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死のトライアル

先に死ぬだなんて、ずるいじゃない。

私だって早くみんなのところへ行きたい。


チリチリと肌が焼ける音と正気を奪う黒い臭いと共に、私は生きている。

騒音も怒号も悲鳴も私にとっては聞き慣れたいい迷惑でしかない。

どうせ何を叫んだって結果は変わらない、既に自分と親しかった彼女が物言わぬ肉塊に変わり果てた。

それはもう、何を願っても悲しんでもどうせ帰ってこない。

それならいっそ、私まで連れて行ってくれればよかったのに。


「今回は派手に死んだわねえ。」

私の穏やかな呟きに、隣で私を保護していた救急員が悲鳴のような怒声をあげる。

「何を悠長なことを言っているんだ君は!君の大事な友人が家ごと火事で亡くなったんだぞ!」

耳元で大声を張り上げるもんだから、鼓膜がザザっと壊れたテレビのような音を立てた。


ああうるさい、また人が死んだだけじゃないか。

悲しむべきは、一人生き残ってしまったのが私ということだけよ。

私が他の人の生存権利(命の椅子)を奪ってしまったのは不運で可哀そうだけれども、私だって不運だったわ。


今回こそ死ねると思ったのに。



生まれて20年、私の人生を一言で表すなら「死」である。

母を病気で、父を事故で亡くした私に拠り所などなく、親戚の家に引き取られていた。

幼い私にはまだ何も理解できず、彼らの目には不幸な子供として映っていたのだろう。

母代わりの祖母が亡くなったのを皮切りに、私の周囲には死の香りが立ちこみ始めた。


友人は精神を病んで自殺し、近所に住む幼い子供2人を持つ優しい家族は旅行先で事故死、余生少ない祖父は「お前は死を呼ぶ悪魔だ」と私に言葉を残し、老衰で亡くなった。

お世話になった施設の人は癌を患って病院へ行ったきり帰ってこず、高校の同級生は夏休みに海水浴に出かけたのち波に飲まれた。


私の周囲から一人一人姿を消していくのと同時に、私もまた人々の前から姿を隠した。

人は私のことを死神と呼び、それに反対して私をかばってくれる心優しい人間は皆死んだ。

異様なまでに「運が悪い」私は、どうやら親しい人を皆死へと導く能力を持つらしい。

それに気が付いた私は、他人の物理的安全と自身の精神的安寧を求めるために人を自ら遠ざけ、心と閉ざすように心がけた。


「あれほど止めろって言ったのにねえ。」

物好きな友人が、私の住む格安アパートに突撃してきたのがきっかけだった。

大学でたまたま同じ講義を取り、その後流れで一緒に昼食を取りながら少し会話した程度の仲だ。

存外近くに住んでいたらしく、私の姿を見たからとやってきたらしい。

面倒くさい、うるさい、関わらないで欲しい。

それが私の彼女に対する第一印象だった。


そっけない態度と取り続ける私とは対照的に、彼女は熱心に私に語り掛けた。

私の趣味で描いた絵を不思議なセンスを持っている、と凝視したり自分の描いた絵を見せてきたりもした。


離れて欲しい、死なれたら迷惑だ。そういった願いも聞いてもらえず彼女は私の心の壁を溶かし続けた。

スルー下手な私は彼女のことを完全に拒絶することはできず、天真爛漫な彼女と会話をすることも増えた。

絵の感想を言い合い、好きなゲームについて語り合い、最近あった出来事について教え合う。

拒絶する姿勢すら見せなくなったのは、いつだろうか。


「死ぬのなんて怖くないわ、あなたと一緒に過ごす時間を選んだのは私よ。」

何でもないことのように言い放つ彼女の姿は、今まで見てきたどんな景色よりも美しかった。


次第に彼女に対してずっとそばにいて欲しい、この空気が心地よいと思うようになってしまったのが私の罪だろう。

二度と他人とは関わらない、互いに傷つくだけだと守っていた世界が壊れ、彼女が入ってきてしまった。

こんな未来を予想すること、手に取るように分かったのに。


大学から帰宅する道、人の騒めきが心をざわつかせた。

彼女と分け合おうと買ってきたドーナツが地面に落ちた。

冬の夕方とは思えないほど周囲は明るく、空気は暖かかった。

ぐらぐらする脳内で、ようやく認識できたのは美しく燃え上がる自分のアパート。

彼女は何と言っていたか、確か、鍵を渡した後、私の家でテスト勉強をするから先にお邪魔してるよ、と...


