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秋一月十五日:自分こそ正義であると、公爵令嬢は信じている。

*


 証言台に立たされたマリエッテは不機嫌さを隠しもしない。今日はリデルの─予想外の─再審だったはずなのに、話が思うように進んでいないからだ。


 被害者が隣国の王女で、重要参考人がこの国の王家に連なる一族の娘。宮廷中の注目を集めた事件は、アンドラ家による華麗な逆転劇で幕を閉じる……はずだったのに。


「最後、ベン・ショーグの証言です。夏三月九日、狩猟を生業とする彼は、貴族の使用人を名乗る男に野犬退治を依頼されました。彼が三頭の野犬を仕留めると、依頼人はそれを買い取りました。……そして夏三月十三日、シリカ王女殿下の離宮に三頭の野犬の首が置かれていました」


 ぺらぺらとよく回る舌だ。さぞ脂がのっているのだろう。その醜く肥えた身体にふさわしい。マリエッテは忌々しく思いながらジェダを睨みつける。


「ベン・ショーグの目撃証言では、この時に来た男はアンドラ家の執事アル・クレフに酷似していましたが……後日、ベン・ショーグは証言を撤回します。キーファ家のご息女、リデル・キーファ嬢に大金を握らされ、依頼人の特徴について嘘の証言を強要されていたと自白したのです」


 弁護者として立つジェダは先ほどからずっとこの調子で、リデルがマリエッテに罪を着せた証拠を挙げていた。

 だが、そんなわかりきったことはどうでもいい。マリエッテに質問があると言ったくせに、いつ本題に入るつもりなのだろうか。金に目がくらんで証言をあっさり変えた卑しい平民の話など、続けたところで何にもならないのに。


「これで、ゼルド王子殿下が発見した計九人の証言者、その全員が偽証を行ったことが明らかになりました。……ですが、大変失礼ながらキーファ家の財政状況を鑑みると、これだけの証言者を抱き込めたとは考えづらいのです。キーファ家に対して調査を行ったところ、そのような大金を動かした形跡もありませんでした。……彼らが本当についた嘘というのは、キーファ嬢に強要された証言内容ではなく、“キーファ嬢に嘘の証言を強要されたこと”なのでは?」

「キーファ家に資金がないからなんだというのです。誰かにお金を借りたのかもしれないでしょう? こう言っては何ですけれど、ずいぶんといかがわしい方ですもの。とても口にはできない手段に頼れば、いくらでもお金は作れるのではなくって?」

「そ、そんなことはしていません!」


 顔を蒼褪めさせたリデルは騒々しく立ち上がった。身持ちの悪さを指摘されて、思わずカッとなったのだろう。そんな反応をするのは図星だからに違いない。

 すぐさま裁判長に沈黙を求められ、リデルはしぶしぶ応じる。育ちの悪さがにじみ出ていて嫌になると、マリエッテはため息をついた。


「では、キーファ嬢による買収のための資金援助は、アンドラ家が行ったわけではないのですね?」

「何故わたくしに罪を着せようと思った者の手助けを、アンドラ家が行わないといけないのです? あのような弱小男爵家、我が家とは縁もゆかりもありません」


 気でも狂ったのか。鼻で笑うと、ジェダは少し考えるそぶりを見せた。


「アンドラ家の人脈は、様々なところに広がっています。何かの折に、キーファ家ともかかわりがあったと思ったのですが。……裁判長、新しく申請いたしました証拠品について、ここで説明させていただいてもよろしいでしょうか」


 裁判長は神妙な顔で許可を出した。証拠品? そんなものがあるわけがないのに。


「これは、キーファ家の調査を行った時に見つけた物です。キーファ家の飼い猫であるアレイズが持っていました。アレイズは外を自由に散歩することが多いのですが、アンドラ家の飼い猫ミーナと友人……友猫関係にありました。もしかすると、猫達がじゃれ合っているうちに首輪か何かに紛れてしまい、アレイズはそのままこれを家に持ち帰ったのかもしれません」


