第6章 尋問
国道沿いの喫茶店に入った天崎と戸塚は、窓際の席に腰を下ろした。
平日の朝方ではあるが、意外にもぱらぱらと客の姿が見える。スーツが多いことから、おそらく出勤前のサラリーマンが朝の一時を過ごしているのだろう。
こんな朝早くに喫茶店など入ったことのない天崎は、その独特な空気を物珍しく感じながらも、目の前の男に集中する。
「好きな物を頼んでいいよ」
とは言われたが、朝飯はしっかり食べてきたので、とりあえずホットコーヒーだけを頂くことにした。
「あまり時間を取らせてしまうのも悪いから、単刀直入に用件を言おう」
注文を取りに来た店員が去っていくのと同時に、戸塚が切り出した。
テーブルの上で指を組み、真剣な顔つきで天崎の瞳を見据えてくる。
自分は探偵ではないと戸塚は言ったが、今の天崎の心境は、的確な推理で追い詰められた犯人のようだった。疚しいことがあるので、なおさらだ。
そのまま固唾を呑んで待っていると、彼は前置きなしで訊ねてきた。
「学園祭の日、君の学校で何があった?」
「……学園祭?」
ターニャの件だと決めつけていた天崎は、少しだけ毒気を抜かれてしまった。
よくよく考えてみれば、戸塚の質問は何も間違ってはいない。安藤が言うには、『調査員』が近隣を徘徊するようになったのは、学園祭について調べるためなのだから。
学園祭の話となると、ターニャとは無関係だ。
心の中で安堵するのと同時に、さて何て答えようかと思案する。
そう考える一方で、ふと疑問が浮かんだ。
「なんで俺に訊くんですか? 他の生徒もたくさんいるでしょ」
「いいや、他の子たちにも聞き込みはしてるよ。ただ、こうやって腰を据えて話をするのは君が初めてだけどね」
「初めて? なんで……」
「君が『完全なる雑種』だからさ」
その単語を耳にした瞬間、天崎の身体がわずかに震えた。
しかしすぐに平静を取り戻せたのは、天崎自身がきちんと理解しているからだ。
『完全なる雑種』は単なる家系。一般人ならともかく、『調査員』という特殊な仕事をしている人間なら、少し調べただけで個人を特定することは容易だろう。
「『完全なる雑種』という普通の人間とは違った君なら、あの日、学校で何が起こったのかを知ってると思ってね」
それを聞いて、天崎は内心で毒づいた。
戸塚はすでに異変があったことを前提として話を進めている。おそらく結界の『認識改変』が不完全だったせいだろう。聞き込みによって生徒間の記憶や認識に齟齬が生じていることを知り、何かしらの異変を嗅ぎ取ったというわけだ。
石神めぇ。と、発端となった死神を恨むのと同時に天崎は焦り始める。
他の生徒たちは、あの失った一日にどんな記憶を埋められたのだ?
いや、齟齬があるんだから、適当に答えても問題ないのか?
どのみち長い沈黙は不審に思われるだけだ。
「何が起こったのか……と言われても、特に何もありませんでしたよ。事件でもあったんですか?」
「そういうわけではないんだけどね。むしろ事件があったかどうかを調べてる最中なんだ」
「うーん……すべての催しを見て回ったわけじゃないので、何とも言えませんが……楽しかった思い出しかないかなぁ」
「何もなかったなら何もなかったなりに、君の口から当日の出来事を聞きたい。いいかな?」
「…………」
話し合いの場を設けているのだから、何か情報を引き出したいという意気込みは分かる。
ただ、天崎の頭に捏造された記憶はない。存在しない思い出を語れる自信はないし、かといって魂集めに奔走していたこと話すわけにもいかない。
なので少しだけリスクを冒す。
「そういえば、事件というほどではないんですけど……学園祭が終わった後で、ちょっとだけ違和感がありました」
「違和感?」
「はい。なんていうか、友達と会話が噛み合わないことがあるんです。学園祭の出来事を話し合っていても、そんなことあったっけ? って、お互いが覚えてないことがあって……」
「ふむ」
腕を組んだ戸塚が、何かを思案するように天井を見上げた。
無言のまま様子を窺っていると、店員が注文の品を運んでくる。コーヒーに砂糖とミルクを入れながら、戸塚が口を開いた。
「実は他の生徒も君と同じようなことを証言してるんだよ。学園祭のイベントプログラムは一致してるのに、一緒に散策していた友達が違ってたり、印象深い出来事を忘れていたり。しかも一人や二人じゃない。けっこうな人数の話が食い違っているんだ」
「やっぱり」
どうやら予想は当たっていたみたいだ。
生徒たちの証言に齟齬があるなら、たとえ見当違いな思い出を話したところで怪しまれることはない。また同じことを問われたら適当に答えるかと、天崎は気楽に構えた。
「違和感と言ったね? 他に何かなかったかい? 学園祭の最中でも終わった後でもいい。君自身が感じた違和感を、どんな些細なことでもいいから教えてほしい」
「些細なこと、ですか」
「体調とかはどうだった? 君は気分が悪くなったりとかはしなかったかい?」
「まあ、特には……」
「学園祭の前と後で、身体に何か変わったことは?」
「なかったと思いますけど……」
「本当に?」
「…………」
