前衛科試験②
ライオネルが連行された後、すぐに試験は続行された。
そして当然ながら、次はライオネルの後ろにいた昀昀の番であった。
闘技場の中心部まで足を進める。
目の前に立つ教官は、先ほどライオネルの相手をしていた者とは違っていた。人員を交代したのだ。
執事服みたいな黒スーツを身にまとった、長身痩躯の男だった。
長い赤髪をらせん状にまとめ、斜め上へ向かって一角獣のごとく尖らせたその髪型は非常に特徴的で、一度見たら一生忘れられないであろうインパクトがあった。
顔立ちは貴公子のように整っているが、どこか角があり、神経質そうな印象を受ける。
そして、その手に持っているのは槍斧。槍と斧が合体したような武器で、突く事にも斬る事にも対応している。
彼は事務的な口調で名乗った。
「私はデューイ・マッケンジー。今から君の武を査定させてもらう者だ」
「方昀昀です。お眼鏡にかなうよう努力します」
昀昀は右拳を左掌で包み、一礼した。「抱拳礼」といって、煌国の武術界で用いられる挨拶の一つだ。
一方、デューイはその切れ長の瞳を少し細め、咎めるような口調で言った。
「努力する、だって? 今から努力しても遅い。武とは日々の修練で高め、積み上げておくものだ。それこそが努力。勝敗や生死はそれがもたらす結果に過ぎない。勝負が始まった時点で努力などと言っても意味が無い」
「すみません、「努力」というのは言葉の綾です。お気を悪くさせてしまったようなら申し訳ありません」
昀昀がそう謝ると、デューイはもう言うことは無いとばかりに言葉を止めた。
どうやら見た目通り、とっつきにくい人のようだ。こういったタイプには無理に反論しない方が波風が立ちにくいものである。
今やるべきは、会話や口論ではない。自分の力を試すことだ。
それを改めて認識した昀昀は、構えを取った。腰を落とし、左足と左手を前に出した半身の体勢。右拳を脇腹に引き絞り、前に出した左手の指先を通して敵を見る。
デューイもまたハルバートを構え、攻撃に備える。
槍先の延長線上に、昀昀の姿を置く。
「……!?」
――ぞくり、とデューイの背筋に悪寒が走った。
この学院の教官たちの例に漏れず、デューイは高ランクの冒険者から教職に就いた身だ。
現役時代は、優秀な前衛職として有名だった。その分、武術も高い水準で身につけていると自負している。
そんな者の目は――あの女顔の少年が持つ「異質さ」をすぐに見抜いた。
昀昀が取ったのは、拳法の構え。
素人目からは、ただの構えにしか見えないだろう。
だがデューイはその構えの一箇所一箇所から、非凡な才の片鱗を見抜いていた。
先ほどのライオネル・ボーフォートからも、非常に高い実力の色を感じ取っていた。
この少年もそれと同等……いや、下手をすると上かもしれない。
それを明確に悟った瞬間、胸中に生まれたのは――恐怖。
「っ!!」
ギリッ、と唇の下で切歯する。
恐怖を感じるなど、あってはならない。
相手は初心者どころか、まだ冒険者にもなっていないヒヨっ子。上級者であり教官でもある自分がそんな相手に臆するなど、恥ずべき事。
そしてデューイは、そんな感情を抱かせた昀昀に強い怒りを覚えた。
その怒りが、恐怖心を塗り潰した。
「始め!」
他の教官の合図とともに、両者の身体を【スキンバリア】が覆う。試験開始だ。
刹那、昀昀は突風と化した。ほぼ一瞬といえる時間でデューイの間合いの奥へ踏み入る。
「――崩ッ!!」
大地を揺るがすほどの力強い踏み込みと同時に、正拳を鋭く突き放った。
手応えはない。デューイがギリギリのところで身をひねり、拳を躱していたからだ。
しかし、もう少し反応が遅れていたら危なかった。電撃的なその速度にデューイは内心で感嘆しつつ、次の行動に移った。
「はぁっ!!」
回転しながら後ろへ飛び退く。退きざま、遠心力を乗せたハルバートの斧刃を放った。
