時空探偵とチョコレート
人生で幸福を感じるときというのは、ドラマや漫画でよくあるベタな展開が起こったときだ。
二月十四日、いつも通り教室に入り自分の席につくと、机の中にチョコレートが入っているのを確認して、俺は天にも昇る気持ちになった。
チョコをもらえただけでも嬉しいのに、こんなベタな渡されかたをすると更に嬉しい。
だが、すぐに俺は冷静になった。俺には生きる上で揺るぎない信条がある。それは”簡単に人や出来事を信じない”ことである。
俺は十七年間生きてきたが、十分すぎるほどの嘘や裏切りを経験してきた。だから、信じることはあまりしないようにしている。それが賢い生き方だからだ。
これは友達のイタズラかもしれない。このチョコを誰がくれたのかを確認しないことには、このチョコを食べることはないだろう。
俺の心の動揺なんて気づくはずもなく、友達が話しかけてくる。適当に話しているうちに担任が来て、一分で朝のホームルームは終わった。
一時間目は体育である。
バスケを楽しんで満足感を抱きながら教室に戻り、席につく。そういえばチョコを鞄に入れるのを忘れていた。鞄にしまう瞬間を見られないようにしなければ……。と思いながら机を覗き込んで、一瞬時が止まったように感じた。
チョコが無くなっていたのだ。
気分が悪い。そりゃチョコが勝手に消えるわけがないから、誰かが盗んだのだろう。それ以上に、誰がくれたのかわからないチョコが消えたことの方が、俺の気分を害した。
「小野内君」
机から声の方へ視線を向けると、目の前に塩田琴乃が立っていた。旭岡高校二年生の中で、とびきり人気のある生徒だ。
大きい瞳。リップクリームでてかっている薄い唇。丸顔に似合うツインテール。百五十二センチと小柄で、くりくりした目も手伝い、動物に例えるとリスみたいな、小動物的な可愛さがある。
塩田は俺の耳に顔を近づけ、小声で「チョコ、気づいた?」と言った。塩田とは全然話したことがなかったので、話しかけられた時にもしやとは思ったが、その通りだった。
しかし、何故塩田が俺に? 俺はイケメンなわけじゃない。成績も運動神経も普通だ。性格は明るいほうじゃない。人間関係だって狭く濃くがモットーなので、目立つ方でもない。
今はそんな事を考えてる場合ではないか。俺は塩田の男に媚びたような目を見て、言った。
「気づいたよ。ありがとな」
「そっか。あれ、手作りなんだよね。中に手紙も入ってて……」
塩田琴乃。手作りチョコレート。手紙。
俺は決意した。なんとしてでもチョコを見つけだす。
決意したものの、どうしていいか全くわからない。途方にくれて家路につく途中、妙な建物を見つけた。
旭岡高校は街の近くにあり、俺は学校から駅まで二十分くらい歩き、そこから地下鉄で帰るのだが、なんとなく駅の目の前にある雑居ビルに目をやると、「二階 雨沢時空探偵事務所」というゴシック体で書かれた小さい看板が、ひっそりと立っているのが目についた。
……時空探偵事務所? 意味がわからん。怪しい宗教か。そもそもあんな奇怪な探偵事務所、いつのまに出来たんだ? 毎日いちいち雑居ビルなんて見ないから、気づかなかっただけだろうが。
俺は信用というものが嫌いなくせに、好奇心はとても旺盛である。そこらへん、まだまだ俺は甘いというか、中途半端だと思う。信じることが怖いのに、無闇に好奇心を発揮するのは間違っている。
あぁ、行ってみたい。どんな人がやってるのか見てみたい。しばらく考えたが、あの怪しげな事務所に行くのに、信用も何もないだろうと自分を納得させて、雑居ビルの二階まで行き、ドアをノックした。
すぐにドアが開き、少々驚いた。俺はいかにも怪しげな雰囲気をかもし出したおっさんが出てくると思っていたのだが、出てきたのは二十代前半の女だった。前髪は目の上までの長さで、右側は軽く横に流して、後ろ髪は背中ぐらいまで伸びていて毛先の部分がウェーブしている。エネルギッシュな瞳。塩田と同じくらいに薄い唇。そしてスラッとした輪郭。かなりの美人だ。何より塩田と違って、大人の色気をちゃんと持っている。
「お客さんですか?」
