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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王討伐を果たした最強ドルイド、転生先の時代に困惑する②

作者: 於保育

前回の続きです。

だいたい十五万文字程度は書き溜められたとは言え、連載となると倍は欲しい。

例によって遂行不足。ステイホームできない貧乏持病持ちにとってコロナ怖い。

何かあったらと思うと未完成でも誰かに読んどいてもらいたい。そんなワガママ。


「ところで、ここでは普段どんなことをしてるの?」


「そうだなあ、俺らみたいなのが自立できるようにって、ここでの仕事を手伝わされたり読み書きを習わされたりしてるよ」


「私はこの教会とは別に、地域の裁縫の仕事を仕立て屋さんからもらってる。他にも、工房とか受け入れてくれそうな場所に行く子もいるわよ」


 どうやら、この教会が地域に根差し活動しているというのは本当だったようだ。生活の基盤があってこそ、勤労や就学への意欲も沸いてくるだろうし、仕事先も教会からの斡旋でカタギのものを紹介してもらえる。


「まあ、半分近く抜けて行っちまったけどな……色々言われるとは言え、普通に食わせて貰えて屋根の下で眠れるんだから、出ていくこともないと思うけど……」


「馴染めない人たちは、ほとんど最初のうちに出ていっちゃったの。引き止めはしたんだけど、向こうにいるほうがマシだって……」


 困惑顔を浮かべながら、二人はそう語る。路上へ戻ることを選択してしまった奴らというのも、単に怠惰だとか、多少不自由でも真っ当に生きるのが嫌な我が儘者、というわけではないのだろう。


 前世で祖国に居た頃から困窮者の支援に携わってきたが、彼らは例え支援を受け入れてくれた者であっても、その心には根深い人間不信がある。


 人と信頼関係を築けた経験もほとんどなく、そのうえで敗者として扱われ蔑まれてきた彼らは、いざ頼れる誰かや何かと出会っても距離感を掴めないことが多い。


 周りから見れば些細なことでも、本人のトラウマには甚大な刺激となってしまい離れて行ったり、かつて自身を搾取した相手と同じように横暴な振る舞いをはじめたり。


 そして、残念ながら少なからぬ数の人間が、そんな染み着いてしまった性向に振り回されるままに人生を送ってしまう。出奔していた際、街で行方を眩ませたり朝から酒を飲んでしまうならまだしも、野営中に脱走し魔物の餌食となってしまった者までいたほどだ。


 別に困窮者に限った話ではないのだが、しかし自身のコントロールが効かない際に自ら行動の結果を受け入れざるを得ないのは、いつだって持たざる者だ。そんな中、トカゲの尻尾切りで責任を逃れる者がのさぼり続けていれば、大多数は次第に活力を失ってしまうだろう。


「雨の日とかは、ときどき何人か泊まりに来るんだけどさ、やっぱりすぐに出て行っちまうよ。残るのもいるけど、居着いてた奴でも一緒に抜けてっちまったり」


「『デカくなって、この糞溜めを牛耳る側に回ってやるんだ』って……それができるなら、あんな思いせずに済んだのにね」


 追い詰められた人々を政治が救わなかった場合、彼らの受け皿となるのは宗教かヤクザだ。そしてだいたいの場合、後者は一握りの勝者を除き酸鼻を極める。


 自身がそこへ落ちぶれるまでは、誰もが成功者の側にいつかは立てるはずだと夢へ狂奔し、そして果たせなかったときにその絶望は相対的な弱者への嗜虐的な暴力に向かってしまう。


「わかった。戻ってきた奴がいたら、なるべくでいいから、よくしてやってくれ」


「ああ、ショーティには命救われてるからな。任せてくれ」


「こっちもこっちで派閥とかできはじめてるけど、なんとかしてみる。今日も来てるのいるし」


「無理のない範囲でいいからな。何かあったら遠慮なく言ってくれ」


 今日の盛大な炊き出しも、単に祭りでという理由のみならず、少しでも支援が必要な人との接点を作ろうという教会側の試みなのだろう。


「それにしても、ショーティって年齢の割にしっかりしてるわよね。前からこんな感じだったの?」


「うーん、多少落ち着いたところはあったけど……」


「地味だったから、あんまり覚えてないなあ……」


「そ、そうなんですか……」


 う、うーん。記憶が戻ってなかったとは言え、伊達に前世と合わせて三十年ちょっと生きてないからね。無礼な言葉だって、右も左もわからぬ子供の言葉なんだから、多少は大目に見てやるものであるよね。


「ま、まあ、男子三日会わざれば刮目して見よ、と言う言葉もあるじゃないか」


「そ、そうだぞショーティ。お前が一番強いんだから。ほら、あの料理美味そうじゃないか? 取ってきてやるよ」


 本来年下の二人が、気遣わしげに僕のフォローへと周りはじめる。無邪気さと労りに尊厳を破壊されながら、僕は少しの間真っ白になっていた。



「あら、いらしてたのですか」


 デイヴィたちが持ってきてくれた食事で精神の傷をあらかた癒し終えた頃、ベザント司教が自ら僕らの元へ足を運んでくれた。


「すいません。挨拶が送れてしまって」


 そう謝ったのだが、ベザント司教は微笑を讃えながら、僕らに席へ戻るよう促す。


「せっかくの晴れの日です。楽しむことは悪いことではありません」


 この人、こんな顔もするんだな……初めて会ったときを思えば、中身が別人なのではと、つい失礼な発想が浮かんでくる。


「ところでショーティさん。お話ししたいことがあるのですが、少々よろしいですか?」


「あ、はい。大丈夫ですよ」


 では、ついてきて下さい。そう言って歩き出したベザント司教の背中を追い、僕は建物の中へと足を運んだ。


 その居住区奥にある、硬く鍵のかけられた裏側に辿り着くと、僕へ向き直ったベザント司教はある光景を見せながら、瞳に困惑を色濃く滲ませた。


「その、ここへ残してくれたこの者たちは大変働き者なのですが……少々数が増え過ぎなように思いませんか?」


 そこには大きさおよそ人間の踝程度の、手足が生えたキノコがびっしりと整列していた。あのあと様子見に訪れた際、人が入れないところに残っているフォレストキャットが狩ったネズミの血肉や、奴らの糞、食べ残しなどを片付けるため呼び寄せたマイコニドたちだ。


「ああ、なんか放っておくと勝手に増えるものなんですよ。問題ありません」


 もっとも、ここまで数が増えるほど放置したのも初めてなのだけど。こいつらも本来は人間の子供程度の大きさはあるのだが、やはりフォレストキャットよろしくミニマムなサイズで現れたので、今回の仕事を言い渡したのだ。


 もっとも、仮に小さかろうがマイコニドは見るからに異形なので、人目を避けこっそり働くようにと固く言い聞かせていた。院長の反応を見るに、無事言いつけを守ってくれたのだろう。


「今では見慣れましたが……もし事前に知らされることなくこの者たちの姿を目にしていたなら、私の心臓は止まっていたことかも知れません」


「あ、あはは。ネズミの山のときはすいませんでした……」


 まだ若干、寝に持たれているのかな……もっとも、こいつら程度なら、さほど不気味でもないはずなのだが。


「でもほら、ああして肩凝った風に腕を回したり、ただぼんやり虚空を向いてる奴とか持たれ掛かってるの座ってるのとか、可愛くないですか?」


 実際こいつらの動きには奇妙なコミカルさというか、不思議な愛嬌がある。かつて地元ではマイコニドに扮する着ぐるみが人気を博したことがあったし、旅先で流れる音楽に合わせ踊らせたりすると、そこかしこで笑い声も生まれたものだ。妹のパトリシアも、小さい頃はかなりウケてくれたものだ。


 しかし、堅物のベザント司教には想像の範囲外だったか、彼女が強い異物への恐怖と不快感を感じている様子だったので僕はこの話題を打ち切ることにした。好みは人それぞれなのだから、無理に押しつけても仕方ない。


「とりあえず、大方役目も終わったでしょうから戻すことにしますね。お前ら、戻っていいぞ」


 僕の指示に、各々倒れ込んだり、逆に立ち上がりよっこいせとばかりに伸びをしたり、気さくに手を振るなどしながらマイコニドたちは去って行った。


「ふぅ……ともかく、これで衛生面の不安も解消されました」


 何はともあれ一安心。そんな様子のベザント司教に、思わず苦笑いが漏れてしまう。


「すいません。そこまで苦手とは思わなくて」


「別に、苦手というわけではありません。ただ、私どもは冒険者の方々と違い、魔物に慣れていないのです。先ほどまでいた者たちのことも、例え呪術による命令であろうと、人のやりたがらない仕事を力を合わせ取り組む姿には好感を持っています」


 もちろん、僕もこの人が、異教という理由だけで誰かや何かを毛嫌いするような人間だとは思っていない。


「カルチャーギャップってやつでしょうか。俺も法術による治癒の凄まじさに驚いたことがあります」


 それこそ、前世で共に使命を受けた神官など、どんな状態でも僅かな息さえ残っているのなら、欠損すら元通りに治してしまったものだ。旅の途中から彼女は聖女と呼ばれるようになったが、その呼び名も納得の力量だった。


 素朴な気持ちで呟いた僕の言葉だったのだが、聞き終えたベザント司教は、なぜか疲れた様子で小さく溜め息を吐く。


「あなたのように歯まで短時間で治せてしまうなら、並みの神官とは一線を画した治癒力の持ち主でしょうに……」


「その、自分は単に、適性に恵まれただけなので」


 これは単なる謙遜ではない。新しいこの体はこれまでの栄養状態の悪さから小柄で、修練も最近開始したばかりということもあって未熟ではあるが、ドルイドの呪術を行使するうえでの筋自体は悪くない。


 もしこれが才能に乏しかったなら、他の適性を探る必要に迫られ、時間を大きくロスしていたことだろう。効率という意味で言うなら、やはり前世から慣れ親しんだものが一番だ。


 かつて祖国でドルイドの修行をしていた頃、僕と同じぐらい努力していても伸びない者はいたし、逆にこいつが真剣になったら僕など遥かに凌ぐだろうにという者の姿もあった。


 努力は間違いなく尊い。しかし、誰もが過不足を努力で埋めきれるわけでもない。例えそこにどれだけの苦労があろうと、磨き上げられる物を持ち、それを形になるまで鍛練することができた時点で、その者も恵まれた側の一員なのだ。


 アンジェリンはよく『神から人々の為に使うようにと力を与えられた』という言い方をしていた。信仰の違いや有無はさておき、彼女の態度は溢れんばかりの資質を持つ者として正しいものだったと今でも思っている。


「ありがとう。私のもっとも尊敬するお方も、かつてそれに近いことを(おっしゃ)っていました」


「もっとも尊敬するお方、ですか……?」


 訊ねる僕へ、ベザント司教は懐かしむよう目を細め、信じられない言葉を口にした。


「はい。今は聖都におられる聖女様、アンジェリン様です」


「あ、アンジェリンって……まだ生きてるんですか!?」


「もちろんです。近年体調を崩されたと耳にした際には身の凍る思いをしたものですが、彼女は御伽噺の人物ではないのですよ? 私も若い頃は、本当によくしていただきました」


 よほど狼狽する僕の様子がおかしかったのか、ベザント司教は少し肩を揺らした。かつて共に討伐隊の一員として旅立った際に十五歳だったはずだから、現在既に百歳近いはずだ。


 いやあ驚いた。勇者が死んだと聞いたときに、同じ人間はもう全員死んだだろうと諦めていたものだけれど、あいつまだ生きてたのか。別に会うこともないだろうけど、それでも嬉しいなあ。


「そういえば、使命の旅をともにしながら、残念ながら帰還を果たせなかったゴヴァン・カークランドも、あなたと同じドルイドでしたね。彼の話も、よくお話しして下さったものです」


「あ、アンジェリンから?」


「次からはアンジェリン様と呼ぶように。彼は異教徒の指導者層出身でしたが、人と接する際に分け隔てしない気さくな人柄だったようです。旅の途中でも、機会があればアンジェリン様と共に傷ついた人々を癒していたそうですよ」


 す、凄い持ち上げられてる……っ。治癒魔法や呪術の行使に関しては、法術ほど完全に治せるわけでなくとも、そのぶん応用が効く部分もあるので手分けしながら救援に当たることは度々あったのだ。


「また、エルフやドワーフなど長命な種族を除くと最年長だったこともあり、決断を迫られる場面で一行を大きく助けたとか。命を落としたのも、味方の失策を取り返すため我が身を省みず勇戦した結果なのだそうで、彼を影の立役者と呼ぶ者も少なくありません」


 僕そんな呼ばれ方されてんの!? 正直名前倒れもいいところと言うか、ぶっちゃけた話僕以外みんな十代だったというだけなんだけど。ドワーフやエルフはそれぞれいい奴だったけど、若干空気を読まないところがあったんだよな……。


 でも、影の立役者は間違いなく言い過ぎだろう。僕が死ぬ原因となった者は、一行の中でも成人して少しと年少の者だった。彼が焦りからミスを犯す傾向は以前からあったのに防げなかったのは年長者として情けない限りだし、死ぬなら年上から先にというのは自然の道理だ。


 そして最終決戦に至るまでの間にも、もっと犠牲を減らせたはずだった僕の判断ミスは確かにあった。今だから気づけることだとしても、本来なら生きて家族の元へ帰れたはずの兵達を死なせてしまったのは事実だ。目的こそ達することができたとは言え、これではとても立役者などと呼べたものではない。


「いかがしましたか? 顔色が悪いようですが……」


「えっ、ああいや、大丈夫です。少し疲れが出てしまっただけで」


 まったくあいつら、死人に口なしをいいことに、人のことを随分と英雄のように語ってくれたものだ。勝利など、あの場に居合わせることができなかった者も含め、敵の侵略を前に戦地で、後方で役目を果たした全員の貢献によるものに決まっているだろうに。


「失礼、少し長話に付き合わせ過ぎましたね。でも私、あなたから治療を受けた者たちの話を聞いて、どうしても思い出さざるを得なかったんです。彼の妹であり戦後指導者を務めたパトリシア・カークランドが、アンジェリン様と懇意だったこともあり、私も以前お目にかかったことがあったものですから」


 そうなのか。僕の前世の生前では、面識もなかったはずだが。でも年齢も近かったし、人当たりのよいアンジェリンと一見冷たくも見えるが人情を重んじるパトリシアが仲良くやれたのは自然なことなのだろう。


「ちなみに、そのパトリシアって人は今も生きてるんですか」


「いえ、少し前に亡くなられたはずです。国の復興に大きく貢献した功績を讃え、国葬で送り出されたと聞いています」


 そうか、死んでたか。まあ、さすがにアンジェリンが長生き過ぎるだけで、それが普通だよな。


「非常に知的な方で、あの英雄の妹さんというのも納得の思慮深さでした。きっとご両親の愛情と教育の賜もーー」


 もっと早く記憶が戻っていたら、遠くから一目ぐらい姿を見ることができたのだろうか。もっとも、帰ったところで今の僕はゴヴァン・カークランドではないのだから、パトリシアからしたって困った話だろうが。


 生きて帰る約束も守れなかった馬鹿な兄さんは、とっくに死んでしまっている。生まれ変わり記憶が戻ったときには既に生き別れていたというのが、なんとも僕らしい。最後まで駄目な兄さんか。


「ーー偉大な先人たちの志を、あなたたちのように受け継いでいる若者たちがいる。私どもも、今後はより一層悩める者たちのために力を尽くす所存です」


「……そうですね。次に繋げるために、止まってはいられませんものね」


 僕の言葉に、ベザント司教は満面の笑みでもちろんですと返す。合わせて笑みを作りきれなかった僕は頷き返し、みんなが待っている外へと彼女とともに戻った。



 戻る途中、僕はベザント司教へ、追加の寄付を手渡した。あれからさほど時間も経っていないので、一度目の額よりだいぶ少ない。


 それでも、受け取ったベザント司教は、畏まった様子でそれを大切そうに受け取る。


「また、こんな大金を……ありがたく使わせていただきます」


「と言っても、今の人数の面倒を見続けるとなると全然足りないんじゃないですか? 本当はもっと額を増やしたいぐらいなんですけど」


 この前ギルドで、支部長から報酬の減額を持ち出されたことを思い出す。


『ペースが上がっているのだから、下げても構わないだろう』


 平然とそう語る青白い肌の彼を僕が睨み付け反論するより前に、割って入った副部長の粘り強い説得によって、報酬はどうにか維持されることとなった。


 恐らく本部長は、今多少キンググリズリーが減ったことによって危機感を失い、僕らが街を去っても構わないと思っている。


 いや、下手をすれば危機感どころか、僕らが怒って街を去った場合のことすら考えていないのかも知れない。


 魔物の討伐の滞りに加え、他国の大資本による急かつ行き当たりばったりな伐採や工事などによる地形の変化が原因の、地域一帯で見られる魔力反応の異常。


 それに加え、以前より下がったとは言え未だに低いとは言えない重傷や死亡率を前にしても、目先のコストカットのことしか考えられない器の小ささ。


 自身が街の中でも最も高い壁に囲まれた、屈強な警備兵の守る富裕層の居住エリアに住んでいるからこそ他人事として無策を貫けるのだ。


 小理屈を並べるしか能のない男は、前世でも祖国にいた頃からウンザリするほど見てきたが、ここの本部長もなかなかの酷さだ。大昔に訪れた際には同じ話が通じないでも、もっと気骨のある人が就任していたものだが……。


 冒険者は計画的に金を使えない人間ばかりなのだから、本来なら報酬を元の水準に戻して稼がせたうえでギルド周辺にて使わせ、その金を投資に回し活動の規模を大きくしていくものなのだ。


 低賃金低補償化を推し進め、冒険者たちの足元を見るばかりの天下りにそんなことを期待したところで仕方ないにせよ、支部長としての仕事を果たす気がないなら副部長に代わって貰いたいものである。


「仕事で何があったかは聞きませんが……これだけのまとまった額を寄付していただけるというのは、この教会において相当稀なことなのです。少なくとも、自立できるまでの間は食べさせていけるよう、地域の協力して下さる方々と協力しながら運営していくつもりです」


 それができればよいが……教会は納税を免れるとは言え、金がなければ次第に行き詰まるのは自明の理だ。


 何せ地域の大工に仕事を頼めず、僕ら冒険者を使うことで修理代を浮かせなければならなかったほどの懐事情なのだ。それほどの財政難に喘いでいたのだから、今後も支援が必要なのは間違いないだろう。


「あと、ここで暮らす人間が増えてから何かありませんでしたか」


「なにか、と申されますと……?」


「その、物や金がなくなったりとか……もしあったなら、弁済しますので仰って下さい」


 僕の懸念は、素行や手癖の悪い者たちによる教会での窃盗や、その際に暴力沙汰が起きてしまうことだった。


 ウィルたちを治療した際、帰り道で不穏な様子の数名に尾行されかけたことを僕は忘れていない。


 教会には、突然迫る凶刃に対応できない者たちも大勢いる。ここへフォレストキャットを残したのも、単純にネズミ狩りのためだけでなく、そういった最悪の事態が起きる可能性を減らすためというのが本当の理由だった。


 現に先ほども、みんなから可愛がられるフォレストキャットを忌々しげな目で見る子供の姿もあった。予兆が出ているうちに対処するべきだろう。


「差し出がましいようですが、今渡した金は防犯用の魔道具を揃えるのに使うのがよいかと。つまらない法さえなければ俺が自作したいところなのですが、店に売っているものも機能としては悪いものでもありませんでしたし、万が一を考えてーー」


 皆まで言う前に、ベザント司教の笑い声が僕の言葉を遮った。呆気に取られる僕へ、彼女は目尻を拭いながら謝罪する。


「ああ、申し訳ありません。そこまで考えて下さっているとは思わなかったもので。ですが、ご安心下さい。こちらでも準備はできていますから」


「ですが……」


 なお続けようとする僕を、彼女は安心しなさいとばかりに制した。


「神の教えを説けば人の心が改まる。なんて夢見がちなことは思っていません。もしそうであったなら、今日まで貧困支援を続けることなど到底できなかったでしょう」


「……わかりました。ですが、何かあったらすぐ言ってください」


 ここまで言うからには、何かしらの対策はしているのだろう。それが十分なものかはわからないが……今は任せてみるしかあるまい。この教会とて、伊達に長年民衆に寄り添ってきたわけではないのだろうし。



 教会の庭へ帰れば、そこにはエルシィさんと談笑する、身なりの整った男がいた。


「その節は、済まなかったね……もっとなりふり構わず、私が手を差し伸べていたら」


「いえ、疑惑が○○家にまで及ばなかったこと、父は死の間際でさえも安堵しておりました。そちらも執拗な追及を受けたと窺っておりますが」


「なに、ない腹を探られただけだ。はした金で買収されるような者たちを浮き彫りにすることもできた。○○家の受難に比べれば、なんのこともない」


 様子から察するに、結構近い間柄のようだ。大方、貴族同士の繋がりだろうと思っていると、僕の姿に気づいたエルシィさんから呼び寄せられた。


「戻ってきていたのか。紹介するよ。こちらはガスリー子爵。昔から頭が上がらないほど助けていただいているんだ」


「そちらの少年は?」


「共に冒険者をしている少年で、ショーティ君と言います」


 エルシィさんの言葉を聞いたガスリー子爵は、僕を見ると憐憫たっぷりにこう言った。


「そうか……先ほどの子供たちにも思ったが、こんな小さな子供まで冒険者をしなければならない時代か」


「ガスリー……あの、魔族に包囲された状態で半年間の籠城に耐え抜き、防衛に大きく貢献した?」


「おお、ショーティ君だったかな? 先代の功績を、その年でよく知っているね」


 彼は目を丸くする。当時のガスリー家当主とはエルシィさんの祖父と違い面識もないが、多くの餓死者や時に内通者も出ながらの凄惨な状況をなんとか持ちこたえた様子は、僕でも一度ならず耳にしたことがある。


「非常に博識で、常識外れの才も持っております。本人がその気になれば、私より先に冒険者としての功績を立て新興貴族となるでしょう」


「ハハッ、そうかそうか。ではショーティ君とやら、○○家の血を引く彼女の言うことを他の子達とよく聞きながら、今後もおのが務めに励むように」


「はい。頑張ります」


 まあ、実際何も知らない状態でこんな紹介の仕方をされても、何かの冗談や子供の戯言に付き合っているものとしか思えないだろう。


「しかしエルシィ、君も十分よくやっているじゃないか。冒険者として功績を積み○○家の再興に励みながら不幸な子供たちの面倒を見て、さらには教会を通し貧民の支援までしているのだから。天国の家族も、貴族としての誇りを忘れぬ君を誇っていることだろう」


