第13話 初めての夜1
本物のナイフを手に入れたビージーは、その日からそのナイフで訓練を始めた。
「訓練用のナイフだろうと本物のナイフだろうと、切っ先、刃先の動きと重心の動きがズレないという基本は同じだ」
「分かってる。
でも、このナイフの方が木のナイフより手になじんで扱いやすい気がする」
「そうだろうな」
ビージーが本物のナイフで訓練を始めて、五日ほど経過した。
その日の訓練を終え、二人はいつものように小さなテーブルを挟んで夕食を取っていた。
「ビージー。ナイフの扱い、身のこなし、どちらもかなり良くなってきた。
食べ終えたら、一仕事する。お前もついてこい」
「どんな仕事?」
「貴族の館からある物を頂戴する」
「やっぱり、ケルビンは盗賊だったんだ」
「まあな」
「危なくないの?」
「見つかればそれなりに危険だが、俺たちは陰の中にいれば見つかることはまずないから安心しろ。今日は俺の傍で見ているだけでいい。
真っ暗な下水道の通路を通るから予め丸薬を飲んでおく必要がある。
今回の仕事先はそれほど遠くないから、フラバとブルアだけでいいだろう」
「フラバが黄色い丸薬で速さと身軽さ。ブルアが青い丸薬で器用さと正確さと注意力だよね」
「ビージー、お前の物覚えは大したものだな」
「えへへ」
「片付けが終わったら、影の御子の装束に着替えるからな」
「うん」
食後の片付けが終わり、ビージーはマントを羽織り手袋をはめ、ケルビンも少し遅れて影の御子の装束を身に着けた。
ケルビンはベルトの二つの物入れから二粒ずつ丸薬を取り出して、一粒ずつ自分で飲んで、残りをビージーに渡した。
ビージーが渡された二つの丸薬を飲み込むと、前回同様視界が少し明るくなり、意識すれば遠くのものもはっきり見えるし、遠くの音も耳に届くようになった。
「行くぞ」
「うん」
ケルビンが床の隠し扉を開けて先に梯子を下りていき、ビージーが続いた。
ビージーは梯子を少し下りたところで床の扉を元に戻している。
梯子の下の小部屋に下りたところで、
「扉を閉めるよう言い忘れたが、よく気づいたな」
「それくらいは言われなくてもちゃんとできるよ。ブルアが効いたのかもね」
「そうだな。
その扉を開くと下水道に続く通路がある。下水道の臭いが入ってこないよう通路の先にも扉がある。部屋を出たら扉はすぐに閉めてくれ。
ビージー、俺のようにセーターの首元を鼻先までたくし上げておくと少しは臭いが軽くなるぞ。ホントに少しだけだけどな」
「うん」
ビージーもセーターの首元をたくし上げて鼻と口を軽く塞いだ。
ケルビンが小部屋の扉を開けると下水の臭いが漂っていた。
すぐにビージーも小部屋から通路に出て扉を閉めた。
人一人が通れる狭い通路が五ヤードほど続き、突き当りに扉があった。
ケルビンがその扉を開けると、下水の咽るような臭気が、ケルビンのすぐ後ろを歩くビージーのところにも漂ってきた。
「うわっ!」
「ブルアを飲んで嗅覚も敏感になっているからな。こればかりは慣れるしかない」
下水への出口の扉は鉄製だが、レンガでできた下水の壁に偽装するため扉には下水側に薄いレンガが貼ってあった。
「この扉、こっちから見ると壁と区別できないね」
「まあな」
下水の天井から水滴が落ち、足元のところどころに水溜まりのできた下水の側道を、ケルビンが先になり音も立てずに器用に水たまりを避けながら進んでいく。
その後をビージーが続く。もちろんビージーも水たまりを避けていく。
側道の脇を流れる下水は真っ黒で、何か生き物がいるのかときどき黒い水面がうねるように揺れる。
「ケルビン、帝都の下水道がどこをどう走っているか覚えているの?」
「ああ。全部じゃないけれどな。
お前もすぐに覚えるさ」
「そうかな?」
「言ってなかったが、ブルアを飲んでると覚えも良くなるんだ」
「そうなんだ。良かった。それならいつも飲んでいたいけど、高いものね」
「値段はそこそこだがそれほど高いというほどじゃない。そのかわり好きなだけ買えるほど売っていないんだ」
「ふーん。
ケルビンは、丸薬の作り方って知ってるの?」
「ちゃんとした作り方は知らないが、材料だけは知っている。
今日はその材料の一つをいただくつもりだ。それを薬屋に卸せば結構な金になる」
「そーやってケルビンはお金を稼いでいたんだ」
「そういうことだ。
あと慣れるまでは大変だが、移動する際にはできるだけ音を立てないようにな。
逆に慣れてしまえば、体が勝手に動いて音を立てないように動けるようになる。そうなれば影の中にいて自由に動いても誰にも気づかれなくなる」
「分かった。頑張ってみる」
「丸薬が効いている間に意識していれば、体はすぐ慣れるはずだ」
「うん。分かった」