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秋一月十三日:無事に釈放された公爵令嬢は、報復の時を待っていた。

* * * * *


 寝台の上で彼女とふたり、寄り添って眠る。それこそアレイズが愛してやまない、至福の時間だ。


「アレイズ」


 名を呼んでくれる、その甘い声音が好きだった。


「大好きよ、わたしのアレイズ」


 撫でるだけでは飽き足らないのか、彼女はアレイズを優しく抱きしめる。アレイズはそれを当然のように受け入れた。


 そんな触れ合いを心から許すのは彼女だけだ。彼女はアレイズの特別なのだから。同様に、彼女がアレイズ以外にそんなことをするのも許していなかった。


「ねえ、アレイズ。わたしがいなくても、生きていける?」


 アレイズは少し黙り込み、彼女と共にいない自分の姿を想像してみた。

 それはひどくみじめで、とてもつまらないように思えた。そんな風に生きていくのは嫌だった。


 馬鹿なことを言って俺を煩わせるな。そう抗議すると、彼女は涙をぬぐって微笑んだ。


「それでも生きていかなきゃだめよ、アレイズ。……どうかあなたは、幸せになってね」


 それが、彼女と交わした最後の会話になった。


 彼女が無実の罪で投獄されたことを知ったのは、それから三日後の朝のことだった。


* * * * *


「おっしゃりたいことはそれだけでしょうか?」


 扇子で口元を覆い隠したマリエッテは大きなため息をつき、侮蔑のにじんだ眼差しを貴公子達に向けた。彼らは何も答えない。

 第一王子ゼルド、その近衛騎士カーデン、そして第一王子付文官ジェダ。彼らこそこの喜劇の役者であり、無謀にもマリエッテを糾弾しようとした愚者だった。


「アンドラ公爵の娘たるこのわたくし、マリエッテ・アンドラに濡れ衣を着せて罪人に仕立て上げたことへの弁明はそれで終わりかと聞いているのですが……お耳まで悪くされましたの?」


 マリエッテは扇子を置き、にっこりと白々しく笑った。そんな彼女を忌々しげに睨みつけるのは、この国の第一王子ゼルドだ。


「アンドラ嬢。いずれ君は、己の振る舞いを悔いることになるだろう」

「まあ。鏡をご所望ですか? 誰か、ここに鏡を! 殿下のご命令です、早くなさい!」


 マリエッテの声に、意地の悪い笑みを浮かべた執事が膝をついて応じる。マリエッテに手鏡を差し出した彼は、アンドラ家の使用人だ。


 異例の若さでその役職を与えられた美青年は、いついかなるときもマリエッテの傍を離れないことから、彼女の愛人ではないかと社交界では囁かれていた。マリエッテはそれを肯定していないが、かといって否定もしていない。


「ありがとう、アル。さあどうぞ、ゼルド殿下。存分にご覧になってくださいまし」


 差し出されたそれを、ゼルドは受け取ろうとしない。マリエッテがそのまま手を離したので、テーブルの上に手鏡が落ちる。割れた破片が飛び散り、マリエッテの白い手に小さな傷を作った。

 執事がすかさずマリエッテの名を呼び、ゼルドをめつける。マリエッテは微笑と共に彼を制したが、ゼルドを見つめる双眸は冷え切っていた。


「あまりわたくしに恥をかかせないでくださいな。御身のためを思って申し上げておりますのよ?」

「……」


 ゼルドは目を閉じて深く息を吸い、吐いた。しかし彼のその行動は、己の感情を満足に制御できない無能の悪あがきとしかマリエッテの目には映らない。


「父にはきちんと報告させていただきますわ。お三方の誠意は、到底わたくしを納得させられるものではなかった、と」


 マリエッテは立ち上がり、美しく一礼する。退室するマリエッテを止める者はいなかった。


 今日の会談は、マリエッテへの謝罪のために開かれたものだった。事件とは直接かかわりのない騎士や文官も、必要最小限とはいえ証人として参加している。

 マリエッテの父が関係各所に圧力をかけたこと、そして王家が内々で問題を処理したがったことで実現した非公式の会談は、時間の無駄だと言わざるを得なかったが。


 加害者たる三人は、頭を下げて許しを請うことすらもしない。それどころか、この期に及んでまだ自分の正当性を主張した。なんて愚かで恥知らずなのだろう。

 結局あの会談は、被害者のマリエッテの心を平然と踏みにじる、彼らの下衆な品性が暴かれただけだった。何のために非公式にしてもらったのか、それすら理解できていないに違いない。


 まったくおつむの弱いことだ。これからの国を担っていくであろう彼らがこのざまとは。

 だが、まだ十代のうちにその愚かさが露呈したのは不幸中の幸いと言えるだろう。今のうちから挿げ替えれば済むのだから。

 それに、馬鹿な兄王子とは違い、幼い第二王子にはアンドラ家の威光を正しく理解できるよう教育する余地がある。弟王子には情けをかけてやってもいいというマリエッテの意見には、父もきっと同意してくれるはずだ。


「時間の無駄でしたわね」


 馬車に乗ったマリエッテは、隣に座った執事にしなだれかかる。当然のことながら、窓は分厚いビロードのカーテンに遮られていた。


「ですが、これで彼らの非はもはや言い逃れできないものになりましたよ。このような怪我まで負わされて……おいたわしい」


 執事はそう言いながら、マリエッテの手にできた小さなみみず腫れを優しく撫でて精霊石を押し当てる。それは治癒の力に特化したものだったので、マリエッテの傷をたちまち癒した。


「あの時アルが助けてくれなかったら、きっともっとひどいことになっていたでしょう。わたくしが釈放されたのは、貴方のおかげです」

「当然のことをしたまでです。お嬢様が虐げられるなど、あってはならないことですから」


 執事の忠誠を心地よく受け取り、マリエッテは目を閉じて彼のぬくもりがもたらす微睡みに身をゆだねた。

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