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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第5話『フェイス・トゥ・デスバルーン』

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エピローグ

 学園祭が終わった翌日の午後、天崎は駅前で呆然と立ち尽くしていた。


 天崎たちの高校の学園祭は土日に行われるため、本日は振り替え休日なのである。名目上は学園祭の疲れを癒すためのひと時なのだろうが、期末テストが近いこともあってか、自宅学習をするのが暗黙のルールとなっていた。もちろん明言されていないルールを守る生徒など、ほとんどいないとは思うが。


 そんな中、何故天崎が駅前にいるのかといえば、安藤に呼び出されたからだ。しかし呆然と佇んでいる理由は、待ち人が来ないからではない。安藤はすでに、天崎の目の前にいた。


「どうしたんだい? 入らないのか?」

「いや、だって、ここは……」


 自動ドアの前に立った安藤が、二の足を踏んでいる天崎に訝しげな視線を向けた。


 そう。ここは以前、安藤とマジョマジョがデートで訪れたカフェである。


 そしてカフェでお茶なぞしばいたことのない天崎でも、知識として知っていた。こういう店のメニューは理解不能な言語で書かれている! と。


 にもかかわらず、安藤が躊躇いもなく入ろうとするので驚いているのだ。


「お前……ドリンクの頼み方とか分かるのか?」

「前にマジョマジョさんに教えてもらったから大丈夫だよ」

「けっ! これだから彼女持ちは……」


 今どきの若い者はと言いたげに、天崎は口を尖らせたのだった。


 安藤の助けを借りてコーヒーを注文した天崎は、空いている席へと腰を下ろした。平日の昼間だからか、客の入り具合はそれほど多くはない。暇を持て余した大学生や、ノートパソコンを広げて作業をしているサラリーマンくらいだ。


「で、話ってなんだ? 昨日のことか?」


 開口一番、正面に座った安藤へと問いただした。


 安藤は昨夜、石神の行方を追えるかどうか確認すると言って後夜祭に参加しなかった。おそらく、その報告なのだろう。


 自分のドリンクに口を付けた安藤が、ゆっくりと頷いた。


「まあね。けど詳しい話をするのは、もう一人が来てからだ」

「もう一人? 誰が来るんだ?」

「……来たみたいだよ」


 指摘されるがまま、天崎は首を回して店の入り口を窺う。しかしそれと同時に、何者かが二人の横へと腰を下ろした。


 鼻の頭に大きなシップを貼った、学生服姿の石神だった。


「こんにちは。天崎先輩、安藤先輩」

「い、石神!?」


 意外すぎる人物の登場に、驚いた天崎は弾かれるように立ち上がった。

 その様子を横で見ていた安藤が、すぐに窘める。


「落ち着け、天崎。静かにしろ」

「そうですよ、天崎先輩。騒いだら周りに迷惑じゃないですか」


 何故か半笑いの石神。対する天崎は、驚きのあまり絶句していた。


 一歩間違えれば学校中の人間が死んでいたかもしれない張本人であり、なおかつ今現在お尋ね者のような扱いの奴が、普通に友達みたいな感じで現れたのだ。周囲の迷惑など頭にあるわけがない。


 混乱したまま動けない天崎に向け、安藤は冷静に座るよう促した。


「石神はもう敵じゃない。少なくとも、僕たちに対して敵意はない」

「でも……」

「よく考えろ。今、人質を取られてるのはどっちだ?」

「…………」


 息を呑んだ天崎は、気を張ったまま店内を見回した。


 店員や他の客たちが、なんだなんだと天崎の方を窺っている。学園祭よりも圧倒的に人数が少ないとはいえ、石神に自滅覚悟で暴れられたら、おそらく数人の命は容易に持って行かれるだろう。


 ここで石神を追い詰めるのは得策ではない。

 そう判断した天崎は、警戒心を解かないまま、ゆっくりと椅子に座った。


 無言のまま安藤を睨みつけると、彼はこうなった経緯を説明し始めた。


「今朝方、石神の方から連絡があったんだ。話し合いたいってね」

「天崎先輩だと今みたいに激昂すると思ったんで、安藤先輩に仲介してもらったんですよ。また殴られたくなかったから、周囲に人がいる場所で、という条件でね」


 石神の判断は的確だ。

 周りの目がなければ、間違いなく殴りかかっていた気がする。


 自分の性格を見透かされたようで、天崎は不貞腐れたように石神を睨んだ。


「つーかお前、店に入ってくるんだったら注文くらいしろよ」

「ふふっ。万年引きこもりだった僕が、カフェで注文なんかできるわけないじゃないですか」

「……なんでそんな得意げなんだ」


 自嘲気味に笑う石神に、天崎は軽蔑を含んだ眼差しを向けた。

 話を軌道修正させるため、安藤が咳払いをする。


「それで石神。僕たちを呼び出しておいて、どんな話をするつもりだ? まさか学園祭のことで、君の目的を話してくれるとでも言うのか?」

「お、さすが安藤先輩。鋭いですね。まさにその通りです」


 人を小馬鹿にした口調だったが、安藤は気にも留めず、無言で先を促した。


「僕はとある男の依頼で、あんな危なっかしいゲームをすることになったんですよ」

「とある男? 誰だ?」

「はっきり言って、僕はその男のことをよく知りません。でも前に一度、天崎先輩と会ったことがあるって言ってましたよ。フェルトハットを被った、背の高いトレンチコートの男です」