まさかここで冷やかしですなんて言えない。まぁ、パッと見怪しい人じゃなさそうだし、何かされそうになっても相手が女だし、なんとかなるだろう。
時空探偵とか名乗ってる危険人物に変わりはないが、話を聞いてもらうくらいはいいだろう。俺は好奇心に負けて首を縦に振った。
雨沢かすみ、とその女は名乗った。やけにハキハキと、アナウンサーのように話す人だ。そのあまりにも丁寧すぎる言葉に俺は少し圧倒され、「俺子供ですし、敬語じゃなくていいですよ」と言ったのだが、年上に対して言う台詞ではないよなぁと多少後悔したが、雨沢さんは気にする風もなく、タメ口に変えた。
「早速だけど、えーと」
「あ、小野内伸也です」
「小野内君の依頼を聞きたいんだけど」
俺は居住まいを正し順序よく説明するために頭の中で色々と整理していると、「あ、ちょっと待って」と言い、雨沢さんは立ち上がった。応接間の隣に台所があり、そこでなにやら冷蔵庫をあさっている。
上は白のカットソーに黒のカーディガンを羽織っていて、下はジーパンという格好だ。決してオシャレだったり色気のある服装ではない。まぁ、派手な格好をした女探偵がいても戸惑うが。
すぐに雨沢さんは応接間に戻ってきて、缶コーヒーを二つ、テーブルに置いた。礼を言ってから、俺は話を始めた。
チョコが机の中に入っていたこと。体育の時間を終えて帰るとなくなっていたこと、くれたのは塩田という女の子だということ、休み時間教室に鍵はかかっていたことをわかりやすく説明した。別に込み入った話でもないので、話すのに特別苦労はしなかった。
「ふぅん」
と、雨沢さんは興味無さそうに頷いた。いや、確かに依頼者は金にならないガキで、しかも学校で起きた盗難騒ぎにマジになる探偵なんていないさ。明らかに俺は場違いだよ。でも、ふぅんってなんだよ、ふぅんて。第一、制服を着ていて明らかに学生だとわかるのに拒まなかったじゃないか。それで、なんだその態度は。
「それなら話しが早いわ。見ればいいのよ、見れば」
「……何を」
「盗まれた瞬間をよ」
そんなことを真剣な顔で言うな。あぁ、やっぱり変人だ。見ることが出来たらどんなに楽だろうか。
俺がはっきりと怪しむ顔をしていたからだろう。雨沢さんは含み笑いをして、言った。
「看板ちゃんと見なかったの? 私、時空探偵よ。時空をとらえるの」
お前はどこぞのテレビ局を消すマジシャンか。俺はつい苦笑いをしてしまった。
「信じてくれないのね」
なんだ冷やかしかよ、という落胆の表情でため息をついた雨沢さんは、コーヒーをごくごく飲んだ。
その表情を見てさすがにかわいそうと思い、この空気を変えるために、話しをずらしてみた。
「俺は人を信じるのが一番嫌いなんです。でも塩田はこんな俺にチョコをくれましたし、二年生になったばかりの頃、俺うっかり弁当箱をひっくり返しちゃって、唯一塩田だけがすぐに駆け寄ってきて拾うの手伝ってくれたんです。だから、塩田は数少ない信じたい人間なんです。だからこそ、塩田のチョコと手紙をどうしても見つけだしたい」
信じれるか信じないかじゃない、信じたいと思う人なのだ。だが恋愛感情は感じていない。単純に、女としてじゃなく人として塩田を信じたいのだ。さすがにこの二つの出来事では俺に恋愛感情は生まれない。
雨沢さんは真剣に俺の塩田の話しを聞いてくれていた。
「まぁ、時空とか電波なこと言われて信じろという方がひどいわよね。じゃあこうしましょう。貴方は私を信じなくていい。でも、私は貴方を信じるわ」
「何を信じる?」
「そうね。とても私が信じられないようなことを言って。嘘でもいい。でも絶対に私は信じるわ」
俺は雨沢さんが時空探偵だということを信じない。雨沢さんは時空探偵という電波な事を言うかわりに、俺の話はなんでも信じてくれる。それにどんな意味があるかと考えた。
本当に何を言っても信じてくれるのだろうか。もしそうなら、それは結構心が落ち着く。誰もが信じてくれないようなことを、この人だけは信じてくれるのだ。それはとてもやすらぐのではないか。つまりそれは、時空探偵どうこう以前に、雨沢さんを信頼することにも繋がるのではないか?