探偵と犯人というよりも、なんか宇宙人に攫われた人のインタビューみたいだな。と、天崎は思った。
戸塚の怒涛の質問に若干苛立ちつつも、天崎は難なく受け流す。
大丈夫。すべての質問は、「何もなかった」で通じるはず。場合によっては「忘れていた」「気づかなかった」で済むだろう。自分は学園祭を楽しんだ一生徒を演じるだけだ。
「そうか……」
戸塚が諦めたように視線を伏せた。
結局、『完全なる雑種』の生徒でも異変を察知することができなかった。異変と感じたのは『調査員』の思い過ごしだった。
そう結論付けてくれれば、万々歳なのだが……。
次に戸塚の口から紡がれた言葉により、天崎に戦慄が奔る。
「実を言うとね、君以外の生徒は全員、いつの間にか手の平に落書きをされたと言ってたんだけど……君はなかったってことかい?」
「――――ッ!?」
動揺のせいか、カップを持つ手がわずかに揺れてしまった。
完全に忘れていた。死神化した後、すでに魂が入った肉体を区別する保険として、手の平に×マークを残していたんだった。最終的に目印を使うことなく達成できたため、頭の中から抜け落ちてしまっていた。
×マークについても、各々で適当に理由付けがされていることだろう。
しかし対象は天崎や安藤を除く全校生徒。その意見が統一されることはない。故に戸塚は、食い違う生徒たちの証言を統合して「いつの間にか」と表現したのだ。
どんな記憶が捏造されたところで、落書きされた事実は変わらない。
そう、気づかないはずがない。忘れるわけがないのだ。
手の平なんていう一番目に付く場所にされた、大きな落書きなど。
「…………」
そして、この反応は失敗だった。動揺していたためか、沈黙が長すぎた。
自分にも落書きがあったと嘘を付くことは簡単だ。手の平の落書きはイベントか何かで、ほとんどの生徒がしているはず。戸塚に伝えるまでもないと判断した、とでも言えばいい。
でも、もう遅い。今から取り繕っても、どうしても嘘くさくなってしまう。
次の言葉をどうするべきか、頭をフル回転させる。
すると、すでに何かを確信した戸塚が、含みのある笑みを見せながら提案してきた。
「もしよければ、取り引きをしないかい?」
「……取り引き?」
「君の知っていることを話してくれるなら、ちょっとした見返りを提供しようかと思ってね」
「…………」
その見返りとやらに興味はあるが、ここは断る以外に選択肢がない。受けると言ったら、何かを隠していると自白しているようなものだから。
黙り込んでいると、戸塚は勝手に話を進めた。
「実は君が住んでいるアパートには、人間ではない人物が二人いる」
「二人?」
ずいぶんと少ないな。という意味で、天崎は驚いてしまった。
今現在、八部屋あるおののき荘は六部屋まで埋まっている。その中で吸血鬼とサキュバスのことを言っているのだろうが、おそらく本当の意味で純粋な人間は大家だけだ。自分は人間をベースとした『完全なる雑種』だし、変態作家は半妖怪だし、一階の魔女も普通の人間とちょっと違うと言っていたし。
さらに天崎は座敷童と同居しているし、大家の部屋には堕天使と惰天使がいる。
たぶん戸塚は、部屋を借りており、なおかつ人間の遺伝子を含まない人物だけを示したのだろうが……『完全なる雑種』としては、ちょっとだけ腑に落ちなかった。
「交友があるなら知ってると思うけど、一人は二階に住んでる有沢空美。彼女はサキュバス……正真正銘の悪魔なんだよ」
個人情報をそんな簡単に話していいのかという意味で、天崎は難しい表情を作った。
「もちろん知ってます。けど、それを俺に教えてどうしたいんですか? ご存じの通り、あの人とは交友があります。もし『調査員』として何かしらの調査に協力しろって言うんなら、絶対に嫌ですよ」
「あぁいや、そんなことを言うつもりはないよ。有沢空美は市民権を得ているからね。悪魔だからといって、今さら彼女をどうこうするつもりはない」
「市民権?」
「人間でいうところの戸籍みたいなものだよ。人間のルールに従って生きていくのなら、それ相応の権利が与えられるんだ。住民票とか、各種資格とかね」
「ああ……」
その事実を知って、天崎は一つ合点がいった。
サキュバスの空美が、どうやって人間社会を生き抜いているのか。
今まさにこの瞬間は問題ないのだろうが、空美はあの若々しい肉体で、すでに百五十年近くも生きているらしい。人間からすれば、不老不死と言っても過言ではない。
にもかかわらず普通に生活できている理由は、そういうカラクリがあったからだ。おそらく役所などにある個人情報は、定期的に『調査員』が更新しているのだろう。
そこで天崎は、ふと気になってしまった。
「空美さんと親しくしてる俺が言うのもなんですけど、そんな面倒なことをしないでも、例えば悪魔だったらエクソシストみたいな専門家を呼んで殲滅すればいいんじゃないですか?」
すごく残酷なことを言っている自覚はあったが、疑問を抱いたのだから仕方がない。
そもそも悪魔と人間は相容れぬ存在。エクソシストが職業として成立しているなら、無理やり共存という道を選ばなくてもよかったんじゃなかろうか?
