学園祭に向けて、そして鬼ごっこ
そして迎えた朝のHR。
くたびれたシャツと緩めたネクタイで一年D組の担任、藤原 茂が出席簿片手にやって来た。
「おーっす、みんなテストご苦労さん」
『おはようございます』
「おはようございますッ! シゲちゃん先生!」
「はい、朝から元気に一際大きな挨拶ありがとな朝日。けど、シゲちゃんはダメだぞ~」
「はぁーい!」
他の生徒よりも大きく元気に挨拶する晴喜を茂はたしなめる。
これもよく見る光景である。
「さて、今日は登校日ではあるが、テストの返却は翌週の月曜なのはもう知ってるよな?」
茂の言葉に対し、誰も言わなかった。
全員、分かっているということだ。
「そこで、今日は夏休み中にやってもらう課題の発表や、高校生として夏休み中に守ってもらう注意事項についての説明が学年全体で行われるからちゃんと聞いておけよ」
今日の予定が茂の口から発表されると、それを聞いた一年D組メンバーの多くは嫌そうな声を漏らした。
特に嫌そうな様子を示していたのが晴喜だったりする。
「まあ、文句は分かるぞ~お前等。俺も昔はいやだったよ、けどやるしかないんだよ」
そんなクラスの様子に茂は同情するように語った。
「その代わり、今日は二学期にやる学園祭についての打ち合わせを早速始めるぞ!」
茂のその言葉が出た瞬間、今度は教室に興奮が湧き出した。
『学園祭』
それは盟栄高校の三大行事(一学期の体育祭、二学期の学園祭、三学期の修学旅行)の一つである。
生徒の親族や関係者だけに留まらず、一般の人の来場もあることから中々の賑わいがあり、地域では有名なイベントと言える。
三年生にとっては学園生活最後の行事になるため(三年生には修学旅行がない)、三大行事の中で最も熱量に溢れていると言えよう。
「よっしゃ、遂に来たぜ!」
クラスの中で晴喜は人一倍意気揚々としていた。
兄や姉が盟栄高校の卒業生であり、彼等が在学中の間は健太郎と共に学園祭に何度も来て、楽しい思い出を作ってきた晴喜にとって今年から自分が行事に参加するというのは気分が高揚してならなかった。
「ははは、いいぞ朝日。そのやる気で皆を引っ張ってくれよ」
「ん、引っ張る? それはクラス委員の安城や石垣でしょ。オレにはみんなを引っ張るのは無理ですよ」
茂の言葉に晴喜は首を傾げた。
(無自覚...)
そんな晴喜の様子に晴喜を除いた全員が同じ見解だった。
先の体育祭でのリーダーシップを考えれば茂の言葉は妥当なのに。
「そうか、まあとにかく盛り上げるのは頼むぞ」
「それなら任せてください!」
ガッツポーズで晴喜は応えた。
“キーン、コーン、カーン、コーン”
と、昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、全員から肩の力が抜けていった。
午前中は夏休みの課題の説明や夏休みを過ごす際の注意事項の長い(長すぎる)話に晴喜はくたびれていたが、チャイムの音を聞いて頑張って立ち上がった。
「ハルちゃん、行こう」
「....」
「ハルちゃん?」
「ん、ああ」
健太郎の呼びかけに晴喜は心此処に在らずといった感じだった。
何故か晴喜は後方を首を向けていた。
「大丈夫、具合悪いの?」
「ちげーよ。ケンちゃん先に行ってて、すぐ行くから」
「???....分かった」
理由を告げない申し出が少し気になるも健太郎は快く了解した。
健太郎が教室を出て行くのを見送ると晴喜は席から立ち上がり、さっきまで首を向けて見ていた所まで歩いていった。
「おっす、望月!」
「...ッ!」
突然、晴喜から話しかけられ夕歌はビクリと身を震わせた。
そしておそるおそるといった様子でうつ伏せていた顔を持ち上げた。
「ヨッ! あのさ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「な、何でしょう?」
「お前さ、何でチャリのこと謝ったの?