「いえ……先ほども申し上げたのですが、主導は彼なのです」


「これまた冗談を。君も付き合う人間の階層が広がったことで、茶目っ気というものが出てきたのかな?」


「ガスリー子爵、本当のことなのです」


 僕の頭を撫で終えたガスリー子爵は、その顔にやや困惑の色を滲ませるエルシィさんへ怪訝そうな視線を向けたのち、仕切り直しも兼ね次の話題を振る。


「そういえば、○○君の姿が見えないが元気にしているかな? 彼にも励ましの言葉をかけてあげたいので、近いうちに会いたいのだが」


 エルシィさんの声が強張ったのは、ごく自然なことであった。


「……その、依頼中魔物に襲われ、死にました」


 一瞬の驚きのあと、ガスリー子爵は心からと言った様子で言葉を紡いだ。


「そうか……まだ若いのに、気の毒だったね。いつかは君のお父さんや先代のようになるものと、期待していたが……埋葬は、どこに?」


「この街の共同墓所です。もっとも、遺体はなく名前が刻まれているだけですけれど」


 うんうんと、目を閉じ二度頷いた彼は、エルシィさんの肩へ手を置くと情感たっぷりにこう言った。


「よく話してくれたね。墓は私がきちんとしたものを用意しよう。あまり立派なものにはならないかも知れないが」


「いえ、別に私は……」


 最後まで聞くことなく、ガスリー子爵はエルシィ、よく聞きなさいと窘めはじめる。


「○○家の人間が、よりにもよって共同墓所などに葬られているなどということにもなれば、あの世で君のお父さんに私が笑われてしまうからね。これはガスリー家当初としての名誉にも関わることだ」


 一瞬、エルシィさんの申し訳なさそうな視線が、僕のほうへと走る。いたたまれない気持ちで、気にしないでと視線を返す中、ガスリー子爵はさらに話を飛躍的に進めはじめた。


「しかし、嫡男が失われてしまったとなると……エルシィ、君、結婚をしてはどうだい?」


「え、結婚ですか?」


 目を丸くする彼女へ、中年の紳士はしみじみと語り出す。


「ここだけの話だが、正直私は貴族の時代が徐々に終わりを告げつつあるように感じる。我がガスリー家も未だに子爵の地位を拝してはいるが、実情は没落の一途だ。この教会の志ある活動への支援も、悔しいことに年々額や規模を減らさざるを得なくなっている」


 見るものに親しみやすい印象を残す笑みは徐々に消え、次第にそこには年相応の隠せぬ疲労と焦燥が見え隠れしはじめた。


「かつて国のためにと武勲を上げた家の者の多くが力を削がれ続け、残っているのは建前としての義務すら果たすこともしなくなりつつある主要な貴族に、拝金主義を隠そうともしない強欲な政商、そしてその腰巾着ばかりだ」


「冒険者ギルドの支部長が元財政官吏だと言うのも、関係のあることですか」


 彼は口を挟んだ僕に一瞬苛立ち混じりの視線を向けつつ、子供相手ということもあってかすぐ親しげな表情を作った。


「そうだね。君には少し難しいかも知れないが、昔からの領主と領民という関係は終わりつつあり、今では以前なら違法だった献金を、法を変えさせてまで役人へ送ることのできる政商たちが政治を握っているんだ」


「人事を差配しずらくなっているんですか?」


「ああ、管轄や人事も随分と勝手を変えられてしまい、不甲斐ない限りだよ。本来なら、君たちが冒険者などせずとも、安心して村で畑を耕していられる時代を残さねばならなかったんだが」


 語っているうち止まらなくなったという様子の彼は、一度言葉を溜め息で切ると、再び浮かべた微笑でエルシィさんに向き直る。


「とにかく、今はそういう時代だ。仮に貴族位を取り戻したところで、残念ながら名ばかりに終わる可能性が高いだろう。そんな苦労は割に合わないし、親交の深かった友の子を、私は二人も失いたくはない」


「ですが、話がいささか急と申しますか……」


「心配せずとも、私に任せればいい。親友の娘を悪いようにするはずがないだろう。きちんとよい相手を紹介する。君だって、平民と結婚する気はないはずだ」


 困り果てたと言わんばかりの眉をしたエルシィさんは、一瞬僕に助けを求めかけ、しかしすぐに正面の相手へ胃でも痛めそうな顔を向ける。僕の姿がかつてのものであったなら、頼ってくれたのかも知れない。不甲斐ない。


 それにしてもこのガスリー子爵、決して悪い人物ではなさそうなのが厄介なところだ。時代が変わったということを差し引いても、貴族としては随分距離の近い人物と言える。


 彼の中には貴族とその他の身分という、明確な線引きがあるのだろう。ナチュラルな蔑視があからさまに繰り返されているのはどうかと思うが、その精神自体も貴族にはよくあるものだ。


 ノブリスオブリージュ。聞こえよくそれを語りはしても、実際には内実が伴っていない者は前世でも多かった。しかし彼は、少なくとも彼は直面している現実を憂慮することはできている。


 彼の貴族としての実態を知らないので今見た姿から語るしかないが、困難を前に自己正当化を繰り返し尻尾切りと目先の先送りの方法しか考えていない者たちを思えば、誇りを胸に務めを果たさなければという彼の姿勢は賞賛されるべきものだろう。


 僕の祖国にいた危機感のないドルイドたちなど、民生を省みるどころか年々余裕のない彼らに倹約の姿勢を強い続け、自分たちの表面的な権威を維持することにばかり気を取られた結果、国家を弱体化させ魔族に侵攻された際に甚大な被害を招いてしまった。


 それに比べれば、長年この教会の活動に理解を示し支援し続け、偏見混じりとは言え平民の安寧を願う姿は貴族の鑑だ。


 しかし、そんな古きよき貴族とでも言うべき姿勢が有り難がられなくなったのも、理解に難しくない。


※挿入する劇のシーン。

「こうして、勇者と仲間たちは悪い魔王をやっつけました。生まれも種族も身分も異なる彼らは、それぞれの国が協力せず争い続けた中で招いてしまった危機を、力を合わせることで乗り越えたのです!」


 目の前で繰り広げられる小芝居も終幕に近づき、語りの人間が情感たっぷりに見物人たちへ語りかける。


 役者たちは、あのときのメンバーの特徴をそれぞれ誇張した姿で、どこか気取った演技を披露していた。


「僕らが使命を果たせたのは、姿の違いや立場の垣根を超え、心を一つにして試練に立ち向かったからだ!」


 あいつには当然劣るとは言え、それでも十分ハンサムな役者が演じる勇者が盛大に主張しはじめる。


 他のメンバーもそれぞれ似たような、ナレーションや勇者の発言を補強したり賑やかすような言葉を繋げ、そして再度順番の回ってきた勇者役が締めの言葉を飾った。


「どうかみんな、生まれや国なんてものに惑わされることなく、手を取り合って争いをやめていこう。権力の横暴を許さず、弱者を差別する暴力的で劣った考えや心の弱さを殲撃しよう。大丈夫。いつの日か必ずやれる。なぜなら君たち一人一人が、世の中を正しい方向へ導く勇者なのだから」


 拍手のあと、一向に容赦なく舞台から殲滅させられた魔族や、それぞれ事情もあって彼らの側についた者たちが現れ、僕らに一礼する。


 次いで名も無きやられ役の兵士や、痛ましさを強調するための女子供などが続き、次第に名有りの登場人物らが手を振って登場。見物人たちの反応も大きくなりはじめる。


 こういう呑気なお話を白昼堂々演じてもいい世の中は、決して悪いものでもないのだろう。そう思いつつ、役者たちへ手を振る観客たちが、軒並み身なりの整った者たちばかりなことを少し気にしてしまう。


 そうしているうち、勇者に斬り殺された魔王役が笑顔で一礼ののち舞台を降り、ついに物語の主要人物たちが観客へ別れを交わし出す。


 神官、盗賊、賢者、重戦士、射手。みんなそれぞれステレオタイプに強調されていた中、僕を演じていたのは、爆発に巻き込まれたかのような白い縮れ毛頭をした、偏屈そうな老人であった。


 たしかに死んだのは二十半ばと人間側では最年長だったけれど、あそこまで珍妙なルックスではなかったと思うが……自分の顔が好きだったわけではないけれど、両親二人がそれぞれ美形だったこともあり、少なくとも十人並みではあったのである。


 離れたところにある舞台脇から、複雑な気持ちで眺めていると、タダ見をしている僕にドルイド役の男性が気づいたようだ。


 彼は僕の身なりや装備を見て何となく察したのか、とくに嫌な顔もせず、それどころかこちらへウインクをしてくる。僕の地元に多い、透き通るような青い目は芝居の最中と違い非常にチャーミングなものだった。


 こちらも観る側の礼儀として、彼の茶目っ気あるサービス精神に子供らしい笑みを作って手を振り応える。それを見た僕役の男は満足げに小さく手を振り返し、奥の方へと姿を消した。


「こんなところにいたのか」


 背中から聞き慣れた声が届いた。単なる偶然というだけでなく、キリのよいところまで待ってくれたのだろう。


「ごめん、探した?」


「いや、俺らも今来たとこ」


 振り返れば、そこにはいつもの三人の姿が。それにしても、どこか微笑ましそうな目で僕を見ているのはどうしてだろう?


「ふふっ、ショーティったら普段は年齢以上にしっかりしてるのに、子供らしいところもあるのね」


「さっきの役者さん、ショーティさんに手を振ってくれていましたね。よかったですねっ」


 ああ、あのタイミングで見られてしまったのか。これは何ともバツが悪い。


「金はあるんだから、正面から見てたらよかったんじゃねぇの? それで経済が回るんだろ?」


「年頃なんだから、色々あるのよ。自分だってショーティぐらいの頃、棒切れを振り回して勇者様ごっこしてたじゃない」


「む、昔のことはいいだろ。あの頃はその、若かったんだよ……」


 普通の人間というのは、こんなふうに育つものなのか。じゃれ合う三人の姿を見ながら、妙に感慨深い気持ちになる。


 地元での子供時代は修行ばかりだったし、棄民された民と各地を巡った際も、僕が指導者層であるドルイドということもあってか、打ち解けてからも互いに越えられない一線のようなものがあった。


 今組んでいる三人から見れば、僕は多少風変わりな年下の子供でしかない。そう思うと、今胸にある照れ臭さも決して悪いものではなかった。


「そろそろ行こうか。今日もいつも通り○○(魔物の名前。低レベルの)、それがなかったら、条件を照らし合わせながら○○で」


 返事をしてくれた三人とともに、ギルドの扉へと向かう。さて、今日も仕事に勤しむとしよう。



あの劇中の価値観が、大なり小なり世の中に広まっているのだとしたら、ガスリー子爵のような存在は時代遅れの象徴として扱われているはずだ。


 また、少なくとも戦火からは長く遠ざる中では、主要な貴族以外に力を持たせる必要性も薄れる。その中で上手く立ち回った家以外は、社会への影響力を失っていったのだろう。


 態度に出すほど幼稚でなくとも、仲間たちが離れた場所にいるのは、彼の言葉に含まれるニュアンスを嫌ったからに違いない。デイヴィまで距離を取っているあたり、理由がエルシィさんではなくガスリー子爵にあることの証拠だ。


 エルシィさんは本人の人柄も大きかろうが、若いぶん経験不足であると同時に、平民への偏見も薄い。逆に三人の若さは、貴族だからと無条件に敬うより、尊大さへの嫌悪感に繋がってしまった。


 なんだか、ジェネーレションギャップを感じてしまうなあ。これでは祖国のドルイドの扱いだって、良くも悪くも変わってしまっていることだろう。


 そんな思いを巡らせているうち、エルシィさんは忍びなさを滲ませながらも意思を固め、ガスリー子爵へ切り出した。


「ガスリーおじさん、私が小さな頃から、家が取り潰しになった今まで変わることなく気にかけて下さること、心から感謝申し上げます」


「気にすることはない。これも亡き友への罪滅ぼしだ。相手が決まるまでの間、まずはうちに泊まってーー」


「いえ、私は当分、彼らと行動をともにするつもりです」


 言葉を遮っての返答に、ガスリー子爵は無言で目を瞬かせる。


「しかし、女性の君では再興は困難を極めるぞ。世の中では女性の社会進出や地位向上が進んでいると盛んに唄われてはいるが、実情は単にそれだけ暮らし向きが悪くなっているというだけだ。立身出世を為したと喧伝されている者も、大半が血縁の者や有力者の支援ありきで、先の魔王を討ち果たした英雄のような例外を除けば、十中八九は人事の公明正大さをアピールするためのものでしかない。仮に首尾よく貴族位を得たとしても、名ばかりで領地も与えられず終わる者ばかり。時代は変わってしまい、もう戻らないのだ」


「それは承知しています。そのうえで、私は冒険者を続けたいのです」


「いったいなぜ? どうせ独力では返り咲くことが困難なら、なおさら結婚するべきだと思うが。それともまさか、君は貴族に返り咲くことを諦めてしまったのかい? 一生平民に落ちぶれたまま、かつての誇りを泥で汚して冒険者を続けるとでも?」


 やや気色ばんだガスリー子爵へ、エルシィさんは静かに、しかし聞いた者を気圧させる何かを感じさせる調子で言葉を返す。


「『至誠から逸れることなく、常にその身で規範を示せ』そんな○○家の誇りは、今でも確かにこの胸に刻まれています。例え爵位を失おうと、その程度で霧散してしまう程度の柔なものではありません」


「……私の言い方が悪かった。それは謝る。しかしエルシィ、それではいったい、どんな手段で貴族へ戻ろうと言うのだね」


「今は具体的には何とも……しかし、仮に貴族へ戻れず家の再興も失敗に終わろうと、彼らと日々を送ることで人々の安寧に貢献できると私は確信しています。今はそれに注力したいのです」


 あっさりと無計画であることを語るエルシィさんの表情は、なぜか晴れ晴れとしたものであった。澄んだ目で無私を体現する彼女に、ガスリー子爵は呆気にとられた口を閉じ、難しそうな顔で溜め息を吐く。


「……君のお父さんも、似たようなことを言いながら突っ走って、私の手の届かないところへ行ってしまった。エルシィ、君だけはそうはならないでくれ。それと君、他の子供たちと彼女の言うことをよく聞くように。いいね?」


 そう僕らへ念押しすると、彼は再度吐きかけた溜め息を飲み込み去っていく。


 遠ざかっていく寂しそうな背中からは等身大の哀愁が感じられたが、しかし他の男性に話しかけられると、すぐさま他人に不安を感じさせない笑みで応対をはじめた。


 年配のその人は、商売か家族のことかでガスリー子爵の世話になっているのだろう。ひたすら頭を下げ、敬うよう感謝を伝える彼に対し、ガスリー子爵も鷹揚な態度を示し労いの言葉をかける。


 前世でよく見た、一般的な貴族と平民のやり取り。彼もまた、エルシィさんと違った方向で、根っから貴族としての振る舞いが染み着いているのだろう。


「その、済まなかったね。面倒見のいい、あたたかな人柄の持ち主なのだが」


「いえ、お気になさらず。悪い人でないことはわかりますので」


 少なくとも、彼は僕が祖国にいた頃のドルイドたちと違い、平気で棄民政策を実行したり、冬の餓死者の数に無頓着な為政者ではないのだろう。


「正直、自分の行く末も薄々理解はしているんだ。それでも構わない。父祖に恥じることなく命を使いたい」


 やや瞳の陰った彼女へ、僕はなるべく率直に答えた。


「使えますよ。でもそれは、今よりずっと先のことにしましょう」


「そうだね。ショーティ君も、あまり生き急ぎ過ぎないように。いいね?」


 はいと返事をすると、控えめながらも温かな微笑を浮かべたエルシィさんに頭を撫でられた。



「お、やってるやってる。今年はなんだか人が多いなあ」


 周囲を見渡しながら姿を現したのは、パンを土産に引っ提げたおじさんであった。


「よお、ショーティ。パン要るか?」


 言外に『上手くいったみたいだな』と笑うおじさんの周りへ、何人かの子供たちが集まりはじめた。


「なにしに来たの? 今日はお祝いなんだけど」


「知ってるよ。だから美味いモン持ってきてやったんじゃねぇか」


「美味しくないじゃんそれ。食べるものがなかったから貰ってやってただけだよ。もう要らない」


「お、お前ら……今日は売れ残りと違って、焼きたてが冷めないうちに持ってきてやったって言うのに……」


 遠慮のなさは距離の近さの証拠とは言え、それでも子供たちのあんまりな物言いに、おじさんのみならず僕まで閉口してしまった。


「焼きたて食べたことなかったから、一個ちょうだい」


 周囲から、えぇ……という声がいくつか聞こえる中、おじさんは気を取り直したように包みを僕へ差し出す。


「お、おう。お前普段から在庫処理のために、時間が経ったのしか買っていかないもんな。ほら、いい匂いがするだろ」


 渡されたそれは、たしかに普段食べるものより美味しい。まだ温かいので噛み千切るようにせずともよいし、冷えて固まった脂の嫌な臭いもしない。


「どうだ、美味いかっ!」


「うん。美味しい」


「そうか美味いか! まあ、もっと感激する姿を思い描いてたんだが……お前らはどうだ!? 育ち盛りだろ!」


 おじさんはデイヴィたちに話を振るが、残念ながら彼らの反応も思わしくはなかった。


「ご、ごめん。もうこっちの料理で結構腹膨れちゃっててさ」


「食べ過ぎると、依頼にも響いちゃうものね。本当は食べたいんだけど……」


「こ、今度またみんなで買いに伺いますよ! いやあ楽しみです!」


「お、おう。それなら、仕方ねぇよな……」


 あからさまな断り文句に、おじさんは再び意気消沈と相成った。これ、そんなに敬遠されるほど不味いだろうか。僕の祖国であれば、ここまでは嫌われないはずだが……。


 そんな言葉は勿論口に出せるわけもなく、いたたまれない気持ちでいる中、僕の食べる様子を興味深そうに窺っていたエルシィさんが口を開いた。


「それ、一つ私も食べてみたいのですが、いただけますか?」


「あ、ああ。是非食ってくれ。見たかクソガキどもっ。このベッピンさんは俺のパンを選んだぞ!」


 非難轟々の子供たちへ吠えるおじさんに、エルシィさんは愛想笑いを返しながら受け取った包みを開く。中身は今僕が食べているものと変わらない、焼きたてのもの。ちなみに、おじさんとは初対面である。


 エルシィさんは貴族の生まれということもあり、元々行儀のよい人だ。今回は街の中かつ大勢の手前ということもあり、指で小さく千切ったものを口元へと運ぶ。


 そして含むと、無言での咀嚼がはじまる。十秒、二十秒、三十秒……彼女の表情を見ていれば、当初の期待感が戸惑いから失望へと変わっていく様子が、端から見ても手に取るように伝わってきた。


 晴れの場だと言うのに、僕らの周りだけ嫌に重苦しい雰囲気の中、微妙に気まずい沈黙が続く。


「それ、美味しくないでしょ?」


 無遠慮な子供の言葉へ、口の中のものを飲み込んだエルシィさんは微笑みとともに返す。


「いや、とても美味しいよ」


「嘘だぁ、どう見ても空元気じゃん」


「そ、そんなことはっ。○○家の名に誓って、私は嘘などーー」


「嘘つき(うーそつき)! 嘘つき(うーそつき!)」


 今度は彼女が囃し立てられる中、僕は肩を落とすおじさんへ、先ほどデイヴィたちにしてもらったときよろしく料理を勧める。


 ちょうどそのとき、(ベザント司教)が僕らの前へ再び姿を見せた。


「おや、貴方も来ていたのですか」

おじさん、挨拶してる。

「ああ、どうも。司教様もお一つどうです」

「いえ、皆さんで召し上がって下さい」

「ですよね……」

「その、せっかくですし一ついただくこととしましょう」

気を使うベザント司教

今日は散々な彼ではあるが、今日を迎えるうえでの立役者が誰かと言われれば、それは間違いなくおじさんだろう。


 彼がいなければこの教会に辿り着けた保障はなく、また僕を含めた子供たちも、単にパンを恵まれるだけでなく声を何度もかけてくれたこの人の存在がなかったなら、もっと捻くれた性格に育っていた者も増えていただろう。


 乞食要員として利用するでもなく、混じりっ気のない人と人との繋がりという形で関心を示せる者は、どこへ行ってもそう多くない。


 もっとも、本人に伝えたところで、露悪的な態度でごまかされてしまうことは目に見えていたので、僕は心の中で感謝を伝えるのだった。



「あの子、なんだろう」


 門の外から、こちらをじっと見ている子供の姿に気づいた僕へ、ウィルがやや忌々しそうに吐き捨てた。


「奴隷の獣人のガキだろ。放っておけよ」


「奴隷って……今は移民と言うんですよ?」


 嗜めるように言うソフィアに対し、ウィルはわかりやすく反発する。


「でも乞食やってた頃の元締めが、奴隷の呼び方を変えただけって言ってたぞ。汚い商人が連れてくるせいで、こっちで仕事してる奴らがクビにされたり待遇悪くされて迷惑してるって」


「それは……」


 ソフィアが口ごもってしまったのは、彼女の出自が開拓村ということもあるのだろう。歴史を振り返っても、戦火が遠ざかれば平穏の中で強欲さを隠さなくなった富裕層の手により、一般の労働者の仕事を短期的には安上がりな奴隷に取って替えてしまう。


 また、その裏には奴隷商やブローカーに、金や地位を保証されながら口減らしを計る獣人側の支配者層の存在も見え隠れする。そういう意味では、彼らもまた被害者だ。


 この時代の為政者が民生の安定を重要視できていたなら、三人は今も農村の一員として、それなりに大変ながらも安寧を感じながら家族と暮らせていただろう。いや、そもそも開拓村の村民などと言うリスキーな立場にすら立たされていなかったのかも知れない。


「それにあいつら、強盗したり暴れたりって悪さするだろ? 連中のガキ共もチーム作って縄張り拡げようとしてるらしいし。本当ろくなことしないよ」


 刃物持って美人局してた子が言っていい言葉とも思えないけど……恐らく、ケツ持ちの違うチンピラ同士、以前小競り合いでもあったのだろう。


 獣人と言っても、全員が労働者側というわけではない。少数とは言え人を使う立場の者もおり、そしてその中には、当然タチの悪い者もいるというだけの話である。


 低賃金を目当てに呼ばれた獣人たちが、真っ当な雇用条件を満たした職場に就ける可能性は限りなく低い。そんな環境での歪みは間違いなく子供たちへと向かい、やがてギャング化した彼らは攻撃性と貪欲さを持って幅を効かせはじめる。


