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秋一月十三日:絶望していた文官に、光明がもたらされた。

*


「それでは失礼します、キーファ男爵」


 力なく微笑むジェダが一礼すると、キーファ男爵は咳き込みながら別れを告げた。ただでさえ弱々しい老爺は、ここ数日でめっきり落ちぶれたように見える。


 キーファ家は、田舎に小さな領地を持つだけの弱小貴族だ。分家らしい分家もなく、夫人もだいぶ昔に他界しているため、一族の人間はキーファ男爵とリデルしかいなかった。

 一人娘のリデルは、より正確には男爵の孫娘らしい。娘が出奔して貴族籍から離れたまま死亡したために、孫のリデルを自身の養女として迎えたそうだ。

 リデルの父親が何者か、男爵に心当たりはないそうだが……出奔したとはいえ実の娘の忘れ形見だ、きっと大切に育ててきたのだろう。その孫娘が大罪人として投獄されれば、憔悴しきるのは当然だった。


 その責任の一端をジェダが担っていると思うと胸が痛んだ。どうしても心配で様子を見に来てしまったが、男爵は迷惑していないだろうか。

 今後キーファ家とリデルはどうなってしまうのか、自分が顔を出すなど男爵の神経を逆なでするような出過ぎた真似だったのではないかと、悶々と考えながら帰宅するせいで心も重い。

 これから王宮で、アンドラ家が主催する茶番に出席しなければならないのだからなおさらだ。このまま馬車が延々と走り続けて、王宮に辿り着かなければいいとさえ思えた。


 二年前、社交界に突如現れたリデルはその愛らしい容貌と初々しい所作で様々な貴公子を虜にした。彼女にダンスを申し込もうとする男は後を絶たず、ジェダもその列に並んだものだ。


 リデルはいつも明るく朗らかで、けなげだった。その可憐な笑顔を向けられただけで、心臓が早鐘のようにうるさくなる。

 彼女の柔らかなパステルピンクの髪は、春風に散る花弁のようになびいていた。きらきらした空色の瞳に自分を映してほしかった。なんとかしてリデルの気を引こうと、プレゼントを用意したりデートに誘ったりと慣れない奮闘をしたものだ。


 ジェダは侯爵位を戴く名家メイゼン家の生まれだが次男坊で、そのうえお世辞にも麗しいとは言えない風貌だった。そのせいで、ほとんどの令嬢からはいないもののように思われている。

 とはいえ、同い年の第一王子ゼルドに側近として引き立てられてはいたので、ジェダに近づく令嬢がいないわけではなかった。彼女の目当ては、その立場の将来性だ。そういう令嬢は、あれぐらい冴えないほうが転がしやすいと陰で言っているのが常だった。

 とはいえジェダ自身、身の程をわきまえているつもりだ。こんな地味で小太りの、ありのままの自分を愛してくれとは口が裂けても言えない。


 だが、リデルだけは違った。リデルはジェダを嗤うことはない。他の男と接するときと比べて露骨に態度を変えられないことが、これほど嬉しいことだとは知らなかった。

 それにリデルは、ジェダが紹介した料理やお菓子を美味しそうに頬張ってくれる。宝飾品を選ぶセンスのないジェダでも、リデルが相手なら行きつけのパティスリーで買ったお菓子を堂々と渡すことができた。

 ジェダのつたないエスコートでも─思い込みでなければ─楽しんでくれて、ジェダ自身も居心地がいいと思えるような時間を過ごせるのはリデルだけだった。


 うぬぼれでなければ、リデルを取り巻く男達の中でジェダは一歩ぐらいなら先を行っていた……と思う。

 ジェダを見つけるとリデルはまっさきに挨拶してくれるし、ダンスの誘いも拒まれない。デートにも応じてくれる。

 たとえ全部がジェダの勘違いで、リデルにもてあそばれているだけだったとしても、一緒にいられるだけで幸せだった。いや、リデルはそんな悪女ではないと信じてはいるのだが。


 つまらない男だと自認しているジェダが、何故人気者のリデルに気に入られていると思うのか。それには根拠があった。食の好み以外にもう一つ、共通することがあるからだ。ジェダもリデルも、動物が好きなのだ。


