表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

秋一月十二日:己の愚かさを知り、王子達は苦悩していた。

*


「何故だ!? 何故、アンドラ嬢は釈放された!?」


 王子ゼルドはこぶしを握り締めて叫んだ。

 彼の怒りの理由は二日前、やっとの思いで捕らえた毒婦マリエッテが釈放されたからだ。


 何故、こんな結果になってしまったのか……そのわけはきちんと自覚していた。自分達の策は届かなかったのだ。あの、国家転覆を企てる悪徳の王弟一家に。だが、どうしても納得ができない。


「証拠はすべて揃えた。親アンドラ派がどんな妨害をしようとも、アンドラ嬢の罪は覆らなかったはずだ。それなのに……」

「……僕達より、あの狸一家のほうが上手うわてだったということなのでしょう」


 いつもは鋭い切り口でゼルドを叱咤し支えてくれる文官のジェダも、今日ばかりは憔悴しきった様子だった。

 それはそうだろう。自分のせいで、片思いの令嬢が投獄されてしまったのだ。気に病むなとはとても言えない。

 それは誰もが理解しているらしく、ゼルド以外も薄っぺらい慰めの言葉をかけられなかった。騎士カーデンも重く口を閉ざしている。婚約者シリカも沈んだ面持ちでゼルドを見ていた。


「まさかリデルさんが自首するなんて……」


 ジェダは苦々しく呟く。そう、リデル・キーファだ。マリエッテ・アンドラの無実を証明する生贄は、ゼルド達の埒外から現れた。


 マリエッテがやったことは、すべてリデルの仕業に置き換えられていた。

 彼女がマリエッテに罪を着せるためにでっちあげた偽の証拠、それらを掴まされた間抜けこそがゼルド達だ。そんなわけがないというのに。きっとアンドラ家が裏で手を回したに決まっている。


 調査にかかわった者の中にはもっと経験を積んでいて、王家への忠誠心も篤い捜査官も多い。彼らは身分が低く、矢面に立たせるべきではないとゼルドが判断したためアンドラ家から責任を追及されていないが、無能の烙印を押されて悔しさを呑んだことには変わりはなかった。

 王子が直々に編成した調査隊、その全員を騙し通せるほどよくできた捏造の証拠品を貧しい男爵家の娘が単独で用意できるなら、もはや手放しで褒め称えたいものだ。


 ゼルドの婚約者、シリカは三か月ほど前からずっと何者かに嫌がらせを受けていた。

 シリカを守るべくゼルドは目を光らせ、ジェダやカーデンをはじめとする信頼できる側近達に犯人の特定を急がせていたが、匿名の悪意は巧妙にシリカの元へ届いていた。


 それでも同盟のため、シリカはずっと耐えてきた。きっと彼女も覚悟のうえだったのだろう。

 両国の和平は、どちらの国の首脳陣にとっても長年の悲願だ。だが、戦争による熱狂を望む者がいることはゼルド達も理解している。もしもここで同盟にひびが入るようなことがあれば、再び戦争が起きてしまうかもしれない。それは絶対に避けなければならなかった。


 しかし嫌がらせがついに殺人未遂にまで発展した時、もはや事態は内々で片付けられる範囲を超えた。

 王家はこれを好戦派からの挑発とみなし、その筆頭であるアンドラ家の責任を追及しようとした。


 それなのに、まったく無関係だったはずの男爵家から真犯人を名乗る少女が登場した。それがキーファ家の養女、リデル・キーファだ。

 少女に事情聴取しようにも、ゼルド達は「思想が凝り固まっているから公正な判断ができない」というふざけた理由で質疑応答を受け付けてもらえない。上げられる供述の報告は、ゼルド達の知りたいこと─何故自白したのか、本当に自白は自分の意思なのか─からずれたものばかりだった。


 ゼルド達からすれば、リデルの扱いに困っているというのが本音だ。王家派の威信にかけて、投獄したとはいえ丁重に扱っているが、いつか彼女を冤罪で裁かなければならなくなるかもしれない。

 親アンドラ派からは、あの極悪人に人権的配慮など不要なのだから裁判もなしに処刑しろなどという過激な陳情も届いている。それこそ一蹴すべき暴言だ。

 しかしゼルド達の立場は弱まっていて、宮廷の空気も悪くなる一方だった。無駄に声の大きい親アンドラ派のたわごとが実現してしまう前に、良識ある他の貴族を味方につけて納得させられるだけの何かを見つけなければ。


 リデルはゼルドの妃の座を狙っていたと言っているが、そのような行動に出られた覚えはまったくない。

 ジェダがリデルに好意を寄せていたし、リデル自身が可憐さと物珍しさゆえに社交界でも注目を集めていたため、彼女の存在を認識してはいたが、それだけだ。何かの行事で挨拶をしたことがあるかな、と思うぐらいで、明確にかかわりを持った覚えはなかった。

 それだけの関係性なのに、シリカを排せば自身こそ妃になれると暴走するとは考えづらい。少なくとも伝え聞くリデルの評判では、そこまで理解できない思考回路をしているとは思えなかった。


 だが、ゼルドのその主張は論拠に乏しい主観的な意見だと切り捨てられた。親アンドラ派筆頭、王弟アンドラ公爵の発言力の強さがつくづく憎らしい。信奉者が多いためこれまで不可触としてきた火薬庫が、ついに爆発しようとしているのだ。

 即位してからこれまで外政一辺倒だった父王は、貴族達の裏切りをさぞ苦々しく思っていることだろう。父王のおかげで諸国との関係は安定したが、このままでは内乱が起きかねない。

 もし父王がもう少し内政に興味を持っていれば、親アンドラ派を抑え込めたかもしれないが、今さら言っても仕方ないことだ。親アンドラ派の主張が開戦と侵略である以上、どう丸め込んでもいずれは爆発しただろう。


