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秋一月十三日:誰が何と言おうと、公爵令嬢は無実なのである。

 ────事の起こりは三か月前、王宮で開かれた舞踏会でのことだ。


 名門公爵家の令嬢であり、王子達の従妹でもあるマリエッテは、当然のごとくその場に招待を受けた。見目麗しい第一王子─頭の中身はともかく─と踊ってやるのもやぶさかではないと考え、マリエッテは王宮に参じた。


 その場には、ゼルドの婚約者である隣国の王女シリカも招かれていた。地味で冴えない、国家という後ろ盾さえなければ誰にも見向きもされないような哀れな少女だ。

 シリカはゼルドと仲睦まじげに寄り添って語らい、踊っているようだったが、いかんせん当人の影が薄いあまりに、まるでドレスだけが動いているようで滑稽だった。

 ゼルドもよくあのみすぼらしい女を自慢げに連れ回せるものだ。彼がひとたび声をかければ、令嬢などよりどりみどりだろうに。マリエッテ以外は、だが。


 親友達と彼女のみじめさを嗤っていると、親友の一人がこう呟いた。

 あんな女、王子の婚約者にふさわしくない────選ばれるのは自分やマリエッテであるべきだ、と。


 この国は隣国と、長らくいがみ合っていた。歴史を少し紐解けば、血塗れた記憶が蘇る。

 繰り返される戦の果てに渋々結ばれた和平の証が、ゼルドとシリカの婚礼だ。そんな経緯で結ばれた婚約であるからして、シリカの存在は宮廷では歓迎されていなかった。


 マリエッテとしては、ゼルドのことなど眼中になかった。見目のいい人形を飾れば確かに気分はいいが、それ以前にゼルドとはそりが合わないのだ。

 だが、親友達の言うことも一理ある。至高の宝石姫と名高いマリエッテに比べれば─誰であろうと─劣るとはいえ、親友達の中の誰かのほうがシリカよりよほど王子妃の座にふさわしい。

 そもそも、マリエッテのような大輪の花が社交界に咲き誇っているのに、あの貧相な外国女が未来の王妃として社交界を牽引していけるわけがないのだ。

 それはあまりに酷だろう。彼女の重責を取り除いてやるのも、淑女としてのつとめではないだろうか。


 シリカに身の程を知ってもらい、ゼルドの婚約者の座を辞退させる。それは素晴らしい思いつきだ。

 だってゼルドと結婚して、心が壊れてからでは遅いのだから。

 傷が浅いうちに現実を教えてもらえるのだ、シリカはきっとマリエッテに感謝するだろう。


 善意をひけらかしたいわけではなかったので、マリエッテは匿名の親切な忠告者としてシリカにたびたび諫言を行った。ちょうど舞踏会の日から、シリカはこの国に滞在していたので都合がよかったのだ。


 相手は腐っても他国の王族。こちらの親切心を理解できず、些細なことで激高して、外交を盾にして横暴に振る舞わないとも限らない。

 マリエッテとしてはそれでも構わないのだが、同じ女として醜悪な姿を衆目に晒さないよう、せめてもの情けをかけてあげることにした。よってその忠告は、細心の注意を払って行われた。


 だが、マリエッテの見立て以上にシリカは傲慢だった。

 彼女は度重なる忠告をすべて無視し、図々しくもゼルドの婚約者でい続けたのだ。



「シリカは寛大にも、この件を国家間の問題として取り上げることを是としなかった。……だが、シリカへの狼藉は、私個人への狼藉とみなす。犯人は私の名において厳罰に処すので、そのつもりでいるように」


 ゼルドが発したその言葉は、議会でも宮廷でも取り沙汰された。父を通じてマリエッテの耳にも入った。

 どうやら、何者かがシリカに繰り返し嫌がらせをしているらしい。思った通りの悲劇が起こってしまった。こうならないよう、マリエッテが尽力していたというのに。

 シリカが素直に聞き届けていれば、嫌な思いをせずに済んだのだ。嫌がらせを受けるのは、シリカの自業自得と言えた。


 嫌がらせの犯人について、心当たりは一人だけいた。きっとキーファ男爵家のリデル・キーファだろう。

 リデルは最近社交界で注目を集める少女だ。だが、何かとても人には言えないような手段で成り上がっているに違いない。

 噂によれば彼女は卑しい娼婦の子で、母親亡き後キーファ家に引き取られたという。そんないかがわしい出自の人間が、まっとうであるはずがないのだ。


 あの悪女に目をつけられて手遅れにならないうちに、身を引いたほうがいい。マリエッテはシリカに対して諫言を続けた。思い通りにならずに逆上したリデルが何をしでかすかわからないのだから、と。