 ジェダの家では様々な動物を飼っている。外国から取り寄せた珍獣や、素晴らしい血統の愛玩獣を飼うこと自体は貴族の趣味として珍しくない。

 だが、ジェダの家はそういったステータスとしての飼育を目的とはしていなかった。


 よき友として、信頼できる相棒として幼少期から動物と触れ合っていたせいか、ジェダは野生の動物によく好かれる。

 外を歩けば犬や猫が寄ってきて、大樹の下で眠るようなことがあれば鳥が集まるのだ。暴れ馬がジェダの言うことだけはよく聞いたり、牧羊犬なしで羊を一瞬でまとめられたりと草食動物にも好かれているので、大きなエサとして認識されているわけではないと思いたい。


 馬の扱いについてはともかく、それ以外は貴族の子息としては特に役立つものでもない。だが、この動物に愛される才能は、リデルから高評価を得たらしかった。リデルも同じように動物に好かれやすかったからだ。

 キーファ家には、優美な雄猫が一匹いる。男爵家に引き取られる前からリデルが飼育していたらしい。あの猫は、おそらく世界で唯一ジェダになびかない動物だ。


 ジェダの手練手管なでなではこれまでどんな動物をも骨抜きにしてきたが、あの猫だけは一向に屈服しない。ろくに触らせもしない姿は、まさに気高い王のようだ。


 最初のうちはジェダとリデルの間に割り込んでくる程度だったが、最近ではジェダを見るたび威嚇して、リデルが引きはがすまで引っ掻いたり肉球で攻撃したりしてくる。そのプライドが高いところと嫉妬深いところがまた可愛い。

 きっと彼はリデルが大好きで、リデルも愛情深く彼と接しているのだろう。リデルは申し訳なさそうにしていたが、ジェダとしては満足である。可愛い猫だけでなく、愛猫と戯れる可憐な少女を見ることができる……これ以上に幸福で癒されることがあるだろうか?


 しかし、先ほどキーファ家に行った時にはどこにも彼の姿が見えなかった。キーファ男爵の話では、ふらりと散歩に出ていってしまったらしい。

 もともと完全室内飼いというわけでもなく、散歩は珍しいことではないそうだ。そのため、男爵はあまり気にしてはいないようだった。確かになかなか頭のいい猫のようだから、心配するほどではないと思うが……もし彼にまで万が一のことがあれば、その時こそ男爵は干からびてしまう気がする。

 なんとかしてリデルを男爵の元に返すのは当然だとしても、愛猫の身に何かあればリデルは悲しむことだろう。


(せめて、リデルさんがあんな自白をした理由さえわかればなぁ……。アンドラ家が出した証拠は絶対に捏造なのに、リデルさん自身の証言があるせいで崩しようがない)


 愛する少女が何を考えているのか、ここにきて何もわからない。ジェダは重いため息をついた。

 

 不意に馬車が停まった。まさか王宮に行きたくないというジェダの願いが届いたわけではないだろうが、何かあったのかもしれない。


「どうかしたかい?」


 窓を開けて御者に声をかける。御者は困り顔で、「猫が進路をふさいでいて、ちっともどいてくれないんです」と答えた。


「……? わかった、ちょっと見てみるよ」


 ジェダは馬車から降りて、問題の猫を見た。自分ならどうにか猫を説得できる自信があったからだ。


 そこにいたのは、王者然としたたたずまいの凛々しい黒猫と、神々しいまでの気品を漂わせる白猫だった。


 白い雌猫は初めて見る顔だが、黒い雄猫には覚えがある。リデルの飼い猫を見間違えるわけがない。つけている首輪も、間違いなく彼のものだ。

 思わずその名を呼ぶと、黒猫は返事をするように鳴いた。そして、ついてこいとでも言いたげに歩き出す。しなやかで迷いのないその足取りに、ジェダは従うほかなかった。


 案内されたのは路地裏で、凶悪そうな面構えの野良犬が集まっている。もっとも、それで臆するジェダではない。ジェダが怯えていないことに拍子抜けしたのか、野良犬は唸るのをやめてうかがうようにこちらを見た。

 彼らはまるで何かを守っているように一か所に固まっている。だが、リデルの飼い猫が一声鳴くと厳かにそこから離れた。


 野良犬達が守っていたのは、紙束と宝飾品、そして金貨だった。明らかに人為的なものだ。こんなものを動物が所持しているわけがない。そもそも、猫達は何故ジェダをここに案内したのだろう。


 しかし、ジェダはそれを疑問に思えない。彼の視線はこの謎の戦利品に釘づけだ。これが意味することと、それによって広がる可能性についてしか、今のジェダの頭の中には存在しなかった。