 拡大するばかりで一向に是正されない貧富の差、軋轢から緊張を高める種族の違い、行き詰まった閉塞感により社会の不安定化が進み、やがてふとした瞬間に致命的な局面を迎える。前世でのそれは、僕らが弱体化したタイミングでの魔族の侵攻であった。


 まったく、歴史というのは教科書通り繰り返されるものなのだなあ。一度ならず二度までもとなると、人という種の限界を感じずにはいられない。


 とは言え、別に獣人全員が無法者ということはない。この教会にも居ついている獣人の姿はあるし、冒険者になる前に日雇いで働いていた頃も、当たり前のように獣人たちの姿を目にした。


 彼らは当たり前のように靴を履いたうえで上下に衣服を纏い、多少のルーズさや気分屋な一面こそあるものの、とくに問題なく日々の労務をこなしていた。


 それは少なくとも、僕にとっては驚くべきことであった。何せ前世で培われた獣人たちの主なイメージと言えば、他の部族を従えて大軍を形成し、僕らの国へ猛然と攻め寄せて来る侵略者という印象が大きかったからだ。


 獣人の軍は兵が屈強かつ獰猛で、略奪し村へ火を放つなどの蛮行には随分と手を焼かされた。一時は魔族に侵攻された状況に迫る勢いだったことさえある。


 そんな彼らが普通に同じ街で働き、やれ博打でいくら勝っただの、イカしたブレスレットを買っただのと僕らの暮らしへ当たり前のように馴染んでいる。その様子を初めて見た際には、正直戸惑いを覚えずにはいられなかった。


 もちろん族長次第では友好的な部族もいたし、討伐隊に加わっていた盗賊の○○なんかは凄くいい子だった。


 しかし、次の代になった途端関係性がガラッと変わってしまうことも度々あったし、○○も獣人ということで、とくに法に触れる行いをしていなかった頃から酷い目に合わされてきたそうだ。


 悪さをする連中に報復できない人間が、似た特徴を持つ全く無関係の相手へ八つ当たりをすることは多々ある。結果、軋轢はさらに根深いものとなり、立場を変えて悲劇は再生産される。当然、その流れを利用しようと煽り立てる者も双方に現れるだろう。


 別に、彼らに非があるわけではない。しかし、人手不足という賃上げの機運を高める状況を潰すのみならず、比較された結果元々あった雇用条件や労働環境すら破壊されるとあっては、移民と仲良くやれ、なんて言葉も使う側の綺麗事でしかない。


 さらに言えば、安さを買われ使われている彼らに、まともな雇用環境など用意されるはずもなく、当然不満は膨れ上がる。


 このガス抜きに使われるのが、本来善いことのはずの差別解消だ。手と手を繋ぎ愛を語らう甘美な理想も、ほんの少し手を加えてやるだけで貧困層を団結させないためのシステムへと変貌する。


 高く分厚い壁と屈強な警備兵に守られ、その内側で豊かに清潔に安全な暮らしを貪る者たちも、やがては必ずその血で報いを受ける。しかしその時が来ようと、彼らに奪われ擂り潰され搾り上げられ続けた人生の数々と比らべれば、為せたとしても残るのは虚しさだけだ。


 この世に生命がある限り、繰り返されるだけなのだろう。止まることなどあるわけがない。それでも、最も犠牲になるのは常に立場の弱い者だと思えば、やるせない気持ちを飲み込んで動くしかない。今日までどうにか繋がれてきたものを、断つ側へ回るつもりはない。


 僕は料理をいくつか皿に乗せ、ひもじそうにこちらを見ていた子供の元へ向かった。


「これ、食べなよ」


「……いい」


 普通に話しても戸惑うばかりなので、いくつかの知っている獣人の言葉で呼び掛けたところ、ようやく返事が返ってきた。


「いいって、お腹すいてるんだろ? 毒なんて入ってないから食いなよ」


「言葉、なんでわかるの?」


「……昔、教わったことがあるんだよ」


 返事より疑問が返ってくるのも、無理のない話なのかも知れない。ちなみに、習ったのはドルイドとしての修行をしていた頃だ。


 今通じているのは、攻めてきた獣人たちを打ち払ってから講和の際に使われたものでも、対魔王軍相手に反転攻勢を行う際、こちらに親和的な部族の長達に協力を取り付けたときのものとも異なる。


 さらに言えば、今の時代に獣人たちが不満など仲間内だけでやり取りする際に用いるものとも違う言語だった。それに、少しキツめの訛りもあるようだ。いったい、どこから来た子なのだろう。


 そんなことを考えていると、不意に子供の腹から、聞こえなかったフリをするには少し無理のある音が鳴った。気まずそうに睨んで来るその子へ、僕は強引に皿から一つ取った肉をフォークごと押し付けた。


「ほらほら、食べなって。こんなところで意地張っても、いいことないぞ」


 獣人の子供はしばし葛藤したのち、まだ内心にそれを残していそうな表情でそれを頬張る。飲み込んだ様子なので皿を向けると、すんなり受け取って噎せそうになりながらも、あっという間に平らげてしまった。


 それにしても、歯並びがよくない。まだ乳歯だとしても、欠け方などが少し気になる状態だった。フォークの使い方なども、単に行儀を知らないと言うより腱や靭帯でも痛めていそうな様子だ。爪も変形したり、黒くなって生え変わらなくなっていた。


「……ありがとう」


 皿とフォークを僕へ返すと、獣人の子供はいそいそと背を向け立ち去ろうとする。


「育ち盛りなんだし、まだ足りてないだろ? 向こうに行けば、もっと色々あるけど。水もあるし」


「でも……」


 警戒心は、ある程度解れたように思う。しかし、どうも奥歯に何かが挟まったような躊躇いをまだ残しているように感じた。


「さあ、遠慮しないで。単なる教会で、別に売り飛ばされたりすることもないから」


 手を握り引っ張ると、獣人の子供は小さく驚きの声を漏らしたものの、とくに抵抗することなく着いてくる。まあ、構わないだろう。いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。治療をするにも、中のほうが都合がいいし。


「あら、ショーティお帰りなさい」


「げっ、さっきの獣人連れてきたのかよ」


「いざこざが起きたのはこの子との間にじゃないんだろ? お前は無関係の相手にも意地悪なことを言う人間だったのか?」


 露骨に嫌そうな顔をするウィルへ、戸惑う獣人の子の顔を向けて窘める。彼は後ろめたそうに目を逸らした。


「それは、そう違うけども……」


「だったら、変な八つ当たりはやめておけ。もしやり返すにしても、相手はあくまで喧嘩した相手にだ。いいな?」


「わ、わかったよ……ちくしょう」


 まあ、この子も根っから悪い子というわけでもないし、ここで穏やかな時間を過ごしていければ、多少は物事への判断力もついてくるだろう。


「ウィル、ショーティに怒られてやんの」


「う、うるせぇ。別に怒られてるわけじゃねぇからっ」


「はい、こんにちは。今日はお祝いの日ですから、たくさん食べて行って下さいね」


「あ、あの……」


 ポーラがウィルを茶化す中、ソフィアが獣人の子を椅子に座らせてやり、デイヴィが料理の皿を取ってきてやる。獣人の子は、困惑した様子で僕の顔を見上げてきた。


「食べなよ。これとか、冷めてても結構美味しかったよ」


 魚のフライを指差すと、獣人の子はおずおずとした様子で、フォークに刺したそれを口へと運ぶ。嫌いな味ではなかったらしく、飲み下す前から再び同じものを頬に詰め込みはじめた。


「ショーティ君、獣人の言葉にも通じているのかい」


「ほんの少しですけどね。だいぶ前なので、頭の奥から単語を引っ張り出しながらですけど」


「スムーズに意志疎通が可能な時点で凄いと思うが……私など、獣人たちの言葉は挨拶や単語を少し知っている程度だよ」


 目を丸くするエルシィさんへ、三人が白けた目で語り出す。


「ショーティの少しは、アテにならないからな」


「むしろ、アテになり過ぎると言うか、ときどき嫌みと言うか……」


「まだ小さいのに、凄いことは凄いんですけどね……」


 そ、そうだったのか……ひょっとすると前世で棄民された民たちと微妙に打ち解けきれなかったのは、今挙げられた僕の悪癖に因があるのかも知れない。


 距離の近い関係というのは、学ぶことが多いな。今後の参考にして、対人関係を改善する契機としよう。そう思い定めていたところ、見知った顔へ挨拶に向かっていたおじさんが戻ってきた。


「おっ、珍しい客だな。さっきからガツガツと、気持ちのいい食いっぷりじゃねぇか」


 獣人の子を見れば、既に先ほど用意された皿をあらかた空にし終えたところであった。小さい体で、実によく食べるものだ。


「まだ足りないなら、こいつを食いねぇ。少し冷めちまったがまだ柔らかい、今日のために焼いてきた特製のパンさ」


 言葉こそ理解していないものの、開けられた包みから現れた食べ物に獣人の子の目が輝く。自ら手を伸ばして受け取り、これまで通りの勢いで齧りついて……火のついたような食欲が、まるで最初から存在しなかったかのように、ぱったりと止まってしまった。


 それでも、少しずつ口へ押し込んでは、水で流し込むよう腹へ納めていく。その表情には、どこか鬼気迫るものまで感じさせられる何かが確かにあった。


「あ、あの、無理に食べなくてもいいんだよ……?」


「……平気。せっかく出してもらったんだから、食べないと」


 うわごとじみた、まるで抑揚を感じさせない声で呟きながら、獣人の子はパンを食べきった。どこからか疎らな拍手が飛んでくる中、おじさんが僕に尋ねる。


「さ、さっきその子、なんて言ってたんだ?」


「その……食べられなくもないって」


 あくまで否定的なニュアンスを、やんわりとオブラートに包んで伝えたつもりだったのだ。しかし、パンの評価でグロッキー状態に陥っていたおじさん的には、今の言葉も賛辞のように誤解してしまったのだろう。


「そ、そうかっ。なら他にもたくさんあるから、遠慮なくーー」


 しかし、再び手渡されそうになったパンを、獣人の子が受け取ることは二度となかった。気まずい沈黙。結局、その日のパンの残りも、全て僕が買い取ることで話はおさまった。


 まあ、僕にとっては普通の味だからね。もっとも、美味しいというわけでもないのだけれど。おじさんには、もっと向いている仕事があるんだと思う。



 腹を膨らませ満足した獣人の子を連れ、僕は教会の中にいた。治療のためと許可を取り、小さな小部屋を借り受けたのだ。


「じゃあ、ちょっと口を開けて」


 恐る恐ると言った様子で開かれた口は、人間のそれよりも犬歯が目立つ。そもそも獣人というのは、頭の上にも耳があるぶん頭蓋骨の形状からして、人とはまた異なっている。


 それでも、種類によって違いはあるとは言え、ケアの仕方は人とあまり変わらない。調合しておいたうち、刺激の強くないマウスウォッシュと歯磨き粉で食べ滓や歯石を除去し、歯肉をマッサージしたのち、歯を治していく。


「ちょっと違和感や痛みがあるけど、動かないでねー」


 口を綺麗にする際に使用した薬の味が気に食わなかったらしく、微妙な顔をしていた獣人の子が、驚きながら顔に手を当てる。が、どうも押さえている場所は歯とは違うようだ。


「あ、あれ。ちょっと口の中見せて」


 顔をしかめながらも見せてもらったそこには、たしかに綺麗に生え揃った歯列とピンク色の健康な歯肉があった。だとすれば……。


「あっ、い、痛い……っ」


「ああごめん、ゆっくり治すから」


 押さえられた顎へ手を当て、ゆっくりと治癒していく。次いで鼻骨、こめかみ、目の剥離した網膜、耳……。


「ちょっと痛みや違和感があると思うけど、しばらくすると収まるからね」


 難しい顔で、小さな頭が首を縦に振る。一応全て治しはした。が、どの箇所の怪我も通常の、例えば遊んで転んだとか、喧嘩の際にできた傷とは違う。


「あのさ、服脱いでくれる?」


 そうお願いしたものの、獣人の子は首を振り、ボロ同然の衣服の裾を握ってグッと押し下げる。


「いや……ここ誰もいないし、あくまで治療のためだから、ね?」


「要らない。無駄になる」


 頑なな反応であった。もうこれ以上伸びない服から破れる音がしたが、一向に気にする様子もない。


「ご飯を食べさせてもらっただけで十分。これ以上は要らない。無駄になるだけだから」


「……無駄にしない方法があるから、ちょっと待ってろ」


 僕は取り出した魔石へ、ルーンを刻みいくつかの付与をかける。終えると、それを持ったまま戦斧を取り出し、形だけ女の子へ向ける体勢を取る。


「今、俺の姿を見てどう思う?」


「とくに……」


 戦斧を持って飛び掛からんとする僕の姿も、獣人の子供から見れば警戒心を抱かせない棒立ちとなっていることだろう。


 それもそのはず。今刻んだうちの一つは、相手に認識阻害の効果もたらし、敵意を抱かせないためのもの。


「じゃあ、今からこの魔石を効かなくするぞ。ちょっと怖いと思うけど、驚くなよ」


「うん……わっ」


 獣人の子供は、目を見開きながら尻餅をついた。まあ、丸腰だった相手が一瞬で凶器を構え目の前に立っていたら、大人だってこうなるだろう。


「大丈夫か? 怖がらせてごめんな」


「別に怖くは……それより、今のって」


 手を差しのべ、引っ張り起こしてから僕は今の現象を解説しはじめた。


「今の効果は認識阻害だ。単なる脅威のみならず、傷が治った姿に嫌悪感などを抱いていた人間などが、それを感じなくなる効果もある」


 あんぐりと口を開けて驚く子へ、続いて別の効果も説明する。


「次にこのナイフを、俺の腕に押し当ててみろ。傷一つつかないから」


「えっ、う、うん……わ、本当に痕すら残らない」


「この程度なら痛みもないぞ。主に物理耐性を大きく上げてくれるし、ある程度は健康状態の維持もしてくれる。他にもいくつか、お前のことを守る効果を発揮してくれるぞ。肌身離さず持っていろよ」


 僕の説明に息を飲み、そのまましばらく沈黙したのち、獣人の子はゆっくり上着を脱いでくれた。


 痩せた体に刻まれていたのは、無数の傷痕。中には切り傷や、尋常ではない火傷の痕まである。


「加害者は、別に魔法や呪術を使うわけではないんだな?」


 仮にそうなら、使う魔石の質などを上げなければならない。一般人程度ならともかく、もし相手が何らかの訓練または素養でも持っていた場合、認識阻害を見破られたり効果を十全に得られない可能性もある。


 しかし、今回は杞憂だったようで、獣人の子は静かに首を振った。目付きは暗く、先ほどまでの緊張しながらも少しは付いた元気もどこかへ行ってしまっていた。


 間違いない。この子は常態化した暴力を受けている。相手が誰かまではわからないが、しつけや喧嘩が行き過ぎた結果、などという言い訳すら効かないような重度の負傷。まともに庇ってくれる人もいないのだろう。


 一つ一つ、傷痕も残らないぐらい丁寧に治していく。僕も妹以外の兄弟とは折り合いが悪く、弱いうちは散々やられたものだが、さすがに見た人が絶句するほどではなかった。


 不意に鼻を啜る音が聞こえたので、ハンカチを渡す。泣き顔を見ないよう背中へ回ると、静かにこう問われた。


「どうして、こんなによくしてくれるの?」


「今のところは余裕があるからだよ」


「この教会の人なの?」


「いや、信仰が違う。もっとも俺は信心深いわけじゃないし、この教会の人たちほど立派でもないけど」


 それ以上の言葉はなかったので、僕は再び治療に集中する。前側の治療を再開する頃には、表情もある程度落ち着いたものとなっていた。


「よし、上半身は終了。じゃあ次、下脱ごうか」


 魔力の残量的に、あとでポーション類を飲む必要もなさそうだな。そんな思いで口にした言葉だったのだが、聞いた獣人の子は、途端にしどろもどろになった。


「し、下は駄目っ」


「え、なんで? さっきの魔石を、このあとネックレスの形にして渡すからーー」


「そうじゃなくて、その……男の子に、見られちゃうのは……」


「えっ……あ、ああ、ごめん。じゃあ足だけやらせて。それ終わったら、女性の神官呼んでくるから」


 そうか、女の子だったのか……このぐらいの年の子は二次性徴もまだだから、パッと見男か女かわからないことも多い。実際、美人局要員が足りなかったのか、小さな男の子が娼婦の格好で客引きしているのも見たことがある。


 とは言え、すぐに女の子と気づいてやれないなんて、悪いことをしたなあ。それに知らなかったうえで医療目的とは言え、上を脱がせたのもまずかったかも知れない……。



「じゃあララは、ここに来る以前は、どの辺りに住んでいたの?」


「うーん……わからない」


 あのあと、足を治したうえで仕上げはここの神官に任せ、その間にネックレスへと加工した魔石を出てきた彼女の首へ掛けてやった。


 気に入ってくれたからか名前を教えてくれるなど、おかげでだいぶ打ち解けられたようなので、僕は試しに元々住んでいた土地のことなどを尋ねてみた。答え次第で、今の世の中の状況を掴む手がかりにしたかったのだが……。


「ええと……容姿や用いている言語的に、○○族かな? それとも、○○族あたりとか?」


「言語? ○○族?」


 もしかしてこの子、自分のルーツすら把握できてない状況なのだろうか。もっとも、言語はともかく部族の名前に関しては、時代とともに途絶えるなどして伝わらなかった可能性もあるが……。


「あのね、ここに来る前は山のほうに住んでた。ここと違って、魔物が入ってこないようにする壁のないとこ」


「壁があるところは、そっちにもあった?」


「あるって聞いたことはある。でも、お金持ちに気に入られないと住めないんだって」


 いつの時代も、いわゆるゲートコミュニティなど安全な住処を得られるかの問題は世知辛いなあ……。


 それにしても、獣人たちも都市化が極々一部とは言えはじまっているのか。規模がどの程度かもわからないが、隔世の感を感じずにはいられない。


「山のほうに住んでたんだけど、ララが生まれるより前に農地にするためだって森が焼かれちゃって、でもそこで作物が上手く育たなくて、そんなときにこっちで五年間働けるなら、ここで暮らせるようになるよって。それでみんなで来たの」


 失政の果ての棄民か……恐らく彼女たちには違約金がかけられていて、逃亡などをして捕まった際には、莫大なそれを支払わされる人生しか残っていないのだろう。


 逃げてしまった彼らを匿う代わり、さらに劣悪な環境で使い倒したり、汚れ仕事を押し付ける犯罪ギルドなどもあるはずだ。


 それにしても、前世では奴隷として連れて来られる獣人の出身と言えば平原だったが、この時代のララちゃんたちは、随分僻地から連れて来られたらしい。


 きっと平原に住む獣人たちの状況も、芳しいものではないのだろう。もっとも、一般的な彼らの暮らし向きがよかったことなど、略奪が上手くいっているときを除けばほぼ皆無と言っていいようなものだろうが。


 年端も行かぬ子供の言うこととは言え、情報収集として多少は役に立った。仮に事実が違ったとしても、本人たちの実感を聞かせてもらうことは、現実を受け止めたうえでの改善策を練るために重要なことだ。


 単に事実だけでは、その情報の精度がいかに高くともドラスティックに寄り過ぎて上手くいかない公算が高くなるうえ、不要な軋轢も招きやすい。


 今後、獣人たちのグループとどの程度接する機会を持つかも未定だが……それでも、こうして生の声を聞くことは、決して無駄にはならないだろう。


「久しぶりだな。活躍は聞いてるよ」


 そのとき、不意に聞き覚えのある声が耳に入ってくる。声の主のほうへと視線を向ければ、そこには日雇いで働いていた頃に何度か会ったヤクザ者の姿があった。


「それにしても、まさかあの勤労少年がこうまで大化けするとはなあ。男子三日会わざれば刮目して見よとは言うが、さすがの俺も予測しきれなかったぜ」


 にこやかに歯を覗かせるヤクザ者ではあるが、彼の近くにいるのは、周囲に睨みを効かせる屈強な若い護衛だけだ。


 もっとも、周囲により強い緊張を与えているのは、一見茶目っ気のある笑みを浮かべている方の男だ。いったい、何の用だろう?


