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ユーサネイジア  作者: Hajime_hanada
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ユーサネイジア

 真っ白な会議室には一つの長机と、そこにいくつかの椅子が並ぶ。年配の男はその一角に腰掛け、もう1人のそれよりは若い男は、自身の入ったドアのそばから動かずに立っていた。分厚い遮光カーテンの隙間から覗く日の光は、2人の男の間の空間を照らす。

 部屋の奥側の壁に据え置かれた40インチの大型液晶テレビが、高速道路で起こった火災を伴う事故の俯瞰映像を映し出している。立ちのぼる黒煙が生き物のようにゆらめく下には、コンテナを積んだトラックが見える。その後ろで乗用車数台が絡む玉突き事故を起こしており、ひしゃげて横倒しになった車体から救急隊員に助け出される人の姿も窺えた。凄惨の一言に尽きる光景にワイプのタレントたちは神妙な面持ちを向け、キャスターは淡々と状況を読み上げる。


『……死者2名、重軽傷者6名を出したこの事故の影響で、翌日未明まで上下線ともに通行止めとなりましたが、翌朝には交通規制は全面解除されたとのことです』


「見せしめ、か」


 年配の男が、若い男───竹町(たけまち)をじろりと睨んで口を開いた。


「あのコンテナには“あれ”を運搬するために、専用の設備が用意されている。それが公開されるように、この件の火消しはわざと行わず報道させた。内部の関係者だけにそれと判るように」


 違うか?と問う目に、竹町は無言を返事とした。男がテレビに目を遣るのに竹町も合わせると、事故現場に居合わせた市民がスマートフォンで撮った映像が映し出されていた。

 一度目を通した内容であっても、念のため必要以外のものが映っていないか、竹町は無意識のうちに探していた。縦長の画面は、ひしゃげて開いたカンノンの中の、焼け焦げた電子機器と火を吹くコードを映し、電子機器のカバーには小さく覗く“ikaluga”の刻印が確認できた。映像はここで終わり、テレビは野球の速報を伝える画面に切り替わった。


「犠牲となった、森崎氏夫婦の最後の抵抗でしょう。現に我々はまた一堂に介して、計画の一部を前倒しすることになった」


 “あれ”───アポステリオルの製造元であるイカルガ重工業の代表と官僚たちの秘密会合は、この件で彼の国との取引に影響を来すことはないという線で話を纏めた。奪取されていた“アポステリオル”を現場で取り返したことがその決定的な理由だったが、その上”市民によって偶然提供された映像“の公開は抑止力にもなるという市ヶ谷の代表からの声が大きかった。計画の根幹に関わる森崎家の人間でさえも、動き出した計画の前に立ち塞がろうとすればこうなるのだということは、関わったメンバーには少なからず伝わった筈だ。

 頭の中にちらりと、森崎の残したひとり娘の顔が浮かんだが、気に留めるまでもないことと追い払った。特殊な生まれだからといって、まだ10歳にもなっていない少女が脅威になるはずはない。その話を持ち出すものも居ないまま、思ったよりあっさりと解散の空気になった会合をいち早く抜けた竹町を、「少し付き合ってくれ」と、わざわざ人のいない会議室に呼び立てたのがこの男だった。


「邪魔は入らない。少しは本音で話してみたらどうだ。……あんたには、近しい人だった筈だよな、森崎さんは」


「面識はほとんどありません。業務に彼女が……森崎葵(もりさきあおい)さんが関わることはありませんでしたから。篤人(あつひと)氏とも、顔を合わせたことは数える程しか」


「本気で言っているのか?」


 竹町を遮り、怒気を滲ませた声が会議室の空気を震わせる。ドアの側に佇ませていた体を男の方に向けた竹町は、長机に置かれていたリモコンを取ってテレビの電源を切った。男へ歩みを寄せた竹町のジャケットの胸元で、斑鳩(いかるが)の漢字ロゴのピンズが陽光を照り返す。

 戦後、日本のあらゆる闇に関わったとされるイカルガ重工業の“若き”フィクサーと、その太いパイプを維持し続けてきた霞ヶ関の重鎮。2人の関係はそれだけで語り尽くせるものではなかった。

 昔から、生の感情でぶつかってくる男だった。官僚向きではないと思っていたが、既存のルールよりも自らの信条に従うところが、豪胆さを産むよい土台になっている。

 森崎葵の父、森崎一郎とも交流があった彼にとって───そして竹町と森崎家の関係を深く知っている彼にとって───今回の件が2人の犠牲と引き換えに決着したことを、他でもない竹町が認めていることが信じがたい事実だった。


竹町崇(たけまちたかし)は、もう少し人の心を覚えていた。いや、人を信じるからこそこの計画が走り出したはずだ。……血濡れた世界を正しい方向に持っていくことが、計画の発端だった。だが今のあんたは、その血生臭さに飲み込まれているように見える。あんたは本当に……」


「私は竹町崇です」


 ここにきて、初めて竹町は男と目を合わせた。歳と共にたるんだ目元だったが、目の奥の光だけは褪せずに、昔と同じ強い圧迫感を放つ。しかし、その奥にある揺らぎ──警戒や恐怖の色を滲ませているのは、竹町にとって初めて見る様子だった。


「この名が背負う宿業を果たすことが、わたしの目的です。それ以外のことを、わたしは、望むべくもなく生まれた。そこに不満はありません」


 ゆっくりと陽が翳っていく会議室に、沈黙が舞い降りた。見つめ返すことしかしない竹町に対して、先に目を逸らして男は立ち上がり、竹町のそばをすり抜けドアに向かった。「それが、今のきみのすべてか」ドアノブを掴み背中越しにそう訊く声は、先程の熱を失い、いっそ冷徹な響さえ感じさせる。


