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龍ノ結ビシ始マリノ唄  作者: 飛坂鯨
弐ノ章:記憶の温もり
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6.豪嵐怒濤




 ――俺は、どこにいるんだ。



 ずっと前から、そんなことを思っていた、考えていた。


 何とも言えない浮遊感の中に、自分の意識だけが漂っている。それ以外には何も無い。


 ――無人。無明。無暗。無音。無臭。無感触。無感覚。無……。――。



 (はな)っから、中身なんて無かったんだ。

 空だ、空っぽだ。心からそう思う。空っぽの自分だ、そんな自分は――


 ――何も、色々なことが、“『理解』できていない”。


 分からないのではなく、忘れてしまったわけでもなく。ただ単に、そのことを“『理解』できいていない”のだ。


 自分が何者なのか。自分という存在。その概念、定義。自分はその全てを“『理解』できいていない”と悟ってしまった。


 自分の知識と、その在り方と、もう何か判らなくなってしまった物事まで、全てがねじ曲げられてしまった、そんな感じ。



 ――何かが、見え始めた。



 (かつ)て、どうしようもなくなって『蓋』をしていた、心の奥底に閉ざしていたものが、間欠泉のように勢いよく湧き出してくる。


 軟弱な『蓋』を吹き飛ばし、脆弱(ぜいじゃく)な鉄格子と鍵をぶっ壊し、それぞれの想いをぶつけんとするために、韋駄天(いだてん)の如く忘却の崖を駆け上がってくる。



 ――それを自分は、崖上から畏怖すらなく見下ろしている。


 刹那――自分の全身に耐え難い衝撃。


 それによって天を仰いだ自分は目にした。



 ――記憶の渦。



 人の記憶は脳の海馬に宿るというが、まさにそれに詰まっている記憶そのものだと、確信した。



 その渦を成す記憶たち一つ一つの形は分からない。いや、形なんて無いのかもしれない。一つ一つの記憶が思い出や知識として海馬に収められるからこそ初めて、『記憶』として成り立っているのだ。



 その記憶たちは、様々な光を纏っている。明るい色から暗い色、薄淡な色から濃艶な色、鮮やかな色からくすんだ色。それぞれが違った色と輝きを放っている。



 その記憶の渦は、じりじりと自分に接近してくる。だが、なぜだか恐怖を感じていない。


 そこに自ら飛び込んでいくような感覚で……――




 ――そこは、まさに“混沌”だった。







 自分がいる。

 目の前に自分がいる。

 目の前の自分は、ともに大健闘をした仲間たちと喜び合っている。


 ――時はあの大会の日。優勝した日。

 琉希飛(りきと)の二本勝ちで決まった決勝戦。相手チームに大勝して収めた優勝。表彰台に上がる琉希飛たちは顔を綻ばせた。

 確かこのあと、“打ち上げ”などと言ってみんなと遊んだっけ。





「――」





 そうだった。

 この頃の琉希飛は、個人戦で一回も勝ったことの無い時代だった。


 しかし、一年生の最後の試合でベスト八に食い込むことができ、表彰もしてもらった。それが初勝利の日だった。

 二年生になってからは何回か優勝もしたっけ。





「――」





 この日は、優弥(ゆうや)の家に集まってゲーム三昧。


 テレビゲームに興じたり、携帯ゲーム機の通信機能で協力したりしたあのゲーム、面白かったなぁ。尚輝(なおき)がお茶を盛大にこぼして、大惨事にもなった。





「――」





 永刹(ひさくに)空未(くみ)のいる記憶だ。

 この日から一泊二日で家族旅行。夏の日差しが眩しい中、突然エアコンが壊れて車の中が蒸し器のようになった。


 鑑ヶ原(かがみがはら)の近くを通ったときに永刹が言った冗談が面白くて、家族五人全員が笑った。





「――」





 琉希飛は独りで自転車を漕いでいた。


 目的地は中古本屋。琉希飛はこうして中古本屋を自転車で回るのが好きだ。欲しい本ができるとすぐ遠くの本屋に手を出して探す、それを繰り返していく。口笛や鼻歌交じりのサイクリングは、とても気持ちが良かった。





「――」





 ネットサーフィン。これがまた面白い。


 気になった記事やページを片っ端から見ていき、そこの知識や情報をありがたく頂戴する。自分の知識が蓄えられていくときや、その知識を実際に使って問題などを解いていくときの快感がとにかく良かった。


 一日六時間以上パソコンと向き合っていても目が悪くなっていかないのは、体質のせいだろうか。つくづく都合のいい体質だ。





「――」





 この日は尚輝の家の庭で自主トレーニング。


 みんなで決めたノルマを終えたあとは、チャンバラ合戦となったが。高校生からの上段の構えや、二刀流の構えを、各々試していた。


 最終的には、誰が言い始めたのか――ゲームやアニメの必殺技をコピーして遊んでいた。このとき使った上段の構えや必殺技のコピーなどは、今でもこの五人全員ができる。いつかまたやりあいたいものだ。





「――」





 ん?





