秋一月十三日:アレイズは、悪事の証拠を探し始めた。
フェイリの言っていた通り、フェイリの屋敷の主要な人間は朝から留守にしていた。主要な人間には男と女と少女がいるそうだが、みなそれぞれどこかに出かけていったそうだ。
「それではあたくしが使用人達の気をそらしますから、その隙にお調べになってくださいな。もちろん、屋敷の案内もさせていただきますわ。あたくしの家ですもの、愚かな人間をあしらいながらでも貴方様を手伝うことなどたやすいことですので」
「ああ、任せたぞ」
フェイリの手引きを受け、アレイズは素早く屋敷へと潜入する。見つけた物を運び出せるよう、烏と土竜、そして鼠達を近くで待機させていた。土竜と鼠は地下に掘った秘密の通路を通るので早々見つからないだろうし、逃げる烏をただの人間に追跡できるとは思えない。我ながら完璧な布陣だ。
フェイリとふたりで家探しを始める。途中、使用人に見つかりそうになったが、そこはすべてフェイリがうまくやり過ごしてくれた。さすが、自らこそ主人だと豪語するだけのことはあるようだ。
フェイリ曰く家主の書斎だというそこは鍵がかかっていたが、フェイリが開けたので問題はなかった。ドアノブを回すことならアレイズにだってお手の物だが、力を見せびらかしたいフェイリに見せ場を譲ってやることにした。
「あら。これ、家主のお顔が彫ってありますわ。今より若く見えるけれど、きっと同じ人間ですわよ。わたくし、人の顔を見分けるのは得意ですもの」
「お嬢様や祖父君は、こんなものは持っていなかったはずだが。彫られているのは違う男の顔だったぞ?」
ぴかぴかと輝く金色のコインが自慢げに飾られている。探してみると、同じようなものが何枚かあった。変なコインだ。何かに使えるかもしれない。
窓から合図を出して烏を呼び寄せ、保管場所に持っていかせる。保管場所には犬達を配置しているので、しっかり守ってくれるだろう。
「よくしつけたものですね。見たところ、同族ではありませんのに。それとも、それがアレイズ様のお力ですか?」
「俺自身の能力と言うより、精霊としての特性のようなものが影響しているんだろうな。だが、それがすべてというわけでもない。人間から認められていないだけで、もともと優秀な奴らなのさ」
アレイズの力は、ほんの少し厄介だ。力加減を間違えれば、たやすく相手を破滅させる。
主人や自分をおびやかそうとした者をおどす目的で使ったことは何度かあるが、それ以外であまり使おうとは思えなかった。どこで足がつくかわからないからだ。今回の潜入についても、武器にしたのはあくまでも自分自身とフェイリの魅力だけだった。
手駒の中には、もともとアレイズをいいカモだとみなして襲ってきたものもいる。野良犬の集団などその筆頭だ。
主人に可愛がってもらっているおかげで身なりのいいアレイズは、日陰に生きるものにとってはさぞ目障りに見えたのだろう。そういう手合いには微弱ながらも能力を使って上下関係を叩き込んだ。すでに能力の効果は残っていないはずだが、それ以来彼らは忠犬としてアレイズに仕えている。
一方で、土竜や鼠はアレイズに牙を剥くことはなかったが、怖気づいて逃げ出しがちだった。
逃げないようにしたいのに、能力を使えばむしろ逆効果になる。飼いならすのは骨が折れたが、今ではすっかりいいしもべだ。
烏は自分で損得勘定ができるので、アレイズが働きかけずとも自らを売り込んできた。対価は必要だが便利なので重用している。
アレイズが手駒の多くを支配下に置いたのは、ほとんどがアレイズ自身の手練手管のおかげだった。
アレイズの能力と、彼らの素晴らしい働きぶりは別の話なのだ。きっと人間社会で鬱屈して発揮されることのなかった彼らの才能を、人智を超える精霊が刺激したのだろう。
「けれどあたくしには、ここまでの指揮をする才はありません。アレイズ様はとても優れた個体ですのね」
「褒めても何もないぞ。無駄口を叩いている暇があるならしっかり探せ」
すり寄るフェイリにぴしゃりと言い放つ。フェイリは舌を出して家探しに戻った。
「これは……精霊石か。……ふん、ずいぶんと変わり果てた姿になったものだな」
指輪やネックレスにつけられた宝石が、過去に生きた同族の成れの果てであると、アレイズはすぐに気づいた。
精霊石は微弱なオーラを纏っているので、見分けがつきやすいのだ。これは普通の宝石のように見せかけているが、アレイズの目はごまかせなかった。
「この家、精霊石が多くって。きらきらの宝石なら、あたくしがもらってあげてもいいのですけれど……さすがにこれで自らを飾るほど、趣味が悪いつもりはありません」
フェイリは不愉快そうに精霊石の宝飾品を見ていた。彼女の首を飾る美しいサファイアのチョーカーは、きっと本物の宝石なのだろう。金の鎖が彼女の白い体躯によく映えている。
アレイズもチョーカーをつけているが、それは主人に贈られた深紅のベルベットリボンだ。飾りらしい飾りはない。主人が初めてドレスを仕立てた時、端切れを使ってアレイズのためにあつらえてくれたものだった。
主人がプレゼントしてくれた、お揃いのこのチョーカーは何より大切な宝物だ。だからフェイリのチョーカーは羨ましくもなんともないが、互いの家の財力の差が浮き彫りになっているようでいい気はしない。この家の人間がアレイズの主人を陥れたのなら、弱い者いじめもいいところだ。
「それなら、弔いでもしてやるか」
