10話
数日後、エヴェリーナのもとに、ある茶会への招待状が来た。
ジョナタと仲の良い伯爵夫妻による主催で、ジョナタやマルタをはじめとして数名の貴人が参加するのだという。
エヴェリーナが断ろうと思っていたところに、ジョナタからの手紙も来た。
『君とマルタについてよからぬ噂をたてるものもいるが、私にはまったくの嘘だとわかっている。しかし、くだらない噂を払拭するためにもぜひ、このたびの茶会に来てほしい。君が、マルタに悪意を向けたりするような女性ではないことは私がよくわかっている。君もマルタのことをもっと知ってくれれば、きっと彼女と良い友人になれると思う』
流麗な筆致が続き、君の親しい友人ジョナタ、という署名で終えられていた。
おそらく、この手紙の半分はジョナタの本音で、エヴェリーナのためを思って書いたのだろう。
――そしてもう半分はマルタのために違いなかった。
マルタはかなりの反発を受けているであろうことは容易に察しがつく。
出自にくわえ、エヴェリーナを押し退けてジョナタの婚約者におさまった、というように見られているからだ。
そこへ、元婚約者の自分が、爽やかに手をとりあって友人になる――エヴェリーナがマルタを認めたというような構図にできれば、反発も少しは和らぐかもしれない。
だがそこには、エヴェリーナの気持ちを推察するということが決定的に欠けていた。
『おおむね、ジョナタは善良で根の真っ直ぐな男だが』
兄である人がそう称したことを思い出す。
実際、エヴェリーナもそう感じた。ジョナタは善良であるがゆえに――元婚約者であろうとも、新たな婚約者を認め、祝い、友好に接してくれると信じているのだろう。
あなたは完璧だ、と優しく褒めてくれたジョナタの声を、いまは皮肉めいた響きで思い出す。完璧だから、潔くあきらめて祝福してくれるとでも思っているのかもしれない。
エヴェリーナは手紙をテーブルに放り、自嘲しながら心につぶやいた。
(……はい、殿下のお望みのままに)
エヴェリーナの気分とは対照的に、茶会の日はよく晴れて、伯爵家の庭の緑も、そこに出されたテーブルと椅子の白さもまぶしく感じられるほどだった。
ティーカップをゆっくりと傾けながらも、エヴェリーナは参加者を確認した。
主催の伯爵夫妻の他に、ジョナタとエヴェリーナ、他にジョナタの友人らしき貴公子や令嬢が数名。男女比はほぼつりあうように調整されているようだ。
ふいに、明るい――やや大きすぎる声が、エヴェリーナの観察をさえぎった。
「やだ、この茶菓子おいしい!」
「……光栄にございます」
「あとでレシピを教えてくれる?」
はいそれはもちろん、と伯爵家の執事が丁寧に答える。
エヴェリーナはそっと視線を動かした。
ジョナタとマルタは同じテーブルにつき、マルタはスコーンの味に感動しているようだった。
大きな目が丸くなり、おいしい、と率直に感想をもらす様子を、ジョナタが目元を和ませて見つめている。
そのまわりで、他の貴人たちも穏やかな笑い声をあげていた。
エヴェリーナは鈍く暗い気持ちで、彼らを眺めた。
悪感情をあからさまに顔に出す者はいない。けれどここにいる貴人達がマルタに向ける眼差しは穏やかで好意的に思える。
決して、王太子への配慮からそう装っているというわけではないようだ。おそらく、ジョナタが本当に親しい者を集めたのだろう。きっと、マルタのためだ。
――つまらない女。
エヴェリーナはふいに、そんな言葉を思い出した。気持ちが沈む。自分は決して、マルタのような奔放な明るさを振りまくことはできない。
(……けれど)
自分が劣っていると認めるには、まだ頑なで反発する何かが自分の中に残っている。容姿や家柄といったものだけではない、もっと別の何かだった。
「……なのだが、エヴェリーナはどうだ?」
突然話を振られ、エヴェリーナははっとする。
ジョナタだった。その傍らでマルタもこちらに目を向けている。
エヴェリーナはかろうじて笑みを顔に張りつけた。
「申し訳ございません、少し考え事をしておりました。なにをおたずねになったのでしょうか?」