「これは、まさか……」


 ジェダはわななきながら金貨を一枚つまむ。まだ若く見えるが、アンドラ公爵らしい顔が刻まれていた。同じく刻まれている発行年は、現王の即位の年になっている。

 王命以外で貨幣を発行するのは重罪だ。偽札は所持しているだけで罪に問われる。弑逆を見据えた新王朝樹立の記念硬貨を作るなど言語道断だろう。


 そうしている間にも、動物達の宝の山は増えていった。

 飛んできたカラスが次々と硬貨や宝飾品を運んでくるし、土竜モグラが穴から顔を出すと、それに続いて鼠の隊列が現れて、えっちらおっちらと運んできた紙束を新たな戦利品として加えるのだ。賢い動物に芸を仕込ませました、では説明できないその現象は、確かにジェダの目の前で起こっていた。


 ジェダは宝飾品にも触れてみた。緑の宝石が嵌った指輪だ。

 だが、白猫が警告するように鳴いたため、嫌な予感がしてそれを放る。地面に落ちた途端、それは小さく爆発した。


「せ、精霊石……? しかも兵器の……?」


 幸い、動物達は怪我をしていないようだ。驚かせてすまないと詫び、落ちた指輪を慎重に見つめた。傷一つついていない。

 精霊石は、国で管理している貴重な資源だ。流通しているものは、すべて所有に許可がいる。特に、武器として使えるような危険な力を持つ精霊石は、厳重に管理されていた。

 ここにある精霊石はすべて宝飾品として加工してあるが、そもそも精霊石を加工するのは禁じられている。本当にこれは、認可を受けた合法の品なのだろうか。


 紙束は、何かの権利書や誓約書のようだった。精査しないと内容の判別はできないが、ちらりと見える文章からしてきなくさいものだということだけはわかる。


 アンドラ家の悪事を暴くべく、この三か月間ジェダは地道な調査を重ねてきた。

 しかし相手は王弟の立場にある男を当主に戴く大貴族だ。疑惑だけでは屋敷の中は探れず、堂々と調査に動くこともできない。虎視眈々と国家転覆を狙っているであろう野心家の公爵は、一向にその尻尾を掴ませてくれなかった。


 せめてシリカに対する悪行だけでも白日のもとに晒したい、と、周辺─迂闊なマリエッテとその友人達のことだ─を懸命に洗うことで積み重ねてきた証拠品も、「それはすべてリデル・キーファによる捏造だ」と一蹴されている。


 親アンドラ派の妨害もあり、ジェダ達の努力は水泡に帰したと思われた。


 だが、この証拠たからの山があればどうだろう。


 出所不明の、路地裏に放置されているうさんくさい物品だ。動物達が意図してアンドラ邸から持ち出してここに集めたとして、それをジェダ以外が信じるかははなはだ疑問だった。


 ジェダの頭に、ある筋書きが浮かぶ────そう、これはキーファ男爵の孫娘リデルが独自に入手したものなのだ。


 何も、この宝の山すべてとは言わない。たった一枚のコインが、偶然彼女の手に渡ってしまったことにすればいい。

 とにもかくにも、アンドラ公爵の恐ろしい秘密を知ってしまったリデルは脅迫を受け、沈黙を求められた。老人が守る小さなキーファ家をそうと知られず人質に取ることなど、アンドラ家にはたやすいだろう。


 そしてアンドラ公爵は、目撃者を消す合理的な手段を思いついた。自分の娘の身代わりにしたのだ。


 家を、祖父を守るため、リデルは出頭して嘘の自白を言わされた。

 あるいはリデルのもとにコインが渡ったことすら、リデルを生贄にしようとしたマリエッテの策謀によって仕組まれたことだったのかもしれない。


 捏造には捏造を。先に事実の隠蔽を図ったのはアンドラ家だ。

 ジェダは証拠品そのものをでっち上げたわけではなく、入手に至るまでのストーリーを考えただけに過ぎない。アンドラ家がしでかしたことに比べれば、この程度は可愛いものだろう。本気で巨悪を駆逐したければ青い正義だけでは敵わないと、ジェダは身をもって知らされていた。


「ありがとうアレイズくん! これがあれば、別の方向から公爵家を引っ張れる! 再捜査の要請もできるぞ……!」


 金貨を握りしめ、ジェダは喝采を叫ぶ。

 このコインを鑑定に出せば、いつ作られたものか判別がつくだろう。「親アンドラ派を貶めるために王家派の人間が作った」という言い訳は、必ず封じてみせる。



 リデルの飼い猫────利口で優美なアレイズと、名も知らぬ気高い白猫は、自慢げに尻尾をぴんと立てた。


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