 ────見せられたのは、若かりし頃のアンドラ公爵の顔が彫り込まれた金貨だった。


「鑑定の結果、金の含有率からして二十五年前……このコインに刻まれている年代と同時期に発行された金貨を溶かして鋳造し直したものである可能性が高いと判明しました。国王陛下が即位なさり、アンドラ公爵が臣籍に降った時期と非常に近しいですね。もともとは、国王陛下即位の記念硬貨であったと思われますが……なんにせよ、アンドラ家と無関係のキーファ家にはあるはずのないものです」


 傍聴席のざわめきが大きくなる。思わずマリエッテが傍聴席を見ると、父公爵が信じられないものを見るような目でそのコインを凝視していた。


「猫の戯れが暴いてしまったこの秘密……なんとしてでも回収しなければなりませんよね? 行方不明になった偽金貨の居場所をアンドラ家は探したでしょうし、紛失時の状況からキーファ家を割り出したかもしれません。キーファ家は歴史が浅く、分家も抱えていない小さな家です。アンドラ家が圧力をかければ、どうとでも揉み消すことができるでしょう」

「裁判長、異議を申し立てます! ここは被告人であるリデル・キーファの罪を明らかにする場であって、アンドラ家ならびに現在の証言者マリエッテ・アンドラ嬢を憶測で侮辱する場ではありません!」

「異議は却下する。メイゼン氏、続きを」


 親アンドラ派の検察官の悲壮な訴えは無情にも却下された。裁判長には人の心がないらしい。あるいは彼も、リデルの魅力か王子の権威に憑りつかれているのだろうか。そんなもの、何の価値もないのに。

 促されたジェダは咳払いをし、リデルを一瞥した。それまでリデルは困惑した様子を見せていたが、緊張がほぐれたかのように微笑みを返している。気に喰わなかった。


「しかしキーファ嬢もキーファ男爵も、飼い猫が勝手に持ち込んだこの偽金貨の存在は知りません。アンドラ家に圧力をかけられたところで、できることはないのです。そこで強引にでもこの偽金貨を回収し、目撃者の口を塞ぐべく、キーファ嬢を罪人に仕立て上げたとしたら? 親アンドラ派の人間には司法に携わる者も多いですから、押収したものを隠蔽することも可能でしょう?」


 ジェダは意味ありげに検察官を見た。彼が親アンドラ派の家の出だというのは事実なので、それについての反論は上がらない。

 だが、それ以外のことならなんとでも言えるだろうに。自身の弁明もできない無能な男をマリエッテが睨みつけると、検察官は縮こまった。


「とはいえ、これは私の憶測でしかありません。そこで、証人を呼ばせていただきたい」


 マリエッテと入れ替わるようにして証言台に立ったのは、マリエッテの執事だった。

 彼を見て、リデルが小さく悲鳴を上げる。執事は虚ろに微笑み、「あ、今日はバケモノじゃない。ちゃんと生きてる女だ」と呟いた。


「俺はお嬢様……マリエッテ様に命じられて、シリカ王女への嫌がらせの手伝いをしました。それからアンドラ公爵の指示で、濡れ衣を着せる相手を見つけろと言われたので、その通りの仕事をしました。俺達がやったことを、他の全然関係ない奴の仕業に見せかけられるように。金も人材も、親アンドラ派を動かせば自由に使えたので簡単でした」


 マリエッテは耳を疑った。もっとも信頼していた執事が裏切ったなど、認めたくなかった。


「リデル・キーファに嘘の自白するよう迫ったのは俺です。その女は調子に乗ってるって、マリエッテ様が目障りに思われていたので、ちょうどいいかなって。マリエッテ様を差し置いて社交界でちやほやされるなんて許されないですから、仕方ないですよね」


 彼の言っていることは正しい。リデルのような、平民上がりの下賤な小娘がマリエッテと同じ舞台に立てるわけがないのだから。けれど、それがどうしてマリエッテを貶めることにつながるのだろう。