「以前はお世話になりました」


「お前は働き者だったからな。うちは出戻り大歓迎だぜ。もっとも、これからは大変なだけで二束三文にもならない力仕事なんて振らないがーー」


 言葉の途中で、彼の姿がデイヴィの背に隠れて消えた。見れば仲間の四人が、ヤクザ者との間で壁になるよう僕の前に立っている。


「心配いらねぇからな、ショーティ」


 そう言う彼の手には、汗が滲みはじめている。屈強なお付きの男が凄みながら近づいてくるが、一触即発の空気の中でそれを制したのは、言葉を遮られたヤクザ者であった。


「いい。今日は話に来ただけだ」


「みんな、俺も大丈夫だから」


 お互い、身内を落ち着かせてから、再び僕らは向き合った。


「化け物みてぇな魔物相手に切った張ったなんかしなくたって、もっと楽で快適かつ実入りのいい仕事はあるんだぜ?」


「ご提案は大変光栄なのですが、しばらくは冒険者を続けてみようと思います」


「それは残念だな。最近は乞食をしなきゃならねぇガキも随分減ったし、そういう自立自体は喜ばしいことなんだが」


 余裕たっぷりの態度ながら、言葉の端々に折り込まれた牽制の数々。今後は身内や顔見知りの身辺に、十分気をつける必要がありそうだ。


「君らはどうだ? まだ若いのに、相当な働きをしているそうじゃないか。それだけ力があるなら、ギルドに買い叩かれるよりウチで幹部候補として暮らすほうが賢いと思うが」


「副部長に不義理はできないですから」


「では君はどうだい、フェルナンド・エルシィ。我々の後ろ楯があれば、君の家を取り潰しに追い込んだ連中と対等にやり合えるぞ。すぐにとは行かないが、お家の再興だって決して夢物語じゃーー」


「薄汚い手でエルシィに触れるな! 離れろ!」


 大股でヤクザ者に詰め寄ったのは、ガスリー子爵だった。すぐ後ろにはベサント司教の姿もある。誰かにこの状況を伝えられ、駆けつけて来たのだろう。


「これは子爵様、いらしていたとは気づかず申し訳ありません。本来ならこちらからご挨拶へ向かうところだったのですが」


「貴様のようなヤクザ者の挨拶など不要だ。今すぐここから出ていけ」


「ヤクザ者ですか。あなた方同様に、これでも街を守っているつもりなのですがね」


「我々は持たざる者から絞り取ったりはしない。貴様らと一緒にするな」


「清廉高潔、まことに結構。しかしそのせいで我々の括りから外れるハメになるとは、全く因果なものですなあ」


 誇りへ唾を吐くような挑発に対し、裂帛した激情で答えかけた子爵をどうにか制したベサント司教が、息を整える暇もなくヤクザ者と対面する。


「今日は何のご用でしょうか」


「いやなに、せっかくの祝いの日ですから、覗いてみたくなったんですよ。教会の扉は、我々のような者たちにも開かれているのでしょう?」


「ええ、その通りです。懺悔したいことがあるのなら中へ上がって行かれますか?」


「なに、それには及びません。むしろ今日は、寄付を届けに来たのです。この教会の献身に心を打たれているのは、我々も同じですからね。おい」


 後方に控えた手下を介し差し出されたのは、中身がずっしりと詰まった大きな袋であった。中身は白金貨だろう。ベサント司教は、苦み走った表情でそれを見つめる。


「どうされましたか? うちの若いのは見ての通り鍛えられてますが、ここまで持ってくるだけでも随分難儀していました。受け取って下さいますよね?」


「……ありがとうございます。あなた方に、祝福があらんことを」


 渋々と言った様子で受け取ったベサント司教に、ヤクザ者は満面の笑みを向けて見せた。


「結構。我々のような者たちからは受け取って下さらないのかと、内心冷や汗をかいていましたよ」


「他にご用件は」


「いえ、今日はこれで。あ、最後にもう一つ」


 ヤクザ者は僕へ向き直ると、打って変わって真剣な目付きであることを尋ねてきた。


「坊主、キンググリズリーを狩っているようだが、現状どんなとこだ」


「何について答えればいいでしょう」


「魔力災害。それが起きる可能性は、どれぐらいある」


 この男は、たしかに危険だ。いくらかの貢献はあっても、その見返りに多くのものを立場の弱い者から奪い去っていく。


 しかし、決して底が浅いわけではない。少なくともギルドの支部長や故郷にいた大半のドルイドたちのような、平時に貪ることはできても危機を前に為す術を持たない者たちとは違うのだろう。


「……キンググリズリーの予測個体数や生息域は日ごとに改善されています。ただ、魔力災害に関しては、若干ですが気になる数値も」


「他国の商業ギルド関連か」


「他にもいくつかありますが、主だったところは」


 男は俯き、少しの間沈黙する。そして再び顔を上げると、元の内面を伺い知れない微笑みで去って行った。


「そうか、ありがとうな坊主。あの勇者様の再来かのように強いとは聞いちゃあいるが、仕事には気をつけんだぞ」



「ショーティ、その……さっきの連中、なんだって?」


 ヤクザ者たちが去り、ベサント司教やガスリー子爵の呼び掛けにより少しずつ教会内も落ち着きはじめた頃。


 ウィルやポーラが、僕の元へ心配そうな顔で尋ねてきた。


「魔力災害の可能性について聞かれたよ」


「他には……?」


 報復でもされるのではないかと、そんな込み上げる不安を隠しきれない様子が伝わってくる。


「他愛もない挨拶だよ。俺らもしばらく教会で暮らすから、ここにいる限りは気にしなくても大丈夫」


 別に、これは単なる気休めではない。そう簡単に荒事を仕掛けて来るほど迂闊とも思えないが、万が一何かあってもいいよう、しばらくは僕らもこの教会で寝泊まりをすることにした。


 部屋自体は余っているそうだし、ギルドまでの距離だって大して変わらない。仲間が夜道に気をつける必要も減るので、こちらとしても一石二鳥だろう。


「そ、そうか。それならいいんだけど……」


「あら、ウィルってばショーティが守ってくれるってわかった途端、すっかり気を抜いちゃうのね」


「な、なんだよ。別に俺は、こいつに守ってもらう必要なんかない。自分の身ぐらい自分で何とかできるっつぅの」


 安堵の溜め息から一転、わかりやすく虚勢を張るウィルのことを、ポーラはなおもからかう。


「そうね。あんたが日頃積極的に手に職も付けようとせず、何をしているかと言えば木の枝振り回しながらチャンバラごっこだものね。俺もショーティみたいに稼ぐんだーって」


「お、お前、そういうこと人前で言うなよ!」


 そうなのか……まあ、美人局みたいな犯罪に手を染めるぐらいなら、将来に向けて目標や希望を持つのはよいことだ。僕でも多少は力になれることもあるだろうし。


「ほら、こんなの振り回して訓練だって言い張ってるのよ? へっぴり腰でフラフラしながら、こんな風にーー」


「ああもう、だから人前に出すなって! あとショーティ、別にお前に影響されてってわけじゃないんだからな! 先にはじめた程度で自惚れるなよ!」


「別に自惚れてないけど……ポーラ、その枝ちょっと貸して」


 枝を取り返そうとするウィルをかわし続けたポーラが、高く掲げていたそれを僕へ放り出すようパスする。


 うーん、ウィルぐらいの子にとって、この枝は少し重過ぎるかも知れない。形や重心も、変な癖がつかないように……。


「おいこら、乱暴に扱うな! ショーティもそれ、さっさと俺に返せよ!」


「ああ、ちょっと待ってね。えいっ」


 何度か持ち替えつつ形や繊維の方向などを確かめた僕は、まず手頃な長さになるよう枝をへし折った。


「あ、あああああ!?」


 そして『草木への呼び掛け』で、芯の部分から曲がったり重心がズレないよう剣の形に加工して……って、あれ?


「お、俺の剣……大事な剣が……」


「ちょっとショーティ、何もそこまでしなくたって……」


 冷えきった空気の中、ウィルはこの世の終わりと言わんばかりの表情で、激昂するでも悲嘆に打ちひしがらるでもなく、たださめざめと頬を濡らしていた。


 そこへちょうど、デイヴィたちが通りかかる。


「ん、どうした喧嘩か?」


「その、ショーティがウィルの暴言に怒って、あいつが大事にしてた枝を折っちゃって……」


「ショーティ! 気持ちはわからなくもないけど、そんなやり方で相手を泣かせたら駄目だろ!」


「いくら頭に来ても、お友達が大切にしているものを壊すのはよくないわ。謝りなさい」


 あ、ああ、たしかに今の僕はガキの体だけど、そんな小さな子に言い聞かせるよう叱らなくても……トータル三十過ぎぐらいの僕には、ちょっと耐え難いものがある……。


「ショーティさんのようないい子でも、そういうことをしてしまうんですね……」


「子供同士喧嘩はよくあることとは言え、意外なものだね……」


「ち、違うんだっ。使いやすいよう加工しただけで、ほらっ」


 弁明とともに、僕は完成した木刀をウィルへ手渡した。


「……これ、さっきの俺の剣……?」


「そ、そうだよ。ちょっと振ってみなっ。駄目なら調整するし、最悪どうにか元の形に戻すから、ねっ? はい剣」


 感情が抜け落ちた顔で受け取ったウィルは、ぼんやりとした表情で握らされた剣を、まともに焦点の合わない目で見つめる。


「よ、よかったじゃない本格的な木刀こしらえて貰えて! ほら、いつもみたいに振って、訓練の成果をみんなに見せてみなさいよ!」


 ポーラのフォローする言葉を聞いても放心を続けるウィルであったが、おもむろにそれを振り上げると、高く掲げたそれを力強く振り下ろしはじめた。


「おっ、いいぞ! ナイスゥ! 上手い上手い!」


「かっこいいわよウィル! フー!」


 実際には素人かつ子供なので、利き腕側の上半身しか使えていないそれは酷く不格好なものだ。


 それでも、ようやく元に戻る兆しを見せはじめた彼へ、僕らは必死に合いの手を送り続ける。その間、ウィルは壊れた玩具のように同じ動きを繰り返していた。


「ど、どうだった!? 使ってて、変なとことかなかった?」


「もとより、ふりやすい。ありがとう」


 どこか空虚な口調での、日頃滅多に聞かない感謝の言葉。そら恐ろしいとは、こういう気持ちを言うのだろうか。


「あ、あのさウィル、ほんとごめーー」


 謝罪の言葉は、押し寄せてきた子供たちの勢いによって瞬く間に掻き消されてしまった。


「ショーティっ、俺にも剣作ってくれよ!」


「俺は槍が欲しい! 長いやつで頼む!」


「材料ならあるわ! 私にもちょうだい!」


「木刀を観光客に売りつけて一儲けしようぜ!」


 結局騒ぎを収めるため、全員に一本ずつ木刀を作ってやった。大はしゃぎで受け取ったみんながそれで遊びはじめ、それに加わるうち元気を取り戻したウィルの姿に、僕とポーラはほっと胸を撫で下ろしたのであった。


 今回の件は、完全に無神経な僕が悪かった。今後は二度とないようにしよう。



 夕暮れどき。もう少しで日も沈むという頃、僕らは子供たちのチャンバラごっこを眺めていた。


「みんな、夢中だね」


「子供は木刀が好きだからなあ」


 しみじみと言うデイヴィへ、ハーティとソフィアが苦笑いで言う。


「なに? 私たちを勇者ごっこに付き合わせてた過去のことでも思い出してたの?」


「む、昔のこと言うなよ。あの頃は幼かったんだから」


「あ、あはは。お兄ちゃんは勇者様大好きでしたからねぇ……」


「今でも好きだけどな。やっぱり凄いじゃん。俺らと同じ平民の出だし」


 やっぱりあいつ、この時代になっても大人気なのだなあ。往年の姿など伝承でしか知らないはずのこの子たちにすら、ごっこ遊びの対象にされる影響力の大きさを思っていると、エルシィさんが以外な言葉を口にした。


「私もかつては、玩具の剣を握って劇や吟遊詩人の口上を真似ていたよ」


「やっぱりそうですよね。うちの村でも、祭りのときには出し物の一つとして勇者が主人公の小芝居をやってましたよ」


「私は聖女様のほうかしら。素敵な逸話がたくさんあるもの」


「他にも、賢者様やドワーフの戦士様、エルフの弓術士様に獣人の盗賊さんもいましたよね。……あっ、あと森呪使い(ドルイド)様も」


 僕を見たソフィアが、最後に慌てて付け足す。気を使ってくれて、優しい子なのだなあ。まあ、以前見た劇でだいたい僕の扱いは察しがついているので、そこまでダメージはない。


 勇者や重戦士、弓術士に盗賊と言ったわかりやすいものを除いたとしてもなお、神官や賢者に比べてドルイドは具体的に何をするのか想像しずらいのだと思う。武器の戦斧も、ドワーフと被っているし。


 異教徒たちのこの土地で、ごっこ遊びにドルイドを選ぶような子がいたなら、きっと数合わせかよほどの変わり者のどちらかのはずだ。そんな扱いでも不満はない。死んでも語られない者たちに比べれば、僕は随分と恵まれている。


「それだけに、勇者様が亡くなられたときは各地から悲しみの声が聞こえたものだよ……最期のほうは、公にお姿を見せることもめっきり減っていたとは言え」


「一時は悪くされていたお体が回復されたんですよね」


「寝たきりでもう駄目かも知れないというところから、新しい魔法医による治療で再び立って歩いて食事も自ら取れるぐらいまで持ち直されたと聞いたことがあるわ」


「そのあとぱったりお姿が見えられなくなられてから、お亡くなりになられてしまったそうですね。ご高齢だったそうですから、仕方がなかったとは言え……棺に収める際も、極限られた人たちで行ったと聞いたこともありますし」


 あれだけ強かったあいつも、年齢には勝てなかったか……それでも絶望的な力の差があった魔王に止めを刺してからの活躍も、この目で見たかったものだけれど。


 他の面々も含め、あのあとこの世界でどんな人生を歩んだのだろう。現在の荒れた世相を見るに、決して幸せなだけの人生ではなかったことだろうが。


 夕焼け雲を見上げながら、何気なしにその生涯を思っていると、すっかり元の調子に戻ったウィルの顔が捻れたような形のそれを隠す。


「ショーティ、どっちが強いか勝負しようぜ! ちなみに今のところ、ここにいる奴らの中じゃ俺が最強だからな」


「ウィル、あんたさっき負けそうだからって足使ったくせして、何が最強よ」


「う、うるせぇ。勝てば何でもいいんだよ! それよりショーティ、さっさと勝負しろ!」


 最後の最後で詰めの甘さから予想外の敗北を喫しそうな奴の言葉だな……小さい子に言っても仕方がないとは言え、過程を積み上げることこそ重要なんだけれど。


「ちょっと付き合ってくる」


「おう、頑張れよー」


 微笑ましそうな目の仲間たちに見送られ、ポーラから木刀を借りた僕は血気盛んな様子のウィルと向き合った。


「行くぜ! 先手必勝!」


「ああもう、また始めの合図の前に……っ」


 勢いのまま正面から突っ込んでくるウィルに対し、かわしながら打ち込まれる木刀を軽く払い受け流す。


「ぐっ、ちくしょう。ふざけやがって」


 体勢を崩し転んだウィルではあるが、まだ闘志は挫けていないようだ。むしろ膝小僧を擦りむいてしまったことで、余計頭に血がのぼってしまったのかも知れない。


 力任せに振り回される木刀に対し、僕はそれが振られた際の体勢が崩れる方向、主に利き腕側とは逆方向へ避け、合わせるよう防ぐことを続ける。


 当然ウィルは咄嗟にそちら側へ動けず、また切り返すにも不十分な体勢ということもあってか、まともに攻めることができない。


 それでも、上体を傾けたり強引に体を開くなどして、無理矢理にでも木剣を振ってはくるのだが、残念ながらそれが僕に当たることは一度もなかった。


「おいウィル、さっきから遊ばれてるぞー」


「自称最強さん、もっと頑張んなさいよねー」


「うるせぇ! この足場が滑るから!」


 みんなに笑われているウィルではあるが、正直しばし転倒を繰り返しながらでも向かってくるこの負けん気は、結構買いだと思う。でもーー。


「ウィル、足首見せて」


「はっ、まだ勝負はついてないぜ」


「じゃあ俺の負けでいいから。早く治さないとクセになって後から辛いぞ」


 木刀を脇へ放って近寄ると、怒ったウィルが倒れたままの体勢ながら突きを繰り出してきた。周囲から小さく悲鳴が上がるが、見え見えの動きはまさに言葉のままの児戯。


 掴んで軽く捻るだけであっさりそれは手から離れ、僕は彼の足を脛から掴むと、【治癒】で彼の捻挫を癒した。


「ほら、他に痛いとこないか?」


 しばし僕を睨み上げながら沈黙したウィルは、一度苦慮するよう視線を下げたのち、こう質問してきた。


「どうすれば、お前に勝てるようになる」


 いや、僕は痛いところがないか聞いたんだけど……そう思いながらも、真剣な眼差しに仕方なく答えていた。


「あんまり面白い話じゃないんだけど」


「勝てるならなんでもする。答えろ」


「なら、今の突きは二度とやるなよ。ここには神官さんたちが大勢詰めてるとは言え、下手したら相手を死なせてしまうかも知れないんだから」


 我に帰ったのか、やや消沈した様子のウィルは素直に頷く。そんな彼へ、僕は手本を見せながらアドバイスを送った。


「まず、剣は足腰で振るものなんだ。頭を大きく動かさず、下の踏み出したときの股が沈む際の動きに合わせて剣を振り上げ、胴を柔らかく使いながら振り下ろす」


「こ、こうか?」


 ウィルは真剣に真似るが、すぐに体全体を使えるものではなく、ただ跳ねるような手打ちが繰り返される。


「踏み込み自体も硬いな。それじゃ相手の斬撃をかわせないし、合わせて返したりもできないだろ。飛んだり体勢を大きく崩しながら避けるんじゃなく、あくまで足で小さく。例え崩れても、顎から股まで、足首から股関節、足の付け根までは一直線上にあるよう」


「そ、そんなに細かく体を動かせねぇよ!」


「細部は意識しなくても、結果的にそう動いていればいい。基本はバランスなんだよ。例えば膝を軽く曲げて真っ直ぐ立ち、足の裏が地面についたまま前後に体重を移動させて」


 意外にも根気強く、ウィルは舌打ちしながらも指示通り体を動かそうとする。動きはやや大げさではあるが、まあ、最初はわかりやすいぐらいが調度いいだろう。


「できたら、次は左右別々に。左前、右前、左後ろ、右後ろの順で」


 次第に周りには子供たちが集まり、おもむろに僕の言葉やウィルの動きに習って体を動かしはじめた。


「コツは胴の筋肉がどう動いているかを意識することだ。それがわかってくれば、体重移動をしても周りからはわからないぐらい動きは小さく滑らかになる」


「ちょっと、わかってきたかも……」


「じゃあ、剣を持って。……うーん、力に頼っちゃさっきと同じなんだよな。今やった胴体の動きを意識しながら、地面を蹴らずリズムで動いて」


 複雑そうなウィルの表情とは裏腹に、その動きは先ほどに比べれば、いくらかは悪くないものとなっていた。


「何となく掴めたけど、こんなんじゃ遅すぎだし力も出なくて剣が相手に当たらねぇだろ」


「はじめたばかりだからだよ。慣れれば機敏に動けるし、体ができるに従って出力も足りてくる」


 手本として、姿勢を保ったうえでの細かなステップを繰り返すと、それだけで周囲からどよめきが漏れた。本来なら、初心者ほどより優れた使い手を手本にするべきところなのだが……今回は僕で勘弁してもらうとしよう。


「な、なんか今のを改めて見せられると、自信がなくなってくるんだけど……」


「最初からできる奴なんかいないよ。そりゃ才能の差を思い知らされることもあるけど、健康を保ったまま習練を続ければ、確実に上達していくのは間違いないから」


「ショーティくんでも才能が及ばない相手……正直私には想像もつかないな」


 エルシィさんが、ほとほと呆れたと言わんばかりに力なく呟く。そいつは何を隠そう、彼女が幼少時ごっこ遊びで真似ていた相手なのだが……。


 まあ実際、飛び抜けた才能を前にすれば嫉妬心すら沸いてこないものだ。


 僕とて初めて勇者の剣技を目の当たりにした際は、今のエルシィさんのような反応をしたものである。年下に歴然とした差を突きつけられたときの、やりきれない立つ瀬のなさと言ったらもう……。


 敵うかどうか、そんなことを考えることすら烏滸がましい。そう思わされた奴の技こそ、みんなの手本としてもらいたかった。もっとも、次元が違い過ぎるという逆の意味で参考にならないものなのかも知れないが……。


「ショーティは自分でやるだけじゃなく、教える才能もあるもんな」


「さっきみたいな一見関係なさそうなアドバイスでも、従ってると自然に正しい斬り方や体運びを覚えてるのよね」


「私も力がないので戦いは自信がなかったのですが、ショーティさんのおかげで自力でも魔物を仕止められるようになりました」


 仲間たちはこう言ってくれるが、元々教えるのは苦手だった。棄民された民衆に戦闘などを仕込む際も、自身のいたらなさを正面から突きつけられたものだ。


 彼らの大半は読み書きを学べなかったため、言葉で上手く伝えられなくとも、自分が参考になった書物を貸し与えるという方法を使えない。


 仕方なく彼らが持つ語彙を把握しながら、手本を示しながらの身振り手振りを繰り返すうち、いかに自分が生まれ持っての才覚や、養育環境の恵まれた文化資本に触れる中で得た物に頼りきってきたのか。


 今教えようとしているはずの初歩的なことすら、浅慮なことに理解した気になっていただけだったのか。そんなことが、身に染みて痛感させられたのだ。


 これが妹のパトリシアであれば、感覚に頼りきらず丁寧に行程を紐解き、誰にでも理解できるよう相手によって語り口のアプローチを変えながら答えられるのである。


 勇者の武力にしろ、妹の知性にしろ、確固たる何かを築き上げている存在と比較した際に浮かび上がる僕の本質の何と薄っぺらなことか。


 デイヴィも、ハーティも、ソフィアもエルシィさんに子供たちからおじさん、ギルドの副部長にベサント司教たちまで。


 いつかみんなが本物に触れた際、今彼らが驚いている僕の存在は自動的に格下げを余儀なくされるだろう。


 別に、そのこと自体は構わない。彼らがより深く高いものを知る機会を得ることは僕としても喜ばしいことであり、さも世界一の天才、時代の寵児と言った分不相応な扱いが終わると思えば、いっそ騙しているかのような罪悪感も幾分和らぐというものだ。


 ただ、その際もし彼らの胸に僕への失望が生まれるなら、それは少し辛いと感じてしまう。みんな気のいい奴らなので、あからさまに表立ってということはないだろう。


 しかし、だからこそ浮き出る些細なニュアンスに、思わず心が揺れてしまう。三十路まで生きてこのザマとは、本当に情けない限りなのだが……。


「あの、ちょっといいか」


 悪い流れへ向かいかけた思考を、大人の声が引き戻す。顔を上げれば、そこには数名の姿が。武装こそしていないが、日頃からこしらえている様子の生傷を見るに冒険者だろう。


「あ、はい。なんでしょう」


「その、俺たちのこと覚えてないか」


 均整の取れた体躯の男から、妙なことを聞かれる。誰だろう……何か因縁や恨みを買っている、という様子でもなさそうだけれど。


「私たち、以前キンググリズリーに襲われていたとき、君に助けられてるんだけど……」


「……ああ、あのときの」


 思い出した。一人でキンググリズリー狩りをしていた際、僕が獲物を横取りしてしまった冒険者たちか。


 あれ、襲われてたのだなあ。こうして対面してみた感じ、全員弱そうな感じはしないけど……慣れや立ち回りを知らないせいで、過剰な恐れでも抱いているのだろうか。


 眺めるうち、均整の取れた体躯の男がじっと僕を見ていることに気がつく。僕の値踏みするような視線が不快だったかしらん。そんな疑念が頭をもたげたとき、男は小さく頭を下げてきた。


