4.真友
琉希飛には、『あの日』のことが忘れられない。むろん、悪い意味でだ。
あの忌わしき大敗。あれは、今年の夏だっただろうか。
あのとき、琉希飛が負けていなければ、勝っていれば、自分たちのチームは――
「ん? おい、どうした」
……そう、やっぱり、自分は弱いんだ。肉体的にも、精神的にも。今まで勝ててきたのは、偶然の産物にすぎないのだ。
そう、自分は――
「おい! 玄野! どうしたんだ! 大丈夫か?!」
「ぁ……」
優弥の二度目の大声で、やっと自分が現を抜かしていたことに気づく。
「あっ、ごめん。何でもねぇよ」
「まぁ、それなら良いんだけどさ。……なぁ、一つ訊いていいか? 玄野、お前どこにいるんだ? めっちゃ雨の音が聞こえるからさぁ」
「――ッ!」
一瞬ビクッとしたが、琉希飛は感付かれない程度の深呼吸をし、平常心を保たせるよう自分に言い聞かせながら、切り出す。
「いやぁ、こっちじゃ、それはもう川が溢れるくらい降ってるんだ。そう、お陰様で家の中が超うるさい」
「ははっ。そりゃぁ凄いな」
笑ってくれて幸いだが、それは嘘である。琉希飛が、どうしようかと考えた末での嘘だった。
いつも冗談ばかりついているせいか、どうやら優弥を騙せたようだ。ただ、罪悪感が心に積もる。
……優弥には、悪いなぁ。
なんてことを考えていると、優弥が急に神妙なトーンで、
「そうだなぁ……やっぱ、俺たち二年生全員で出たかったよなぁ」
と、独り言のように言った。
気遣いなんて必要ないのに――琉希飛自身の心が、病んでいくだけだから。
……だけど――やっぱ、お前も一緒か。
自分も出たかった。みんなで出たかった。みんなで喜びを分かち合いたかった。でも、それはもう叶わない。
悔しさともどかしさが、リアルな重圧となって琉希飛の全身に圧し掛かる。
そこで入ってくる、高い声。
「あのさ、県大会なんだけどさ。玄野んとこの鑑ヶ原市民体育館でやるらしいんだ。よかったら、その……応援に来てくれないか? 三月の二十二日なんだけどさ」
流れに任せて、「あぁ、分かった。行ってやる」と言おうとするのを、直前で止める。
……もう、家には戻らない。決定事項だ。これだけは譲れない。いや、もう何がなんだか分からない。
ただ、自分としてのプライドや意地が、勝手にそれを許さないでいた。
……自分は、何て意地張りなんだ。
「ごめん、……その日は道場のどうしても外せない遠征なんだ! 悪いと思ってんだ!」
今現在の状況を言うなど到底できない。「今、森の中にいてさ。もう、家には帰らないんだ」なんて、口が裂けても言えない。
だから、また嘘を吐いてしまった。いや、〔吐くしかなかったのだ〕と言い聞かせて、自分を正当化しようとする。……なんて汚い奴なんだ、自分は。
「ならいいや。じゃあ――」
「ちょっと待って」
優弥の言葉を遮る琉希飛。
……どうしても訊きたいことがあるんだ!
「えっと……何だい?」
「あ、あー。その……そう! 県大会行くときって、どういうメンバーなんだ?」
……俺は、そんなことが訊きたいんじゃないんだ! なんて臆病な奴なんだ!
「あぁ、メンバーなら先鋒から、沓掛、倉島、葛原、小渕、日下、だけど、どうかした?」
自業自得なのを自覚しながら、優弥の声を聞き流す琉希飛。
自分の代わりに選手に上がったのが、一年生の小渕だったとは驚いたが。
「……ありがとう。すまん、もう一個だけいいか?」
――今度こそ真打の質問をしなければ!
「何だい?」
「あのぅ……」
「……? あの?」
――あぁ! 俺は何を躊躇ってるんだ! 言えばすぐに済むことなのに!