 今やアンドラ家は勢いを増し、逆に王家の無様を嗤っている。アンドラ公爵からの要求で、非公式の謝罪の場などという屈辱的な会談までもが急きょねじ込まれる羽目になった。

 その場を借りて、マリエッテに頭を下げるか。あるいはなおもアンドラ家を追及するか。その選択が、国の未来を大きく分けることになる。


 果たしてどちらを選ぶべきか。身の振り方を決めるために与えられた時間はあまりにも短い。それこそがアンドラ公爵の狙いなのだろうが。


 娘のためにも誤解・・を解くのは早いほうがいいと、有無を言わせず会談の場を設けさせたアンドラ公爵の中では、答えは決まっているに違いない。だが、父王も母妃も悩んでいた。ゼルドも選択に迷っていた。

 これ以上アンドラ家の横暴を許せば、もはや王家は貴族達の傀儡となる。隣国への釈明も行わなければならない。シリカがかの国の不満を抑えてくれているとはいえ、それもいつまでもつことやら。


 王家に連なる血筋のアンドラ家が、隣国の王女に無礼を働いた。その事実は、それだけで王家にとっては十分な汚点となる。アンドラ家のたくらみを暴ききれなかった以上、深追いするのは危険だ。

 一方で、外交上の理由とはまったく無縁の動機で、下級貴族の娘が勝手に動いた……そのほうが、国家間の今後の付き合いを考えればいくらかましと言えた。


 だが、ゼルドはその安易な解決策に乗りたくない。見え透いた尻尾切りに甘んじたくないのだ。

 隣国と心から友好的な関係を築くため、それを阻害しかねないこの国の膿を出し切ろうとアンドラ家の弾劾を決めたのに。リデル・キーファに罰を与えたところで、何も変わらないではないか。


 正義を謳おうと、未熟な理想では何も変えられないのか。王子の執務室は、若者達の失意と諦念であふれていた。


「やはり、事を荒立てるべきではなかったのです。わたくしは死なずに済んだのですから、あの場でマリエッテ様を追及するべきではありませんでした」


 手で顔を覆い、シリカはさめざめと泣いた。己の青さと愚かさが招いた失態を突きつけられたゼルドは、悔しくて悔しくて仕方がなかった。


「だが! 貴方が無事だったというのは結果論だろう!? 未遂とはいえ暗殺を目論んだ者を見逃せば、奴らはさらに増長する! 貴方の身に何かあれば、私は……!」


 ゼルドは最後まで言うことができなかった。そんなことを言う権利はないと思ったからだ。

 いつだって貴族達に翻弄され、シリカを危険にさらしていた。いくら政敵とはいえ、自国貴族の派閥ひとつも抑えこめない。今回の一件で、それが決定的に露呈した。さぞ幻滅されたことだろう。


「……許してくれとは言わない。貴方を悪意から守れたことなど、ただの一度もなかったのだから。私達の婚約は白紙に戻そう。それで手打ちにしてくれとは言えないが、望むだけの賠償ができるよう尽力する。婚姻以外の方法で両国が手を取り合えるよう、別の手段を講じて……なんとか戦争だけは回避せねば」


 せめて血の歴史が繰り返されることのないように。この期に及んで都合のいい理想論に縋る自分を、もう一人の自分が呆れたように見ている。それでもゼルドは、正義を信じていたかった。


「もとより王族とは、敵の多いものです。かつての敵国に嫁ぐことが決まった時点で、わたくしも覚悟はしておりました。……それでもこれまで耐えることができたのは、貴方の妃になりたかったからです。どのような悪意に襲われようと、貴方が隣にいてくれるのなら平気でした」


 シリカは震えながら、涙に潤んだ瞳でゼルドを見つめた。王子ではなく一人の男として、愛する少女の泣き顔を見るのは心が張り裂けそうだった。


「王女としてのわたくしは、両国の平和のためであればどんな結末も受け入れます。ですからこれは王女としてではなく、ただの女としての戯れ言です。……ゼルド、貴方の独りよがりの贖罪で、わたくしから愛する人を奪わないで。わたくしを嫌う者達から徹底的に憎まれることよりも、わたくしが貴方を愛していることを貴方に信じてもらえないことのほうがよほどつらいのです」

「シリカ……。すまない、私がふがいないばかりに……」


 ゼルドはおずおずとシリカを抱きしめた。シリカは拒まず、ゼルドの腕の中で泣き続けた。


 自分にもっと力があれば。愛する少女と引き裂かれることはなく、二つの国を平和に導き、忌々しい政敵を追い落とすことができたのに。どうしてこの世はままならないのだろう。


「貴方にそこまで言わせてしまったのは私の落ち度だ。……これ以上、我が国の恥は晒せない。もう一度証拠を洗い、アンドラ家の欺瞞を暴いてみせる。たとえ親アンドラ派と徹底的に争うことになってでも、貴方と貴方の国からの信用を勝ち取ってみせよう」



 この時、若者達は己の無力さが招いた悲劇に酔うばかりで、アレイズの奮闘など知る由もなかった。


*


 ────もっともアレイズも、高貴な恋人達の行く末どころか国家の未来にすらみじんも興味はない。


 だから、そういうことをアレイズの知らないところで勝手にやっているぶんには一向に構わなかった。


 それでもアレイズは、彼らの苦悩を知ることになった。

 何故ならば、アレイズの命令で王宮に忍び込んだ鼠がこの光景を目撃していて、アレイズに包み隠さず報告したのだから。


(やれやれ。仕事が一つ増えてしまったな)


 どうやら、ただ主人の冤罪を晴らすだけでは足りないようだ。この問題を解決しなければ、本当の意味で主人を助けたとは言えないらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