「はは、エヴェリーナは真面目だな。茶の好みの話だ。マルタや他のものは北方産の茶葉がいいという。君はどうだ?」
エヴェリーナは曖昧な微笑のまま、わたくしは南方のほうがよろしいです、と答えた。
「そうか。私も北方のもののほうが好みになったから、やはり北の勝ちかな」
「あら、ジョン。それだと最初は北方産が好きではなかったみたいな言い方ね!」
「……まあ、そうだな。マルタが強く推すから、北方産のほうが好みになってしまったよ」
ジョナタが笑い、周囲からも和やかな笑いが浮かぶ。
微笑を保ってその中に溶け込みながら、エヴェリーナは胸の底が冷えるのを感じた。
――エヴェリーナは、南方産の茶葉が特別好きなわけではない。
ただ、ジョナタの元の好みに合わせたのだった。
彼にふさわしい伴侶になるために。――王太子妃として完璧な女性になるために。
茶葉だけではない。あらゆる方面にそれは及んでいる。
けれどそれはいま、なんの意味も無い行為だったのだと、目の前に突きつけられていた。
マルタはジョナタに合わせているようには見えない。なのに、そのマルタに振り回されることを、ジョナタは楽しんでいるようですらあった。
じりじりと低温の火で焼かれるような不快感がエヴェリーナの胸を苛む。
――嫉妬。
いま胸を苛んでいるこれは、その感情なのだろうか。恋人を他の女に奪われたときに覚えるといったようなものなのだろうか。
以前ほどの衝撃や悲しみはない。けれどまだまったくの平静でもいられない。
『私欲や野心ではない――だが、愛でもない』
ジルベルトの声が耳に蘇る。それが少し、エヴェリーナに冷静さを取り戻させる。
はじめは衝撃を受けたジルベルトの言葉が、だがなぜかいま、胸の中を滑り落ちて行くような気がした。
(愛でなければ……この感情は、一体……)
私欲や野心ではない、と思う。無欲なわけでもないが、やがては国母という地位に執着しているとか、権力が欲しいとか、誰かを傅かせたいとか、今以上の贅沢な暮らしがしたいというわけではない。
「……というわけでだ、テオドールはなかなか紳士だ。信頼できる男なので、エヴェリーナも何かあればテオに相談するといい」
またも唐突に話を振られ、エヴェリーナの思考はさえぎられる。
テオドールと呼ばれた男のほうへ、思わず顔を向けた。
大きな鷲鼻が特徴的な青年で、エヴェリーナの斜向かいで照れたように笑っている。
やや縦長の顔の中で小さく見える瞳が、ちらちらとエヴェリーナをうかがっていた。
「テオは乗馬がうまい。今度、遠乗りなどしてみてはどうか」
ジョナタは朗らかに言う。テオドールは少し緊張したように笑いながら、それでもエヴェリーナを強く意識していることがわかった。
エヴェリーナは、頬が強ばったのをなんとか堪えた。ジョナタの意図がわかってきて、じりりと心が焦げ付く。
「テオにならエヴェリーナを任せてもいい。君にも、やはり然るべき騎士が必要だからな。君を一途に愛し崇拝してくれるような男がいいのだ」
心底そう思っているとばかりの、明るい声だった。
――お前も早く愛する人を見つけろとでも言われているような気がした。
きっと、ジョナタに悪意はないのだろう。だが、これではあまりにも――。
(……早くなかったことにしようとでも、いうの)
元婚約者にも新たな相手をあてがえば、罪悪感も薄れ、しこりも解消される。――そうとでも思っているのか。
エヴェリーナは、かすかに震える呼吸を噛み殺した。
(……なんの、ために……)
なんのために自分はここまで励んできたというのか。
なんのために、親の期待も家名も背負ってここまで耐えてきたというのか。
何もかもが正反対の女に王太子妃候補という立場を奪われ、呆然とするためか。
ジョナタのためであった何もかもを、よく知りもしない男に安く売り渡せというのか。
震えるほどの怒りがはしる。悔しさと哀しさで吐き気がこみあげる。
恥も外聞もかなぐりすてていっそ立ち上がろうとしたとき、
「遅くなった」




