1話目 『 イ階エレベーター 』
もう、23年も前になるのか。
娘がまだ妻のお腹の中に居た頃、僕は出産間近で入院する妻の見舞いにとある総合病院に来ていた。
無事に娘が生まれるようにと、娘が妻の腹に宿る前に行った神社のお守りを持って。
大きなお腹の妻とその中の元気な娘。
そんな2人と面会時間いっぱい一緒に居た僕は、エレベーターに乗って1階に向かっていた。
そのエレベーターは“喋るエレベーター”だった。
こう、
「上に上がります」
とか、
「ドアが閉まります」
とか。
女性の声でアナウンスが流れるタイプのやつ。
僕が居たのは5階で、途中4階で赤いTシャツを着た女の人が、3階でYシャツの袖を捲くった男の人が乗ってきた。
その度に、
「4階です」
「3階です」
「下に下がります」
「ドアが閉まります」
ってアナウンスが流れた。
故障でもしていたのか、少しノイズ混じりに流れるアナウンス。
そのノイズは階が下がるごとに酷くなっていった。
そして1階に下りた時、酷いノイズと共にアナウンスが流れた。
「イ階デス」
って。
エレベーターが開いて見えた1階の光景は異様だった。
一切の明かりがなく、エレベーター内の明かりが届かない場所はまるで濃い墨を流し込んだように、何も見えないほど真っ暗だった。
面会時間を少し過ぎてしまった7時過ぎとは言え、夜間の救急の診察もする病院だ。
夜間時の出入りがあるのに電気を消すだろうか?
いや、それ以前に今は真夏だ。
エレベーターの直ぐ近く窓があるのに、こんな深夜の様に真っ暗なのは可笑しい。
その事に気づいて僕はエレベーターから下りられなくなった。
あの2人は何も思わなかったのかな?
そんな僕を怪訝そうに見て、女の人と男の人はなんの躊躇いも無くエレベーターを降りた。
僕は恐怖で2人を止めることが出来なかったよ。
そんな僕の耳にアナウンスの音が聞こえた。
「イ階デス」
上に上がりますでもドアが閉まりますでもなく、1階ですって流れたんだ。
それを機にアナウンスは本当に壊れた様に、
「イ階デス」
「イ階デス」
「イ階デス」
「イ階デス」
って繰り返しだした。
僕は思わず悲鳴を上げて、閉まるのボタンを連打していたよ。
その間もアナウンスはずっと、
「イ階デス」
って繰り返していた。
そして暫く繰り返した後、アナウンスから流れたのは、
「おい、降りろよ」
と言う低い低い男の声だった。
実を言うと、その後の事は良く覚えていないんだ。
ただ、無我夢中で階数のボタンと閉まるのボタンを押しまくっていた様な気がする。
気がつくと、
「5階です」
のアナウンスと、
「大丈夫ですか!?」
と言う女の人の声が聞こえた。
いつの間にかエレベーターの中で腰を抜かしていた僕は、黒いYシャツを着てマスクをした若い女の子にエレベーターから引きずり出してもらったんだ。
恐怖のあまり暫く立てなかったけど、エレベーターには居たくなかったからね。
女の子は僕をエレベーターから出すと、直ぐに近くの病棟に居た看護師さんを呼んできてくれた。
その日はとても暑い日だったからね。
僕は熱中症か脱水症状で倒れたと言う事になっていた。
あの異様な光景もそのせいで見たって幻覚だって言われたよ。
そう、あれは、幻覚、幻、現実じゃない。
そう思い込みたかったんだけどね。
ニュースで見ちゃったんだ。
あの時一緒にエレベーターに乗った男女が行方不明者として出てるのを・・・・・・・・・・・
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其処まで話すと、中高年の男性は蝋燭の火を吹き消した。