お前は悪くないのに」
晴喜は朝から気になっていた疑問を口にした。
しかし夕歌は何も答えなかった。
三十秒、何も言わない夕歌に晴喜はじれったくなった。
「なあ「あの!」
再度質問しようとする晴喜を遮り、夕歌は勢いよく立ち上がった。
「あの、すいません、私、ちょっとっ!」
夕歌はそのまま早足で教室を出て行った。
・・・・・・
「ハッ、逃げた!」
ようやく状況に気づいた晴喜は走り出した。
夕歌は罪悪感に駆られていた。
晴喜に対し、素っ気ない態度をとり、あまつさえ逃げ出したのだから。
だが、それは誤算だった。
その場から逃げた程度で...
「おーい、望月ィーーーッ!」
晴喜は気にしないし、諦めない。
「ええっ!?」
背後から自分を呼ぶ声に夕歌は振り向き見た。
距離にして自分より十数メートルほど離れた先から晴喜が夕歌の方へと駆けていた。
「逃げるなよ~」
「っ!!」
自分が逃げたことを察して追いかけてくる晴喜に夕歌は困惑し思わず早足から走り出してしまった。
「あ、おーい!」
それを追うように更に加速する晴喜。
「待ってくれよ~!」
「こ、来ないで下さーいッ!」
「な....」
夕歌の拒絶に晴喜はワナワナと肩を震わせ、走りながら俯向くという器用な真似をした。
夕歌は言いすぎたかと思い後ろを見た。
てっきりショックを受けたのかと思った。
実際は...
「何だよコラァーーーッ!!!」
怒って更に加速するのだった。
「キャー!!!」
晴喜の様子に夕歌は悲鳴を上げて走り出した。
二人の追いかけっこは人のいなかった特別教室棟---理科室や視聴覚室とかがある所---から、各クラスの教室がある一般棟まで続いた。
二人の追いかけっこに、近くにいた生徒が注目した。
それに気づいた夕歌は周りから注目される恥ずかしさから顔が熱くなるのを感じ、両手で覆いたくて仕方なかった。
一方、晴喜は興奮しすぎて周りの様子に気づいてない。
その時だった。
二人の追いかけっこの進路上にある二年A組の教室前の廊下。
「オリャァーーーッ!」
「なんのっ!」
「ちょっと止めなさいよ~」
二年A組の教室で男子の二人がふざけ、女子の一人が注意していた。
具体的には、悪ふざけしていた二人組の片棒が食べ終えたバナナの皮を投げつけ、相方はそれをギリギリの所で躱してみせた。
躱した皮は勢いそのまま、通気性のために設けていた廊下側へ繋がる窓---夏なので全開---を突き抜け、廊下に着地した。
丁度、夕歌が通り過ぎた後に落ちた。
そして、それに気づかず走る晴喜が.....
“ムギュッ!”
踏んだ。
“ズルッ!”
滑った。
夕歌は振り返った。
一瞬、スローモーションで見えた。
バナナの皮を踏んだ晴喜は後ろへと体を傾けていた。
「そんな...」
晴喜は呟いた。
バナナの皮を踏んで滑って今、自分の足が僅かに宙に浮いているのを感じた。
そして重力に従い、落下して.....
「ばかなァーーーーーーーッ!!!!!」
絶叫と共に廊下に背中を打ち付けた。
・・・・・・・
場に沈黙が走った。
そして誰かが思わず...
