ノート
当然、放送の後はそのまま終わりとはいかなかった。
『お局様』のあだ名がある北見 神楽教頭により慎吾は説教されていた。
曰く、事前に放送に出演することを伝えていなかったため、お昼休み中に確認してもらいたかった書類を片付けられなかったとのこと。
曰く、校長の人柄は良く存じているが、立場を考えて生徒と接することも大事だということ。
その巻き添えで茂も説教された。
職員室の方へは慎吾が連絡するからと任せっきりにせず、最終確認はしておくようにとのこと。
40代後半の実年齢より若く見え、校長と並んで『仙人2トップ』というあだ名もついている教頭も校長に次いで人気だが、その見た目で敬遠されている。
晴喜はそんな彼女を今度のゲストとして放送に出てもらおうかと密かに画策していた。
その後は特に何かある訳ではなく、HRを終え週明けの終業式を迎えるのみとなったクラス一同、帰路に着き始めた。
晴喜はトイレを済ませた後にチェーンの外れた自転車の修理のため、用務員さんに工具箱を借りて修理に取り掛かった。
ワイシャツを脱いで下に着ていたTシャツのみとなっているが、ジリジリと照りつける日差しに汗が滲み、思わず腕で顔の汗を拭ってしまう。チェーンを触った後なので顔は油で黒くなってしまうが、後で洗えばいいと気にしない。
チェーンを締めることは何度がやっていたが外れたチェーンを直すことは経験が皆無だったので少々悪戦苦闘はするも、無事に直すことに成功した。
代わりに顔も真っ黒となりこのままいけば某探偵漫画の犯人のシルエットになれるのではと思えてきた。
工具箱を返しがてら水道に赴き、汚れた顔を洗い始めた。
日差しに照らされて火照った頭から被る水は気持ちよかった。
水を被っている少しの間。晴喜は学園祭の打ち合わせのことを思い返していた。
「それではみんな、思う存分意見を言いたまえ!」
暑苦しさ全開で進行を担っているのは男子のクラス委員---クラス委員は各クラスから男女一人ずつ---の石垣 拓人である。
後方では女子のクラス委員である美由紀がチョークを手に取り、みんなの意見を書く準備をしていた。
意見は割と出てくるもので、模擬店---しかも焼きそばやクレープだのメニューだけで更にバリエーション多数---から始まってクラス製作、ゲームコーナー、お化け屋敷といったベーシックなものが挙げられていく。中にはメイド喫茶だ執事喫茶といった意見も出て盛り上がるが公序良俗を守るようになという茂の忠告で鎮火された。
「ねえ、朝日君は意見ないのかな?」
意見を聞きながら書き上げていく中で美由紀はふと気になり、思わず訪ねた。
「確かに! 朝日君、真っ先に何か意見を言うと思ったのだが何かないのかい?」
「オレ? うーん....」
拓人からも話を振られた晴喜は思案に耽る。
腕を組んで首を傾げて思考を巡らす。
いや、意見というか希望はあった。だが一年生の自分達がそれを出来るのかという不安要素があり言っていいのかとも少しに気になっていた。
考えること数秒。
折角聞かれたのだし、言うだけ言おうと決めた晴喜は声高々にこう言った。
「ステージ公演!」
「え、体育館のステージのこと、だよね?」
「ああ、オレはあそこでみんなと何かやりたい!」
笑顔で言ってのける晴喜は他の面々は少し騒がしくなってきた。
「ステージ公演...」
「あれって演劇部や軽音部とかの文化部や三年が使う場所なんじゃ...」
「許可取れないんじゃないか?」
口々に出る不安に晴喜も否定は出来ない。
『ステージ公演』
それは学校の体育館にあるステージを用いての公演。学園祭では基本、各クラスが自分達の教室にて出し物を行うのだが、申請して許可さえ取れればステージ公演が出来るのだ。
ステージ公演は日に1回しか出来ないが設備の関係(防音性、照明器具の設置、遮光カーテンの存在など)から文化系を中心とした部活の大半はここで発表を行う。
