体育祭で片恋が成就するお話
「先生」
詩織の呼び掛けに、英語教師が振り返った。
すらりとした長身で教師二年目の副担任。ジャージ姿だと大学生にしか見えない。
誰にでも優しくもちろん詩織にも優しい。男女問わず人気のある教師だ。
英語の偏差値が恐ろしく低い詩織に「もっと易しい問題集から始めたらどうかな。手持ちのものだけれど」と手渡してくれた。
好きになるに決まってる。
廊下ですれ違いざまに「進み具合はどう?」と聞かれ、なかなか進まないと正直に答えると「少しでも解いたら職員室に持っておいで。採点しておくから帰りにでも取りに来たら」と提案された。
先生の仕事を増やすことになる。詩織がためらって持って行けずにいたら「待っているのに、他の勉強が忙しいかな」と、からかい混じりに言われた。
それからは日々問題集が行き来するようになった。
「先生、しおちゃんに気があるんじゃない?」
友達の言葉に、小さく笑ったのは自然に見えたらしい。
「この間の模試、英語の偏差値42だった」
「……それは、別の意味で気になる生徒だね」
納得してくれたけれど、詩織のドキドキはおさまらなかった。
「忙しいんじゃないのか。明日だろう?」
詩織は明日、父の仕事の都合で海外へと引っ越す。こんな時世なので急きょ取り止めになる事もある。その場合を考えて、学校には口外しないでくれるよう頼んだ。友達にも知らせていない。
今日まで会社から何の指示もないからには、予定通り明日には日本を離れる。
「カンボジアだったか、遠いな」
「ラオスです……先生」
「――ビエンチャンか」
「住むのは工業団地のある地方です」
首都ではなく田舎。きっと街の名をあげてもわからない。
高校二年生の詩織には今日が最後の体育祭だ。
ラオスの学校に体育祭があれば別だけれど。
「先生、色々ありがとうございました」
好きでした、なんて伝えても先生が困るだけだ。
「いや、もう少し英会話に力を入れるべきだったね」
ごめんと謝ってくれる。
「向こうに二年だって? 日本に戻ったら顔を見せてくれないかな。もう在校生じゃないから、帰りは送って行ける」
まさか。そう思うのに、期待で声が震えそうになる。
「……都合よく勘違いしますよ?」
「勘違いじゃないけど、今言えるのはそこまで」
笑顔の質が今までと違って見える。
「待ってる」は、聞き違いじゃない。
「楽しんでおいで」
そう言って、ひらりと片手を振った後ろ姿を、絶対に忘れない。
詩織の耳に、校庭から体育祭の歓声が響いた。