サンデーナイト②
〜クラブにて〜
「いやー日曜にクラブに来たの初めてですよ。」
あつしは隣に並んでいるゆうこに声をかけた。ここは渋谷のクラブ『バタフライ』。日曜日ということで客の数は少なめだが、それでもやや多いようにあつしは感じた。
「私も日曜は初めてー。明日に響かないようにほどほどにしないとね。」
ゆうこは黒をベースにした、すらっとしたドレスを着ていた。色自体は控えめだが、どこか主張めいたものを感じさせる、着る人を選ぶものだ。
普段だったら絶対に自分からは声を掛けられないなとあつしはやや自嘲気味に考えているうちに列は進み、2人は中に入っていった。
中に入ると前座のDJがプレイしていた。トランス調ではあったが、あつしはあまり惹かれない音楽だ。時間も早かったため、ひとまず2人はビールを買い、隅で会場を見渡しながら雰囲気を楽しむことにした。
「あつしくんがトランス好きなの今まで知らなかったよー。もっと早く知ってれば一緒に行けたイベントたくさんあったのになぁ。」
ゆうこは残念がりながらも、一方でいたずらを仕掛ける子供のようににやにやしながらあつしに話しかけてきた。
あつしはそんないたずら心の上で転がされたくはなかったが、うまい返しが思いつかず、半ば諦めたようにゆうこに返した。
「いやー残念です。ゆうこさんみたいな美人とイベントに来れたかと思うと。でもまぁ、その分今日初めてゆうこさんと来れて、めっちゃ僕嬉しいですけどね。」
「あら、嬉しい事言ってくれるわね。テキーラでも奢ろうか?」
「いや、明日に残ったらまずいんじゃなかったんですか?」
「残んないわよ。だって私は飲まないもん。」
「いや、それだったら尚更ないですよ。ただ僕を酔わせたいだけじゃないですか!」
「あら、いけない?」
そんなやりとりがあつしにはたまらなく好きだった。
「そういえば、あつしくんは彼の音楽のどこが好きなの?」
「僕はやっぱり音運びがすごく好きです。無心になって聴いてるとどこか異世界にでも連れていってくれるような。彼のプレイしている動画を見ているとその日1日のストレスも忘れて楽になれるんですよね。」
「たしかに、私もそこ好きだなー。ほら、女って普段いろいろルールがあるじゃない。気にしないといけないことも多くて。だからトランスを無心で聴いてる時って本当に気持ちいいの。その時間だけは何も考えなくていいから。」
「たしかにそれはありますよね。僕も上司に怒られた日は帰り道ずっとトランス聴いてます。というかもうずっとトランスだけ聴いて生きていきたいですね。上司に怒られることもないし、イライラすることもないですし。」
「そうなんだ。でもそしたら彼って意外じゃない?土日はこうしてDJとしてパフォーマンスして、普段は会社の役員してって、あつしくんが嫌な会社にいる時間が彼の普段過ごす時間なんて。彼にとっては会社もDJと同じか、それ以上大事な時間なんでしょうね。」
「僕そこがわからないんです。あれだけDJとして成功しているのになんでまだ会社員やってるんですかね。まあ役員ともなると仕事が楽しいって感じだとは思いますけど。僕なんかとは程遠いほどの才を持って人なんでしょうね。だから僕は彼の音楽は好きですけど、彼自体はそこまで好きになれないんです。だって音楽は現実を楽しめない人が拠り所にするものでしょ?現実でも充実した彼から現実でイケてない僕に届くメッセージなんて何もないです。」
「あつしくん、それは違うんじゃないの?たしかに音楽は現実を忘れさせてくれる。むしゃくしゃしたり、イライラしたりする気持ちを落ち着かせてくれる。でもそれは処方箋。本当に変えないといけないのは現実がうまくいかないその原因を変えていくことよ。この間の時も、あつしくん同じミスしてたんでしょ?ならなんでその後、失敗の原因を考えなかったの?あつしくんは現実を音楽をより感情的に楽しむための装置にしか考えてないでしょ。『みんなわかってくれない自分。トランスだけは僕を受け入れてくれる』そんな風におもってるんじゃないの?」
「そんなことないですよ!あの後反省もしましたし、原因はなんなのかもわかってます。たしかにあの後も音楽は聴いてましたけど、いいじゃないですか!それくらい。そもそもゆうこさんそんなに音楽わかってるんですか?さっきから音楽とは、みたいな感じで話してましたけど。ゆうこさんは全然音楽わかってないですよ。話聞いてても知識ないなと持ってました。」
「たしかに私は知識はないわよ。でもこれとそれとは話が別。今はあつしくんの姿勢の話をしてるの!」
「もういいです!少し黙ってください!」
2人はヒートアップした感情を鎮めるためビールを喉に流し込んだ。酔ってはいない自覚があったが、溢れ出た言葉はきっと普段必死に抑えていた部分をゆうこにさらりと指摘されたためかとあつしは感じてはいたが、今はそんなこと考えている場合ではない。
時刻は1時半になろうとしていた。DJブースでは早々に彼が登場し、いよいよ曲を流し始めようかというタイミングを迎えていた。
「今はゆうこさんとは一緒にいたくはないです。1人で楽しみます。」
「わかった。」
2人は飲み終えたビールのコップを捨てると、別々に混み合ったステージ前方へと踏み入っていった。