眼が乾燥して痛い。現実が視えない。

彼女の姿が視えない。後でね、って口元が緩んだ笑みが視えない。


チリチリと痛みを肌が訴え、ようやく私が揺らめく炎の中へと入ろうとするのを自覚した。

彼女はここにいる、私の変える場所はここだから。ここ以外に行く場所などもう残ってないから。

また一緒に他愛もない会話を楽しみたい、あの緩やかな時間を過ごしたい。


炎の温かみが、私を歓迎している。

一筋の希望が私の脚を突き動かしたが、その動きは何者かに阻まれた。


「何をしているんだ!焼け死にたいのか!」

いつの間にかやってきた消防士が強い力で私の細い腕を掴み、ギリギリと締め上げた。

鼓膜の奥でうなるサイレンが現実を想起させ、無神経に巻き散らかる水が温もりを奪った。

人々の声が、重い機械音が、私を絶望へ叩き落した。

張り裂けそうな自分を黒い霧が包み込み、蝕むように舐めた。


ふと、今まで出会って来た人間の姿を思い出した。

両親、祖父母、お世話になった大人たち、話しかけてきてくれた友人たち。

彼らの顔が脳裏に映っては黒霧に変わり、甘い毒のように喉元を過ぎては肺に落ちた。

横隔膜が凍ったように動かない、肋骨が肺胞を突き破る。

彼らは何を思って死んだのだろう。

走馬灯のように次々に彼らの姿が絶望に形を変え、私を舐めた。

冷たかった。まるで死体に撫でられたように。

撫でられたところから冷気を吸い込み、精神の奥に触れた。

もう壊れてしまいそうなほど、私は弱かった。


絶望を感じるな、人間であろうとするな。

天から突如降って湧いた言葉は私の脳を弄り始めた。

人は死ぬ。いつか死ぬ。それの何が悪い、何も悪くない。

人が死んだときの他の人の顔を思い出してみろ。絶望、恐怖、憤怒。

一方で、死んだ人間の顔を思い出してみろ。死ぬ直前の表情を保ったままで、目を閉じてやれば無表情だ。

死とは、人間を狂気の感情から救い出すための、唯一の手段なのだ。


だから、もう何も感じなくていい。罪悪感も、悲しみも、絶望も。彼らだって、私だって。

自分が殺した彼らは私が救ったのだから。



「今回は派手に死んだわねえ。」

隣で私を保護していた救急員が悲鳴を上げて何か叫ぶ。

言葉として脳で理解はできても、それに混ざった感情は認識できない。

そうするだけの私の心は、壊れてしまったのだろう。


死にたかった。

死ねなかった。


救いを、また私だけ受けられなかった。

私だけ取り残されてしまった。


神なんて、いないのはわかってる。いたらもっと多くの人間が救われている。

それでも、存在する天文学的可能性にかけてしまうのは、人間の性だろうか。


「神様、どうか、私にも救いをください。」

ぼそりと呟いた祈りの言葉は、私の内側で反響した。

体の外膜に当たって跳ね返り、内側を駆けめぐる。

何度も何度も繰り返し私の脳内を犯し、意識を混濁させた。


「君、大丈夫か!おい、救急車に早く運べ!しっかりしろ!」

意識が遠のき、人々の声が何者かに阻まれたかのように聞こえなくなった。体の感覚が無くなり、私の精神は肉体から解き放たれた。


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