第3章 リベリアのお友達
本棚に囲まれた部屋に軟禁された天崎は、畳の上で胡坐をかきながら、正面に座る二人の女性を睨みつけていた。
一人はこの部屋の主である金髪の吸血鬼、リベリア=ホームハルト。
そしてその横で姿勢正しく正座しているのは、頭部のない見知らぬ女性である。
面と向かい合う三人の間に沈黙が降りたのも束の間、リベリアが首のない女性の方へ手の平を向け、満面の笑みで素性を明かした。
「こちら、アイルランドからやってきた友達のターニャちゃんです。見ての通りデュラハンですので、首がないのは驚かなくても大丈夫ですよ」
紹介を受けた首なしの女性――ターニャは、天崎の方へ軽く上半身を倒した。
おそらくお辞儀のつもりだったのだろうが、頭がないからその行為の意味がすぐには理解できなかったし、なにより首筋の断面が見えそうだったので、天崎は無意識に目を逸らしてしまった。ただ襟の高いタートルネックに遮られて、凝視したところでよく見えなかっただろうけど。
「それでこちらが、同じアパートに住む私の友人であり恩人でもある天崎さんです」
次にリベリアは、逆の手を天崎の方へと向けた。
だが天崎は動かなかった。仏頂面のまま、ターニャをじっと睨みつけるのみ。
あまり歓迎されていない雰囲気を感じ取ったのか、おろおろと肩を揺らしたターニャが、床に置いてある自由帳とペンを手に取った。そして『この人、わたしを死体だと思ってます!』と書かれた次のページに『よろしく!』と書きなぐり、天崎の目の前へ掲げた。
その様子を見た天崎は、頭を抱えながら濃密なため息を長々と吐き出したのだった。
「えーっと……確認させてくれ。その人はデュラハンで、リベリアの友達で、頭がないのが普通なんだよな?」
「だからさっきからそう言ってるじゃないですか!」
ぷんぷんと怒り出すリベリアを、天崎は無視する。
「デュラハンっていうと、あれか? アイルランドの首のない妖精で、コシュタ・バワーっていう首なしの馬に乗って、近いうちに死ぬ人の家に訪れるっていう、あの……」
「天崎さん。習慣や風習なんて地域や時代によって変わってきますし、創作を真に受けてはいけません」
「……言いたいことは分かった」
頭を掻いた天崎は、多くの漫画が収まっている本棚を見回した。
吸血鬼だって、鏡に映らないだのコウモリに変身できるだの流水を渡れないだの、創作の中であることないこと設定付けられているのだ。今天崎が言ったことも、昔の人が勝手にデュラハンの設定を盛っただけなのだろう。
ただリベリアは、「ターニャちゃんも乗り物に乗るのは上手ですけどね」と付け加えた。
とにもかくにも、リベリアの友人ならば理由なく敬遠する必要もない。頭部のない相手が自律して動いてることに未だ違和感を抱きながらも、天崎もまた「よろしく」と改めて挨拶したのだった。
「……って、ちゃんと聞こえてるんだよな?」
「聞こえてますよ。それに周りも見えてます。口がないので喋れませんが、味覚と嗅覚もあるみたいですよ」
「へ、へぇ~」
どういう理屈で? と疑問に思ったが、追及はやめておいた。あまり深追いすると、理解が追い付かなくなる。
「で? 結局、日本に何しに来たんだ? アイルランドってヨーロッパだろ? ほとんど地球の裏側じゃねえか」
「やだなぁ、天崎さん。日本の裏側はブラジルあたりですよ。世界地図、ちゃんと頭に入ってますかぁ?」
「…………」
苛立ちよりもまず先に、純粋で素朴な疑問が天崎の中で生まれた。
このナチュラルに煽ってくる感じはいったい何なのか、と。
「特別な理由があったわけではないんです。ターニャちゃんが日本に来たのは、ただ単に私に会いたかっただけらしくて。ほら、もうすぐクリスマスじゃないですか。一緒に祝いたかったんですって」
そう言うと、隣で座っているターニャが照れたように頭を掻いた。いや、正確には頭を掻くような仕草をした、だが。
「そりゃ友達と祝いたいっていうのは分かるけどさ、クリスマスなんてまだ二週間以上も先だぞ? 来るの早すぎないか?」
「だってターニャちゃん、船を乗り継いで来たんですもん。いつ到着するか分からないから、早めに出発したんですよ」
「船……」
そういえば密入国者だったなと、天崎は再び頭を抱えたのであった。