昀昀は深く腰を落とした。円弧軌道で飛んできた刃をしゃがんで回避してから、再び腰を上げる。
しかし、デューイはすでにハルバートを手前へ引き絞っていた。
そこから、豪雨のごとく刺突を連続させた。目にも留まらぬ速さで、間断なく銀の閃きを放つ。
これを全て避けきった武術家を、デューイは今まで見たことがない。
――今この瞬間までは。
そう。昀昀は躱していた。
無駄が無く、必要最低限の挙動のみで、無数に放たれる槍先を全て紙一重で避けていた。
避けているというより、放った刺突が少年を意図的に避けて通っているかのような、演武じみた回避。神技を通り越して、曲芸にさえ見えた。
当たるどころか、かすりさえしていない。
針穴に糸を通すようなその歩法、体さばきに、デューイは戦慄を禁じ得なかった。
しかも、昀昀は回避しながら、ハルバートの間合いの奥へと少しずつ進んでいた。
デューイは危機感で心を無理矢理引き締め、大きく後退。
昀昀はそれを追って、電光石火の勢いで前進。
近づいて来る敵めがけて、デューイは幾度も槍先を突き出す。だが昀昀は猿のようにしなやかな身のこなしでそれらを楽々とかいくぐり、徐々に距離を詰めてくる。
所詮は苦し紛れの攻撃。そんなものが当たるはずもなく、簡単に懐へ踏み込まれた。
「崩ッ!!」
震脚を伴い、肘が疾る。
対し、デューイは肘打ちをハルバートの柄に滑らせて受け流そうと考えた。
そして目論見通り、クリーンヒットはまぬがれ、柄で受ける事が出来た。
「ぐっ――――!?」
――だが次の瞬間、まるで山が高速でスライドして激突したような衝撃が、体幹まで響き渡った。
重過ぎる!!
込められた力が強すぎるせいで受け流しきる事はできず、勢い余って大きく弾き飛ばされることとなった。
靴底と地面の摩擦で必死に勢いを殺す。摩擦熱で靴に火がつきそうだった。
昀昀との距離が約30メイトルほど開いたところで、ようやく止まることができた。
デューイは手元を見る。先ほどの一撃の影響か、手が震えていた。
「哈――――…………っ」
昀昀は呼吸を整えた。技の使用によって発生した体内の熱を逃がし、クールダウンさせる。
教官、受験者問わず、周囲の目は二人の戦いに釘付けだった。
いや、より正確には、昀昀の動きに対して目が離せなくなっていた。
閃光のようなスピードと、重々しい拳打。
本来矛盾したそれらを兼備する昀昀は、まさしく雷の擬人化であった。
――『煌術』。それが昀昀の使う格闘術の名前だ。
東方の大国『煌国』を起源とする武術の総称。
人体の持つ潜在能力を極限まで掘り下げ、高い戦闘能力と強健な肉体を身につける究極の体術。
あの常軌を逸したスピードは、煌術の主要技術の一つである【内功術】を用いた身体能力だ。
特殊な呼吸法を用いて肉体を自在にコントロールし、様々な能力を使用できる。
そして、あの強大な打撃は【勁擊】。
姿勢・呼吸・体術の合一によって生まれる強大なエネルギー【勁】を用いて敵を打つ。煌術特有の打撃法だ。
煌術は煌国以外の国にも広まっているので、それ自体はあまり珍しいものではない。迷宮都市にも何件か武館がある。
周囲が驚いている理由は、ひとえに――昀昀の腕前だった。
誰の目から見ても、彼がまだ成人して間もない年頃である事は明白。
しかし今の実力は、どう見てもその年代とは不釣合いなものであった。
努力はしたのだろう。しかし、類い稀な武芸の才を前提に置いたものである事は疑いようがなかった。
昀昀は腰を落とす。
そして、再び急加速。内功術を使用したその移動速度は、まさに光の矢のごとしだ。
視界の中で、デューイの姿が一気に巨大化した。
「打打打打打打打打打打打打打打打!!」
無数の拳打が降り注ぐ。一発一発に込められた勁は弱いが、速度と連続性に富んだ打撃のシャワー。常人相手なら、これだけでも蜂の巣と化すだろう。