「――」





 こんな『記憶』、あったっけ。

 思い当たらない『記憶』がある。





「――」





 この頃の琉希飛は四、五歳だろうか。永刹と部屋で遊んでいる。


 そこまでは普通なのだが、その部屋がおかしいのだ。


 石のような模様の白い壁。部屋に敷いてあるカーペットの上で二人が遊んでいる。部屋の中に家具らしきものはなく、琉希飛のものであろう玩具も、石床の上に(じか)で置かれている。こんな部屋は、見覚えがない。


 ――背中に、悪寒が走った気がした。





「――」





 おかしい。





「――」





 知らない。





「――」





 知らない。知らない記憶。





「――」





 知らない。知らない記憶。『記憶に無い記憶』が、今目の前に『ある』。





「――」





 何なんだ。自分の知らない記憶が、あたかもそのようなことがあったのように目の前に現れては消えていく。





「――」





 無いはずの記憶が、『ある』。





「――」





 もしかしたら、そうなのだろうか。





「――」





 この記憶が、自分のものでないとしたら。

 この記憶が、『他人の記憶』なのだとしたら……





「――」





 ……いや、それだとしてどうなる。この記憶の渦はどうにもならないだろう。





「――」





 この記憶はどんなだろうか。

 他人の記憶のはずなのに、そこには必ず自分がいる。


 それで、妙に自分の記憶のような気がしてきて覗き込む。





「――」





 幼い琉希飛は永刹に手を繋がれ、どこかに来ていた。


 そこは、王城らしかった――壮美な白い石壁に、広く長い廊下。その壁の天井近くに飾られているのは、どれも自分の記憶には無い意匠をした旗だった。知らない国旗だろうか。


 永刹も、自分が今までに見たことのないほど整った正装を纏っていて、どこかのお偉いさんに会うかのような緊張感を漂わせていた。――それらから判断するに、自分の持ち得る語彙で表すには、“王城”としかふさわしい言葉が浮かばないものであった。


 二人はしばらく歩くと、これまた今までに見たことのないほど大きく、そして壮麗な門の前に差し掛かった。門にはドラゴンや珠の乗った錫杖などが描かれており、どの絵の意図も自分には理解できなかった。


 永刹は門番の誰何(すいか)へ、当たり前のように返答をしていく。


 ついに門が開かれると、その先には、恰幅のいい男性が立っていた。


 王城の主――王様だと推測される。

 その隣では彼の后であろう女性が、この頃の琉希飛と同い年くらいのかわいらしい女の子――おそらく姫だろう――と、手を繋いで立っている。


 記憶があまり鮮明ではなく、王様たちの容貌までは伺えなかったが、どうやら永刹と面談があること、永刹と王様たちの間に何かの関係があることは伺えた。





「――」





 ――記憶はここで途切れている。





「――」





 幼い琉希飛は、脚の高いベッドで寝ていた。いや、幼い琉希飛は謎の実験台の上に寝かされていた、としか表現のしようがない光景が、自分の目の前にあった。


 逆に、実験台に向かって立っているのは、なにやら分厚い本を左手に持った永刹だった。

 琉希飛は完全に夢の国へと出掛けていて、永刹のそれには気づかない。


 次の瞬間、琉希飛は永刹もろとも眩しい光に飲み込まれていき……





「――」



 ……ここで記憶は途切れていた。





「――」





 幼い琉希飛を抱いた永刹は、どこかの平原を歩いていた。

 辺りを見渡しても人の気はおろか、地面以外の物体の気が感じられない。


 それでも永刹はどこか明確な目的地へと向けて、着実に歩みを進めていた。

 地面の質は粗めの砂で、砂漠といったところだろうか。

 それにしても、永刹はどこに向かって歩いているのだろう。


 やがて前方の地平線上に大きな岩が見え始め――……





「――」





 ――急にノイズが増えたと思った途端、画面がプツリと消えてしまった。





「――」





 ――記憶が途切れた。





「――」





 ――激流が止む。





「――チッ」







 記憶の影灯籠を、見ていた。


 今は、無の空間に帰す自身の意識である。



 どこまでも沈んでいくような、かつ昇っていくような……。そんな感覚。

 あるいはぷかぷかと不安定な浮遊感。

 あるいは、微睡みたる睡眠感。

 あるいは――



 どれを取っても、終わることは決してない。そんな感情の連鎖。



 ――そうだ、“あのとき”に似ている。



 だが、肝心の“あのとき”の記憶が出てこない。忘れてしまったのか、抜け落ちてしまったのか。どちらにしても、自分は今までに記憶を忘れたり失くしたりしたことは無かったはずだ。――いや、絶対に無い。


 そもそもこの思慮自体が勘違いなのか。




「――」




 何かが失くなってしまった。

 そんな感覚だけが心に淀んでいった。




「――」





 だがその淀みさえも、無の空間を貫いていき……



「――起きろ」


 ――キィィーン。




 声と同時に、音が。音が聞こえた……。

 さながら、鈴のように清らかで澄んだ……





 自分――『玄野(クロノ)琉希飛(リキト)』の意識は、浮上していった。

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