「さっき子供と手合わせしていただろう。あれ、俺にも頼めるか?」


「え?……あ、はい。わかりました」


 戦闘の上達に熱心なタイプなのだろうか。まだ時間もあるし、僕としては構わないが。


「子供用の短いものにしては、随分と手に馴染む木刀だな。初めて握っているんだから、使い慣れているはずもないのに……」


 そう不思議そうな顔で軽く振っている男の動きは、これまで見てきた冒険者たちの中でも頭一つ抜けているように感じる。


 敏捷性が損なわれない適度な長身かつ、均整の取れた体躯。


 それを十分に扱える鍛え上げられた肉体は、力強さとスピードを両立させるに至っている。


 剣士として、実に正統派の好素材。前世の時代であれば、冒険者などせずとも軍や騎士団などから引っ張り蛸だったことだろう。


「では、用意……はじめ!」


 審判を勝って出たエルシィさんの合図で、立ち合いの火蓋が切って落とされた。待ちの構えで相手の出方を伺う僕に対し、男は遠慮なく攻撃を開始する。


 相手へ圧力を感じさせるに十分な踏み込みからの、シャープな鋭い斬撃。


 払い上げつつ切り返せば、それを無理なく受けつつ距離を取って仕切り直しを計る。やはり、できる男のようだ。


「くっ、隙が見えたと思って踏み込めば、あの短いリーチでなんて懐の深さだよ」


 感心しているのは、こちらも同じである。正直、返しの一太刀は受けられるにしても、あそこまでスムーズに離脱されるほど余裕を与えるつもりはなかった。


 相当動ける体を持っているようだが、その資質に頼ることなく基本に忠実なスタイルはブレない。そのうえで、相手の反応を見る繊細さも備わっている。


 互いにおおよそ、相手の動きを感覚で掴んだこともあり、男は踏み込んでこなくなる。実際には、何度か距離を詰めようとしているのだろうが、僅かに前へ出ては戻ってが繰り返された。


 このまま膠着しても仕方ないので、こちらから前へ出る。動きがあったことで、向こうも反応し前へ出るが、比べて僅かに立ち遅れた隙を縫うように、低い背を活かし下から突き上げていく。


 当然これは避けられたが、返す動きへ合わせ、続け様に連撃を見舞う。


 狙いは利き腕側とは逆の、反撃の勢いを削ぐ肩口、そして腰部。


 これだって男は無難に受けるが、それが二度三度と続くうち、隙が大きくなっていくのは男のほうであった。


 人間はどうしても、左右均等に動くということは難しい。そのうえで、男はきちんと左側への攻撃の対処も身に付けてはいる。


 ただ、その受け方もそうだが、何より返し方のレパートリーはそこまで多くはない。手札の少なさが仇となり、どうしても動きは誘導されやすくなってしまう。


 このまま続けてはジリ貧。かと言って、一か八かの力押しに賭けるような馬鹿でもない。再び仕切り直そうと後退する男へ、そうはさせじと僕は張り付くように激しく寄せ、さらにペースを奪う。


 これだけ追い込んでもなお、捨て鉢にならず打ち込まれる木刀。それを捌きながら遂に、僕は男の首へ剣先を突きつけるに至った。


「参った……これは敵わん。子供に子供扱いされるとは」


「すげぇ……ショーティの奴、あんな強そうな奴にまで完勝を……」


 エルシィさんのそこまでという決着の合図のあと、男は滝のように流れる汗を拭いながら苦笑いを浮かべた。


「まさかあんたが負けるとはね」


「ああ、いいようにやられちまった。こんなに間合いも掴めなきゃ攻め手も潰され続けたのは初めてだ」


「自分から挑んどいて、まるで歯が立ってなかったな」


「うるせぇ、お前がやってみろ。絶対俺より持たないくせに」


 軽口を叩き合う彼らではあるが、しかしどの人員も、決して弱いということはなさそうである。支部長はさておき、全員エルシィさん程度の実力は間違いなく有しているはずだ。


 なぜ彼らのような実力あるパーティーが、キンググリズリーごときに遅れを……そんな疑問を抱いていると、再び僕のほうへ向き直った男が、姿勢を正し問いかけてきた。

 

「君から見て、俺の何が悪かったろう。どうすれば、あそこまで押し込まれずに済んだろうか?」


 別に、悪かったというわけではないのだが……答えを待つ男の態度は、先ほどまでより明確に僕へ敬意を表すものとなっている。


 であればこちらも、正直に話すとしよう。ブレることのない真摯な瞳に、僕は返答をはじめた。


「あなたは恐らく右利きで、きっと利き脚も同じですよね? 別に左側への対応が拙いというわけではないんです。ただ、返し方の種類が、ややワンパターンだったかな、と」


「返しがワンパターンか……これまで課題として意識したこともなかったが、今君に負けた以上、認めるしかないのだろうな……」


 噛み締めるよう、男は俯きながら呟く。きっと、これまでの人生で対人戦は負けなしだったのだろう。初めて壁にぶつかった心境は、僕としても察するに余りある。


「君の突きを受けていると、どうしても後手から抜け出せなくなって、あの返ししかできなくなってしまうんだ。こんなこと、今までは一度もなかったんだが……」


「これは些細なことなのですが、その受け方もやや硬さがあるように感じました。そのぶん次の動きにも転じずらくなってしまったのでは」


 みなまで言う前に、男は頷きながら動きを見直しはじめた。ある程度剣を習熟したものであれば、今僕が語ったことなど基本中の基本。大半の者が、頭ではわかっていることなのだ。


「たしかにお前、さっき亀みたいに固まるばっかで、苦し紛れのワンパターン以外はろくに剣筋も定まってなかったもんな」


「だから、これだけの相手とやってたら普段の余裕もなくなっちまうんだよ! こいつはそれぐらい強い奴なんだ!」


 茶化すよう、誇張した動きで先ほどの戦いを真似しはじめる仲間に、男は顔を赤くしながら唾を飛ばす。まずいと思ったか、他のメンバーが間に入って二人を宥めはじめた。


「するってぇと、受け方より返し方のほうが大事なのか?」


「いや、どっちも大事なんだけど、敢えて言うなら受け方のほうが重要かな。苦手な側は攻撃や反撃より、まず無難に受けられるようになるほうが先」


「でも、受けてばかりじゃ今みたいにジリ貧でやられちゃうだろ?」


「現実問題、左右均等に剣を振れる奴なんてそうそういるもんじゃないよ。なら理想より、まずは簡単にやられないことのほうが大切。返しが拙くとも、陣形や戦術でカバーすればいいんだし。一人で全てこなそうとしたら、タスク過多で機能不全を起こしたり、最悪パンクしちゃうし」


 その間に尋ねてきたデイヴィへ、身振りを交えながら考えを伝えていく。別に僕は全てを知っているわけではないし、僕が死んでから約八十年の間に様々な進歩もあったこととは思う。


 それでも、現時点では僕のほうが彼らより知識や経験を持っているのは事実なのだから、助力できることなら積極的に力になりたい。そうだ。もし僕より優れた存在に触れられたなら、そのときは反面教師にでもしてくれたらよいのだ。


 何かしら吹っ切れた思いでいると、ふんふんと頷いていたデイヴィは、思いもしない言葉を口にした。


「じゃあさ、両方均等に振れる相手と戦うときは、いったいどうしたらいいんだ?」


「え、それはその……単純にこっちの力が上ならゴリ押しするとか、敢えて無防備な脇腹を晒すように苦手なほうを向けることでカウンターを狙う、なんて方法もあるにはあるけど……なんでそんなこと思ったの?」


 勇者の姿が思い浮かび、一瞬ぎょっとしながら無難な策を紹介したあと、とくに他意も感慨もなさそうなデイヴィへ僕は思わず尋ねていた。


「いやさ、仮にこれから犯罪ギルドや山賊なんかの討伐に加わるとき、万が一にもないだろうけどショーティぐらいの使い手がいたらどう戦うべきなのかなって、ちょっと気になってさ」


「何で俺ぐらいなの?」


「だって、均等に振れてるじゃん」


 さも当然と言った様子での言葉を、僕は思わず反射的に否定していた。


「い、いやいや。俺だって全然左は駄目なんだよ? ほら、違うだろ?」


 そう狼狽しながらも、左右でそれぞれ同じパターンを繰り返すことで訂正を試みる。


 僕が左右均等に剣を振れる? 別に悪気なく言っているデイヴィに怒っているわけではないんだけども、率直に言って冗談ではない。


 だったら威力はあっても取り回しに難のある戦斧など選んでいないし、仮に勇者の剣技を知る人間がまだ生きていたなら笑われてしまうではないか。


「うーん……俺には同じにしか見えないけどな」


「よ、よく見てってば!? ほらほら!」


 ムキになっているうち、どこからか重い溜め息が届いてきたので、そちらに目をやる。そこには、男が不気味なほどに色のない目で、一人肩を落とし項垂れていたのであった。


「まるで達人かのように剣を扱えてもなお、慢心することなく上を目指しているのか……俺はなんて甘い考えで剣を握っていたんだろう」


 聞いていて底冷えするような、この世とあの世の狭間から聞こえてくるような声音。どうしよう。将来有望な若者の心を、へし折ってしまったかも知れない。



「ほら、負けたからってクヨクヨし続けないの! 子供も大勢見てるのよ!?」


「うん……」


「お、お前が好きな卵サンド持ってきてやったぞ。どうだ、美味いか」


「おいしい……」


 男の返事は、僕らが宿を引き払い荷物を教会へ運んでくる間の、小一時間ほど経った今もたどたどしい調子のままであった。


 彼の仲間の人たちによると、ここまで回復するまでも相当な時間が必要だったらしい。たしかに当初の一人にするのが心配なほどの様子を思えば、さもありなんと言ったところだろうか。


 その一目で深刻さが察せられる苦悩足るや、軽薄な印象を受ける彼の仲間すら、さすがにそのあとは茶化すのをやめたほどだ。


「ほら、私たちも宿に帰るわよ。今日休んだぶん、明日からはしっかり稼がなきゃならないんだから」


「Bランク昇格の受験資格を得るために必要な功績も、現状全然足りてないしな。まったく、せっかくCに昇格できたってのに、まるで暮らしが楽になりやがらねぇ」


 まだ男は消沈したままとは言え、彼らが帰ってしまう前に僕は提案のため駆け寄った。


「待ってください。落ち着かれたようなので改めて言いますが、単純な力量だけで言えば、皆さんだってキンググリズリーを仕留められるはずなんです」


「いやいや、あんなの普通の人間が相手できるレベルじゃないわよ」


「相手が一頭のときに全員が捨て身でかかれば、可能性自体はあるんだろうが……狙って挑むのは勘弁被りたいぜ」


 とても敵わない。言外にそう言う彼らに、デイヴィたちも声をかける。


「でもショーティに鍛えてもらったら、俺らでも倒せるようになれましたよ?」


「ほんの少し前まで、死に物狂いで逃げ回っていたのが嘘みたいよね」


「※Dランクになったばかりの私たちと違って、Cランクの皆さんであれば、きっとすぐにできるようになれますよ」


 とくに最後のソフィアの言葉に、彼らは大きく反応した。


「え、じゃあ君たちキンググリズリー狩ってるのに、少し前までEランクだったってこと?」


「それどころか、Fだったのもつい最近のことだったようだよ。単純比較はできないだろうが……」


「おいエルシィ、それ本当かよ」


 たしかに彼女の言葉通り、デイヴィたちのようにまっさらな状態からはじめるわけではないぶん、違う意味で時間はかかるかも知れない。


 それでも、立ち回りを覚えたり癖を直したりする手間もあるとは言え、自力でCランクまで上がれるような者たちならキンググリズリー程度はすぐだろう。


「そ、それならひょっとして、俺たちでもできるようになるかも……」


「で、でもさ、この子たちがみんな特別なだけって可能性もあるじゃない。エルシィだって実力者なわけだし……」


 意見が割れる中、先ほどから黙していた男が卵サンドを食い終え口元を拭い、まだ青い顔ながらも静かに立ち上がった。


「ショーティ君だったか。君の下にいれば、今より強くなれるんだろう? なら何の迷いもない。力を貸してくれ」


 頭を下げる彼を見ていた仲間たちも、まだ戸惑いを残しながらではあるが腹は決まったようだ。


「俺らがどこまで強くなれるかはわかんねぇけど、やってみる価値はあるわな。よろしく頼む」


「えっと、時間とか色々取っちゃうことになると思うし、そのぶんそちらのパーティーに足踏みさせることになっちゃうけど、それでもいいなら……」


 振り向けば、四人は不満の影も見せずに頷いてくれる。教会の運営費など金は間違いなく必要だ。


 しかしこの地域一帯の安全というのも、僕ら冒険者や住人、馬車を駆る下請けの商人らのために無視はできない。駆除依頼を受ける者の増員は急務である。


「わかりました。俺が責任を持って、皆さんがキンググリズリーを狩れるようにしてみせます」


「悪いな。君のような神童を、俺たちに付き合わせてしまって」


 それこそ何の問題もない。前世の享年も合わせれば三十そこらと、この中では僕が一番の最年長だし、教えるのも学ぶの半ばたり。至らぬ僕にとって、間違いなくよい経験となるだろう。



「では○○さん、○○さん、○○さん、よろしくお願いします」


 翌日から、僕らは教会からギルドへ向かうと、二手に別れてそれぞれの活動を開始した。


 僕のパーティーはエルシィさん指揮のもと、キンググリズリーが多数残る区域の駆除へ。


 そして僕は、○○さんたちパーティーとともに、そこまで頻繁に出没しないエリアへと足を運んだ。


「ここらも結構出るって噂なんだよな。どうにも腰が引けちまうぜ……」


「近くにあるスポットは潰してあるので、流れてくる個体は減っています。心配いりませんよ」


「つ、潰したのか……スポットを……」


「とりあえず、この子がついてくれてるなら身の安全は確保できそうね。何かあっても即死じゃなきゃ、前みたいに治癒魔法で治してもらえるし」


 一同の肩の力が、今ので幾分か抜けたようだ。現在感じている『僕がいるから』という安心を、これから『キンググリズリーごとき』というものへ成長させていかなければならない。


 そうして始まった、まずは弱らせたキンググリズリーの止め刺し。三人とも大人の体ということもあり、そこまで苦労している様子はない。


 当然消耗自体は避けられないが、すぐにキンググリズリーから手に入れた力によって、作業の効率は上がっていくこととなった。


「弱ってるとは言え、三人でならどうにかなるものだな」


「次はもう少し元気な奴を相手にしてもらいます。もし不調を感じたらすぐ申し出て下さい」


 そろそろ弱った状態であれば一対一へ移行もさせたいが、今はまだ安全策を重視して進める。せっかく根付きはじめた自信や希望を、不意のトラブルで失っては余計な時間をかけることに繋がりかねない。


 一般的に、よほど魔力操作に長けていたり、体内の魔力回路が特別などと言った例外を除けば、成長速度はさておき、大人のほうが身体強化の効果を実感しやすい。


 魔力による身体強化は、魔素を取り込み、それを用いて肉体のそれぞれ筋や腱、関節、骨格、神経などに作用させることで運動能力を高めるものだ。


 キンググリズリーを狩ることで奴らの力を手に入れ、扱える魔力量が増えることによって、肉体を強化できる度合いも変わっていく。


 その際、まだ発育が終わっていないデイヴィらに比べ、既に鍛えられた肉体を持つ彼らは、身体強化によって上乗せできる容量(キャパシティ)も大きい。


 結果、実感としての成長が早く、初日の伸びも目に見えるものとなったわけだ。


「た、倒せた……まだ削られたキンググリズリーとは言え、自分たちで致命傷を与えた戦ったうえで……」


「三人がかりとは言え、初日でこんな成果が出るとはね……」


「お疲れ様です。よく頑張りましたね。今日はもうゆっくり休まれて下さい」


「ん? もういいのか?」


 気持ちのうえではまだ続けたいのかも知れないが、急な成長や認識の変化に心身が追いつかないのか、皆疲労困憊である。


 このまま続けても負傷などのリスクが増すのみならず、立ち回りなどの覚えも悪くなってしまいかねない。


 実際、街まで送る帰り道で遭遇した魔物との戦いでも、彼らは不用意に突出して補完し合えるポジションからズレてしまうなど、本調子とは呼べない様子であった。


 時に手綱を引きながらも素直に伸ばしていけたデイヴィたち三人と違い、まだ新しい感覚に戸惑っている様子もある。明日以降も、ペースはじっくりで教えることにしよう。


 ギルドで猟果報告とともに、駆除報酬と買い取ってもらった素材を山分けした額を渡して帰宅させたのち、キンググリズリー狩りを続けている四人と合流。日が暮れるまでスポット潰しに精を出した。


 翌日からも、大まかな流れは変わらない。それでも、目に見えて疲弊した姿を見せることも少なくなってきたので、ペースは徐々に上がっていく。


 無傷のキンググリズリーを、三人で……手傷を負った個体を、二人で……手順を細かく踏んでいき、遂には無傷の個体を、○○さんが単独で撃破するまでになった。


「よ、よしっ! 遂に自分一人の手でやったぞ!」


「おめでとうございます○○さん! 危なげない勝利でしたね!」


「ははっ、ありがとなショーティ。このまま強くなって、いつかは追いついて見せるぜ」


 溌剌と白い歯を見せる○○さん。しかし喜びに浸る彼へと、すぐさま仲間たちから冷やかすような揶揄が飛ぶ。


「いや、そりゃいくらなんでも無理でしょ。今だって他の個体が乱入してこないようお膳立てしてもらったうえでの一対一なんだし」


「周り見ろよ。ショーティが一撃で屠りまくったキンググリズリーが山になりそうだ。変に調子づいて突出した結果、パーティーに迷惑とかかけんじゃねぇぞ」


「お、お前ら……なんで素直に祝福してくれないんだよ……」


 分かりやすく落ち込む彼を見て、二人はご満悦とばかりに手を叩く。からかいの対象になってはいるが、雰囲気自体は悪くない。


 パーティーというのはどうしても、基本的に一番火力を有したアタッカーのペースになりやすく、その人柄次第では、本人の増長や他者の煽てなどにより、組織として簡単に瓦解してしまう。


 前世の頃も、勇者は人間ができていたとは言え、気位の高いエルフや頑固一徹なドワーフは自分を曲げないので、実力者かつ高い知性も有してはいたものの運用面ではほとほと手を焼かされた。もっとも、一番の問題児は違う奴だったけどーー。


「おいーーおいショーティ、大丈夫か?」


 気づけば肩を揺すられながら、名前を呼び掛けられていた。僕としたことが、うっかり物思いに耽ってしまっていたらしい。


「え……ああ、すいません。ぼんやりしてました」


「無理がたたってるんじゃねぇか? 俺らに付き合ったあとも、偉そうな名前のクマ公どもを狩り尽くしに行ってんだろ?」


「大丈夫? 今日はもう、早めに帰って休んだほうがいいんじゃない?」


 残る二人も、心配そうな目で僕の顔を覗き込んでいる。確かめるように頬や額まで触られて、情けないったらない。


「そうですね。今日は早めに休むことにします。でも最後に、立ち回りの確認だけしておきましょう」


 そうしてはじまった、戦術面の訓練。三人は会敵したキンググリズリーを相手に、攻守で狙いを共有しながら、連帯して安定した削りを見せる。


「今ちょっと動きが被りかけなかったか?」


「悪い、フォローに回るとき注意も引こうと思ったんだけど、ロスして○○が一人で相手する時間が増しちまった」


「次からは外側から追い越すだけじゃなく、交差しながら立ち位置を入れ替える方法も試してみない? それなら私と○○の遊撃性を活かして、より相手を撹乱できると思うんだけど」


「俺はいいが、その場合のリスク管理はーー」


 エルシィさんのように卓抜した部隊指揮の能力はなくとも、助言を元に気心が知れた同士話し合いながら、彼らは着実に修正は進んでいた。


 個々の力量が上がってからも、緊張感が失われることはない。少し前までの生死に関わる危機感が功を奏しているのだろう。


 声を掛け合いながら、時に引いては前のめりになった敵を的確に崩し、崩しては体勢を立て直させる間もなく迅速に仕止める。


 このペースなら、あと何日もせずに僕抜きでキンググリズリーの駆除を請け負えるようになるだろう。


 いつまでもエルシィさんに任せきりというのも気が引けるし、僕も元のパーティーへそろそろ戻るタイミングでもある。



「なあなあ、さっき俺が奴に入れた止めの一撃を見たかよ。もうどんな魔物にも負ける気がしねぇぜ」


「またあんたはそんなこと言って……仕損じて、あいつらの腹に収まるようなことになっても知らないわよ」


「まあまあ。しかし俺らも、あと少しで一端のキンググリズリー狩りってところかな。どうだいショーティ」


「順調に仕上がってきたと思います。もうじき俺も要らなくなるでしょう」


 連携も深まりを見せる中、僕は彼らと街への帰路を行きながら、冒険者の層の薄さについて考えていた。


 今面倒を見ている彼らやデイヴィたちのように、素質のある者たちがいないわけではない。


 だと言うのに、この支部ではつい最近まで、キンググリズリー程度の魔物すら安定して狩れるのは、副支部長のような人員に限られた。これはいったい、どうしたことだろう。


「うちの支部って、この辺りでは強い冒険者が集まりやすいんですか?」


「ん? そうだな。やっぱりデカい街の支部ってこともあるし、腕利きの連中が集まってるはずだぜ」


 となれば、やはり問題は環境ということになる。前世の頃だって、冒険者の質など玉石混交ではあったが、それでもこれはという人材は今よりはるかに多かった。


 原因として真っ先に挙げられるのは、金銭的な余裕のなさだろう。昔の冒険者たちは暴飲暴食に夜遊びと

、節制のせの字も知らない者たちばかりだった。


 それでも、引き下げを提案されるような今とは違い報酬が毎年上がるような景気のよさ。その日暮らしのチャランポランな奴でも装備や備品などへ投資できるゆとりがあったのだ。


 それが今では、新人に武器の貸し出しもなく、体を痛めようと無理して依頼を受けざるを得ない日々の中で、さらに負傷箇所の悪化を余儀なくされる始末。備品のポーションすら、半ば高級品のような扱いとなってしまった。


 こんな土壌では、例え才能や向上心があろうと、昔のように放っておいても頭角を現せるという図式が成立しずらくなってくるのは自明だ。


 本来であれば、他の冒険者たちも過不足ない域に到達するまで、装備の整備費用や治療代を貸し出したり、鍛えて戦力の上積みを計りたいところである。


 しかし、冒険者が皆、今交流のある者たちのように気のいい奴らばかり、というわけではない。無闇に粗暴な者は減ったが、こと金銭の貸し借りともなればトラブルが起きるのは火を見るより明らか。残念ながら、踏み倒され続けても笑っていられるほどの余裕は今の僕にはない。


 ましてや鍛えるなど、副支部長が間に入ってくれたとしても、この子供の体では困惑や反感を買うだけだろう。


 かつて棄民された民たちを鍛え上げたときは、まがりなりにもドルイドと民衆という上下関係性が一役買った。


 しかし今は、同じ冒険者同士という横一列の身分。どれだけ過分に見積もったとしても、腕を認めて従ってくれる者など、果たしてどれほどいようものか。


 結局互助の限界を超えるには、ギルドが主体となって何らかの支援策を打ち出す必要がある。


 しかし、それも今の支部長では難しいと言わざるを得ない。あの目先のコストカットで安物買いの銭失いを続ける男が分不相応な地位にのさぼる限り、状況は悪化の一途を辿るのみだろう。