だがそのためには、本当のことを言わないと意味がない。
「俺、自分で書いたミステリ小説を賞に応募したら、最終選考まで残ったんです」
そう言うと、雨沢さんは「本当に? 凄い!」と、さっきまでの落ち着いた声ではなく、女子高生のような甲高い声を上げた。その驚きようは、嘘ではなく素で信じてるものだとわかるほどだった。
純粋で良い人なんだな、と思った。これを言って信じてくれたのはこの人が始めてだ。
だがさすがに時空探偵などを信じれるわけがない。そんなファンタジーな探偵がいてたまるか。
雨沢さんは興奮をまだ隠しきれていない様子だが、大きく深呼吸をして、言った。
「今は頭がこんがらがっているだろうから、明後日の日曜日また会って話しましょう。ところで、どこに住んでるの?」
「札幌の中央区です」
ちなみにこの事務所と高校は北区にある。
「そう。休みの日にわざわざ遠くまで来るのは大変だろうから、待ち合わせは中央区でいいわ。そうね、大通り公園のテレビ塔で一時はどうかしら?」
残りのコーヒーを全部飲み干して、俺は小さく首を縦に振った。
そして日曜日。俺は行くか行かないか悩んでいた。
時空探偵という意味不明なものを名乗っているのだから、相当な変人だろう。謎の宗教の人だと考えるのが妥当だ。
だが、雨沢さんは時空だろうがなんだろうが、一応は探偵事務所を開いているのだ。そして言うまでもないが、学生を客として招きいれてくれる探偵は果たして世界中に何人いるだろうか。あの人が本物の変人だと思い切れないのは、雨沢さんの人格の良さのせいである。
そんなことを考えているうちに、時間はどんどん進み二時になっていた。ここまで来たら、もう行く気は失せていたのだが、自分から足を運んでおいて、真剣に話しを聞いてもらいながら、待ち合わせをすっぽかすのはあまりにも失礼ではないか。
俺はあくまでも街に服や本を買いに行くついでだと自分に言い聞かせ、出かける準備をした。
待ち合わせのテレビ塔には、三時ごろついた。ベンチに座っている雨沢さんを見つけ、とんでもないことをしてしまった気分になる。
「遅れてすみません」
雨沢さんは静かに俺を見上げて、微かだが笑ってくれた。そのか細い体は、震えていた。無理もない、札幌の二月は笑っちゃうくらい寒い。女の人をこの寒い中何時間も待たせてしまった。俺が信用出来なかったばかりに。
「来るって信じてたから、大丈夫。とにかく寒いわ。喫茶店に行きましょう」
と、愚痴の一つもこぼさずに立ち上がり、スタスタと歩き出した。後を追うと、古風な喫茶店へと案内された。
店内は木を基調としていて、テーブルと椅子は全部木である。店の真ん中にドーナツ状のテーブルがあり、壁際に席が並べてある。店名はコロポックル・コタンというらしい。
左奥の席に陣取ると、雨沢さんはアイスコーヒーを。俺はカフェラテを注文した。店員がすぐに運んできて、お互い一口飲むと、雨沢さんは口を開いた。
「どう? 私のこと信じてくれる気になった?」
「昨日話して、信じたい気持ちは生まれました。貴方は俺が最終選考まで残ったことを信じてくれたし、今日ずっと待っててくれた。探偵なのに高校生を客として相手にしてくれた。正直めちゃくちゃ嬉しいです。でも、どうしても時空というものが頭から離れない。正直、意味がわからない」
雨沢さんはアイスコーヒーをぐびぐび飲むと、人差し指で鼻の頭を掻いた。背もたれによしかかって「うーん」と唸り、しばらくしてから言った。
「正直、こればっかりは見てもらわないと」
この言葉が決定的だった。雨沢さんを信じたい気持ちが強いのと、その時空とやらを見せてもらおうじゃないかという好奇心で、十分だった。
「わかりました。信じることはさすがに出来ませんが、依頼はします」
すると雨沢さんは、さっきと違ってハッキリとした笑顔を見せてくれた。色気の中に少しだけ残る子供っぽい笑顔がたまらなかった。
話の内容はファンタジーだが、やはり現実を見つめなくてはならない。
「それで、お金は……」
「うーん……。子供からそんなにお金は取れないから……。まぁ今回が初仕事だし、何も殺人事件が起きたわけでもないから、三千円かな。あ、後払いでいいよ」
探偵としてはありえないほど安い。だが何でも屋としたらまだ理解できる金額かな……?