軽音部や吹奏楽部は日頃の練習の成果を盛大に披露し、ダンス部はアクロバットな動きを舞台の上で注目を一身に浴びながら魅せることができ、お笑い研究会の面々はこの日のためにと温めてきたネタをお披露目し、演劇部は迫真の演技を持って観客を釘付けにしてきた。
そんなレベルの高いステージ公演はクラスでの申請も可能ではあった。
が、そんなレベルの高さ故に敷居が高いので申請の段階で拒否されるのではという不安がどうしても拭い去れないのだ。
「いや、大丈夫だぞ」
『えっ!?』
「ほんとシゲちゃん?」
そんな生徒達の不安を払拭する茂の一声に驚くクラス一同と晴喜。
「先生を忘れてるぞ朝日。ステージ公演自体は申し込む団体の数が多くない限りは申請さえすればすぐ通るぞ。まあ、ステージ公演となると他の団体との発表時間のプログラムを練ったりの関係で速い段階で企画を構成していかなければならないから、学園祭が初めての一年生には荷が重いって印象はあるけどな」
「なるほど、つまりは準備さえ早く出来ればいいということですね先生」
「そういうことだ石垣。夏休み中に企画の構成と公演時間の目安さえ決めてくれれば通るから...せめて何をやるかを決められるといいな」
「分かりました! 聞いたかみんな!! もし、ステージ公演に賛同してくれるなら、次週の終業式の時に意見を改めて出していきたいんだがどうか?」
「おお、いいぞ」
「面白そうじゃん」
「うーん....」
「でもハードル高いよな...」
「ちょっと緊張するよね」
気概を見せる拓人を始めとした数人がいる一方で、ステージ公演に腰が引いてしまう者も多数。
一先ず、各自考えておくということで今回の話はお開きとなり、そして今に至る。
頭が冷めスッキリすると水を止め、タオルを取ろうとする晴喜だったが、ここで痛恨のミスをしたことに気づく。
(タオル忘れた)
びしょびしょに濡れた頭から水を滴らせ棒立ちしてしまう。
「あの、朝日君。これ使って」
「ん、安城?」
そんな晴喜の後ろから美由紀が声をかけてきた。
その手には薄桃色のスポーツタオルがあり、晴喜へと差し出されていた。
「演劇部の練習か?」
「ううん、今日は夏休みの練習の打ち合わせだけでさっき終わったの」
「そっか。わりい、サンキューな」
このまま帰るしかないかと思っていたので美由紀の厚意に素直に甘えることとした晴喜。
タオルを取った瞬間、拭こうとする手を即座に止める。
微かに湿っているタオル。よく考えればそれもそうだ。態々タオルを二枚用意している訳ではない。
「いいのか? 男の俺が使っても?」
「え、あ、うん! 大丈夫だから!」
晴喜の言葉に渡したタオルが使用済みなのに気づかれ慌てて付け足す美由紀。
昼頃に少しだけ使ったタオルしかなかったとはいえ、びしょ濡れの晴喜をほっておけなかった彼女は意を決しての行動であった。
中々に鈍い彼なら大丈夫かと思ったのだが、こんな時にだけ勘がいいのは少し困りものだ。
挙動不審に見えるも気遣いを無碍にするのもよくないかと思い、晴喜は改めて礼を言って使わせてもらう。
鼻腔を微かに刺激するものを感じたので彼なりの最低限の礼儀ということで髪だけ拭くのに留めた。
顔を伝う水はTシャツを捲り上げてサッと拭いて済ませた。
その時にTシャツの下の肌を見られているということに気づかず、見てしまった美由紀は顔が赤くなるのを必死に堪えようとするも上手くいかなかった。
「このタオル、洗って返すな」
「え、いいよ別に」
「いや、でも...」
「いいから」
有無を言わせずタオルを奪い返す美由紀に晴喜はそれ以上何も言えなかった。
「あんがとな」
「どういたしまして」
「じゃオレ、工具箱返しに行かなきゃだし、じゃーな」
「うん、また来週」
そう言ってその場を後にする晴喜とその後ろ姿を見送る美由紀。
その手に持つタオルに目をやり、おそるおそる顔に近づけ....
(って、私は何をやってるのよ!)