だが、やはり前衛科の教官というべきか。デューイは体さばきや武器の操作によって、飛来してくる拳の数々を次々といなしていた。
「打打打打打打打打!! 崩ッ!!」
なので、矢継ぎ早な連続攻撃から、決め手に化ける強攻撃へと転じた。震脚で鋭く前へ出て、破城槌のごとく強大な正拳突きを打ち出す。
デューイは横へ体を素早くズラし、やってきた拳を空振りさせる。そしてすかさず、ハルバートの槍先で突き放った。
「はっ!」
昀昀は小さく横へズレて刺突を回避。そして、その柄に向かって掌底を叩き込む。
莫大な勁がハルバートにかかり、激しく横へ弾かれる。
しかしデューイはその勢いにあえて逆らわず、ハルバートで受けた直進力を遠心力に変換させる要領で回転した。
まるで風を受けて回る風車のように、相手の力を利用して回転し、その遠心力を利用してなぎ払うカウンター。これもまた、冒険者時代に何度もデューイを助けた十八番だった。
一瞬背を向け、そして振り向きざまにハルバートの斧刃で薙ぎ払おうとした。自分で生み出した力で倒れるがいい。
しかし遠心力のまま振り向くと――昀昀の姿が消えていた。
斧刃は虚しく無を切り裂く。
デューイはひどく焦った。どこだ。どこに消えたのだ。
周囲を見回そうと首を動かしかけた瞬間、背後に濃い気配を感じ取った。
そして、それに気がついた時には、もう何もかもが手遅れだった。
「がはっ――――!?」
突如背後から、とんでもない衝撃がぶつかってきた。巨大な鉄球が高速でぶつかったような衝撃であった。
デューイの体が軽々と前へ跳ね飛ばされた。
ハルバートを取り落とし、丸腰のままみっともなく転がっていくデューイ。苦し紛れに、先ほどまでいた位置へ視線を送った。
昀昀が、深く腰を落として掌底を突き出した姿勢のまま止まっていた。
いつの間に後ろに?
すぐに答えは出た。
――デューイが回転によって背を向けた一瞬の隙をついて、その背後を取り、そしてそのままずっとくっついていたのだ。
相手にとって不利で、自分にとって有利な立ち位置を取り続ける。極めて高度な戦闘技術だった。
【スキンバリア】に守られていたため、痛みや外傷はない。が、受けた衝撃は体の奥までビリビリと伝播していた。恐ろしい破壊力である。
…………【スキンバリア】?
その単語から、これが試験試合である事をようやく思い出した。
「な……!!」
尻餅をついた状態で止まっていたデューイは――自分の体表面を覆っていた障壁が消えている事に気がついた。
信じられないといった表情を浮かべる。
周囲の者たちも同様の顔だった。
そして、しでかした張本人――方昀昀も。
説明した通り、試験終了の方法は三通りだ。
――三分経過すること。
――自分の【スキンバリア】が耐久値限界で壊れること。
――リタイアすること。
しかし実は、もう一つだけ方法がある。
それは――教官を倒すこと。
そして昀昀は、その四つ目の方法で試験を終わらせてしまったのだ。
「…………やめ」
教官の妙に硬い声が響き、そこで試験は終わった。
昀昀は呼吸を整えて精神を沈めると、
「ご指南、ありがとうございました」
右拳を左掌で包む抱拳礼を交え、デューイにお辞儀をした。
彼は答えない。ただ前を呆然と見ているだけだった。
周りからの視線が、いよいよ化け物を見るソレへと変わった。
教官さえも、である。
冒険者養成学院創立以来、入学試験で教官を倒した者は、片手の指で数えるほどしかいない。
その者たちはいずれも学院を巣立った後、冒険者として得がたい名声を手にしている。
――もしかすると、自分たちは今、伝説の始まりを見ているのではないか?
誰もが、そんな考えを抱かずにはいられなかった。
次回は、クララちゃんにスポットを当てます。