「じゃあお願いします」
「はい。じゃあ早速説明するんだけど、私は過去の場所と時間をとらえることが出来るの。たとえば、この喫茶店の昨日の午後十二時前後の様子とかを、一分くらい頭の中に浮かばせることが出来るの。でもまだまだ未熟だから、実際にその場所にいないとダメだし、長い時間見ることは出来ない。何より……」
雨沢さんはアイスコーヒーをすすり、少し間を置いてから言った。
「場所は見れても、そこにいた人を見るのがとても難しいの。私が未熟なせいなんだけど……。だから見るためには、少なくとも教室に出入りする人たち、つまり貴方のクラスの人たち全員の顔がわからないとダメなの。写真じゃなく、実物をね」
何故そんなに厄介な設定なのですか。未熟というからには、熟練された人たちもいるということなのだろうか?
呆れたが、ここまでくると俺はもうほとんどヤケクソになっていた。嘘だとしても、嘘とわかったときに雨沢さんがどんな行動に出るのかも気になった。
「授業のある日に学校に侵入出来ればいいんですけど……。無理ですよね、そんなの」
「大丈夫よ」
「え?」
「さっき、裏通りにある怪しいお店で、旭岡高校の制服が売っていたの。それを買って侵入すればいいわ」
「そんな無茶な」
「確かにとても無茶よ。でも、生徒全員を覚えている生徒や教師なんていないでしょ? 何も一緒に授業をするわけじゃないし、ずーっと校内をうろうろするわけじゃない。大丈夫、私に任せて」
そんなことして大丈夫だろうか。確かに制服さえ着ていれば、文句を言う人はいないだろう。しかしリスクはあまりにも高すぎる。何より雨沢さんの大人っぽさだと、かなり目立つ。
しかしここまで来たら、もういちいち言い返す気力はなかった。もうどうにでもなれだ。別に俺がセーラー服を着て校内をうろうろするわけじゃないんだ。もう、好きにしてくれ。
「でも、その制服が五千円もするの。ちょっと、嫌な顔しないでよ。これでもめちゃくちゃ値切ったのよ。大丈夫、これも後払いでいいから」
何も考えずに、首を縦に振った。どうにでもなれである。毎日同じことの繰り返しで飽きていたところだ。貴方がどういう行動に出るか、楽しませてもらおうじゃないか!
そして月曜日の朝。雨沢さんからメールが来た。今日さっそく学校に行くとのこと。そしてなんと、一年生の生徒でなおかつ俺の彼女という設定にして、教室に入ってくるらしい。そこで全員の顔を見るらしい。
なんとも大胆な作戦だ。正直ちょっと怖いが、ワクワクした気持ちの方が数倍強かった。
いつもより早めに教室に入り、席に座る。うちのクラスは三十四人いるが、パッと見たところ二十人くらいは揃っている。
席について三分くらい経った時、ドアの前に雨沢さんが立っていた。セーラー服は色っぽい雨沢さんに意外によく似合っていた。
化粧をしていないのもあるが、予想していたよりはなんとか高校生ぽかった。まぁ、それにしても一年生というにはさすがに垢抜けすぎだが。
「小野内せんぱーい」
と、普段のハキハキとした口調とは違い、ちょっとアホっぽくて甲高い声で俺を呼びながら教室に入ってきた。皆の視線が一斉に俺に集まる。前の席にいる友人の五島は、ニヤニヤ笑ってこちらを見ている。
雨沢さんは屈託の無い笑顔で雑談を繰り広げる。マシンガントーク。とにかく甲高い声で喋りまくる。
「でねでね、昨日の朝玄関から出たらね、私鞄しょってなかったの! もう恥ずかしいっていうか情けなくて!」
とか話しながらも、教室をちらちらと見ている。特に、新しく教室に入ってきた生徒にはかなり視線を注いでいた。
いきなり教室にズカズカと上がりこんできて、しかもチラチラと視線を向けるものだから、皆かなり嫌そうな顔をしていた。まぁ無理もないが。雨沢さん、あまりにも不自然に見すぎですよ。
気づくと全員揃っていた。休んだ人はいなくてよかった。チャイムが鳴ると同時に、雨沢さんは「じゃあね!」と言い、なんとVサインまでして教室から出て行った。
