あの頃
思えばもう、20数年も前のことになってしまうのか。自分がランドセルをしょって、全校生徒100人ちょっとの田舎の小学校に通っていたのは。
誰しも、子供の頃に怖かったものがあると思う。トイレに行くときに幽霊の存在に怯えたり、眠るときにお化けが来やしないかと不安になったりしたことがあるんじゃなかろうか。
自分が小学生の頃は、学校の帰り道に山姥が追ってこないか不安だった。
山姥というのは自分にとっては非常に恐ろしい存在で、足音もなく車のような速度で背後から走ってくる。真っ白な、ざんばら髪、紫色の顔面。目は人間のように白目と黒目がなく、狂ったように光っている。
別に私の地域では山姥が出没するわけでもないし、実際に見たわけでもないのだが、どういう訳か怖かったのだ。山姥への恐怖に取りつかれた自分は、学校の帰り道にいちいち振り返りながら歩いて帰った。特にカーブのような視界の悪い場所に差し掛かると特に警戒する。畑仕事をしている大人がいれば安心だ。山姥は大人の前では子供を襲わない。大人がその辺にいてくれるのはありがたいことだった。しかし、再び大人の見えない場所まで歩くと、山姥は活動を再開し、子供を襲うチャンスを狙う。まあ、勝手に自分の妄想が育てた山姥なのだけども。結局その山姥には襲われずに無事、小学校生活を終えたのだが、私の少年時代は妖怪図鑑やお化けの本を読みすぎていた時期でもあった。
夜遅くまで起きていると 魔物が現れて子供を襲う。やはり子供が抱く恐怖なのだが、私には山姥の他にも夜の魔物という敵がいた。
自分の中でのルールとしては、親が寝ているのにテレビを見ている、等の娯楽で起きているのは許されておらず、すぐに魔物が来ることになっている。トイレに行くのは仕方のないことなので許してもらえる。しかし、襲ってこないわけではないので用心は必要だ。夜8時ころにパジャマを着て、寝る意思表示をすれば魔物の側にも諦めムードが漂う。そうして10時前に寝てしまえば魔物は襲ってくることができない。夜の魔物から身を守るには、早く寝てしまえば万事オーケーなのだった。
しかし、そうも言っていられない事態になった。あれは小学校4年のときだった。
夏休みによくある心霊体験を語るテレビ番組の話を兄から聞いたのだ。夏休みともなれば、昼間のバラエティ番組なんかでも怪談をやっている。ああいうのを見てしまうと、山姥や夜の魔物のほかにも敵を増やすことになるからできるだけ見ないことにしているのだが、一つ年上の兄の方から一方的にそういう話をしてきた。それは、ある芸能人が子供の頃に体験した話だそうだ。夜中、真っ黒な人間が天井を裸足で、べたっ。べたっ。と歩いてきて、部屋に入ってきた。そして、しばらく天井を歩き回った後、隣で寝ていた姉だか親だかの首を絞め始めたらしい。それに気づいた自分が悲鳴を上げたらどこかにいなくなった。
当時の自分にとって、その話は衝撃的な恐ろしさだった。兄もどうしてそんな話をしたのか。これまでは夜になったら早く寝るだけで問題はなかったのだが、寝ている間に襲ってくるやつがいるなんて。対処法がないではないか。
その話を聞いて以来、夜に寝る際は天井に足跡がついていないか確認すると同時に、真っ黒な人間が天井を歩き回っていないかにも注意する必要があった。
天井にいないとなってもまだ安心できない。隣で寝ている親が首を絞められているかもしれないのだ。首を絞められている人は声が出せないそうだ。自分が気づいてあげないと大変なことになる。しかし、山姥と同様、その天井を歩く人は自分のところへ来ることはなかった。
あれから年経りて三十路になってしまったが、あれから不思議なものには遭遇していない。十代のうちに霊を見ない人は、その後もずっと霊を見ない、と誰かが言っておった。
まあ、私の家系は鈍くさくて、霊を見るような才能など持ち合わせていないのだ。
それでも、久々に子供の頃の感覚を思い出した。
『この世には不思議なことがきっとあるに違いない。大人はそれに気づいていないんだ』という、見えないものへの探求心を忘れていた。
常識というものを身に着け、一般的な感覚というものを受け入れてしまった。いいや、それじゃいけないんだ、と思いなおす。
たまには子供の感覚でいよう。昔、敵だった彼らのことも思い出してあげよう。
ああ、あの頃。