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サキ作品集

マルメロの木

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

「ベッツィー・マレンお婆さんのところに行ってきましたわ」

 ヴェラは伯母のミセス・ビバーリー・カンブルに向かってそう告げた。

「あの方、お家賃のことでずいぶんお困りみたいなのね。十五週も滞納していて、しかも支払う当てがないんですって」


「ベッツィー・マレンが家賃のことで困っているのはいつものことよ。それに、誰かが助けてあげても当面の心配事が無くなるだけなのよ」と伯母は言う。

「これ以上、私は援助するつもりはありませんからね。そもそも、今のお宅よりも小さくて安い田舎家に引っ越すべきなのよ。村の外れの方に行けば、今払っている……いえ、払おうとしている家賃の半分もあれば借りれる家がいくつもあるのに。一年前にも言ったのよ、引っ越した方がいいんじゃないかしら、って」


「でも、他のお家にはあんな素敵なお庭は無いんでしょう?」とヴェラは口を挟む。

「庭の隅に植わっているマルメロの木なんて華やかで素敵。教区のどこの家を探してもマルメロの木はあそこにしかないんでしょ? それにお婆さんたら、マルメロの木があるのにジャムを決して作ろうとしないんですよ。マルメロの木があるのにマルメロジャムを作らないなんて、なんて意思の強い方なのかしら。ええ、そんな人が、あの庭のお家を離れるなんて不可能ですわ」


「十六歳になると誰だってね、単に気に食わないという理由だけで『不可能』って口にしたがるものなの」とミセス・ビバーリー・カンブルは厳しい口調でたしなめる。

「ベッツィー・マレンがもっと小さな家に引っ越すのは不可能どころか、その方が理想的なのよ。だって、あの大きな家をいっぱいにするだけの家財道具だって十分に無いんですから」


「でも、値打ちは十分にありますわ」と少し間を置いてからヴェラは告げる。

「ここ数マイル四方にあるどの家よりも、高い価値がベッツィーお婆さんの家にはありますの」


「冗談はよしなさい」と伯母。

「骨董の陶磁器だって、ずいぶんも前に手放してしまったのよ」


「私が言ってるのはベッツィーお婆さんの持ち物のことじゃありませんわ」とヴェラは曖昧な感じで告げた。

「でも、もちろん私が何を知っているかを伯母さまがご存知ないのは当たり前ですし、わざわざ教えてさしあげる理由もありませんものね」


「言うことがあるならハッキリと言いなさいな」と伯母は声を荒げる。

 まるで、退屈な微睡まどろみに落ちていたテリア犬が突如、目を輝かせながらねずみ狩りに向かおうとするような切り替えの早さで、伯母の感覚も研ぎ澄まされていくようだった。


「伯母さまに教えていけないのだけは確かなんですけど……でも『しちゃいけないこと』って、したくなるんですよね」とヴェラ。


「その『しちゃいけないこと』をするように勧めるのは私が最初で最後だから、ねえ、お願いよ……」

 ミセス・ビバーリー・カンブルが抽象的な言い草で口火を切った。


「ああ、私って最後に話した人の言葉に左右されるんですよね」とヴェラはひとちる。

「だから、『しちゃいけないこと』ですけど、伯母さまに話してさしあげますわ」


 ミセス・ビバーリー・カンブルは許しがたくも激しい苛立いらだちを心の奥底に押しやって、焦りながらも少女に説明を求めた。


「ベッツィー・マレンの家にあるって言う、あなたが大騒ぎするほどのものっていうのは一体なんなのかしら?」


「大騒ぎした、という言い方は適切じゃありませんね」とヴェラ。

「これを話すのは今回が初めてですが、あの一件にまつわる問題事や謎や新聞屋さんの憶測というのは後を絶ちませんわ。あ、でも、報道屋さんが書く推測記事や、警察や探偵さんが、国内外の至るところで『アレ』を探しているっていうのに、その秘密を、何の変哲もない小さな民家が握っていると考えると逆に愉快ですよね」