 その特徴を耳にした二人は、訝しげに視線を交わした。

 天崎や月島の前に現れたという、あの謎の男に違いない。


 疑問は募るばかりだが、まずは最大の謎を問わねばならない。


「その男の依頼と言ったけど、ならその男にも何かしらの目的はあったはずだ。君はそれを知っているのか?」

「ええ。目的は二つ。一つは天崎先輩の中に眠る死神の血統を覚醒させること。もう一つは天崎先輩の心を折ること。ただ二つ目はついでと言っていたんで、そんなに気にしないでもいいんじゃないですかね?」

「俺の……死神の血統を覚醒させる、だと?」

「そうです。その男のシナリオでは、最終的に僕の能力で天崎先輩を死神化させて、学校中の魂を集めさせることのようでした」


 天崎は無意識のうちに自分の胸に手を当てていた。


 死神が実在すると聞いた時点で、自分の中に死神の血統があるかは五分五分だった。実際に死神化できたのだから遺伝子はあったわけだが、それを覚醒させることが男の目的? 大鎌を使って死神化することすらシナリオ通りだったって?


 石神の言葉を信じるなら、完全に手の平で弄ばれていたということだ。

 得体の知れない人物に操られているような感覚に陥り、天崎は身震いした。


「死神の血統を覚醒させる理由は?」

「そこまでは聞いていません」


 はっきりと断言する石神。手放しには信用できないが、少なくとも嘘はついていないようだった。嘘をつく理由が見当たらない。


「ただ一つ、不可解な点があるんですよ。その男には……魂がありませんでした」

「魂が……ない?」

「実は僕、その男に裏切られてしまったんですよね。交換条件だったはずなのに、ゲームが終わってから僕の条件は呑めないとふざけたことを言われたので、こうやって意趣返しのつもりで暴露しているわけです。で、その際に大鎌で斬りかかったんですけど、手応えで分かりました。その男の身体に、魂は入っていなかった」

「魂が入ってないのに話せるって、どういう状態なんだ? 月島みたいな感じなのか?」

「死神からすると同じような感覚なんですが……」


 そう言って、石神は安藤の方を一瞥した。


 安藤先輩なら分かるんじゃないかという期待の眼差しである。しかし低い唸り声を上げて首を振る様子を見るに、どうやら答えを持ち合わせているわけではないようだった。


「月島さんの例はかなり特殊だ。普通、守護霊が肉体を動かすなんてできるわけがない。だから、同じなんてことはないと思うけど……」

「じゃあなんだって言うんだよ」

「それが分からないから悩んでるんじゃないか」


 不機嫌そうに睨む安藤に対し、天崎はそれもそうかと肩を竦めた。

 謎の男の正体については、未だ不明のまま。しかし安藤の顔は、難問が解けたように晴れやかだった。


「ただ、これで合点がいったよ。やっぱり石神の裏に黒幕となる人物がいたか」

「やっぱりって?」

「結界のことさ。そもそも一介の死神に、天使の術式を知る機会なんてあるわけがない。天使の知り合いでもいない限りね」

「いるのか? 天使の知り合いが」

「いるわけないでしょ」


 天崎の確認に、石神はせせら笑った。


「あの結界は、トレンチコートの男に言われたまま改造しただけです。素人の僕が手を加えたので、少々不備があったみたいですが……どのみち、今回の件であの男以外の人物とは会っていません」

「つまり、黒幕の男の方に天使との繋がりがあるか……」

「もしくは、その男自身が天界の関係者の可能性もあるね」


 安藤と意見を交わした天崎は、腕を組んで天井を見上げた。


 自分も二人ほど天使を知っている。しかし一人は完全に記憶を失い、もう一人は五十年も眠り続ける怠け者。仮に知り合いがいたとしても、その二人ではないだろう。


 考えを巡らせたところで、今は憶測の域を出ない。


 ただ、天崎の方も分かったことがある。石神が『完全なる雑種』や裕子の死因を知っていたのは、きっとその男から聞いていたからだろう。じゃあ何故その男がそれほど自分たちのことに詳しいのかは、何も分からないが。


「とりあえず、僕から言えることはこれくらいですかね。ついでに天崎先輩の心を折れとも言われましたんで、今後も度々ちょっかい出してくると思いますよ。気をつけてください」