もちろん、その後皆にあいつは誰だ彼女か可愛いじゃないかお前羨ましいぞふざけるな後でなんか奢れよもうお前なんか友達じゃねぇいつの間にあんな可愛い子ゲットしたんだなどと一斉攻撃を喰らい、特に友人の遠藤はネチネチと聞いてくるのでさすがに参った。
放課後、図書室で時間を潰して、五時ちょっと前に教室へ向かった。すると俺の席に雨沢さんが座っていた。聞くと、朝教室から出て行った後はトイレに引きこもっていたらしい。
「トイレにずーっといるっていうのは、尋常じゃないほどストレスが溜まるわね」
「普通の精神力ではないですよね。雨沢さん」
本を読んだり音楽を聴いたり、授業時間中は個室から出て窓を開けて、外を眺めてリフレッシュはしていたらしいが、にしても凄すぎる。
ここまでやってくれると、たったの三千円じゃ俺の気が治まらなくなってくる。
だが、さすがにストレスが溜まったのか、かなりイラついた顔をしている。俺は「ちょっと待っててください」と言い、すぐそこの購買でカフェラテを買ってきて渡した。
雨沢さんは、ずっと食べたかった超高級マグロでも食べたかのような顔で、カフェラテを一気に飲んだ。
「少し落ち着いたわ、ありがとう」
いえいえ、何せトイレで朝から今までずっと待っていたんですから。そりゃさすがの俺も良心が痛みますよ。
「じゃあ早速だけど、時空をとらえるわ。あまり長居はしたくないしね」
と言い、席から立ち上がった。もう夕方で、教室はオレンジ色に染まっている。無造作に並べられた机と椅子。放課後に誰かがしていった落書きが残った黒板。そして教室の真ん中に、セーラー服を着た時空探偵。
あぁ、目の前の光景は確かに現実だ。でも、リアルな現実ではない。心臓の鼓動が早くなる。
「小野内君、盗まれた時間はいつくらいが一番怪しいと思ってる?」
やはり、体育のあった一時間目後の休み時間が怪しい。鍵はかかっているが、鍵を持っている委員長に鍵を貸してもらえば、中に入れるのだ。
委員長に聞いたら誰にも鍵は貸してないと言っていたが、怪しいもんだ。ていうか手がかりのない今の状態では、委員長が一番犯人に近いのだが、根拠と証拠は皆無なので、疑ってはいない。
体育終了後は無いと思う。何故なら、うちの学校の更衣室は狭い。そして男子の比率がかなり高い。なので、男子は更衣室と教室のどっちかで着替えてもいいことになっている。
皆が着替えている時に盗むよりは、誰もいない休み時間に盗んだほうが効率がいいだろう。
「一時間目のあとの休み時間、九時四十五分から五十五分くらいです」
わかったわと呟くと、雨沢さんは目を閉じた。そしてそのまま五分が経った。
「……見えたわ!」
突然そう雨沢さんは叫んだ。それがあまりにも滑稽で、つい俺は噴出してしまった。いきなり見えたわ! って雨沢さん。コントじゃないんだから。
「男の子二人よ。一人は短髪でもう一人は長髪の子。短髪の子はドアの所で見張りをしていて、もう一人が貴方の机からチョコを取ったわ。えーと……。長髪の子は、確か貴方の前の席にいた子ね。もう一人は……。私が教室を出て行った時、まっさきに貴方に今の女だれだよーって叫んでた子かな」
俺の前の席にいるのは五島。そしてまっさきに聞いてきて、ずっとネチネチと質問をしてきたのは遠藤だ。
……だから? というのが正直な感想だった。もちろん俺には見えない。でまかせを言っていると考えるのが自然だろう。
「えーと……。あの、いまいちピンとこないというか」
「まぁ、しょうがないわよね。でもちゃんと証明するわよ。今週の土曜日、二人を前の喫茶店に誘って。四人で話し合いましょう」
「来てくれるかわからないですよ」
「そこは、貴方がなんとかして。証明してほしいでしょ?」
首を縦に振った。最後までこの人の言うとおりにすることを決めているからだ。実際、本当か嘘かなんてどうだっていい。というか、百パーセント嘘だと思っている。