「そら、帰るまでが依頼なんだから、ぼんやりしてるなよ。傷の少ないキンググリズリーも手に入ったことだし。戻ったら、とびっきり美味い飯が待ってるからな」


「いつもありがとうございます。みんなも喜びます」


 今回○○さんたちが戦力として加わってくれたのは、間違いなく現状を改善するうえでプラスになった。


 しかし、僕らやこの街、そして世界を取り巻く状況に変わりはない。結局は前世の頃と同じく、まずは目の前の課題をこなし続けるだけだ。



「そらっ、て、危ねぇ!」


 僕は打ち込んで来る際、体勢を崩し倒れ込んできた○○さんを避けながら、危うく転倒するところだった彼の腕を掴み引き上げる。


「大丈夫でしたか?」


「あ、ああ、すまねぇ。しかし参ったな、本気で戦っても、まるで勝てる気がしねぇ……」


 苦笑の裏に悔しさが見え隠れする彼へ、○○さんは以前の腹いせにか、ややキツめの叱責を飛ばす。


「だから言っただろう。俺ですらキンググリズリーを狩れるようになって少しは差も縮まったかと思いきや、かえって底知れなさを実感させられてるぐらいなのに。お前が先に勝つなんて、おこがましいわ!」


 天然の気でもあるのか、端から聞いていてもヒヤリとするものがある過剰な一喝。最初に煽ったのは自分ということもあってか、○○さんは笑って受け流している。


 しかしその頬は恐怖からか、それとも人前で面罵された羞恥や怒りからか、先ほどから小刻みに痙攣している。前世の頃に比べれば減ったとは言え、それでも冒険者同士の刃傷沙汰は決してなくなったわけではない。


 同じパーティー内でまさかとも思うが、しかし全体で見れば、内輪だからこそ話や関係が拗れるうちに弾みで、というケースのほうが多いものだ。


 いざというときには、僕が間に入らなくては。うっすらとは言え、確実に漂い出した緊張感を打ち消してくれたのは、○○さんの開けっ広げな声だった。


「て言うかあんた、普通にやっても勝てないからって、わざと倒れ込みながら体当たりしようとしなかったでしょうね」


「さ、さすがの俺も、子供相手にそんな真似しねぇわ! つうかそれが事実だったら、こんな風に倒れる前に支えてもらうとか情けなさ過ぎだろ!」


「あと○○! さっきのは明らかに言い過ぎ! 茶化されるのが嫌なら、面倒でも普段から言い返しなさい!」


「わ、わかったよ……これからは気をつける」


 剣呑な空気は霧散し、大声を上げる彼女から離れた二人は、多少ぎこちないながらも手打ちの和解を済ませた。


 そのまま休憩に入る二人の姿に、思わず安堵の溜め息が漏れる。一先ず、トラブルの火種は無事消えてくれたようだ。


 日が暮れ街へ戻ってからも、こうして教会の庭で稽古をつけているうち、いつしか彼らもこの教会に泊まりはじめた。


 元々お祝いの日に姿を見せていたよう、定期的にこの教会へ足を運んでいたらしく、ベサント司教もあっさりと許可を出してくれた。


 ひょっとすると、彼らもヤクザ者たちとのいざこざを警戒して、僕らに力を貸してくれているのかも知れない。


 もっとも、今のところは何かが起きる気配もないので、寝るまでの間はこうして訓練に時間を当てている。


「なあショーティ、俺も外に連れてけよ! 死にかけのキンググリズリー殺すぐらいなら俺でもできるし、それだけで強くなれんだろ!?」


 手が空いた僕へ、ウィルが懲りずに何度目かもわからない要求をしてきた。僕もとうとう堪えられなくなった溜め息を吐き、半ば定型文と化した返事を声に出す。


「まず冒険者登録をしなきゃね。今いくら貯貯まったの?」


「だからそれは、貸してくれたら稼いですぐに返すってばっ。そのためにも俺を鍛えて冒険者にしろよ。利子付けていいから!」


 生意気に何が利子だ。金貸しの怖さも知らないくせに。だいたいこんな子供がギルドの門を叩いたところで、副支部長のげんこつで半ベソかきながら追い返されるのがオチだろう。


「まず、自分の力で金を貯めること。そしてもう少し強くなってから改めて来な」


 なおも駄々を捏ねるウィルを、課題として与えた足捌き用のラインを引いた場所へと連れていく。ドリル形式で基本を覚えながら、同時に機能的な体を作るためのメニューだ。


 まず彼にやらせて多少の上達を確認したあと手本を見せると、ウィルは悔しそうな顔ながら文句を飲み込み、時折悪態をつきながら練習に打ち込みはじめた。


 やる気があるのは認めるところだが、例え力をつけたとしても、今のままでは呆気なく死んでしまうだろう。 


 ましてや、現状ただの小さな子供だ。そのうえ、立ち回り以前に剣の握り方からはじめている段階とあっては、時期尚早もいいところである。


 いずれは時間が許すときにでも、試験に合格したうえで十分外に出られると判断した子から、適正レベルの魔物を手順を踏みながら狩らせようと思ってはいるのだが……現段階では、当分先の話となるだろう。


「ねえショーティ君、私も少しいいかな?」


「あ、はい。では向こうではじめましょうか」


 先ほど二人を仲裁した○○さんに声をかけられたので、僕は彼女の相手を務めることにした。


 対面した彼女は、小気味良いステップによるスピーディーな動きで、左右へ揺さぶりをかけながら間合いを詰めてくる。


 そうして彼女たちに作った、普段使っているものと形だけでなく、重さや重心までほとんど変わらない二本のナイフで、僕へ踊りかかってきた。


 二本それぞれの切っ先で美しい弧を描きながら、フェイントを織り交ぜつつ、息つく暇もない手数の多さでコンビネーションを繰り出してくる。


 迎え撃つこちらの手にあるのは、一本の木刀のみ。必然的に受けられないもう一対のナイフを見越して動かざるを得ない。


 こちらが受けた隙を突くと見せかけ、二本を同時に突き出す不意打ちを屈んで避け、そこへ間を置かず繰り出された蹴りを空いた腕でブロックしつつ受け流すことにより体勢を崩し、カウンターの一撃を狙う。


 かわし方や弾き方も含め、矢継ぎ早な駆け引きが僕らの間で繰り返される。僕は時に弧を描くよう動く彼女に対し、なるべく大きくは動かずに、隙を突いて退かせたり、苦しい体勢で次の動きへ移れなくさせた間に距離を取りながら立ち合いを続けた。


 単純に力で打ち負かしては、お互い得られるものもなくなってしまう。


 当たりそうでも避けられる。崩れそうでも脆くはない。そんな動きで相手をすることにより、彼女は素早さや身のこなしというポテンシャルに頼らない攻撃の組み立てを。


 そして僕は、相手の技術的な欠陥の原因や身体的に足りない要素、目の前で試行錯誤が繰り返される思考への洞察を得られる。


 例え身体能力や魔力が桁外れに優れていようと、ただ爆発的な才覚を全開で発揮するだけの人間は、本質的に二流である。


 真に一流であるなら、相手の力量に合わせ己が発揮する力を調節しながらも、それは決して単なる手抜きに繋がらない。


 ギアがどれだけ上下しようが、その時々の帯域で組み立てを成立させ、相手と噛み合わせる。それすらできない者が、どうして目先を変える以外の方法で一本調子に陥らず、己が力を戦略的意図を持って発揮できよう。


 もっとも、若者や経験の浅い者であれば仕方ないだろうが、ある程度の年齢でこれも覚束ないようなら、人を扱うことなどロクにできないだろうし、よほど力の差でもない限り相手の手のひらの上で踊らされるのが関の山だ。


「ふぅ……きっと達人って、君みたいな子のことを言うんだろうね。何度打ち込んでも、全部寸分狂わず防がれて返されちゃうんだから」


「そんなことないです。○○さんもよく上達されていますよ。さっきの安定した流れを作りながら、相手を追い詰める際に見せたコンビネーションは見事でした」


「ショーティ君が上手く引き出してくれるから、最近じゃキンググリズリーを相手にしてても自然に連撃を叩き込めるようになったよ。まあ、そのショーティ君には、まるで決まりそうもないんだけど……ほんと、レベルが段違い過ぎて」


 そう力なく笑う彼女ではあるが、その前に相手をしていた○○さんも含め、二人も着実に腕を上げている。今なら単純な力量だけで見た場合、恐らく副部長に迫るまでに成長しているはずだ。


「前までは威力が足りないせいで、攻撃するにも振りが大きくなって避けられないまでもインパクトをズラされたり、強い魔物相手には翻弄するにも連撃叩き込むにも中途半端で。別に指摘されたわけではないとは言え、このパーティーのお荷物になるのも時間の問題だったんだけどね」


 でも、と。さも何気なしと言った風情で語りだした彼女は、さらに言葉を紡ぐ。


「今なら自分の動きの質を高めていけば、単に斥候や敵の気を引いて前衛のサポートをするだけでなく、状況に合わせて自分でも魔物を仕止めることで、前のようにパーティーに貢献できるようになれたんだ」


 照れ臭そうなはにかみ笑いからは、確かな充足感が滲んでいる。その表情を前にしていると、自然に僕も自分の目元が緩んでいくのがわかった。


「さっきもありがとうね。○○って強いのに傲らないし気前のいい奴なんだけど、ときどきああなって。○○のほうも、少し悪ノリが過ぎるときがあると言うか。一緒にいて楽しい馬鹿な奴なんだけどさ」


 彼女がわざわざ、こういった形で感謝を口に出した理由がわかった気がした。


「お二人のことが大切なんですね」


 僕の言葉に、○○さんは目を細める。


「一緒に依頼をこなすようになって、それなりに経つからねぇ……もっとも、今はショーティ君のほうが大切だけどーーとぉっ!」


 唐突に、○○さんは僕のことを抱きすくめ、頬擦りまでしながら露骨に甘えた声を上げてきた。


「おねえさん、ショーティ君が元のパーティーに帰っちゃうの寂しいなあ。ずっとこっちに残ってくれないかなあ?」


「ちょっ、何してるんですか、やめて下さいよ!?」


「んー? もごもご言われても聞こえないなー?」


 それは○○さんに頭を押さえ込まれているからであり、ちょうど顔が埋まる形になっているおっぱいは、すごく……大きいです……。


 普段は邪魔にならないよう、何かで抑えているのだろうか。その状態でも、普通に膨らみがあるなあと煩悩を刺激されていたとは言え、この感触は完全に予想外だ。どうしよう。


「おっ、ひょっとして照れてる? ショーティ君もおませさんだなあ」


 いや、それは当然照れもあるのだけれど、おませという言葉で幾らかは我に帰る。


 そうだ。僕は見た目は子供でも頭脳は大人。恐らくトータル三十路越え程度のおっさんなのだ。


 ○○さんとて、仮に僕が前世の姿であったなら、決してこんな痴女がごとき行動はしていないはず。


 例えこのまま、不可抗力的に堪能していようが咎め立てもないだろう。それでも、人々を導く立場にあるドルイドとしての道義的責任から、僕は脱出の一手を打った!


「うりうり、むぎゅーっとされたら途端に声も、ってーーわひゃひゃひゃひゃっ!」


 覚悟を決め伸ばした指に、極小とは言え相手を状態異常にする呪術【悪意ある精霊の誘い】の効果を纏わせながら、○○さんの脇腹をくすぐり倒す。


「あはははは! やめっ、やめてショーティ君! あひっ! あひひっ!」


 拘束する腕がほどけたので、抜け出しやや距離を取る。そこには見るも憐れな姿を晒した○○さんが、未だ体を小刻みに痙攣させながら泡を吹いていた。


「いいなあ、ショーティのやつ……あ痛っ、痛いってお前らっ」


 デイヴィの前半呑気、後半制裁を受けているであろう声が聞こえる中、僕は半ば意識が混濁した様子の彼女に【芽吹く清浄】をかけた。


「ショーティさん、大丈夫でしたか?」


「○○さん、ショーティいじめるのも、その辺にしてあげて下さいよ」


 お灸を据え終えた二人に助け起こされる中、前後不覚から脱したらしい○○さんは疲弊した様子ながら苦笑いで弁明する。


「いやあ、あんまり可愛いもんだから、ついからかって遊びたくなっちゃって」


「いけませんよ。ショーティさんは純粋な方なんですから」


「なら、そこで伸びてるデイヴィ君のほうを……」


「そ、そっちはもっと駄目です!」


 別に、純粋じゃないのに……時折彼女たちへ正体を明かし、これまでとは打って変わって冷ややかな視線を浴びる妄想が頭をもたげる身としては、なおのこと自身の不純さを自覚させられる擁護である。


 とくに、騙してるのが普段から親しくしている同じパーティーの子供たちというのが、余計に心苦しさを増幅させる。


 しまいにはどこからか『どういうわけか蘇ったかと思っていたら、兄さんの品性は本っ当に最低最悪ですね……』というパトリシアの声まで聞こえてきた。あの世から僕のことを見ているのだろうか。


 だとすれば、ショタと化し実質年下の巨乳に顔を埋め狼狽する僕の姿に、まるでゴミへ向けるような眼差しを送っていることだろう。ああ、兄さんとして恥ずかしや、情けなや……。


「私だって純粋なんだけどなあ。ねえショーティ君」


「ああ、はい……そうですね……」


 自分でもローテンションとわかる受け答えに、今度は○○さんのほうが狼狽し出した。


「え……ご、ごめん。今ので何か、トラウマになっちゃったり……?」


「いえ……さっきのとは別件で……ちょっと思うところがありまして……」


「もう、これ以上純朴な男の子を悪い道に誘わないで下さいっ」


 そうして二人に引っ張られた先で、膝を抱えぼんやり佇んでいると、いつの間にか戻ってきていた○○さんが、僕の隣へどっかりと腰を下ろした。


「さっきは役得だったなあ坊主。あいつのオッパイ、大きくてやわらかかったろう?」


「はあ……」


 もしかして、二人はそういう仲なのだろうか。一瞬邪推した僕の頭をぐらつかせるよう撫でながら、気でも効かせてくれているのか猥談を続けてくれる。


「まだ毛も生えてないチビッ子には有り難みもわからんだろうが、それでも羨ましいぜ。何せあいつの乳とケツはーー痛っ」


 毛がつるつるな心もとなさは、僕とて気にしてるところだけど……そう思っていると、彼にも制裁の飛び蹴りが放たれた。


「ば、馬鹿! 子供になに聞かせてるのよ!?」


「け、蹴ったな馬鹿野郎! お前がさっき自分で胸押し付けてたんだろうが!」


「別にあんたにじゃないしっ、ちょっとはデリカシーってものをーー」


「お、おいおい二人とも、やめろって子供の前で……」


 揉める側と仲裁する側が入れ替わった三人を眺めていると、頬のもみじを摩りながらデイヴィが聞いてきた。


「あの人たち、三人なのにショーティを抜いた俺らよりキンググリズリー狩ったんだってな」


「え……ああ、うん。ギルドで聞いた感じ、そうらしいね」


「こっちにはエルシィさんがついてるってのに、もう追い越されちまったよ。まあ、別に張り合おうってわけじゃないんだけどさ」


 肩を竦めながらの口調とは裏腹に、彼の言葉には微かな悔しさが滲んでいた。


「伸び代自体は、みんなのほうがあるよ」


「……そうか。そうだな」


 一定の経験もノウハウもある三人に比べ、デイヴィたちはまだ駆け出しを卒業したばかりの中堅未満。例えエルシィさんがそこに加わろうと、負けてしまうのは仕方ない。


 もっとも、その差はさほど開いているわけではない。キンググリズリーをかれるようになって張り切っている三人に対し、僕からの無理せずにという指示を受けたエルシィさんが率いていることを考えれば、むしろ健闘に胸を張るべき結果だ。


 みんなが各々の可能性をモノにできるか、これからも危険な冒険者稼業を続けるべきかはさておき、ここまでの彼らは本当によくやっている。


 それに、過度に激化したり序列自体に拘りはじめないなら、競争心も動機付けとして悪くはないだろう。


 デイヴィの表情から、影が薄れる。何かを追いかけられる彼らの若さが、少しだけ羨ましく思えた。


「しかしあれだな。少し前までぺーぺーのヒヨっ子だった俺らに将来性があるって言うなら、お前なんて末は何になるって言うんだよ」


 破顔する彼に合わせ、僕も割かしあたたかな気持ちで笑みを浮かべる。今生での僕、いったい何になるんだろうなあ。


 既に妹のパトリシアは死んでしまったそうだが、祖国には一度足を運んでみたいと思う。


 けれど、いざ自身の将来のこととなれば今一つ浮かんで来ない。前世ではドルイドを多く輩出する家に生まれ、無事修行を終え史上最年少でそこに名を連ねるまでは順風満帆であった。


 もっとも、その後いろいろとあって軍の関係者を頼り家を遠く離れ、さらには棄民された民と国を発ち、その祖国が魔族の侵攻を受ければこれを撃退に戻り、魔王討伐隊の一員として二十五歳で死亡。


 自分で言うのもなんだけど、随分とっ散らかった人生だ。とくに家がゴタゴタした辺りからは、目の前のことに必死でとても夢だの将来だのと考える余裕もなかった。


 強いて言えば、民の安寧と妹が待つ国へ戻ることが目標ではあった。


 しかし前者は、棄民政策を止められなかったうえ、祖国に攻め寄った魔王軍を食い止める際に大勢死なせてしまったし、後者に関してもそれは同じ。


 挙げ句おめおめ生き返っておきながら、帰りを待ってくれた彼女の死に目にすら会えなかった。


 とりあえずは、この教会でベサント司教に力を貸し、まずは近隣から貧困層の安定した生活基盤を構築していけたらとは思う。


 しかし、時代はどうも大戦前夜を思わせるキナ臭さだ。中間層の没落による格差の拡大は、容易に階層の移動を望めないほど広がりきっており、彼らは減税や公共事業などで救済されるどころか、増税に加え異民族や異種族の流入によって、既に限界まで追い込まれている。


 少しのきっかけで火が付けば、たちまち大爆発を起こすことだろう。


 さらには、民族や種族間での軋轢、他国の商業ギルドによる民営化の名を借りた売国、棄民政策としての冒険者という役割の強化……。


 キンググリズリーの大量発生という異常自体を抜きにしても、このギリギリを通り越した社会は必ず近々弾けるだろう。


 だとすれば、この中で生きるしかない僕の人生もまた、実質前世の焼き直しに終わる可能性は高い。


 歴史は同じようには繰り返されないが、しかし往々にして韻を踏むものなのだから。



 教会には今日も、頭の上にネコ科の耳を生やした少女が、大口を開けて皿の中身を頬張っていた。


「おかわりか」


 ララは咀嚼をやめることなく頷き、無造作に空になった皿を突き出してくる。


「ララちゃんは食べっぷりがいいから、作り甲斐があるわ」


「今日はまだ日持ちしないものが残ってるから、遠慮しないで、たぁんと召し上がれ」


 よそった物を持って席に戻ると、教会の方々がララの世話を焼いていた。


 内心トラブルの種になる可能性も危惧していたのだが、今のところ来るのが彼女だけということも幸いしてか、何事もなく可愛がられているようで何よりだ。


「これ私が作ったんだよ。美味しい?」


「うん。まだある?」


「そっかあ! ララちゃんの口に合うみたいでよかったなあ」


 お互い言葉は通じていないが、それでも大まかなやり取り自体は成立している。


 最初は互いに遠慮がちだったものの、今では料理に対し素直に表情を綻ばせたり、嫌そうな顔で断ったりと、ララは感情を表に出すようになっていた。


「ララ、ちょっとネックレスを見せて」


 満腹になるまで食べてご満悦そうなララが、首から外したそれを僕へ手渡す。


 まだ効果は十分期待できそうだが、念のために魔石を新しい物と交換しておこう。


 日用品として使うものであれば勿体ないかも知れないが、これは命を守るためのもの。ケチる必要はない。


 それにしても、これだけ彼女の様子が変わったと言うのに、少なくとも彼女に関係する獣人たちがこの教会へ来ないあたり、刻んだルーンはしっかりと作用しているようだ。


 こんな小さな子が、平時にも関わらず隠業系の効果に守られているという状況も間違っているのだが……一応保護者がいる手前、教会が彼女を引き取ることは難しい。


 何より、彼女自身が家へと帰ってしまうのだから、今のところは様子を見るしかない。


 少なくとも、あれから新たな怪我を負わされた様子はないとは言え……かつての加害者たちから半ば空気のように扱われる家で、彼女は何を思っているのだろう。


 僕であれば、兄弟たちにやられた日は悔しさのあまり眠れなくなったし、家を出る前の時期などは馬鹿なりに思い詰めもしたものだが……。


 今は無邪気な顔も見せるようになったこの子も、教会の外でのことは話したがらない。


 その際の、どこか押し殺したような目を見てしまうと、大人としてやりきれない思いになる。


 ずっとこのまま、というわけにもいかないだろうし……彼女の今後についても、考えなければならない。


 そんなことを思っていると、ララは○○さんが置いていた二本のナイフを模した木刀を握って、おもむろにそれを振りはじめた。


「ほう……」


「おっ、ララちゃんカッコいい! 冒険者さんみたいだね」


 周囲の反応も、決して猫可愛がりなだけのものではない。


 子供にはやや大ぶりなサイズのナイフを模した木にも関わらず、予想していたよりはるかに扱えている。


 ステップの細かさ、滑らかさなども、今見た限りでは悪くない。


 ここでチャンバラごっこに勤しんでいる子供たちの中で言えば、現時点で最もスジがいいのは間違いなくこの子だろう。


 感心していると、ララはこちらへ向け確認するよう木刀を振る素振りを見せた。


「こんなふうに、止める動きが大事なんでしょ?」


 そう言いながら、小回りの効いたピーキーな動きを披露するララ。


 ただ力強く振り抜いたり、正面へ真っ直ぐ駆け抜けるだけであれば、程度の差こそあれ健康ならば誰にでもできる。


 しかし、そのように単調な動きでは敵に狙いを読まれるうえ、対応も容易。


 一つの対策で抑え込めるそれは、単に不器用な凡人のみならず、適切な師や環境を得られず、せっかくの天ぶ※の才に振り回されてしまう者にも多い。


 今彼女が見せたような、軸を崩さず力に頼ることもない動き。


 小さく連続して連動することにより、まるで地面を撫でるかのようなステップは、このまま無事成長できたなら緩急自在に相手を翻弄するようになる可能性まである。


「サマになってるな。見て覚えたのか」


「うん。みんなに教えてるのとか、大人と戦ってるのを見て。あと、これ使ってる女の人が少し教えてくれた」


 彼女には木刀を作ってやった覚えも、戦い方を教えたこともない。


 言葉も通じない中で見て覚えるというのは、相当なセンスが必要とされる。ただ真剣で、賢く努力ができるというだけでは難しいことなのだ。


 下手な駆け出し冒険者に比べ、切り返しの動きも随分できている。


 多少バリエーションを欠くガムシャラなだけの連撃も、どれだけ回転数を上げようと、手打ちにならない斬撃が出力を失うことはない。


 これは将来が楽しみだなあ。そう見守っていると、ララは手を止めこんな質問をしてきた。


「冒険者って、どうすればなれるの?」


「どうって、今は金さえあればいいみたいだけど……なりたいの?」


「うん。みんなみたいに、ララもお金を稼いで役に立ちたい」


 即座に頷く彼女は、そんなことを言いながら真摯な瞳をこちらへ向けてきた。


「そうか……そのまま鍛練を続ければ、強い冒険者になれると思うよ」


「いつ頃なれる?」


 少し頭を抱えたくなりながら、言葉を選びつつ返事をする。


「ええとね……読み書きまでは求められなくとも、最低限の会話をこなせる必要はあるかな。受験費用もかかることだし」


「じゃあ人間の言葉を覚える。必要なら読み書きも勉強するし、お金も少しずつ貯める」


 目の前の少女には、少し焦りがあるように思う。僕らの役に立ちたい、という思いは本物だろう。


 けれどその裏側には、本人も気づいていない部分で、別の焦燥や不安があるのではなかろうか。


 例えば、今いる環境から離れたいとか、ここで支援を受けることに罪悪感を抱いてしまっている、とか……。


「うん……じゃあキンググリズリー狩りがある程度落ち着いたら、日常会話のレッスンをはじめようか。それがある程度身に付いたら、この教会で仕事を斡旋して貰えるよう頼んでみるよ」