「も、もしかして、二年も前に行方不明になったルーヴル美術館の『ラ・ナントカ』っていう、笑った女の絵のことを言ってるんじゃないでしょうね?」

 興奮冷めやらぬ面持ちで伯母が声を上げる。


「フフッ、違いますわ」とヴェラは一蹴してみせる。

「ですけど、それと同じくらい大事で、本当に謎をはらんでいるものですわ……どちらかと言えば、もっと外聞の悪いものですの」


「ま、まさか、ダブリンの……?」


 ヴェラは首を縦に振った。


「まるごとそのまま全部ですわ」


「それが、ベッツィーの家に? 信じられないわ!」


「もちろん、『アレ』の正体は、ベッツィーお婆さまもご存知ありませんの」とヴェラ。

「お婆さまが分かっているのは、高価なものであること。そして誰にも言ってはいけないこと、それだけですわ。本当に偶然ですの、『アレ』の存在や、『アレ』がお家に運ばれた経緯いきさつを私が知ったのは。そうですね、『アレ』を手に入れたやからが、どこに隠せば一番安全か考えあぐねていて、車で通りがかった村で寂れた小綺麗な民家が目に入り、何か惹かれるものがあって『ここなら丁度いい』と思い付いたんですの。実のところ、今回の一件は、ベッツィーお婆さまと一緒にミセス・ランパーが手配して、人知れず『アレ』をお家に運び込んだんですわ」


「ミセス・ランパーが?」


「ええ、ご存知の通り、あの方は教区で色々な仕事を受け持ってますからね」


「あの人が貧しい民家にスープや毛布フランネルや啓蒙書なんかを持っていったりしているのはもちろん知ってますけど……」とミセス・ビバーリー・カンブル。

「でも、盗品の処分となると全く別物だわ。あの人も『アレ』の経緯いきさつくらいは知ってるはずでしょう。新聞を読んでる人なら、流し読み程度でもあの盗難事件のことは知っているはずですし、『アレ』に気づかないなんて逆に至難のわざじゃないかしら。ミセス・ランパーは昔からとても誠実な人物だって評判なのに」


「もちろん、あの人は他の誰かをかばっているのですわ」とヴェラ。

「この一件で興味深いのは、異常なほど多くの立派な名士の方々が複雑に絡まり合うように関わっていて、皆さん誰かをかばおうとしている、という一点に尽きますの。事件に絡んでる人の名前を聞いたら、伯母さまも吃驚びっくりしてしまいますわ。でも、その中の誰一人、真犯人が誰かは知らないんでしょうね。そして、私も今、あのお家の秘密を打ち明けて、伯母さまをこの一件に巻き込もうとしているんです」


「まだ巻き込まれたわけじゃありませんからね」とミセス・ビバーリー・カンブルは憤然としながら言い放つ。

「誰だってかばうつもりはありませんし、警察の耳にもすぐに入ることになるわ。誰が絡んでようと窃盗は窃盗。立派な名士が盗品の受け役や処理役に身をやつす道を選んだとしても、ええ、それは立派な名士じゃなくなるだけのことです。それだけのことよ。すぐに通報しなくちゃ……」


