンが追った。
ビージーは迷わず下水道の側道を駆けていき、40分ほどで二人はローズの店の隠し扉の前に到着した。
「いちども迷わずここにたどり着いたのは大したものだ」
「えへへへ」
前回同様下水の側道の仕掛けを操作して、ローズの店の地下室に続く小通路に入り、地下室から梯子を上って二人はローズの店に入った。
「いらっしゃい。ケルビンにビージー。そろそろやって来る頃だと思ってたわ」
「赤茸を持ってきたぞ。そこの秤の上に空ければいいか?」
「そうしてちょうだい」
赤茸の重さを計ったローズは、金貨を小袋に入れて、ケルビンに手渡し、
「今日はありがとう」
「次は、アレだろ」
「よく分かるわね。取ってきてくれる?」
「取ってこない訳にはいかないだろ」
「頼んだよ」ローズはそう言って陶器製の瓶を二つと陶器製のヘラをケルビンに渡した。
渡された二つの瓶とヘラをマントに仕舞ったケルビンは「それじゃあな」と言ってビージーを連れてローズの店を後にした。
ビージーにはアレが何なのかはわからなかったが、おそらく皇帝が独占するという全ての丸薬に必須の素材だろう、と想像した。
ローズの店を出た二人は、前回同様下水道を通りケルビンの部屋を目指して速足で歩いていった。ビージーは歩きながら、先ほどのブレナム家でのパーティーのことを思い出していた。