「そうしたら、いつ頃なれる?」


「今すぐ具体的なことは言えないけど、早くとも一年も経った頃には準備が整ってるんじゃないかな」


 一年。そう呟いたララの言葉は、先ほどまでの勢いが削がれたかのように酷く重いものだった。


「いや、言葉を覚えるにもお金を貯めるにも、ある程度時間はかかるものなんだよ。たったの一年じゃないか」


「そんなに待てない。言葉は半年、いや、二ヶ月で覚える。仕事も掛け持ちすれば……」


「いや、そんなハイペースで持つわけーー」


「でも、そんなに待てない。休めなかったり寝れないぐらい慣れてる」


 頑なさを崩さない様子と、とんでもないことをさも、一食抜く程度ぐらいの感覚で口にして疑問にも感じていない彼女に、僕は思わずため息を漏らした。


「若いうちは体力や気力が尽きないことを、まるで自分特有の長所のように感じるかも知れない。けどそんなの、単に一生のうち有限な生命力を磨り減らしまくってるだけなんだからな」


「で、でも、自分だって浮浪児だったんでしょ。そこから働いてーー」


 上擦った声で早口になる彼女の前で、僕はその辺に落ちていた単なる棒切れを、まず剣の形に、次いで槍、そして最後には二本のナイフへと加工して見せた。


「俺とみんなとじゃ、まず才能からして違う。技術、知識、経験も。俺と同じようにできる奴は、少なくともここにはいない」


 俯くララに、僕は今作った練習用のナイフを握らせる。


「別にそれは、恥じるようなことじゃない。普通に育つことが許されるなら、それを選ぶことが長い目で見れば一番だ。どうしても待てない事情があるなら言ってくれ」


「別に事情とかじゃない。早く役に立ちたい」


「なら、そのためにも時間をかけて成長して欲しいんだけど」


「でも、早く役に立ちたい。役に立てるようになりたい」


 いつしかベソをかきはじめたララは、しゃくり上げながらそれを何度も繰り返しはじめた。


「泣いているようですが、何があったのですか」


「早く冒険者になりたい、と」


 何事かと周囲に人が集まりはじめた中、ベサント司教の確かめるような質問に答えると、彼女も困惑を露にする。


「なりたいって言っても……ララちゃん、まだ小さいんだから危ないよ?」


「もう少し大きくなってから、そのとき改めて決めよっか? 何も今すぐじゃなくたって……」


 周囲はそう諭すが、例え言葉が通じていたとしても、彼女を頷かせるのは並大抵のことではないだろう。


 まだ十歳になるより前、僕にもそういう時期はあった。側室かつ庶民の出である母の立場のためにと、周囲の心配をよそに寝る間も惜しんで努力をした。


 単にドルイドになるだけでは駄目だ。過去最も優秀であることを示しながら、最年少でという記録を打ち立てねばーー。


 そんな誰の言葉かを、周囲が次々潰れ消えていく中、半ば強迫観念じみた妄執で急き立てられるままに追いかけ続けた。


 彼女がここまで性急なのは、自分が存在するということを無条件に信じられずにいるからだ。


 迷惑をかけないようにしなければ、役に立たなければ。そうでなければ嫌われ、追い出されるかも知れない。そんな疑念が、彼女に事を急かさせているのだ。


 彼女に非は一つもない。余裕のない環境で育てば、誰だってそうなる。


 今彼女にもっとも必要なのは、語学でも力でも資格でもない。ただただ、自分は安寧を貪ってもいいのだという安心感を得ることだ。


 けれど果たして、それはいつになることだろう。十年後? 二十年後? 生まれ変われば?


 そもそも一度恐怖が骨身に沁みてしまった人間が、そんなものを得るなんて絵空事なんじゃないか? 現に僕とて、結局母さんにーー。


「ララ、よく聞いて」


 ループする負の思考を断ち切り、大人として彼女に提案する。


「一年後、冒険者として無事やっていけるかどうかのテストをしよう。それに合格したら、あとはララの好きにしていい」


「……どうしても、一年待たなくちゃ駄目なの?」


「正直、三年や五年のスパンで取り組んで欲しいのが正直なところだけど、成長次第では一年。それで駄目でも、半年置きにテストをするし、それまで経たなくても問題ないと判断したら冒険者登録の試験受験を認める。これでどう?」


 複雑そうな表情で、しばし彼女は熟考する。


「それは、何回まで落ち続けていいの?」


「別に回数は決まってない。納得するまで受ければいいし、もし他にやりたい仕事ができたら、そっちに進んでも構わない」


「……絶対冒険者になる。なって魔物をたくさん狩って、みんなの役に立つ」


 ……現時点では、これ以上を望むべきではないだろう。


 無理に言いくるめ言質を取ったところで、これから育んでいくべき信頼関係に傷がついては意味がない。


「終わったか」


 気を見計らいかけられたデイヴィの声。頷くと、一先ず周囲の張り詰めた空気が和らぎはじめた。


 険しい表情のベサント司教へ、やり取りの大まかな推移を伝え、ララの今後に関しても相談をする。


「危険な仕事なので、正直気乗りはしませんが……せっかく掲げた目標を奪ってしまうのも、あの子のことを思うと……」


 苦い顔なのも当然だろう。本来、子供が冒険者になりたいなどと言い出したら、良識ある大人なら止めるものだ。状況さえまともであったなら。


「すいません。必要なものがあったら、何でも言って下さい」


「あなたも、くれぐれも自重するように。その力は天から役割を果たすために与えられたものですが、最近無理をし過ぎではないのですか? まだ子供のうちから……」


 疲労が滲んだ様子の彼女へ声をかけると、逆に注意を受けてしまった。別に、何の問題もないのだが……この人の言葉だし、一応気に止めておくことにしよう。


「彼女の件は了解しました。言葉が通じない以上、まずは教会内での手伝いなどをさせて、その駄賃を貯めさせようかと思います」


「それがいいですね。よろしくお願いします」


 言葉が通じず筆談という手段も使えない子供の世話で迷惑をかけるが、それでも彼女は引き受けてくれた。


 さすがは、若い頃○○の下にいただけのことはある。彼女の使命感は、聖職者の鑑と呼ぶべきものだろう。



「さあ、今日は遂に討伐数が大台に乗ったからな! じゃんじゃん食べてくれ!」


「大台っつったって、今日の時点じゃショーティに手伝って貰ったキンググリズリーも含まれてなかったか?」


「い、いいんだよ別に。それなら今度は自力で届かせてから、改めてお祝いに誘うだけだ」


 いつものやりとりをよそに、ソフィアが若干心苦しそうな様子で尋ねる。


「このお店、普段ご馳走になっているお店よりさらに高いみたいなんですけど、大丈夫なんですか?」


「平気平気、遠慮なく注文しちゃって。いつも通り、全部私たちの奢りだから」


 ○○さんが今言った言葉通り、僕らのパーティーは、ほとんど毎日のように○○さんのパーティーに食事を奢って貰ってきた。


 当初は向こうから、協力してもらうぶん金を払うと申し出られた。


 しかし、最初のペースが上がらない時期に金欠から、食事や休養が疎かになったり、装備の手入れが行き届かなくなっては目も当てられない。


 それを説明して断ったのだが、それでは向こうも納得できない様子だったので、ならばと食事代を出してもらうことになったのである。


 さすがに普段利用する店は、ここまでお高い値段ではなかったが……それでも、普段僕らが利用している食堂よりは豪勢な場所ばかりであった。


 それだけでなく、彼らは元々多少の信心深さもあったとは言え、教会への寄付などもしてくれていたようだ。


 それも教会内で耳にした話によると、単に寝泊まりさせて貰っている下宿代では到底収まらないような額だったらしい。


 駆除依頼の達成報酬や売却した素材代があったとしても、装備や備品などの経費を除けば、果たして一日どれだけ残ることだろう。


 向こうの面子を潰さぬためにも話題には出さなかったが、無事安定してキンググリズリーを狩れるパーティーに成長してくれ、正直内心ホッとしている。


 今の彼らなら、これまで使った費用などすぐにペイできてしまうことだろう。


 そんなことを思っていると、景気よくジョッキを※煽っていた○○さんが、しみじみと言った様子で語り出した。


「いやあ、思えばキンググリズリーたったの○頭に襲われてるのを、ショーティに助けられたのが事のはじまりなんだよな」


 言われてみればそうだった。当時僕は、てっきり狩りの最中の彼らに、不用意にも割って入ってしまったものだとばかり思っていたなあ。


「あのとき無料で治癒魔法を使ってもらっただけでなく、私たちでも狩れるぐらいにまで鍛えて貰っちゃったもんね」


「そういやあのキンググリズリー、俺ら黙って自分たちの手柄にしちゃったんだよな。今さらだけど悪かった」


 ○○さんはバツが悪そうに手を合わせるが、希少な素材の争奪戦でもしているならまだしも、たかだかキンググリズリー程度なら気にすら止めない。


「いえいえ、まだ山のように出てくるので、何の問題ないですよ」


「がはは、ちげぇねぇ! どっちのパーティーが多く狩れるか競争だな!」


 ○○さんの宣戦布告に、デイヴィたちも瞳を燃やす。相乗効果で、今後は駆除もより一層捗ることだろう。


 自然と話題は、次の狩り場や流れが出没する頻度などへ移り変わっていく。


 和気藹々とテーブルを囲む中、僕の頭には一つの懸念があった。


 それは、教会での祝いの日にヤクザ者から尋ねられた、魔力災害の可能性に関してのこと。


 一般的に魔力災害というものは、何らかの理由で魔素が急激に、もしくは偏った形で濃くなり過ぎた場合などに起きる。


 もしそれが起きてしまった場合、辺り一帯に夥しい量の魔物が現れる。


 その中には通常のものとは違う上位個体と呼ばれるものも混じっており、対応に手を焼かされたケースは多い。


 事態が深刻になると、濃度を増した大気中の魔素により、魔道具の不具合や故障が起きはじめ、最悪の場合には街一つ程度なら簡単に吹き飛ばす爆発が起きる。


 その危険性を測る数値は、ギルドでも機器を用いて計測している。その結果が、この頃悪化を続けているのだ。


 街ごと消し飛ぶような爆発までは行かずとも、今のままでは魔力災害が起きる可能性も十分視野に入れなければならない。


 副部長らとの話し合いの末に出た、目の前に迫る危機的状況。


 甚大な被害をもたらしかねない懸念は、僕らの予想より早く現実のものとなった。



 雨も降っていない真っ昼間だと言うのに、ギルドの館内には多くの冒険者たちの姿があった。


 不安げな様子の彼らが今注意を向けているのは、顔を真っ赤にして抗議を続ける副部長と、そんな彼を相手にする気もなさそうな支部長のやり取りであった。


「ですからッ、この数値が示しているように魔素の濃度は明らかな異常を示しているのです」


「そんなに大きな声を出さなくとも、十分に聞こえているのだがね。まったく、せっかく様子を見に来てみれば……」


 鬱陶しげな態度を隠そうともしない彼へ、副部長は肩をいからせ問い詰める。


「でしたらなぜ、魔素の不安定化に関係があると思われる施設へ連絡を取るなり、今後の対応を協議する場を設けるよう提案するなどしないのですか」


「それを決めるのは君ではなく、そして私がその必要を感じていないからだ。だいたいギルドで使われているのは、もう何十年も前から使われている骨董品のように古いものだろう。私が報告を受けている最新の機器を使った計測によれば、魔素はあくまで正常値から外れるものではない。子供でもわかる理由だ」


 なおも説得を続けようとする副部長へ、支部長はもういいと、不機嫌そうに対話の打ち切りを宣告した。


「君は剣の腕はこの辺りでも評判のようだが、いささか神経が細かすぎるようだね。魔力災害なんて、いったい何十年起きていないと思っているんだ?」


「かつては定期的な魔物の大規模駆除、森の継続的な手入れに治水工事などが行われていたからこそ防げていたのです。現在とはーー」


「ああもう喋るな。君たちが計測のたび無駄にしてくれた魔石の額を考えるだけでも頭痛がすると言うのに」


 ちなみにその際使われた魔石は、キンググリズリーから採取したもののうち、僕らがギルドへ売らず個人的に持ち寄ったものが用いられている。


 ギルドに備蓄されている魔石の量が心許ないとのことでそうしたのだが、どうせ平時では売っても過ぎた中抜きをするくせ、自前のものとして持ち寄ることすら文句をつけるのか……。


「いたずらに事を荒立て、それで仮に何もなかった場合の責任は誰が取るのかな? ん?」


「もちろん、私の責任にしていただいて結構です」


「だから知能の低い奴は嫌いなんだ! お前ごときのクビで何になる? 君の不始末は即座に私の失点になるんだよ!」


 覚悟を決めての言葉だったであろう副部長も、支部長の予想外の反応に、思わず絶句している様子。


「私を誰だと思っている! 長年上級官吏としてこの国に尽くしてきたのに、経歴の最後に汚点を残せと? 馬鹿も大概にしてくれ!」


 まったく、一から言わなければ理解できないとは、これだから……そう一人ごちながら、支部長は取り巻きとギルドを去るのだった。


 失意からか、それとも言葉すら失うほどの憤懣からか。その場から、まるで石になったかのように動かなくなった副部長へ、僕は声をかけた。


「魔素の不安定化に関係していると思われる施設へ話に行ってきます」


「……ああ、頼んだ」


 以前試験官を務めてくれた試験官らに、お願いしますと一言伝え、デイヴィたち四人にギルド職員を加えたメンバーで僕らは出かけた。


「しかしさっきの支部長、ほんと酷かったな。思わず文句の一つも溢しそうになったぜ」


「駄目よそんなことしたら。副部長の顔を潰すことになるでしょ」


「かえって迷惑になってしまいますものね……気の毒でしたけれど」


 前世の頃も、難局が迫る中で危機を招いた側が、なおもリスク管理に無頓着な姿勢を貫くことは珍しくなかった。


「副部長は本当によくやって下さってます。この記録さえあれば、もしかすれば……」


「そうですね。私たちは私たちで、最善を尽くしましょう」


 書類を大事そうに抱え込んだ年配のギルド職員へ、エルシィさんがかけた言葉はどこか気休めのように感じられた。


 とは言え、動いておいたという事実を残しておくことは重要だ。まだ魔力災害が起こるまで、少しは余裕もある。



「冒険者ギルドから来ました。責任者の方はおられますか」


 最初に訪れたのは、街から離れたゴミ焼却場。昔は国で運営していたはずだが、今では他国の文字で名前が付けられている。


 しかし通信用の魔道具へ呼び掛けても、少々お待ち下さいという返事を残して、それっきり話は無しの礫であった。


 職員が何度か呼び掛けている間、獣人の作業員の姿が見える。くたびれた作業員を纏う姿は、端から見ても酷く怠そうだ。


「すいません。こちらの責任者の方と話したいのですが」


「スイマセン。言葉(コトバ)ワカラナイノデ」


 通りかかった男へギルド職員は声をかけるが、作業員はしまった言わんばかりの様子で、厄介事はご免だと足早に去りかける。


「これで連れて行っていただけませんか」


 彼らの言葉で話しかければ、男はぎょっとした目で僕を見やり、次第にその視線を下げる。そこには今ポケットから出した銀貨が、僕の手に握られている。


「……俺に言われてもな。ここでやれと言われた作業をしてるだけだし」


 そう言いながらも銀貨を気にしてしまう素直な男のため、もう一枚ポケットから同じものを増やす。彼は迷った末、こっちだと短く言いながら歩き出した。


「さあ、行こうか」


「あ、あの人なんて言ってたんだ?」


「連れて行ってくれるってさ」


 先ほどの片言はやはり演技だったか、男は嫌そうな顔で僕に釘を刺してくる。


「言っておくが、部屋の近くまで連れて行くだけだ。あと、先に銀貨を渡せ」


「あなたが手引きしたとバレない程度の位置まで連れて行ってくれたら、きちんとお支払いしますよ」


 糞ガキ。そう忌々しげに言うと、彼はさらに歩みを速める。ついて来るのが大変そうなギルド職員へ身体能力強化の魔法を使いながら、僕らはあとを急いだ。


「ほら、この先を行くとすぐだ。もっとも人間どもがいるから、入れては貰えないだろうがな」


「十分です。案内して下さりありがとうございました」


「ふんっ、礼なんか要らんからさっさと寄越せ。あんまり長く離れてっと、やかましい人間にドヤされるからな」


 約束通りにコインを渡すと、男は足早に場を後にした。


「この先行けばすぐだってさ」


「すぐって……どうやって入るんです?」


「もちろん、今と同じやり方で」


 最悪、まだ前世の頃に比べ戦闘時でなくとも精度の怪しい、相手に幻覚を見せる呪術でも使わなければと覚悟もしていた。


 しかし、次に通りかかった人間の職員も、当初こそ疑惑の目を向けてきたが額さえ積めば、来客用の許可証をあっさりと僕らに手渡してくれた。


 こちらですという男のあとに続いていると、後ろからみんなの囁き声が届いてきた。


「おい、誰だよ。ショーティにあんな方法教えたの」


「わ、私じゃないわよ。そりゃあ、妙な卒のなさがショックだったのはわかるけど……」


 ショックだったのか。たしかに年端も行かぬ子供が、慣れた様子で賄賂を駆使しているのを見れば僕とて複雑な気持ちになるけれど……。


「む、昔ご苦労されたんですよ。教会に来た怖い方ともお知り合いのようでしたし……」


「単なる強さもそうだが、ショーティ君がときに見せる場慣れした様子は年齢にそぐわないほど堂に入っているね……」


「君たちの仲間の少年、大物なのだろうが少し将来が心配になるよ……君たちがよく見守ってあげなさい」


 はいと声を揃えた一同に、内心余計なお世話だと軽く毒づきながらも、僕らは所長室の前までやってきた。


「所長、冒険者ギルドの方々がお見えです」


「冒険者ギルド? それならさっき来たときに、相手にしなくてもいいと言っただろう」


「既にこちらまで参られております」


 強かな舌打ちのあと、ドアが開き僕らは中へと招かれた。


「本日はお忙しい中、朝に連絡というこちらの都合にも関わらず時間を取っていただいたこと、深く感謝致します。それからーー」


「それで、今日はいったい何のご用でしょうか。おわりいただけているらしい通り、我々も暇ではないので、手短にどうぞ」


 ふんぞり返って椅子に座っているのは、身なりこそよいものの瞳にはあからさまな嫌悪を宿した壮年の男であった。


 出鼻を最悪の形で挫かれた年配のギルド職員ではあるが、すぐに気を取り直して秘書の方へ資料を手渡す。


「では手短に。現在近隣一帯では、過去の魔力災害発生前と同レベルの魔素上昇及び、その不安定化が計測されております。その原因の一つと見られる当施設には速やかに作業員の退避及び、施設の稼動停止をお願いしたく」


「稼動停止と聞こえたが、私の耳がおかしかったかな」


「施設の稼動停止と、速やかな皆さんの退避です。お渡しした資料に目を通していただければ、御一考の価値もあるかと」


 秘書の手に渡った資料を受け取ることもせず、隠すことなく嘲る所長に対し、ギルド職員はあくまで粘り強く交渉を続けようとする。


 しかし、対話など基本的には望む者同士でしか成立しない。やはり彼の努力は、徒労に終わってしまうのだろう。


「これまで努力せず生きてきた、読み書きも計算も怪しい冒険者どものギルドが作った資料など資料とは呼ばん。だいたい、もし施設を止めたとして、その間に生じる損失や我々の給料などをギルド側が補填でもしてくれるのかね」


「それは難しいですね。しかし今止め避難しなければ、魔力災害の発生は必須。となれば魔物が押し寄せ、この施設とて使い物にならなくなることもまた必定。少しでも被害の少ない選択をされますよう」


「魔力災害など起きるわけがない」


 紳士的な対応を続けてきたギルド職員の目が、静かに細められる。


 それは今の所長の言葉の裏に、薄々気づいてはいることを明確に想起させられた苛立ちが垣間見えたからに違いなかった。


「いいか? 我々が街から運ばれてくる廃棄物を燃やし埋め立てるなどの処理しているからこそ、街は清潔さを保ち、君たちが足りない頭で大騒ぎしている魔素も安定してきたんだ! 最近はとくに送られてくる熊の魔物の部位も多くて、全体の流れに支障も生じていると言うのに……」