 そしてある日、マリエッテは気づいた。もしかしたらシリカは、生来の愚鈍さゆえに聡明なマリエッテと意思の疎通ができていないのではないか、と。


 それならばシリカにも伝わるよう、より鋭く明確に警告を送るべきだ────いずれ恐ろしいことが彼女の身に降りかかるかもしれないと理解してもらうには、いくら慈愛に満ちたマリエッテといえど心を鬼にするほかない。


 忠告を始めて早三か月。事件は王妃主催の、月初恒例の園遊会で起こった。


「お、落ち着いてくださいませ! ゼルド、わたくしは大丈夫ですから!」

「いいやシリカ、あれを見過ごすことはできない! 誰か、あの毒婦を捕らえろ!」


 美しい顔を怒りに歪めて現れたのは、シリカを連れて庭園を散策していたはずのゼルドだった。二人についていた護衛が手にしているのは治癒の精霊石だろうか。


 一体何かしら、騒がしいこと。あのように無様な姿を晒せるなんて。そう親友達と囁いていたのもつかの間、マリエッテは無礼な騎士カーデンに取り押さえられた。


「よくもぬけぬけと王宮に参じることができたな。君のその高慢さの代償は、必ず支払ってもらう」

「何をおっしゃっているのでしょうか、殿下。殿下こそ、騎士の風上にも置けぬこの痴れ者をけしかけて、淑女に無体を働いた罪、どう償っていただきますの?」


 この理不尽な仕打ちにも、気高いマリエッテは毅然と応じた。

 しかし卑劣なゼルドはそれに答えず、マリエッテはそのまま連行されてしまった。


 マリエッテは形だけの取り調べを受け、屋敷へと帰された。事実上の軟禁だが、これも形だけのものだ。社交に出る必要がないので、己と向き合いながら読書や刺繍に取り組むいい機会だと、悠々と過ごした。


 ゼルドは自身の腹心であるジェダとともに、マリエッテがシリカをいじめてあまつさえ暗殺しようとしたという証拠を集めていた。そして彼らはそれをもとに、マリエッテの罪を糾弾した。


 むろん、事実無根も甚だしい言いがかりだ。いじめなんてしていないし、今日だって殺すつもりなどなかったのに。

 だからシリカの暗殺未遂というのは、マリエッテがやってあげた訓練とはまた別で起きてしまったことに違いない。

 巡り合わせが悪かった。まさか訓練の日に、本物が出るだなんて。もっと早くやってあげておくべきだった。そうであれば、自分がこうも疑われることはなかったのに。


 どうせシリカは、のうのうと護衛を盾にして怪我一つ負っていない。日程が重なってしまって不利益を被ったのはマリエッテだけだ。


 もしマリエッテの忠告をいじめと呼ぶのであれば、シリカの被害者意識も見上げたものだと言わざるを得ない。

 それほど甘ったれた女に、一国の王妃が務まるわけがなかった。やはりマリエッテの判断は正しかったのだ。


 マリエッテに罪を被せて断罪し、ひいてはアンドラ家から力を奪おうというゼルドの腹黒い策謀を、マリエッテはすぐに見抜いた。


 マリエッテの父であるアンドラ公爵はかつて、第二王子という身分ながらもそのあまりの優秀さゆえに兄王子を押しのけての立太子を熱望されていた。

 兄王子の即位と共に臣籍に下って公爵位を賜ってからもその声は根強く、貴族の中には現王ではなくアンドラ公爵を支持する者も多い。ゼルドからすれば、まだ子供の弟よりも叔父こそが強力な政敵であり、何としても排除したいと思っていることだろう。


 だが、しょせんは無能の浅知恵だ。

 用意周到に証拠を集めて根回しをし、マリエッテを貶めようとしたところで、マリエッテの優位は変わらない。

 何故マリエッテが平然と王宮に出入りできるか、そして己の正当性を主張するべく使った女がどこの誰なのかを、ゼルドはもっとよく考えるべきだったのだ。


 元敵国からやってきた未来の妃は、この国の貴族には歓迎されていない。特に親アンドラ派の貴族は全員マリエッテの味方だ。

 彼らは無気力で平凡な現王や、外国女に迎合することを選んだゼルドなどではなく、圧倒的なカリスマを誇るアンドラ公爵にこそ国の頂に立ってほしいと思っている。そんな彼らに囲まれて、シリカが幸福になれる未来があるわけがない。素直にマリエッテの忠告を聞き届けなかったことを、彼女はいずれ必ず後悔するだろう。


 隣国と結んだうわべだけの和平が崩れれば、その時こそ親アンドラ派の夜明けだ。血の歴史を忘れて隣国の蛮族と手を取った腰抜けの王とその子供達はたちまち玉座を追われ、父が王位につくに違いない。