「あぁん、伯母さま」と恨めしそうにヴェラが告げる。

「カスバートさんがこの外聞の悪い一件に巻き込まれてしまったら、聖堂の律修司祭さまも胸が張り裂けるほどお嘆きになるでしょうね。伯母さまもよくご存知でしょう」


「カスバートも関わっているの? なんでそんなこと言うの! 私たちがあの子をどれだけ大事にしているか、あなたも知ってるでしょう?」


「ええ、伯母さまたちがカスバートさんのことを大事に思っているも、ベアトリスお姉さまと婚約していることも知ってますわ。ものすごくお似合いの二人ですものね。その上、伯母さまが願ってやまない理想の婿殿むこどのなんでしょう。それでも、『アレ』を民家に隠そうと考えたのはカスバートさんですし、『アレ』を車で運んだのもカスバートさんなんですの。でも、カスバートさんがやったのはそれだけ。ご友人のペギンスンさんのお手伝いだったです。ペギンスンさんは、ええと、クエーカー教徒で、いつも海軍軍縮について熱弁を奮ってるらしいんですけど、この件にどういった経緯けいいで絡んでるのかは、忘れちゃいました。でも、私、忠告はしましたわ。立派な名士の方々がたくさん絡んでるって。ベッツィーお婆さまがあのお家を離れるのは不可能だと言ったのは、そういうことですわ。部屋のかなりの部分を『アレ』が占めてますから、他の家財道具と一緒に『アレ』を持ち運ぼうにも人目を引いて仕方ありませんもの。もちろん、お婆さまが病に倒れて亡くなったら、それはそれで不幸なことですわね。母親が九十以上も長生きされたって仰ってましたから、ちゃんとお世話をして余計な心配事がなければ、お婆さまも少なくともあと十二年は長生きするはずですわ。その頃までには、きっと厄介な『アレ』の処分先が見つかってるんじゃないかしら」


「カスバートと話し合うわ……結婚式が終わってからね」とミセス・ビバーリー・カンブル。



 ******



「でも、結婚式は来年までありませんの」


 この一連の話を、ヴェラは一番の親友に語っていた。

「その間、ベッツィーお婆さまはタダであのお家に住んで、週に二回のスープを貰って、指が痛くなると伯母さまの主治医がいつでも診て下さるの」


「でも、いったいどうして、あんなこと知ってたのよ」と驚き感心しながら親友は尋ねる。


「不思議ですよね……」とヴェラ。


「そりゃ不思議なのは分かるけど、皆が困惑するようなミステリーでしょ。私が気になってるのは、どうしてあなたがそれを知ったか……」


「ああ、宝石のことですか? あれは私の創作ですわ」とヴェラは種あかしをする。

「私が不思議って言ったのは、滞納した家賃をベッツィーお婆さまがどこから捻出するつもりだったのか、ってことです。だって、あんな素敵なマルメロの木を手放すのは嫌に決まってますもの」

原著:「Beasts and Super-Beasts」(1914) 所収「The Quince Tree」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)

翻訳者:着地した鶏

底本:「Beasts and Super-Beasts」(Project Gutenberg) 所収「The Quince Tree」

初訳公開:2022年8月28日


【訳註もといメモ】

1.『マルメロの木』(The Quince Tree)

 マルメロはバラ科の樹木で、花梨カリンに似た硬い実をつけるが、実は硬くジャムに加工される。薄紅色の大きな花をつけるので庭木として愛されている。マルメロという名前はポルトガル語由来で、漢字では榲桲や木瓜と書くが、小説の中ではしっくりこないので、先人に倣って仮名書きで訳した。


2.『ルーヴル美術館の『ラ・ナントカ』』(the Louvre picture, La Something or other)

「モナ・リザ(Mona Lisa)」の名で知られるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonald da Vinci, 1452-1519)の絵画「La Gigoconda」のこと。フランスはパリのルーヴル美術館に収蔵されているが、1911年に盗難に遭い、2年後の1913年に犯人が見つかり、美術館に返却される。


3.『ダブリンの……』(the Dublin―)

 この物語の主軸となる『アレ』こと『ダブリンで盗まれた宝石』のモデルだが、ヒントが少なく正直さっぱりお手上げである。ただ、ダブリンはアイルランドンの首都なので、おそらく1907年にダブリン城で盗難に遭った「アイリッシュ・クラウン・ジュエル(Irish Crown Jewels)」だと思う。アイリッシュ・クラウン・ジュエルは君主用に造られた聖パトリック騎士団勲章だったが、エドワード七世の訪愛直前に、騎士団員5人の襟章やその他の宝石類とともに盗まれ、現代まで行方不明のままである。


4.『聖堂の律修司祭』(Cant)

 律修司祭ははカトリックの聖職者の位階であり、大聖堂に所属して、聖堂の運営などを行う司祭職のこと。英国国教会(聖公会)にも存在しており、宗教改革以降、世俗的な面を有するもののカトリックと同様に聖堂の運営管理を担う。

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