「プッ」
『アハハハハッ!』
吹き出すのを皮切りにドッと笑い声が響いた。
バナナの皮で滑った晴喜の口から思わず出た『そんなバナナ(バカな)』の台詞。
笑っちゃ悪いと思いながらも笑わずにはいられなかった。
夕歌だけは流石に笑えなかった。
夕歌は晴喜の方へ歩み寄った。
「あ、朝日君、大丈「復活!」うわっ!」
声をかけようとした瞬間、晴喜が軽やかに起き上がり、夕歌は後ずさった。
「えっと、本当に大丈夫?」
「ああ、偶然受け身がとれた」
夕歌の再確認に晴喜は親指を立てて無事を告げた。
夕歌は晴喜の言葉を聞いて先程の光景を回想した。
確かに晴喜はバナナの皮を踏んで後方へと転倒する時、両腕は広がり、頭が屈められた状態で肩から胴体、そして脚へと着地するという柔道の受け身が奇跡的に成り立っていた。
「てか、今の見たよな?」
「え、あ、はい」
夕歌は晴喜の勢いに気圧されながら答えた。
「誰か、今のやつ動画撮ってない?」
晴喜はすぐさま二年の教室の窓から身を乗り出した。
今にも中に入りそうな勢いだった。
「それはないんじゃ「あ、俺撮ったよ」
「マジでかっ?!」
夕歌の否定の言葉を遮る様に二年生の男子が一人手を挙げた。
聞いておいて無理かと思っていた晴喜は驚きを隠せずにいた。
「いやー、あいつら---バナナの皮を投げた男子と躱した男子---の攻防の様子を撮ってたらまさかの奇跡動画になったわ」
男子は込み上げてくる笑いを堪えながら撮影に使っていたスマートフォンを取り出した。
「ちょ、センパイッ! それちょうだい!」
晴喜もスマートフォンを取り出し、動画を送ってもらうために早速メールアドレスの交換に入った。
「動画、あざーっす!」
「おう、別にいいぞ」
「てか、お前って放送部の朝日だよな?」
晴喜と撮影していた二年男子のやりとりに他の男子が声をかけてきた。
「はい!」
晴喜は突然の乱入に困惑することなく、即答した。
「あ、じゃあ急がないとまずいんじゃない?」
晴喜の言葉を聞いた二年女子の一人が更に会話に介入してきた。
「あッ!!!」
女子の言葉に晴喜の顔が驚愕の色に染まった。
「やべぇっ! 教えてくれてどうもっす!」
晴喜は女子に礼を述べお辞儀した。
更に動画をくれた男子や放送部であることを聞いてきた男子にもお辞儀した。
そしてすぐさま走り出した。
この時、夕歌のことはすっかり忘れていた。
晴喜が走り去った廊下に一人、夕歌は佇んでいた。
いる意味もないため、一人その場を静かに去って行った。
夕歌はひと気のない屋上へと続く階段に座り込んだ。
朝、昼と全力疾走したせいで疲れが隠せなかった。
一方で夕歌は安堵した。
晴喜からの追走を逃れられたから。
同時に落ち込んだ。
晴喜が転んだから。
自分のせいだと思うから。
気持ちが沈み、何をする気にもなれなかった夕歌の耳にスピーカーからの音が聞こえたのは同時だった。
少し時は遡り、
“バカンッ!!!”
けたたましい音と共に扉が開かれた。
「すまん! ケンちゃん、遅れた!」
扉を開き、中にいる健太郎に晴喜は謝罪した。
晴喜が駆け込んだのは明栄高校の放送室。
学校のある平日には1-D教室の次に長く居る場所である。
「ハルちゃん、急いで!」
放送室の調整卓のあるスペースにいる健太郎は手招きしながら晴喜をせかした。
晴喜は放送室にもう一つある収録用スペースに入って行った。
校内に盛り上がる音楽が流れた。
「あ、始まったね」
「少し遅かったけど大丈夫みたいだね」
教室でお弁当を囲んでいた美由紀と千代が流れる音楽に安堵した。
『アーテステス、マイクテッヴェホッ!!!』
恒例の晴喜のマイクテストのふりが流れたと思いきや彼の咳き込む声が校内に響き渡った。
「「えっ?!」」
二人は突然の咳に思わず声が流れてくる教室のスピーカーに振り向いた。
『失敬失敬。実は放送室へ走ってのギリギリだったから息乱れ気味でさぁもう~』
軽口な謝罪と言い訳がスピーカーから聞こえてきた。
その後、わざとらしい深呼吸の音が聞こえてきたため、1-Dの教室にいた生徒が何人か軽く吹き出していた。
『ハイ、落ち着きましたーッ!
それでは皆さん、お待たせしました!
始まりますよ、ラジオ・May,Yeyィィィッ!』
そしてやっと放送のオープニング挨拶が流れた。
今年から始まり、今や名物と称されるお昼の放送。
通称『ラジオ・May,Yey!』が始まった。