 マリエッテは自分の家で、のんびりと待っているだけでよかった。どうせゼルドの薄汚い目論見は失敗するのだから。


 思った通り、親アンドラ派に守られたマリエッテにゼルドの弾劾が届くことはなかった。

 馬鹿な王子だ。己の力量を過信して、結局自滅に向かっていくなんて。


 事実であれ虚構であれ、シリカがこの国の人間に害されたことを認めるのなら、その犯人を裁かなければ終わらない。隣国の怒りは、同盟の決裂を招くことだろう。


 優しい父公爵は、両国の戦争の引き金としてマリエッテを贄に捧げることを拒んだ。新たな時代の礎となれるのであれば、犠牲になるのもやぶさかではなかったが……父の愛に、思わず目頭が熱くなった。


 しかしマリエッテが濡れ衣を着ないのなら、真犯人を捕まえなければいけない。ここで尽力してくれたのが、マリエッテのよく働く執事だ。

 彼はもともと孤児で、自身を劣悪な環境から救い出したマリエッテを崇拝している。見た目がいいうえに働きぶりも優秀なので、マリエッテも彼のことはとても気に入っていた。出会ったのはマリエッテが十歳の頃のことなので、かれこれ七年は一緒にいるだろう。


 執事はたった一週間で、男爵令嬢リデル・キーファが一連の事件の首謀者であることを突き止めた。


 貴公子達にちやほやされて調子に乗った彼女は、欲をかいて王子妃を夢見たのだ。

 その分不相応な未来図を叶えるのに、シリカが邪魔だったのだろう。しかもリデルはジェダと親しくしていた。きっとあの二人は結託してマリエッテに罪を被せたに違いない。


 執事の告発から数日が経ち、出頭したリデルは涙ながらに自白して、そのまま投獄されたそうだ。動機はマリエッテの予想通りだった。


 こうしてマリエッテの嫌疑は晴れた。監獄に入れられたリデルと入れ替わるように、マリエッテの自宅軟禁は終了した。


 そして今日、速やかに謝罪の場が設けられたが、何の慰めにもならなかった。

 隣国から報復を告げる書簡が届く日が楽しみだ。その時には、ゼルドとジェダとカーデン、そしてシリカとリデルの首が並ぶことになるだろう。彼らは無能な前王朝の象徴で、新王朝の王女たるマリエッテに冤罪を押しつけた者なのだから。


「お嬢様、お目覚めください。お屋敷に到着いたしましたよ」

「わかったわ、アル」


 優しく揺り動かされて目を開ける。執事は熱っぽくマリエッテを見つめてキスをした。従者の域を超えた振る舞いだが、マリエッテは彼にだけその栄誉を許していた。


 執事の手を借りて馬車を降りる。屋敷の庭にでもつどっていたのか、カラスやらなにやらがどこかに向かってばたばたと飛び立っていくのが見えた。


 屋敷のほうが騒がしい。執事も不思議そうに首をかしげた。


 出迎えたメイドが苦笑しながら教えてくれる。「ミーナが屋敷中でいたずらをして、逃げちゃったんです。今はもう帰ってきたんですが」ミーナというのは屋敷で飼っている猫の名前だ。どうやらこの騒がしさは、ミーナの確保と彼女に荒らされたものの片付けのためのものらしい。


「昨日、素敵な雄猫が遊びに来たんですけれど、今日もその子が来たんですよ。それで興奮したのかもしれませんね」


 マリエッテは眉をひそめた。無責任に笑うメイドにも、そんなものを咥えこんできたミーナにもだ。高貴な飼い猫が、どこから来たかも知れないドラ猫とつがって喜ぶ飼い主などいない。

 ミーナは白くつややかな毛並みの、アンドラ家にふさわしい気品のある猫だった。緑がかった美しい青い目が気に入っていたが、そういうことなら仕方ないだろう。


「真っ赤な目が特徴的な、黒くて毛艶のいい子でした。きりっとしていて格好よかったんですよ! でも人懐っこくて。野良猫には見えませんでした」

「そう。その猫達を捕まえたら、毛皮職人に連絡なさいな」

「……え?」

「ミーナの目が失われるのは残念ですが、せめて毛並みは遺さないと」


 マリエッテはメイドにそう命じた。メイドは間抜け面を晒しているが、アンドラ家の使用人ならば一度で聞き取れるだろう。できていないのなら、後でクビにすればいい。


 猫二匹から取れる毛皮はたかが知れている。それでも、何か小物のアクセントぐらいにはなるはずだ。ミーナの毛皮の使い道を考えながら、マリエッテは執事と共に屋敷に入った。


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