でも、ちょっと面白いと感じていないこともなかった。これまでの退屈な日常よりかは、全然マシである。
帰ってすぐ、来週の土曜日にコロポックル・コタンという喫茶店に行こうぜ! というメールを二人に送った。しかし当然だが、何故男三人で喫茶店に行かなきゃダメなんだ気持ち悪いという返信が来た。まぁこれは俺のメールが悪かった。すかさずなんと二十一歳のお姉さんも一緒だぞと送った。すると本当かどうか怪しいから写メ見せろというメールがきた。
困ったが、しょうがない。雨沢さんに写メを送ってくれと頼むことにする。しかし普通に写メを送られても困るのだ。何故かというと、学校に来た時と同じような顔で写メを送ったら、きっと二人はなんでお前の彼女と一緒に喫茶店で雑談しなきゃならないんだよ! とか言ってくるに違いない。
つまり、確実にこの二人を呼ぶには、お姉さんキャラで送らなければならない。ということを事情と一緒に説明すると、雨沢さんはいつもより化粧を濃くして、髪の毛を巻いちゃったりして写メを送ってきた。
あまりにも美人すぎたので、データフォルダに保存したほどだ。女というのは、プリクラや写真にしても、角度や光の加減、髪型、化粧などで驚くほどに顔が変わるものだ。
予想通り、二人ともお前はあんな可愛い彼女がいながらこんなとびきりの美人なお姉さんの知り合いまでいたのか! と喜んだ。これで土曜日は絶対に喫茶店に来てくれるだろう。
そして退屈な日々を送り土曜日になった。待ち合わせの午後一時よりも少し早めに喫茶店に着くと、もう雨沢さんは着ていた。
今日は黒色のワンピースを着ている。とてもよく似合っている。俺は席に座りアイスココアを注文した。
二人が来るまで他愛のない雑談で過ごしたのだが、なんだか不思議な感じである。これまでほとんどチョコ盗難事件に関わる話しかしたことがなかったが、今は学校が大変だという話や、暇なときは何をしているかなどの話をしている。急に雨沢さんを近くに感じた。
十分ほどすると五島と遠藤がやってきた。五島はさわやかスマイルでこちらに手をふり、遠藤はニヤニヤした顔つきで雨沢さんを見ていた。そのニヤケた顔に少しイラッとする。
五島はワックスで頭のトップを逆立てていて、なかなかに決まっている。遠藤は短髪が似合っているといえばまぁ似合っている。
俺は雨沢さんの目をチラリと見た。演技頑張ってくださいという意思を伝えたつもりだ。色っぽい声で、砕けた感じで話すのだ。その方が、心を開いて色々と喋ってくれそうだからだ。
「五島君に遠藤君ね。二人とも、可愛いわね」
年上のお姉さんにこれだけ言われれば、今時の男子ならもうとても満足なのである。五島は恥ずかしそうに笑い、遠藤は明らかにニヤついて笑っていた。
三十分ほど雑談を楽しんだ頃、雨沢さんがついに仕掛けた。
「ねぇねぇ。バレンタイン終わったけどさ、二人はチョコもらった?」
雨沢さんがそう言うと、二人はドキッとしたような表情になり、「もらってません」と言った。しかし明らかに様子が変だ。何か隠してるに違いない。
だが、これ以上どう追求すればいいのだろうか? まさか時空をとらえたのよとは言えないだろう。
しかし雨沢さんは焦ることなく言った。
「そうなの? 私ね、実は旭岡高校二年に知り合いがいてね。今度五島君と遠藤君って子と会うんだって話をしたら、十四日の一時間目後の休み時間だったかな? 二人が教室でチョコレートを持ってるのを目撃したんですって」
た、単刀直入すぎますよ雨沢さーん。
さすがにうろたえたが、二人は仲の良かった彼女にいきなりふられたような顔になった。
「見られてたのかよ……」
そう遠藤が情けなく呟いた。そして五島が遠藤の肘を小突いた。と、いうことは。
雨沢さんの言うとおり、この二人がチョコを盗んだのだ。まさか、そんな。信じられない。嘘だ。何かの間違いだ。ありえない!