「あら、お優しいこと」
「この心臓の持ち主も、こんな悲惨な姿で世界に留め置かれるより、さっさと力を使い果たして眠りたいだろう。ここで無為に腐らせておくより、外の人間に渡して何かに使ってもらったほうが浮かばれるはずだ」
「まあ。アレイズ様って、非道だとか血も涙もないだとか、よく言われません?」
「冷たい男が好きなんじゃないのか」
「大好きですわぁ!」
体をくねらせるフェイリを放置し、アレイズは物色を続ける。窓の外から見つけた物を投げ落とせば、庭で待機している鼠達が受け取ってくれた。
「アレイズ様は人間寄りの思考をなさいますのね」
「長く人間と一緒に暮らしてきたからだろう。お前と違って、俺の名前はお嬢様につけてもらったんだ。……そう言うお前は、俺より精霊らしそうだな」
「ありのままに生きているだけです。あたくしはこの美貌で、多くの人間を隷属させてきました。奴隷が身持ちを崩すたびに次の宿り木を探していたら、気づけばここまで来ていましたの。……自分以外のすべては下僕に過ぎないと、そうして学んできたのです。貴方様のように、一人の人間に入れ込む生き方は……そうですわね、真似はできませんが素晴らしいと思いますわよ」
調子に乗るのが目に見えていたので口にはしなかったが、フェイリのしたたかさは好ましく映った。それぐらい図太くなければ、この世は生きられない。
「ひとまずこれぐらいでいいだろう。何が決定的な悪事の証拠に該当するかわからないが、この俺がここまでしてやったんだ。あとは、王子達に任せておけばいい」
今の時点でアレイズにできることはすべてやりつくした。ここから先は、人間社会の掟を司る者の仕事だ。
主人の潔白を正式に認めさせ、主人を陥れた者達の罪を公表するような手続きは、さすがのアレイズにもできない。それをするのは、立場のある人間でなければ。
これでも現状を変えられないというなら。
その時は、また別の方法を考えて挑戦すればいいだけの話だ。アレイズには奥の手もある。
この国がどうなろうと、アレイズにはどうでもいい。だが、主人にとっては一大事だ。
アレイズの中では、主人が助かるのはもはや決定事項だった。だから、助けた後のこともきちんと考えられる。愛する主人に罪を着せるような家は、今後のためにもないほうがいい。この家のせいで戦争が起きれば、優しい主人は心を痛めるだろう。また幸せを失うようなこともあるかもしれない。そんなことはあってはならなかった。
「これを預けられる人間に心当たりがある。いけ好かない男だが、あいつならどう使えばいいかも理解するだろう」
「あぁん、待ってくださいアレイズ様ぁ! あたくしも行きますわ!」
選んだものの運搬を配下に任せ、賊の屋敷を後にしたアレイズは、目当ての男を探すべく王宮に向かった。王宮で働いていると言っていたので、行けば多分見つかるだろう。
その男の名はジェダ。おこがましくも、アレイズの最愛の主人に懸想するような身の程知らずだ。しかし彼は、アレイズとは違って人間社会における明確な身分がある。これを利用しない手はない。
幸い、ジェダは道中で見つけることができた。たまに家に来る馬車と同じ紋章をつけたものがあったので、停めさせてみたら案の定ジェダが乗っていたのだ。
「アレイズくんじゃないか。こんなところにいたんだね。そっちの美人さんは初めましてかな? 素敵な子だ」
無駄話に付き合う時間はない。睨みつけると、ジェダは微苦笑を浮かべた。
沈黙するフェイリは、気取った様子で値踏みするようにジェダを見ている。先ほどまでの媚びた態度が嘘のようだ。
あるいはそれが彼女の常の振る舞いで、そうすることで女王と下僕の立場を明確にしているのだろうか。同族のアレイズは例外というわけだ。
時間が惜しいので、ジェダをさっさと保管場所まで案内する。ジェダは素直についてきた。その従順さは褒めてやらなくもない。
ジェダはアレイズとフェイリの奮闘を、大げさなほどに喜んだ。どうやらうまくいきそうだ。
「ここにある他の証拠品はどうしよう……。こんなところにあったら、アンドラ家のものだとは立証できないよな。アンドラ家を堂々と捜索できれば、まだ何か見つけることができると思うけど……」
アレイズとフェイリは顔を見合わせる。持ってきてはいけないものもあったらしい。働きすぎも考えものだ。
「アレイズ様、どうしましょう?」
「いらないものは返しておくか。あの家の庭にでも埋めておこう。わざわざまた部屋に入るのは面倒だからな。こっそり穴を掘っておいて隠せば、もしまた必要になっても掘り出すだけでいいだろう? あの家の庭にあれば、あの家の人間のものだとわかるはずだ」
アレイズは、手駒に命じて運搬を開始させた。ジェダは目を白黒させながら、その様子を眺めている。一仕事の後に見る、恋敵の間抜け面ほど胸のすくものもない。
役立たずのジェダと違って、いかに自分が主人のために働いたか。アレイズは得意になって、手駒の優秀さを存分に見せつけた。彼らを追うのはジェダには難しいだろうから、アレイズ自身があの家に案内してやったのだ。
「す、すごいよアレイズくん! きみは本当にリデルさんのことが好きなんだね! リデルさんはすごいなぁ……! まさかこんなに好かれているだなんて!」
何を当たり前のことを。我が主人────リデル・キーファを愛するというのなら、この程度の甲斐性は当然だ。