「気をつけろって言われてもな……」


 知らない男に心を折られるほど、恨まれるようなことをした覚えはない。


 なんでこんなことになったのか頭を抱えていると、石神が唐突に立ち上がった。どうやら話を終えたから立ち去るつもりらしい。


「待てよ、石神。まだ話は終わっていない」

「そうですか?」

「トレンチコートの男の目的は聞いた。けど、お前の目的は聞いていない」

「僕はそいつの依頼を忠実にこなしただけですよ」

「お前はさっき、裏切られたから意趣返しで俺たちに暴露してるって言ってたよな? つまり何か見返りを得るために、その男の依頼を受けたわけだ。それは何だ?」

「…………」


 珍しく石神が黙り込む。その顔には、今までの人を小馬鹿にしたような笑みはなかった。


 無機質な瞳で天崎を射る。

 天崎も負けじと睨み返していた。


 根負けしたのか、石神は再び腰を下ろした。


「僕はただ、両親に会いたかっただけですよ」

「両親に?」

「自殺した子供が死神になるって話はしましたよね。でも死神になった後、その子供は生前の知り合いと決して会うことができないってルールがあるんです。あの男はそのルールを覆せると言うものですから、僕もわずかな希望に縋って従ってしまったんですよ」


 顔を上げた石神は、虚空を見つめていた。いや、彼の視線の先には蜘蛛の糸があった。


 たった一つの小さな願いを叶えるため、空から垂れ下がる脆い希望に縋ってしまったのだ。本当にその蜘蛛の糸が、願いに繋がっているかどうかも疑わないまま。


「『今まで育ててくれてありがとう。そして勝手に死んでごめんなさい』。たったそれだけだったんです。両親に会って、それだけを伝えられれば、後はもうどうでもよかった……」


 信じた結果は、完全な裏切りだった。

 石神の顔は徐々に怒りに満ちていき、無意識のまま拳を強く握っていた。


 しかし理由を聞いても、天崎は未だに納得できずにいた。


「本当にそれだけか? 本当にそんなことのために、千人以上もの命を危険に晒したのか?」

「そんなこと?」


 怪訝そうに問う天崎に向けて、石神はそのまま怒りをぶつけた。


「天崎先輩にとっては小さなことかもしれませんが、僕にとってはそれがすべてでした。大切な人がたくさんいる天崎先輩と違って、僕には両親しかいなかったんです。大きさは違えど、そこに優劣はありません」

「…………」


 大切な人が繋がるネットワーク。当然、生前の石神もそのネットワークを持っていた。


 石神の目的は、唯一繋がっていた人物に対して、自分が突然いなくなったことを謝罪したかっただけだった。たとえ何人もの見知らぬ人間を犠牲にしようとも。


「天崎先輩は、悪ってなんだと思いますか?」


 唐突な話の流れに、天崎は面を食らってしまった。


「……またトロッコ問題みたいな問答をするつもりか?」

「有り体に言えばそうですね」


 また小馬鹿にされているような気分になりながらも、天崎は律儀に答える。


「悪とは……一方の正義とはまた別の正義。立場によって正義なんて変わってくるから、この世に絶対悪は存在しない……ってところか?」

「いえ、違います。悪とは正義を持たない行為のことを言います。どんなに小さくとも、僕は自分の正義を貫いた。つまり僕の行いは正義です」

「…………」


 得意げに語る石神を見て、天崎は渋い顔をしていた。


 未だに納得していない心情を露わにしたつもりだったのだが、議論の終結は蚊帳の外にいた安藤から言い渡された。


「やめときなよ、天崎。石神の思想は、すでに彼の中で完結してしまっている。頭を悩ませても時間の無駄だぞ」

「……分かったよ」


 とは言ったものの、勝ち誇ったようにニヤニヤしている石神の顔を見ると、さすがに殴ってやりたくなった。


 石神が再び席を立つ。


「では、僕はこれで。トレンチコートの男の情報を手に入れたら、随時お二人に教えます。僕もあいつはぶっ殺してやりたいもので」


 何とも穏やかではない言葉を残し、石神は早々に店から出ていった。

 二人になったところで、天崎は安藤に向けて苦言を垂れる。


「……石神が来るなら、先に言っとけよ」

「悪いね。唐突に彼が現れたら君がどんな反応するか、見てみたかっただけだ」

「面白半分かよ!」


 危うく石神に向けなかった拳を安藤に放つところだった。


「にしても、君の中にある死神の血統を覚醒させることが目的か。まったく意味が分からないな。何か心当たりはあるかい?」

「あるわけないだろ。その男と会ったのはあれが初めてだったし、それっきりだ」


 答えなど出るはずもなく、二人は無言のまま頭を悩ませる。


 ふと天崎は、自分の手元にあるコーヒーカップに目を向けた。

 ドリンクの水面には、見えない場所から忍び寄ってくる不穏な影に不安を覚えている自分の顔が映っていた。

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