「Hey What’s up, Tokyo? I am Father. very excited to be here. Tonight I take you to the heaven! Are you ready?」
Fatherは持ち前の明るさで一気に会場を温め、客をトランスの世界に誘う。しかしあつしはその世界に踏み込めずにいた。あつしの頭の中でもさきほどゆうこに言われた言葉たちが膨れ上がり、すべてを覆い尽くしていた。
彼はいつものようにトランスの世界に没入できないことに苛立ち、テキーラを買い、酔いを強くしようとした。しかし、お酒がわかって感情的になればなるほど、ゆうこの言葉が存在感を強め、あつしはどうしたらよいかわからなくなった。
そしてトランスのリズムが頭を通るたびにゆうこの言葉が立ち現れ、異世界に行きたいあつしの意識を現実に留まらせた。
そう、普段なら現実から自分を引き離してくれるトランスが、今では何よりあつしを現実に留める装置になってしまったのだ。
あつしは大いに苦しんだ。もしゆうこが目の前にいたら無理矢理にでも彼女を論破し、優位性を確認することで気持ちを落ち着かせることもできた。しかし彼女は喧嘩して別れて以降視界にすら一度も捕らえられていなく、むしゃくしゃした気持ちを発散できずにいた。
あつしは先ほどのゆうこの発言を思い出した。『現実を音楽をより感情的に楽しむための装置にしか考えてない』たしかにそんな風に現実を捉えていた自分はいたかもしれない。しかしあつしにとってそれは当たり前のことであり、どう直せばよいか見当もつかなかった。
あつしがそんなことを考えているうちにもFatherは様々な曲をかけ、客を天国へと誘った。盛り上がる客。微塵もノレない自分。普段のあつしなら決してそんな状態になることはないのだが、今日はもうなにもかもが狂ってしまった。
「OK, next track is my brand new song. It’s called “outside you”. Hope you guys like it!」
Fatherはそう言うと彼の新曲をかけ始めた。あつしは大いに期待をした。この曲なら、もしかしたら今からでも自分を異世界に誘ってくれるかもしれない。あつしは有り余る意識と集中力のすべてを彼の音に向けた。
ドラムのテンポ、ベースのサウンド、その他諸々あつしが今まで感覚で聞いていたものに意識を傾けて、異世界への入り口を探した。曲は良かった。普段のあつしなら間違いなく楽しめるレベルのものだったが、今あつしはそれ以上の強い衝動を曲「outside you」に求めていた。
曲は進み、徐々に曲調はつかめるようになった。感覚的にも少し入れるところを見つけ、あつしは現実から少しずつ離れていく。むうすぐだ。思ったその時、曲が、終わってしまった。正確には曲が終わっても次の曲が流れていたのだが、彼が異世界への入り口を見出そうとした新曲「outside you」は終わった。
ようやく感覚的になれそうな兆しがあっただけに、あつしは悔しかった。結局今日はどこへも行けないのかと。しかし同時に彼は自分が先ほどしたことに、重要なものを感じた。
そう、彼は音楽を考えながら聞いたのだ。テンポであったり、曲調であったり、普段無意識で味わっているものを意識的に捉えることができたのだ。
そしてその体験は先ほどのゆうこの言葉の意味をあつし自身に落とし込むきっかけを与えた。
『現実を音楽をより感情的に楽しむための装置にしか考えてない』
今まで自分は現実で意識して行動したことがどれだけあっただろう。仕事でミスをした時も、反省こそするものの、ではどうすればそうならなかったのだろうかと言う視点を自分の中に持つことができていなかった。自分の中には音楽が流れているだけ。外の刺激が自分の中にまで入っては来なかったのだ。ただそれは音楽に抑揚をつけるためのエンジンでしかなかった。
あつしはようやく自分の中に流れる音楽を止め、考えることの大事さに気づいた。
「thank you for having me! Just remember you can live your life by yourself.」
イベントは幕を下ろした。
〜再びオフィスにて〜
あれから1週間が経った。ゆうこさんはあれから一度も会っていなかったが、会社にはいるらしい。元々違う部署ということもあったが、最近新しいプロジェクトにゆうこが配属されたため、さらに会う頻度は低くなった。
一方のあつしは相変わらず怒られることは多かった。しかし以前のような同じミスを繰り返すというものではなく、勝手にいろいろ許可なしに行動してしまうことに対する注意だった。
営業数字も少しずつ上がってきているだけに、上司もそこまできつく言うことはなくなった。
上司の席から自分の席に戻る間、あつしは土日に無許可で営業をしていたことに対する注意を反省していた。たしかにそれによって案件を獲得できれば大した手柄だが、土日に営業をする会社という印象を相手に残すことは必ずしもプラスではない。次は事前に確認が必要だ。
席に着くと近くの席からクスクスという笑い声が漏れていた。あつしはそれに気付かず、閉じていたパソコンを開いた。