「仕方ありませんよ。ターニャちゃんはパスポート剥奪されてますんで、正規ルートじゃ来れないんですもん。それに私だって普通に密入国ですよ? そんなの今さらじゃないですか」
「あぁ、いや。別に俺は警察じゃないから、そこを責めたりしねえよ。けどお前は自力で飛んできたんだろ? それに比べたら、アイルランドから日本へ船で密入国って、純粋にすげえなって思って」
放った言葉は紛れもなく本心だったが、心の内をすべて語ったわけではない。
できれば面倒事を持ち込んでほしくはないなぁと、天崎はうんざりしていた。
「んで、密入国者を勝手に住まわせてるから大家さんには黙っててくれって言うのは分かるけどさ、なんで部屋の真ん中で死体のマネなんてしてたんだよ。押し入れの中にでも隠れといてくれよ。マジでビビったじゃねえか」
「なんでですか?」
リベリアがターニャに問うと、彼女は自由帳にすらすらと文字を書き始めた。
少し待っていると、丁寧な日本語で解答が提示される。
『まんがをよんでいましたが、チャイムがなったので、とびらをしめに行ったのです』
「つまり開けられちゃマズいと思って、鍵を閉めに行く途中で天崎さんに見つかったわけですね?」
「っていうか、扉が少し開いてたんだよ。電気を消したら玄関から明かりが入ってきてることに気づいて、俺が立ち去ってから閉めに行こうとしてたんだろ」
「なんと!」
この反応から察するに、やはり玄関が開いていたことはリベリアの不用心だったらしい。部屋の中を見られちゃマズいんならちゃんと鍵かっとけよと、天崎は何度目になるか分からないため息を吐いたのだった。
「にしても、ターニャちゃんを見た時の天崎さんのリアクション、めちゃくちゃ面白かったですよね! おぎゃあああって、貴方は赤ちゃんですか」
「話を逸らすな」
ぷぷぷと人を小馬鹿にして笑うリベリアの脳天にチョップを食らわすと、彼女は目から火を噴いたかのように「おぎゃああ」と絶叫を上げたのだった。
「事情は分かったよ。バレちゃいけないと死体のマネをしてたターニャは悪くないし、それを勘違いした俺も至って普通だ。悪いのは全部リベリアってことで手を打とう」
「えぇ……そんな殺生な……」
「それよりもリベリア、バイトには行かないのか? ミコミコさんが心配してて、俺にまで電話をかけてきたんだぞ」
「あー……。それなんですが、しばらくの間は無理そうなんです」
「?」
しゅんと落ち込むリベリアを見て、天崎は疑問符を浮かべた。
不法滞在者を匿っているのだから離れたくないという気持ちは理解できるものの、見たところターニャにもその自覚はあるようだ。子供じゃないんだし、帰ってくるまで隠れてろと言えば、しっかりと従ってくれそうではある。
にもかかわらず、リベリアにはバイトに行けない理由があるのか?
天崎が何も言わないままでいると、リベリアはターニャを説得するように呟いた。
「大丈夫ですよ。天崎さんなら、きっと相談に乗ってくれます」
「…………」
言葉を返すことはできないものの、ターニャは事情を話そうとするリベリアを止めるような仕草はしなかった。
そしてリベリアは現状を天崎に伝えるべく、重々しく口を開いた。
「実はですね、ターニャちゃん……日本に来てから、頭を失くしちゃったみたいなんです」
「…………んん!!?」
ちょっと何を言ってるのか分からず、天崎は喉の奥から奇声を上げた。
頑張って理解しようと努力してみるも……残念ながら、天崎一人の力だけでは解答に至ることはできなかった。
「えっと、それはつまり……日本に来てからデュラハンになったってことなのか?」
「いえいえ、違いますよ。ターニャちゃんは最初からデュラハンです。頭を無くしたのではなく、失くしたんです」
ターニャの自由帳を借りたリベリアが、『無』と『失』の漢字を並べて書いた。
が、天崎は未だに理解できず。
「デュラハンって別に頭部が存在しないわけではなくて、頭部と胴体が切り離せるってだけなんです。それで頭部を首筋に載せれば磁石みたいにくっつくのですが、切れ目はそのままですし、大人が軽く叩いた程度で簡単に取れちゃいます。なので日本に来てから頭をどこかに落としちゃったみたいで……」
「つまり、そこら辺の路上に生首が転がってるかもしれないってことなのか!?」
「そういうことになります」