ようとして、思いとどまる。
美由紀は慌てて通学鞄にタオルをしまい、急ぎ足でその場を離れていき帰路に着くこととした。
とにかく、洗濯機に入れるまでは余計なことを考えぬようにと必死に思考を逸らしていくのであった。
用務員さんに借りた工具箱を返却し、お礼を言った晴喜は下駄箱へと向かった。
日が傾き出したばかりでまだ校内には陽光が眩しく差し込んでおり、廊下の中も外より少しマシといって程度の暑さだった。
そんな暑さに少し疲れてきた折、ふと通りかかった図書室に目がいった。
正確には廊下と図書室を隔てる窓から見えた机の上にぽつんと置いてあった一冊のノートに目がいった。
今日は休みのはずの無人の図書室にノート。誰かの忘れ物かと気になり、思わず扉に手をかけ、開くわけないかという予想に反して扉は開いた。
中に入ると本の保存のためもあって常に稼働している冷房が効いていた。
中の様子を探るも誰かがいる気配は感じない。
そして問題のノートの方へと歩み寄る。
ノートはどこにでも売っている一般の大学ノート。
しかし、表紙にはどの教科用なのかといった記入はなく、持ち主の名前も書いてない。
それとも中に名前を書いているのではと考え、多少申し訳なく思いながらも晴喜はそのノートを開いた。
ノートに書かれていたのは数学の計算式でもなく、歴史の年号をまとめたものでもなく、化学式や元素番号などでもなく、漢字の書き取り練習でもなかった。
そこに書かれていたのは物語だ。
それもおそらく童話と言っていいものだろう。
漢字はほとんど使われておらず、字も大きくて小さな子どもでも読めそうな文章であった。
晴喜は最初の1ページの上に書かれていたタイトルを目にし呟いた。
「『幸せの魔女の物語』...」
そして続けてその内容を読み始めた。
ーーーーー
あるところに、魔女と呼ばれるひとりの女の子がいました。
その子はある国の人里離れた森の中で暮らしています。
女の子は周りから『不幸の魔女』と呼ばれています。
女の子が住む街や村は必ず不幸が訪れるからそう呼ばれています。
人々は、あの女の子がいるから不幸になったんだ。あいつは不幸になる呪いを撒き散らす魔女なんだと言いがかりをつけたのがはじまりです。
もちろん、女の子にはそんなつもりはありません。不幸なんて撒き散らしたつもりもありません。
けれど、誰もそれを信じてはくれず、いつしか女の子も自分は魔女で呪いを持っているのかと思い悩むようになりました。
人々から追い立てられ色んな所を旅してきた魔女は、とある国の人里離れた森の中で、誰にも迷惑をかけないようにとひっそり暮らすことにしました。
森に住む鳥や動物達と語らいながら、魔女は日がな一日を過ごしました。
けど、魔女はとても寂しかったのです。
物心つく前から親はいないし、自分の呪いのせいで友達もいない。
ずっと一人ぼっちで生きてきた魔女はとてもとても寂しくて辛かったのです。
そんな時、魔女に初めて友達が出来ました。
森の中で食べ物にするための木苺やグミの実、お茶にするためのハーブやミントを摘んでいた途中、一人の少年が倒れていたのです。
少年はお腹を空かせて倒れているのだと、盛大に鳴り響くお腹の虫が証明しています。
魔女は少年を家に連れていき、家にある食べ物をたくさん食べさせてくれたおかげで少年はすぐに元気になったのでした。
ーーーーー
次のページをめくるも、その続きは書かれておらず、続きは分からないままであった。
続きが気になり少し気落ちしている中、図書室の扉が開く音が聴こえたので晴喜は振り向いた。
そこにはあからさまに動揺する夕歌がいた。その視線の先は晴喜が持っているノート。
「これ、もしかして望月が..」
「ごめんなさい!」
「あ、ちょっと待て!」
晴喜の質問を無視して慌ててそのノートを奪い取る夕歌。
そのまま、彼女は走り去ろうとするので晴喜は追いかけようと動く。
が、運悪く足を滑らせずっこけてしまう。
「んぎゃ!」
変な声をあげ、倒れ伏してしまった晴喜。
それを見た夕歌は足を止め、彼の方に近寄るのだった。
「だ、だいじょう...」
“ガシリッ!”
「つーかーまーえーたー」
「ひっ!!!」
差し伸べようした手を掴まれ、あまつさえホラー映画のような間延びした声を出しながら顔を上げてくる晴喜。
鼻を打って流れる鼻血も相俟って微妙に迫力があるので悲鳴を漏らしてしまう夕歌。
「さーて、色々と話してもらうぞ」
夕歌にはもう、目の前の同級生から逃げる術はないのであった。