「アンドラ家にたてついて家ごと潰されるか、それとも金をやるから自分一人が罪を被るか選べって言ったら、その女は後者を選びました。爺さんが病気で、その治療費が欲しいんだって」


 嫌がらせ? 濡れ衣? 何の話かわからない。マリエッテは、悪いことなんて何もしていないのに。


「本当のことはなんでも話します。何をしても償います。だから俺の罪を許してください。これ以上は、耐えられない……!」


 執事は空虚な笑みを浮かべたまま、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。裁判長は重苦しく頷き、「良心の呵責にずいぶんとさいなまれたのだな」と応じた。


「どうやらこの偽金貨は、事件そのものとはまったくの無関係だったようですね。失礼いたしました」


 そう言って、ジェダは白々しく頭を下げた。

 再審の判決は、もはや決まったも同然だった。それよりも、宮廷人の目は新たな疑惑に向けられていた。


 アンドラ家がもたらす、華々しい新時代。それを象徴する新たな金貨は、いずれ必ず王冠を手にしてみせるという父の、決意の表明だ。それは、親アンドラ派の結束の証でもあった。


 光輝く、理想への美しい道しるべ。それが親アンドラ派の崇高さを理解できない蛆虫共の視線に晒され、穢される。あってはならない事態が、マリエッテの目の前で繰り広げられていた。


*


 両親も、マリエッテも捕えられた。現王の弑逆未遂とか、王子の婚約者の暗殺未遂とか、でっち上げられた罪状が他にもたくさん並んでいた。そんなもの、父が王位につけば何の意味もなくなるのに。


 どうしてこんなにつらくてみじめな思いを味わわなければいけないのだろう。世界で一番可哀想なのは自分だと、悲嘆に沈むマリエッテは監獄塔の独房で日がな一日泣き暮れていた。


 世界のすべてがマリエッテの敵になった。誰もマリエッテを理解してくれない。


 マリエッテが正しいと言ったことはすべて正しくて、悪だと言ったことが悪なのに。その摂理を受け入れないなんて、世界のほうが間違っている。


 だが、マリエッテはまだ諦めていなかった。親アンドラ派のすべてを駆逐するなど不可能だ。すぐに親アンドラ派がマリエッテ達家族を助けてくれる。その時が、反撃のはじまりだ。


 道理のわからない無礼者を悔い改めさせ、国土を逆賊の血で染める。野蛮な行為ではあるが、革命に犠牲はつきものだ。マリエッテをここまで貶めたのだから、必ず償わせなければ。


 そうだ、まだ希望はある。今はただ、その日を信じて待ち続ければいい。

 正義はマリエッテにある。善良な人間は報われてしかるべきだ。いつか必ず、マリエッテの無実は証明されるに違いない。


*


「真に邪悪なものは、自分を正しく見ることができないのかもしれないな。もし見えているのなら、自分の振る舞いがいかに異様か気づけるだろう?」


「あら、綺麗な猫ですこと。どこから来たのかしら」


「鏡を持っていればよかったんだが……せめて悪夢の中で、自分を見つめ直すといい。お前の言ったことややったことが本当に悪でないなら、なんの責め苦にもなりえないさ」


「わたくしも猫を飼っていたのです。貴方とは逆の、白い毛並みの可愛らしい子。どうしているのかしら。あの毛皮をバッグのアクセントにしようと思ったのに。でも、貴方の毛皮でも素敵ですわね」


 アレイズは鉄格子の向こうにいる少女をじっと見つめる。余裕を湛えた微笑が崩れ、恐怖に目が見開かれて絶叫がほとばしるまでそう時間はかからなかった。


「そうか。お前の中の悪意は、お前が他人に向ける時には醜悪な綺麗事で歪められるのに、お前自身に向けられるぶんには正しく悪意として認識できるんだな。……同じ種族にんげんだったのに、どうして相手にも自分と同じような感情があると考えられなかったんだ?」


 壮絶な悲鳴を聞いた看守が駆けつけてくる前に、アレイズは牢獄を離れた。どうせもう、答えは返ってこないだろう。

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