「あの、だな。もし、俺が……いや、俺と二度と会えなく、なったりしたら、優弥は……どう思う?」
ようやく言い出せた質問。
内容を理解したらしい優弥が、琉希飛の言葉の少し後に、口を開いた。
「うぅん、……何でもいいんじゃないかな? 玄野のことは玄野自身が決めるんだし。だから、どうなったっていいんじゃないかな。それと、生きてればいつか必ずまた会えるんだし。俺たちは『親友』なんだから、いつでも心と心が繋がってるんだぜ! あ、自殺なんかはすんなよ!」
「あのな、俺が自殺なんかできると思うか!? あと、“心と心が繋がってる”ってやつ、なんか……気持ち悪いな」
思わず軽口で返してしまったが、本心はとても意外に感じている。まさか、優弥にそんな風に言われるなんて、想像していなかったから。いや、実のところ、何を言われるかも想像できていなかったが。
だけど、琉希飛の胸中の澱や靄が、晴れたような気がする。これで心置きなく――と言うと変だが――前に進めるはず。友に感謝だ。
「……あははっ」
「なんだよ! いいだろ! それでいいだろうが……!」
急に笑いだした優弥に、少しの恥じらいを覚えてから、抗議する。
「いやっ、そんなんじゃなくて。何言ってんだろうな俺、って思っただけだよ。悪いか!?」
「何言ってんだよ! ホント、良かったよ。ありがとう!!」
そして、友に感謝の意をぶつける。心からの“ありがとう”を。
「それと、これだけは玄野に言っときたいんだ。出典は“日下語録”からだよ」
「……」
「“後悔すんな”とか、よく言われるけどさ、俺はそうは思わないんだ」
「……」
琉希飛は口を動かさず、声も発さず、ただ優弥の話に耳を傾けていた。
「後悔は誰しも必ずする。何をしてもだ。失敗しても、成功したってね。後悔しない道なんて無いんだ。じゃあどうしろと思うかもしれないけど、悲しいことに、正しい道なんてどこにも無い。だけど、どんな道を選んだとしても、俺は玄野の選んだ道を尊重する。本当に大事なのは、“その後悔のあとに何を思うか”なんだと、俺は思うよ」
「――……あり、が……と、な。優、弥」
「お互い様だよ。それに、……泣いてんのか? 珍しい」
琉希飛は涙を堪える。
……ありがとう。本当は“日下語録”なんて無いことぐらい、知ってるからな。
でも、こんな俺のためにそんなのを頭から捻り出してくれたことが、何よりも嬉しい。
琉希飛は、思いっきり鼻を啜ってから、
「泣いてなんかねぇよ!」
と、嘘――いや、冗談をついた。
「ああ、分かってるよ。それじゃあな! また何かあったら連絡するぞ」
別れを切り出したのは、優弥だった。
唐突だ。
だが、琉希飛はその全てを悟った。
最後に、琉希飛は優弥の声を耳にしっかりと焼き付けようとする。なぜなら、このまま放浪を続ければ、いずれスマホの電源は落ちてしまうからだ。充電器もあるが、コンセントと手会うことなど、まずありえない。
「んー。分かった。じゃあな。みんなによろしく伝えてくれよな。元気でやってるって」
「分かったよ。じゃあな!」
別れが分かっていると、なぜこんなにも心が痛むのだろうか。――分からない。
だけど、“絶対に会えなくなることはない”と優弥が言っていた。生きてさえいれば、この一つの世界で繋がっている。
――縁は切れない。現実には離れて、切れていくように思えるけど、実際は『会いたい』『話したい』と思うたびに互いを繋ぐ糸は強く、そして遠くまで延びるようになる。糸が弛んで、また出会うことがあれば、その結び付きはよりいっそう強くなる。
そんなことを信じて、琉希飛は別れの言葉を発す。
「じゃあな!」
「また、いつか」
◆
通話終了。
琉希飛としては、――自分が満足かどうかは別として――いい答えが貰えた、と素直に思えた。
そして、ナイスなタイミングに電話をして来てくれた優弥に感謝だ。
「あぁ。分かったよ、優弥。“いつでも心は繋がっている”かぁ。ありがとな」
もう一度、親友への感謝の思いを口にし、琉希飛はまた前へと歩きだす。
……もう、一片の迷いも無い。あとは、前進するのみだ!
今でも朋友に思いを馳せると、心の奥底が熱くなってくる。
「そうだな。俺だって頑張ってんだ。見ていてくれよな……優弥!」
――依然として雨は降り続けている。
とりあえず、今はこの山の頂を目指そう。あわよくばそこで夜を越す。そのあとのことは、明日の朝にでも考えればよかろう。
琉希飛の頭の中で、山中野宿計画がどんどん広がっていく。
――その勢いに負けないくらいの気持ちで、琉希飛は再び歩きだした。