「例えば君は、悪魔とエクソシスト……いわゆる悪魔祓いと呼ばれている人たちだが、その二つはどちらが先に誕生したんだと思う?」
「それは……卵が先か鶏が先かみたいな質問ですか?」
「いや、そんな難しく考えなくてもいい。ひっかけ問題でもないから、単純に答えてくれて構わないよ」
単純な回答でいいのならば、そんなもの答えは決まっている。
悪魔と悪魔祓い。どちらが先に誕生したかといえば、絶対に悪魔が先だろう。悪魔がいなければ、悪魔祓いなんて必要ないのだから。
その旨を伝えると、戸塚は深く頷いた。
「その通り。悪魔がいなければ、悪魔祓いが登場することはない。つまり悪魔を退治できる人間が現れた時にはもう、悪魔はすでにこの世界で社会的な生活を築いていたことになる」
「…………?」
分かりそうで、分からない。ふんわりとした理解が頭の中に漂う。
少々反応が遅れていると、戸塚が説明を追加してきた。
「君の言う排除・殲滅をするのは、もう手遅れってことさ。なぜなら悪魔は全世界で生活し、その地位を確立させてしまっている。例えばサキュバスは、政治家や著名人なんかもお世話になってると聞くし、今からそれらを掃討することはできないんだよ。悪魔祓いが動くのは意思疎通ができなかったり、人間としての範疇を越えた悪事を働いた悪魔が現れた時だけだね」
「つまり共存の道を選ばざるを得なかったってわけですか」
「そういうことだ」
そしてエクソシストは悪魔に対しての警察のようなものだと、天崎は解釈した。普通の警察だって、法を犯してもいない人間を逮捕するわけにはいかない。
そこで戸塚は「ただ……」と声を落として話を続けた。
「有沢空美は市民権を得ているため、法に触れるような行為でもしない限り、排除の手が伸びることはない。けど問題なのは、もう一人の方。最近入居したリベリア=ホームハルト。実は彼女、吸血鬼なんだ」
「…………」
今さらどんな反応をすればいいのか、天崎も困ってしまう。
ただ戸塚は、はっきりと口にした。「問題なのはリベリアの方」だと。
「もう知ってるって顔だね。それならいい。彼女は『調査員』に許可を得ず日本に来たみたいで……簡単に言うと不法入国らしくてね。元々市民権も持ってないから、『調査員』も扱いに困ってるんだよ」
「はあ」
「かといって、吸血鬼をそう簡単に排除できるわけがない。ベテランの吸血鬼ハンターを呼んでも、甚大な被害を覚悟しなきゃならないだろうね」
「なるほど」
「そこで、最初の取り引きに触れようと思う。もし君が学園祭で起こった出来事を話してくれるなら、リベリア=ホームハルトに市民権を与えるよう上と掛け合ってみよう」
「…………」
社会に出たことのない高校生の天崎でも、これには違和感を覚えた。
「一介の『調査員』に、そんな権限があるんですか?」
「ほぼない、と言ってもいいかな。けど、誰も進言しなければ市民権なんて永遠に得られないだろうさ」
「た、確かに」
「もちろん彼女自身の信頼も必要だ。絶対に法を犯さないだろうと、上を説得させられるだけの信頼がね。だから今すぐにとはいかないだろう」
そう言って、戸塚は話を締めくくった。
天崎は無言のまま考える。
どうする? リベリアのために真実を話すべきか?
……逡巡したのは一瞬だった。
リベリアが望んでいるかも分からないことを、自分が勝手に決めてはいけない。それこそ余計なお世話というやつだ。
だから天崎は気兼ねなく拒否できた。
「すみません。いくら考えても、学園祭で異常な出来事はありませんでした。手の落書きはイベントがあって、自分たちで書いたんですよ。戸塚さんに伝えるまでもないと判断しただけです」
「そっか」
呟いた戸塚の顔は、意外にも残念がっている様子はなかった。
これ以上は何も引き出せない。そう判断したのか、残りのコーヒーを一気に飲み干した戸塚が伝票を持って立ち上がった。
「もし何か思い出したことがあれば、名刺に書いてある番号へ連絡してほしい。どんな細かいことでもいいからね」
「えぇ、分かりました」
たぶん電話することはないだろうと思いながらも、天崎は一礼する。
レジで会計を済ませ、颯爽と喫茶店から立ち去っていく『調査員』の男の背中を、天崎は座ったまま見送っていた。