「敢えて言うなら、生まれる前からの」


 それはつまり、これからの人生の全てでもある。そう言外に付け足し、竹町は振り向こうとしたが、踵を向ける前にドアが閉まる音を背中に聞いた。虚しいな、それは。ドアが閉まるまでの刹那、そう呟く男の声は官房長官としてではなく、古くからイカルガと国政の間に立ち続け、その行く末に一縷の希望を見ていた男の、落胆を滲ませた本音に聞こえた。

 身のある話はなかった。そう言わんばかりにレコーダーのデータを消去した竹町は、ドアの向こうの廊下に人の気配がないのを確かめ、頸に装着した小型の骨伝導ヘッドセットに手を当てた。「表につけろ。ラボに戻る」簡潔に用件だけ伝える。隊員に徹底して教育してる通例に竹町も則り、相手の了解の声を聞き通信を切った。



 夕焼けが眩ゆく網膜を刺し、会合の時から外しっぱなしだったサングラスに気づいた。胸ポケットにしまっておいたそれを掛け、迎えの黒いレクサスの後部に乗り込む。


今井憲明(いまいのりあき)の死亡が今確認されたそうです」


 ドアを閉めるや否や報告を上げた運転手───梶玲一(かじれいいち)は、まだあどけなさを残す目でミラー越しに竹町を見た。


「3人目、か。だがこれで当面は、表立った鎮圧オペレーションも必要無くなる」


「しかし彼は、唯一の適合者でした。それを失っては、我々も……」


「息子の今井征(いまいせい)についても、受容体が確認されている。まだ調査が必要だが、彼を保護、援助する方針に変更はない。他の適合者の捜索も続行する」


「は」と短く応じ、ミラーから目を離して車を発進させた梶を見て、竹町も視線を雑務が並ぶタブレットに落とした。今井征について記録されているデータを呼び出した。

 2000年1月出生、現在満5歳。顔写真、身長130cm、B型と、あらゆる身体データが並ぶ隅に“陽性”と表示がなされている。未だ数少ない、計画に必要な素養を持つ者。父親からの血を継ぎ、その代わりとしてこの流血の怨嗟に呑み込まれることがたった今決まった幼い子ども…。

 虚しいな、それは。不意にあの男の声がよぎった。一時的な感傷に浸る趣味はない。そんな時間も。竹町崇として生まれた使命を果たす他に生きる意味はない、だがその言葉が頭によぎるのは何故か。幼い子供がこちらを見ている。まっすぐに、曇りない目の光は子供特有の強さと張りがある。先ほど見たあの男とは違う、淀みなく見開かれ、己を定義するためにあらゆる物を取り込もうとする、貪欲な輝きを宿す瞳だった。


 同じ光を、見た覚えがある。人の叡智が生み出した、地球最悪の厄災が焼き尽くした土地で。

 痩せ細り肋の浮いた子供が、すでに息絶えた母親の腕の中でこちらに手を伸ばす。炎が街を焼いてまる二日、生きていただけでも奇跡というべきその体で、生き抜こうと必死に何かを掴もうとしている。助けようにも、半身を瓦礫に潰された母親の亡骸が、子供の体をしっかりと抱いている。腕の中の小さな命を守るべく、子供を我が身から離すまいとしている。

 生きる意思に満ちた目が、おそらくは今何が起こっているのか思考する力も残らぬその身と共に、こちらを見つめ続けていた。その手に自らの両手を添え、ただ言葉にならない泣き声をあげるしかなかった。目を逸らさず、ただそばにしゃがみ込んでどうすることもできないその身を、互いに暗黒に浸す他に何かできると思えなかった。彼が涙すら流さないのは、体に水分が残っていないからではない、希望を持ったことがないから、絶望的な状況ですら涙を流す事を知らないのだとわかった。

 だからなのだろう、少年が最後に見せた顔は、問いを投げかける表情に見えた。何故あなたは泣いているのかわからないと、そう問われた気がした。子供が持つあたり前の欲、知りたい、そして己を定義したいという当たり前の本能が見せた顔が、あたり前の子供の表情で事切れた彼のことが、今もまだきえることなく……


 雨がガラスに当たる音で、竹町は我に帰った。勢いよく降り始めた夕立が、夕陽を照り返しきらめきながら町中を濡らしていく。

 体内を流れ、脳機能を制御するナノマシンが見せた追憶。体が疲れてくると、たまにああやって飲み込まれる時がある事は、すでにラボへ報告を上げていた。

 今もまだ、あの幼い手の乾いた感触がこびりつくように手にある気がする。そう、あれはこの体が覚えているはずのない、そして今や誰も覚えているはずのない厄災の記憶。だがこの身は実体験として記憶し、いつでも思い出せる。この力の使い道も、私だけは手ずから間違わずに導き出すことができる。あの惨劇を繰り返さぬために、この力を使うことができる。

 例え、どのような犠牲を払うことになれど、あれがもう一度使われることを思えば、数名に人の死では本末転倒になることはない。

 進むほかない。今井征の目を見つめ返し、何度目かわからないその言葉を胸中につぶやいた。いずれ彼に理不尽の順番が回れど、それを憂うのは目的の本質を見失うことと切り捨て、タブレットをスリープした。


「止みそうにありません。傘を出します」


 目的地に近づいたのを、その言葉で梶が知らせる。車は路地に入り、駐車場の決まりの位置で停車した。

 一足飛びに街を夜にした分厚い雲が、世界に蓋をして、雨はその後一晩中、街を濡らし続けていった。

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