すると雨沢さんはニコリと笑い、勢いよく立ち上がった。そして俺にこれで満足でしょとでも言いたげな笑顔を向け、二千円札を机に置いて、私用事あるからそろそろ帰るわねと言ってスタスタと帰っていった。
なんとも上手いハッタリを使ったもんだが、そんなことはどうでもいい。
本当に、雨沢さんはこの二人が盗んだことを当ててしまったのだ。
すぐに雨沢さんを追いかけたかったが、さすがにそれでは二人に失礼なので、そこそこに話して、それでも早めに切り上げて事務所に駆け込んだ。
「あ、雨沢さん!」
「あら。何慌ててるの」
さっきと同じ色っぽい黒のワンピースを着たまま、コーヒーをすすっていた。
「ほ、本当にわかってたんですね。俺、未だに信じられません。凄すぎますよ。ありえない。本当にありえないですよ!」
「そんなに興奮しないで。とりあえず、段階的まとめをしましょう」
俺のことはまるでおかまいなしで、雨沢さんはこれまでのことをまとめながら話し始めた。
これまでわかったことは、まずチョコを盗んだのは五島と遠藤だ。これはもう、さっきの態度で十分わかる。雨沢さんが言うには、見張りが遠藤で盗ったのが五島だと言う。
次に何故盗んだか。これはさすがにわからない。欲しくて盗んだという理由だが、これは無いと思う。どこの世界に他人のチョコを盗むやつがいる。そんなむなしい事をやるような奴は滅多にいない。それに二人にどうして盗んだのなんて聞けないのだ。雨沢さんの特殊能力の欠点は、物的証拠を出すことが出来ないことだ。盗んだ瞬間の映像を録画できるわけじゃない。まぁ、まだ雨沢さんの時空とやらは信じていないが、実際雨沢さんはあの二人が犯人だと当てているのだ。
犯人はわかっても、証拠がないから問いただすことは出来ない。そして盗んだ理由もわからない。それでこの後どうするのだ?
一通り話し終えると、雨沢さんはいつもの涼しい顔ではなく、珍しく戸惑ったような顔で俺を見て言った。
「それでね、一つの推理をしたの。段階的な推理をね。これは探偵してもそうだけど、女しての考えも少しだけ入ってるけどそこは勘弁して」
そう言うと、推理を聞かされた。そして俺は、愕然とした。
あぁ、それならありえるよなぁ……。
月曜日の放課後、俺は帰ろうとする塩田に声をかけた。ちょっとだけ話しがあると言うと、塩田は嫌そうな顔をしたが了承してくれた。
学校で二人きりで話すと噂になるので、学校から結構離れた住宅地にある、人気のない公園に誘った。あるのは小さい砂場と滑り台と鉄棒だけ。
「話しってなぁに?」
塩田も雨沢さんに負けず劣らずの美人だが、やはりあの大人の色気には程遠い。塩田は童顔だ。
俺はぐだぐだと言わずに、単刀直入に雨沢さんの推理を話すことにした。
「なぁ塩田、お前本当は俺じゃなくて五島か遠藤にチョコを渡すつもりだったんじゃないか? どちらか二人かという話しだが、多分五島だ。それはとても簡単な理由だけど、俺の前の席が五島だからだ。そしてお前がチョコを入れる机を間違えたのに気づいたのは、多分俺が席に座ってからだ。そして俺は机からチョコを出すことはしなかったから、チョコに気づいたか気づいていないか判断できなかった。もし気づいていたとしたら、その俺に間違えたから返してというのはお前の女としての良心が痛んだんじゃないか? でも回収しないわけにはいかない。そこで一時間目の休み時間に五島と遠藤に頼んで、こっそり俺の机からチョコを回収させた。なんで塩田がやらなかったのかはわからないが……。そして体育の後、一応俺に聞いて確認したんだ。チョコ気づいた? ってな」
話し終えると、塩田は苦虫を噛み潰したような顔で、小さく頷いた。
この瞬間、とてつもない脱力感に包まれた。むなしい。本当にむなしい。雨沢さんの推理が見事に当たってしまった。最悪の結果である。
机を間違えたっていう展開は、予想しなかったわけじゃない。そりゃあ、色々と考えられるケースの一つとして思いついてはいたが、一番信じたくなかったことだったから、考えないようにしていた。
俺、これまで何やってたんだろうなぁ……。塩田みたいな可愛い子にチョコをもらって舞い上がって、盗まれて本気でショックを受けて、信じたいと思う人は俺のことなんか眼中になかったんだ。そして何より。
「良心が痛んで俺に間違えたことを伝えることはしなかったんだよな?」
「うん……」
「じゃあ、なんで結局体育の後、チョコ気づいたなんて言ったんだよ。お前がそんなこと言わなきゃ、俺は友達のイタズラくらいにしか思わなかったのに。なんでわざわざ言うんだよ。それじゃああいつらに回収させた意味がないじゃないか!」