 使命感たっぷりな言葉の割に、男の体からは異臭一つしない。清潔な衣類から漂う洗剤の香りに、香水と整髪料の匂い。


 この部屋自体、これまで通ってきた施設内と違い、複数取り付けられた魔道具により常に不快な臭いが漂わずにいる。何ともチグハグなものだ。


「俺たちが狩ったやつかな」


「利用価値の低い部分が送られてきたんだろうね」


 これは無理そうだという空気に当初の緊張感を失ったのか、小声とは言えデイヴィが私語をはじめた。


 もっとも、答えた僕も含め誰からも咎められることはなかった。


 それほどまでに会談の体をなさなくなった中で、ギルド職員は初めて感情を僅かに表に出しながら、所長にこんな問いを投げかけた。


「失礼ながら質問させていただきますが、そのキンググリズリーの一部が、なぜ急にそこまでこちらまで運ばれてくるようになったとお思いですか」


「さあ、そんな下らんことを考える余裕はないのでね」


 所長は相も変わらずにべもない、見下げる言葉ばかりを吐き捨てる。


 下らないという言葉は、精神的に強いストレスを感じる話題に対し、向き合わないことを正当化するための理由付けとして用いられることがある。


 この男の場合、内心現状の危うさ自体には気づいているのだろう。それでも動かない理由は、彼に決定権がないからか、それとも安いプライドか。


「そうですか。では、我々はこれにて」


 見切りをつけたギルド職員は、とくに嫌味を返すでもなく手短に挨拶を済ませ、渡した資料も秘書から返してもらう。


 しかしその際、戻ってきたそれを死んだ目で手渡した秘書への、酷く同情するような視線までは抑えられなかったようだ。


 たしかに、副部長のような男の下で働けるというのは、相当恵まれていると僕も思う。


外に出た途端鼻腔を満たすゴミの悪臭も、先ほどまでいた所長室に比べれば随分マシに感ぜられた。


「この施設では残念ながら受け入れていただけませんでしたが、時間も限られています。副部長のためにも、次の施設へ向かいましょう」


 メンバーの気持ちが沈まぬようにという配慮からか、ギルド職員は努めて明るく仕切り直しを宣言する。


 そんな彼の後ろに続き外へ向かう途中、不意に僕らの目の前に作業員たちが姿を見せた。


「……なんだあれ、待ち伏せか」


「襲撃って雰囲気でもなさそうだけど……」


 それでも警戒心は持ち、この中でもっとも戦闘力に欠ける年配のギルド職員を守る形で進む。


 果たして、どうなることやら。固唾を飲んで展開を見守る中、僕を案内した獣人が、集団のリーダー格と思われる男へ何かを告げた。


「兄貴、あの一番背の低いガキです」


「お前ら、冒険者ギルドから来たんだってな。やっぱり、魔力災害が起きそうなのか?」


「今のところ、その可能性も視野に入れてギルドは動いています」


 一度彼の言葉を身内に通訳してから、僕は彼らへ事実寄りの答えを返した。


「やっぱりヤバいのか……子供の頃に爺さんが、こういう分厚くて低いのに降らない雨雲の日は気をつけろって言ってたけど」


「お、起きない可能性だってあるんだよな? その爺さんの話だって、単なる迷信かも知れないし」


 口々に不安やすがりつくような楽観を吐露しはじめた彼らに対し、ギルドの職員がこんな提案をした。


「もしよろしければ、皆さんの仕事場を拝見させていただけませんか」


「……理由を聞かせて貰おう」


「ギルドは、この施設も魔素の不安定化に関係のあるうちの一つと見ています。本来ならば、ここも適切に様々な廃棄物を処理し、街の衛生面を保つのみならず魔素を安定させるうえで重要な役割を果たしていたはずなのです」


 しかし、現状そうなっていない。彼は問題の程度を探ろうとしているのだろう。


「……わかった。ついて来てくれ」


「あ、兄貴、でも許可もなしにこいつらを入れてるところがバレたら」


「人間どもが言う『数値の問題はない』なんて言葉、お前らも信じてるわけじゃないだろう。こいつらも人間だが、少なくとも現状において利害は一致している」


 彼はざわめく仲間たちを落ち着かせると、向き直って通路へ親指を向け、僕らに了承の意思を示す。


「一部は遠目に見る程度でよければ案内する。ついてきてくれ」



 実際に廃棄物を処理する現場ともなると、その臭気の強さはこれまでの比ではなかった。


「ちくしょう、この臭いのせいで鼻が曲がりそうだから……」


「魔物の解体も結構臭いますけど、ここはそれ以上ですね……」


 異臭には前世で慣れていたこともあり、僕はそこまで辛くはなかった。


 しかし、仲間たちの涙声を聞くのはさすがに忍びない。僕は収納魔法から魔道具を取り出し、それを彼らに配った。


「あまり出来はよくないけど、一応マスクがあるから付けていこう」


「おお、臭いがほとんど収まったっ」


 付け方を説明して適切な装着ができたなら、目にまで染みてくる刺激臭も大半をシャットアウトできる。


 こんなに早く使う機会が来るとは思わなかったが、喜んでもらえて、作ったかいがあったというものだ。


「使い終わったら、適当にこっちで捨てて行こう。あと、このことは……」


「大丈夫、誰にも話しません。むしろ今回のことを見越し、よく事前に作ってくれました。しかし、それにしても見事な魔道具ですね……」


「お前ら随分上等なのを使ってんな。俺らが買わされてるのなんか、こんなのだぜ」


 感心するギルド職員のマスクを、先ほど賄賂を握らせた作業員の男が覗き込む。


 彼らのマスクは最低限は有害な粉塵などを濾過できるのだろうが、しかし作りが甘いのかフィット感に難がありそうだった。


 これまでは使っているうち、徐々に間から体に悪いものが入り込んでしまうだろう。


 前世の頃に比べれば最低限のレベルも底上げされているのだろうが、どうしても嫌なチープさが目についてしまう。


「なるほど、ショーティ君の作ってくれた物に比べると、あくまで使い捨ての域は出ていないようですね」


「こんなんじゃ働いてるうちに、鼻が明後日のほうに曲がっちゃいそうね……」


「ごみ処理施設でのお仕事って、大変なんですね……これでは以前こなした溝さらいの依頼と、大差ないかもです……」


「そもそも、ちゃんと処理できていたなら仮に老朽化が進んでいようと、ここまでは臭わないはずだよ。明らかに単なる腐敗臭とは違う感じだし……」


 ぶつくさと感想を述べる僕らへ、リーダーの男たちは面白くもなさそうに教えてくれた。


「はっ、丁寧に仕事をしてる暇なんかないもんでな。本来ならマニュアル通りにそれぞれ順序立てて処理するはずが、効率化だのなんだのと賢しらげな奴が言うから……」


「それだけじゃねぇ。ただでさえ少ない給料をケチるために、その日の仕事を回すための最低限の人数以外は休みにされちまうんだ。これじゃ天引きされる生活費で大半が消えちまうよ」


「その最低限の人数で必死に回してるってのに、現場も見に来ない奴から無駄だと減らされ続けた結果、とうとう仕事なんかまるで回らなくなっちまった。真面目に働く気も、もうみんな失せちまってるよ」


 彼らがそう言う気持ちも、この処理場の杜撰な体制を目の当たりにすればよくわかる。


 ろくにメンテナンスもされぬまま使われ続けている、老朽化した設備。


 処理どころか、分別すら適当極まる廃棄物を強引に処理しようとした結果、当然焼却炉は不完全燃焼を起こしてしまう。


 さらには埋め立てまで、劣悪な雇用環境が因となった作業員たちのモチベーション低下も合わさり、付近の魔素に悪影響を及ぼすのも当然と言わざるを得ない有り様だった。


「なあ、ここ見てると俺、この施設を運営してる連中が事故を装ったテロでも起こそうと画策してるように思えて仕方ないんだけど……」


「ここまでの状況を無関心さで招けるあたり、意図的だったり悪意からよりよっぽど悪いかもね」


「安全マージンも労働者の雇用条件も、効率化の名のもとに省かれてしまうのだろう。その傾向は年々強まっているよ」


「省かれるって……それできちんと運営できなかったり、危険な状態を招いていたら意味がないと思うんですけど……」


「浮いた金を、ここを国から買い取った商業ギルドへ送っているんだろう。上がりを求める側にとっては、必然的に人件費などのコストカットが命題になる」


「仮に事故が起きても、そこは自分たちの国ではありませんものね……」


 歴史的に見ても、これは民営化や自由化の宿命とでも言うべきものだ。インフラや安全保障など、利益を出してはいけない分野というものは確実にある。


「もし正式な調査なら、すぐに業務を停止させられるレベルなのだがね……」


「無断潜入なのが惜しいですね」


 溜め息を吐くギルド職員に返すが、おそらく正当な手段で証拠を提出したとしても、残念ながら握り潰される可能性のほうが高いだろう。


 所長室に飾られていた額縁の中に、所長が長年高級官吏として働いてきた貢献を讃えるものがあった。


 ギルド長と同じ天下りで今のポストに収まっているということは、当然横だけでなく縦にも彼らの密接な繋がりが存在すると見て間違いない。


 目の前の問題に対処するための実務能力に欠けた者たちが牛耳るからこそ、今の社会は機能不全を起こしてしまっているのだろう。


「お話は結構だが、今はあんたらの見立てを聞かせてくれ。俺らはどうするべきだ?」


「このままでは魔力災害が起こる際、下手をするとこの施設の近くがその中心になってしまう可能性があります。そうでなくとも、危機的状況は免れないでしょう。まだ事が起きていないうちに、即刻退避するべきです」


 この言葉を前に、彼らの反応は様々であった。


「て、手前ェこのガキ、大袈裟に言ってやしねぇだろうな?」


「で、でも、この辺は危険な熊の魔物が出るって言うし、そんなのが溢れる前に逃げたほうが……」


「けど、ここで逃げちまったら莫大な違約金から逃げ続けるはめになる。ここに来るために、ただでさえ借金までさせられてるのに……こ、これまでだって似た予兆こそあっても、何も起きなかったわけだし」


「そんなこと言ってる場合か! もし事が起きたとして、人間どもは絶対俺たちのことなんか守らねぇぞ! あとのことなんて逃げた先で考えればいい!」


 喧騒を前にリーダーが瞑目し続ける中、僕の仲間、とくにデイヴィたちは複雑そうだ。


「なあショーティ、どうにかしてやれないかな」


 立場は違えど、三人とも元は貧農の出。彼らの境遇に、思うところもあるのだろう。


「……少し待って」


 そう告げ、僕は取り出した数個の魔石へ陣を刻む。完成すると、それを持って僕は彼らのリーダーの前に立った。


「……それは?」


「強い魔物避けの効果を発揮してくれます。そのぶん短い時間しか持ちませんが、魔力災害の中でも一定の効果は発揮してくれるでしょう」


 しばしの間、彼は僕の手の中にある魔石をじっと見つめ、溜め息とともに受け取り頭を下げてくる。


「俺の名前は○○だ。恩に着る」


「ショーティです。ただ、あくまで効果は短時間。魔石の質も足りていないので、それが過ぎれば砕けてしまうことでしょう。その間に、どうにか街まで辿り着かれますよう」


 もっとも、効果がなくなった際に砕けてなくなるのは、陣を刻む際に意図的に付与した効果の一つである。


 ララに与えたものと違い、魔石の質と最低限発揮して貰わなければ困る効果との兼ね合いで、隠蔽や物理耐性強化までは組み込めない。


 そのうえで、彼らを疑うわけではないが僕らは今日知り合ったばかり。


 さらにこれだけ人数がいれば、状況次第で必ず何名かは我が身可愛さに流される者も出てくる。


 そのためにも、魔道具の無断作成を露呈させないための証拠隠滅として手を打たせてもらった。


 複数個渡したことだし、リーダーの彼と、彼に従う際の周囲の者たちの反応を見るに、決して無責任なタイプというわけでもないだろう。


 仲間や彼らを騙すようで気が引けるが、僕がしてやれるのはここまでだ。



 その後も魔素の異常に関係があると推測される場所へ陳情に回ったが、どこもゴミ処理施設と似たようなものであった。


 魔素の不安定化に繋がる、無計画かつ拙速な仕事ぶり。マニュアルや手順を無視させる上に、スキルも経験も蓄積されていない、足元を見ての安さのみが目当ての労働者。


 ほぼ全てが、海外の商業ギルドに買われた元は国が有していたもので、無理のあるノルマを安い獣人の労働者に課し、安全基準まで引き下げて浮かせた金を上納するため他国へ送る。


 前の代から引き継ぎ、次の世代へ受け継がせるはずの国富を切り売りして、他国へ流出させる。


 狂っているとしか言い様がないが、歴史を振り返れば長く続く平和の行く末など、結局こんなものなのだろう。


 一部資料に目を通す程度はしてくれた責任者もいたが、しかし作業の中断や避難に応じてくれた場所は、結局一つもなかった。


 彼らもまた、上からの無茶なノルマに縛られているのだろう。


 となると、仮に今日一日止めることに成功したとしても、それを続けて貰うことができず、ましてや作業内容や労働環境の改善も望めぬ以上、結局魔力災害は避けられぬ運命だったのかも知れない。


「無駄足だったかな」


 デイヴィが小声で、力なくそう答える。ハーティやソフィアも、多少へこたれた様子だ。


 これまでも貧農の出や冒険者ということで冷たい眼差しは受けてきたはずだ。


 それでも、今日顔を合わせた所長など、違う階層の者からあからさまに人間扱いして貰えなかったのは、実質これが初めてなのだろう。


「現状を認識できたという意味ではよかったよ。作業員の人たちにも、魔石渡せたし」


「……そうだな。みんな、上手く逃げられるといいな」


 置き去りにされたり、運悪く上位個体に囲まれるなどしなければ、どうにか街まで辿り着けるはずだ。


「それにしても、ここって通っていて、なんだか嫌な感じね」


「はい。なんだかピリピリすると言いますか、変に気になってしまって」


「渋梅峠だからね。今は大丈夫だけど」


 渋梅……? と口を揃える二人に、ギルド職員が詳しく答えてくれる。


「懐かしい名前だね……魔素が滞り災害時には埋め尽くされるほどの魔物が出現してしまうから、君たちが生まれてくるより前は長らく渋梅峠と呼ばれていたんだ」


「え、今は違うんですか?」


「ああ。現在の体制になってからは、ニューホープ峠に名称が変更されている。だから、まだ若いのによく知っているなと感心したんだよ」


 にゅ、ニューホープ……どうして先人たちが危険を伝えるための名前を、よりにもよって正反対のものに変えてしまうかな。


 ダサいかダサくないかを置いておくとしても、ろくに意味も考えず、単なる語感だけで選んだ感がアリアリ過ぎる名称に思わず脱力してしまう。


「は、はは、ありがとうございます……なんだか、機能不全に陥ってる世の中を象徴するような話ですね……」


 そう笑うことにしたのだけれど、愛想笑いを返すギルド職員の深い皺に彩られた目は、どこか哀愁を誘うものであった。


「すまなかったね……英雄たちのおかげで得られた平穏を、我々の世代が上手く扱えなかったばかりに」


「い、いえ、そういう意味で言ったわけでは」


「貴方や副部長のような方々が利害抜きに戦い続けて下さっていたからこそ、世の中というのは最後の底が抜け落ちずに済んできたのです。どうか顔を上げて下さいませ」


「……ありがとう、二人とも。若い子達が頑張っているのだから、私ももう一頑張りしなければならないね」


 エルシィさんのフォローで、それ以上空気が悪くなることはなかった。まさに不用意な発言を助けられた形だ。


 それにしても、英雄たちのおかげで得られた平穏、か……大きな戦乱などからは遠ざかっていられたのだろうが、人命を損なうのは何も軍事だけではない。


 そして個々人の奮闘により食い止められてきたものも、目前の魔力災害により破壊されてしまうのだろう。


 大戦前夜もそうであった。偉大な先代たちの作った流れを上手く踏襲できず、夢見がち過ぎた路線の採用により乱れた社会の修復を放棄した結果、社会の不安定化と国家の弱体化が進み、それが戦乱を呼び込んでしまった。


「街が見えてきたね。あと少しだ」


 エルシィさんの言葉に顔を上げれば、そこにはまだ普段通りの姿をした街の姿があった。


 未だ計測結果が人々に伝わっていないのか、街は普段通りの薄暗い停滞した様子を伝えてくれる。


 しかし、そんな腐り落ちていく中での安寧すら、最早風前の灯なのだ。


 これだけ大きな街でも、逃れられない日は来てしまう。それが本来避け得たはずの、人災という形で降り注ぐ。


 結局、時代が変わっても人間のやることは同じ。今回も身内だけはどうにか守るつもりだが、そこから溢れる人たちを思うとーー。


「まあ、俺らは大して心配してないけどな」


 急に声のトーンを上げたデイヴィが気になり視線を向けると、そこには彼だけでなく、ハーティとソフィアの不敵な顔もあった。


「そうね。なんたってこっちには、ショーティがいるんだもの」


「最後の底を支えるため、みんなで力を合わせて頑張りましょう」


 空元気でも、僕を勇気づけるため敢えて虚勢を張ってくれる三人。


 エルシィさんや年配のギルド職員も、多少表情は硬いが、それでもあたたかな眼差しを向けてくれている。


 少し沈んでいただけなのに、そこまで深刻に捉えられてしまうとは……今は、過去を悔やみ世を膿んでいる場合ではないな。


「戻ったら、すぐに魔力災害が起きる前提での対策をしよう。例えこの世が修羅の巷へ向かおうと、その底だけは抜かせない」


 互いに頷き合いながら、僕らは門を潜りギルドへの帰路を進んだ。


 今回の魔力災害、規模を推定するに危険性の高いものになるであろうことに疑問の余地はない。


 それでも、どんな状況だろうとこの街に住まう人たちを守るため、恐れ多くも英雄と呼ばれる者として全力を尽くすのみだ。


 パトリシア、どうか見ていてくれ。まだ踏みにじられることなく残った青い芽は、兄さんが必ず守って見せる。



 ギルドへ戻った僕らは、最初に出向いた施設で陳情に失敗したことを報告した。


 副部長もそれに関しては予測できていたようで、既にギルド内では、街を防衛するための準備がはじまっている。


 そんな彼であっても、各施設の滅茶苦茶な運用の報告には呆れた様子を隠せずにいた。


「まったく、どうトチ狂えばそうなるやら……まあいいさ。結局、危機感を抱いている人間でやるしかねぇんだ」


○○たち、入ってくる(いい加減名前決める)


「副部長、東地区の教会が、今後予測される負傷者の治療、及び避難の呼び掛けやその受け入れなどを協力してくれるということです」


「法術による治癒か、助かるな。しかし、なんでまた東地区が?」


「ショーティ君がコネクションを作ってるんですよ。今は私たちも住まわせてもらってるところです」


「ちなみに中央教会は期待薄って感じでしたね。まあ、あっちは生臭どもばかりの時点で想像はついてましたが」


 二人の説明を聞いた副部長に視線を向けられたので、かいつまんで今必要な情報を答える。


「教会の施設は、以前修繕の依頼を受けた際に呪術で強化しています。ある程度は立て籠れるかと」


「丸々トーチカにでもしたのか……まあいい。ちなみにそれ、このギルドでもできることか?」


「可能です。今からはじめてもよろしいですか」


「よし、やってくれ! 必要なものがあれば手が空いている職員に言うように」


 呆れ顔を引っ込め指示を出すと、副部長は別件を済ませるためギルドの奥へと姿を消した。さて、僕も自分にできることをするとしよう。


 このギルドの建物は、多少の修繕こそ繰り返されているものの、僕の前世から実質そのまま使われ続けてきた。


 当然老朽化は進んでいるが、過去の景気がよかった時期に建てられただけのことはあり、用いられている素材自体は上質。


 そして何より、ドルイドの呪術による影響が大きく発揮されるものなのだ。これに関してのみ言えば、建て替えを渋るケチな財政が功を奏したな。


 修繕した箇所があまり丁寧ではなかったので、まずそこから整える。そして僕はギルド全体へくまなく、【草木への呼び掛け】を行使して回った。


「ショーティさん、お疲れ様です。先ほどギルドの方からいただいたので、もしよかったらどうぞ」


「ありがとう。いただくよ」


 屋根の補強も終えて一息ついていると、ソフィアが魔力回復用のポーションを差し出してくれた。


 魔力は放っておいても魔素を取り込みながら回復していくが、ポーション類を飲んだり魔力を譲渡するなどして回復することもできる。


 まだ余裕はあるとは言え、それでも消耗を余儀なくされるだけに正直助かる差し入れだ。


「で、補強の具合はどうだった?」


「やっぱり素材がよかったからかな。東地区の教会より、さらに堅牢に仕上がったよ。これなら魔族が侵攻してきても相当持ちこたえられる」


「た、例えが縁起でもないわね……まあ、それなら魔力災害ぐらい余裕で耐えられるんでしょうけど……」


「ああ、防衛の要所としての役割などを抜きにして、単純な広さという面で見ても、このギルドに収用できる人数には限りがある」


 実際、みんなの言う通りだ。ギルドは魔物の素材などを運ぶ手前、市街地から少し離れた場所に位置している。


 そんな立地もあるうえ、大都市のギルドということもあり相当広いスペースは確保できているのだが、避難先として用いるとなると物足りないというのが正直なところだ。


 かといって、各所にある避難所を逐一補強して回るには、時間や魔力が足りないだろうし……何より材質によっては、あまり効果を発揮できない可能性が高い。


 もっとも、キンググリズリーの上位個体程度では城壁を越えられることはないだろう。


 仮に中に何頭か入っても、僕が狩って城壁も補修してしまえば、さしたる問題はない。


 それでも、何やら嫌な予感がしてやまない。妙な胸騒ぎを覚えていると、ギルド内を見渡したデイヴィがぽつりと呟く。


「にしても、だいぶ人が減っちまったな……」


 たしかに、館内を見れば人が忙しく行き交ってはいるが、その人数は普段より幾分少ないように感じられた。


 別に、全員が用事で外へ出払っているというわけではない。魔力災害を前に、何割かの冒険者たちが他所の土地へと避難したのだろう。


「まあ、ここだけの話、逃げたくなる気持ちもわかるわよ。私たちだって、ショーティと知り合ってなかったら少しでもこの地域から離れるしかなかっただろうし」


 ハーティの言う通り、魔力災害を前にすれば平凡な一個人にできることなど、たかが知れている。


 ましてや流れ者が多い冒険者とあっては、生活基盤というわけでもない地元への愛着や、故郷を守る気概など持ち様もない。


 それでも、まだこの街には、冒険者が少なくとも半分以上残っている。


 兵士として防衛に当たっている者ですら逃亡者も出ているであろう中で、これは驚くべきことだ。


 まさに、副部長が長年かけて積み上げてきた、彼の人望の賜物とでも言うべき成果だろう。


「まあ、戦えそうなメンバーは大体残ってるから問題ないよ。もう一頑張りしようか」


 危機的状況にも関わらずなお発揮される彼らの献身に報いるため、僕は再び立ち上がって作業を開始した。

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