天井を仰いだ天崎は、片手で目頭を覆った。そして自分の理解を越える状況に遭遇すると、自然と笑いが込み上げてくることを、この時彼は知ったのだった。
「自分の頭とか、パスポートより大事じゃねえか」
「天崎さん。ターニャちゃんはパスポート持ってないんですってば」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ」
リベリアの冗談は、時に本気かどうか分からなくなるのが難点だ。
「ちなみに、頭部の方に意識はあるのか?」
「気絶してなければあるはずです。頭部オンリーでは動けないだけであって、普通に活動できるんですよ。喋ることもできます」
「感覚が胴体と繋がってるってことはないんだよな?」
「ないみたいですね。一定距離を離れると、完全に分断されるみたいなんです」
じゃなきゃ失くすことなんてないかと、天崎は納得した。
「……お前がバイトに行けない理由が分かったよ。夜な夜な頭部を探してるってわけか」
「その通りです」
それにしても自分の頭部を失くすとか、なかなかレベルの高い紛失をするものだ。しかも、どう探し出せばいいのか見当もつかない。頭部側に叫んでもらうわけにもいかないし、遺失物として交番に届けられることもない。先に誰かに見つかったら、普通に殺人事件だろうし。
「んで、手掛かりはあるのか? どの辺りで失くしたんだ?」
「んー、これって言っちゃってもいいんですかね?」
リベリアがターニャに確認を取る。ターニャは「いいよ」と言うように上半身をこくこくと揺らすが、今さら何を言い渋っているのか。
「失くした場所は、ここから二駅くらい離れた駅前らしいですね。日本の居酒屋が珍しくて店でお酒を飲んでいたんですが、他のお客さんと意気投合してからだいぶ酔っぱらっちゃったみたいで、気づいたら頭を失くしたまま外で眠ってたらしいです」
「ぐはあ!」
言い知れない不快感が天崎の喉元を落ちていった。
酒ぇ!? 記憶がなくなるまで呑んでて、気づいたら頭部が失くなってただと!? そんなことあるぅ!? しかも胴体は野外ですやすや眠ってたとか、よくもまあ首なし死体として通報されなかったものだな、おい!
言葉を失い、胡乱な瞳を彷徨わせながら放心する天崎。
そんな彼に向け、リベリアは友人に代わって謝罪の言葉を口にした。
「本当に申し訳ないです。でも、あまりターニャちゃんを責めないであげてくださいね。彼女もかなり反省していますから」
「責めるも何も、俺は今、猛烈に関わりたくないと思ってるんだがな……」
事件である。紛れもなく事件である。こんなことに巻き込まれていては、また平穏な日々が何日か奪われてしまうだろう。期末テストも近いというのに。
面倒ごとが舞い込んできて、すでに死に体の天崎だが、さらに追い打ちをかけるように、リベリアが顔の前で力強く両手を合わせた。
「そこで天崎さんに折り入ってお願いがあるのですが……」
「協力はせんぞ」
「え? ……あぁ、いえ、一緒に頭を探してくれなんて図々しいことは言いませんよ。ただ、その……しばらくバイトに行けそうにないので、また少しの間、食事の面倒を見てもらえないかと思いまして……」
「お前、今回のことがなくても普通にたかりに来てるだろ……」
この謙遜を普段も見せてほしいものだと、天崎は呆れ果てたのだった。
「ま、いいよ。ただ俺んところも食費はかつかつだから、できるだけ遠慮しろよ」
「わーい」
「あと悪いけど、この件は安藤に報告するからな。デュラハンのせいで殺人事件が起きたなんて騒ぎになったら、あいつも卒倒すると思うけど」
「え、安藤さんに言ってくださるんですか!? 是非ともお願いします!」
「…………」
自ら協力しないと宣言したものの、安藤に期待を寄せて目を輝かせるリベリアを目の当たりにした天崎の心境は複雑だった。
「んじゃ、買い物に行ってくるわ。円には伝えとくから、後で俺の部屋に来いよ」
「恩に着ます!」
何故か敬礼するリベリアと、軽く会釈をするターニャ。
立ち上がった天崎は二人の横を通り過ぎ、おののき荘の外へと出る。
辺りはすっかり暗くなっていた。
「何か忘れてるな……」
そもそも何でリベリアの部屋に行ったんだっけ?
思い出すのはひとまず諦め、天崎は財布を取りに行くため自室へと足を運ぶのであった。