「そ、それは……。私はね、あらかじめ五島君にチョコあげるって伝えてたの。十四日の朝、机に入れておくって。でも机を間違えたことを五島君にこっそり言ったら、俺がなんとかするって言い出して、遠藤君が俺が見張りやるとかでしゃばってきて……。だから、私が頼んだわけじゃないの。自分でなんとかしようと思ってたけど、あの二人が勝手にやったの。それでもし小野内君がチョコに気づいてたら、かなり悪いことしちゃったんじゃないかと思って、聞きたい衝動を抑えられなくて」
「もういい」
どうでもいい。理由なんてもうどうでもいい。つまり、俺は眼中にないんだろう。塩田にしても五島にしても、小野内という人間が厄介になってしまったのだ。遠藤なんて、チョコを盗むというスリルを味わいたいがために見張りを買って出たのだ。
なんだそれ、バカらしい。むなしいどころじゃない。お前ら三人グルで、俺は一人で舞い上がったり悩んだりして……。
やってられない。俺はこんな苦い青春なんかいらない。欲しいのは甘い青春と、甘いチョコレートだ。
これ以上話すことなんてないので、無言で立ち去った。いっそ仕組まれたドッキリだった方がまだ良かった。もしそうだったら、俺は一言か二言くらいは文句を言えたからだ。
塩田と話し終えたあと、雨沢さんからメールが来た。時間が遅くて申し訳ないが、コロポックル・コタンへ着てくれとのことだ。
支払いの話しかと聞いたら、そうじゃないらしい。推理が当たって傷心しているだろう俺に気遣ってのことだろうか。確かに、今の状態でお金の話しなんてしたくもないが。
さて、どうしようかな。何の話しをするかはメールでは教えてくれないし。
雨沢かすみ。あの人のことは信じたいと思える人だ。では、信じれるか、信じれないか?
迷う必要なんて全くなかった。
急いでコロポックル・コタンへと向かうと、最初に座った時と同じ左奥の席に雨沢さんは座っていた。無言で座ると、口をつけていないカフェラテを進めてくれた。一口飲む。
「ありがとうございます……」
俺のあからさまに落ち込んだ態度を見て推理が当たったと確信したのか、一瞬悲しそうな顔になり俯いていた。
「雨沢さん」
「前から言おうと思ってたんだけど、苗字で呼ばれるのなんか慣れないのよね。かすみでいいわよ」
と、屈託のない子供みたいな笑顔で言った。いつもの大人っぽい雰囲気が嘘のようだ。俺は雨沢さんの特殊な能力について全く信じていなかったのに、雨沢さんは最初からずっと俺を信じてくれた。そして優しく接してくれた。今も、こうして笑顔で俺を見つめてくれている。その笑顔に、慰めてあげようという気持ちが全く無いのも嬉しかった。慰めなんかされたら、余計にむなしくて悲しくなる。こういう時は、何も触れないでほしい。
「あのさ、初めて会った時に信じることが嫌いって言ってたよね。でも、嫌いなんて言わないで。人生は人を信じていかないと成り立たないわ」
「大丈夫です。むしろ信じることがちょっと好きになりましたから」
「え?」
「少なくとも、かすみさんを信じることは好きです。貴方は絶対に俺を信じてくれるし、探偵なのに高校生を客としてちゃんと接してくれた。しかも依頼の内容が学校で無くなったチョコ探し。普通ならそんな依頼受けませんよ。でも受けてくれた。その優しさが本当に嬉しかったです。だからこそ、最初からかすみさんを信じられればよかったと思いました」
そう言うと、かすみさんはイタズラが成功した子供のような笑顔になった。
「あら? 今は探偵として接しているわけじゃないのよ。ちょっと遅れたけど、まぁ、お近づきの印に手作りチョコをプレゼントしようと思ってね」
そして鞄の中からオシャレな包装紙に包まれたチョコレートを取り出して、テーブルに置いた。
もちろん義理チョコである。これを見た瞬間、嬉しさよりも悲しさの方が大きかった。
この義理チョコは、多分お別れの品だ。そして、お金を支払えばもうかすみさんとの関係は終わる。それは、あまりにもあっけないというか、切ない。
「これでもう会うことはないんでしょうね」
ついそんな女々しいことを口走ってしまった。
「何言ってるのよ。お近づきの印って言ったじゃない。他愛のない雑談は少ししかしなかったけど、話してて気が合うと思った。学校に侵入した時も、仕事なのにこんな事言っちゃアレだけど、スリルがあってちょっと楽しかったかな。とにかく、貴方とはもっと仲良くなれそうだし、いつでも事務所に遊びに来ていいのよ」
かすみさんは、本当に良い人だ。こんなにもやわらかくて、幸せな気持ちになったのは始めてだ。
人を信じる事が、今は嫌いじゃない。この人と出会えて良かったと、心の底から思う。
俺達はその後しばらく、他愛のない話で盛り上がった。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました