第11章 後夜祭
体育館を飛び出した天崎は、一番近くに倒れている人の元へと駆け寄った。
側で屈み、左手で肌に触れる。すると離れていた点と点が直線で結ばれるかのように、その人物の魂がある方向が感覚的に分かった。
左手で触れたまま、その方向へと右手を伸ばす。
その瞬間、手の中に魂が一つ、唐突に出現した。
それを触れている人間の頬へ当てると……見事、魂は肉体の中へ収まったのだった。
「よし!」
自分の感覚が間違いないと確信した天崎は、無意識のうちにガッツポーズをしていた。
「円。始めるぞ!」
「うん」
円を抱えた天崎は、ひとまず職員室へと移動していた。そこでマジックペンをいくつか拝借し、次に校庭の端へと向かう。
「円は魂が入った人の右手に、×マークを付けていってくれ」
要は、すでに魂が収まっている人間を区別するための印だった。
今は死神化しているため見ただけで判別できるのだが、いつこの能力を失ってしまうか分からない。全員助けるまでに間に合わなかった時のことを考え、二度手間にならないための保険だった。
そうして天崎と円は、魂集めをこなしていく。正答率は、百発百中だった。
途中、疲れが見えてきた円を休ませ、ある程度歩けるようになった安藤と交代する。
六時間ほどでほとんどの魂を収めることに成功していたが、漏れがないか念入りに校内中を見て回っているうちに、深夜二時を回ってしまっていた。
疲れた身体に鞭を打ち、天崎と安藤は最後に体育館へと訪れていた。
館内はしんと静まり返っていた。
「……誰もいないね」
「あぁ。気配もしない」
死神の力はだいぶ薄れてきているものの、体育館に石神がいないことは感覚的に感じ取っていた。完全にもぬけの殻だ。
「逃げたか、あるいはどこかに隠れているか……」
「どうする?」
天崎の問いに、安藤は少しだけ思案する。
「……追いたいのはやまやまだけど、君も石神がどこに行ったか分からないんだろ?」
「分からん。見当もつかないし、肌で感じることもできん」
「じゃあやめよう。手掛かりがないのに捜すのは無意味だ」
その意見に同意した天崎は、安藤と共に体育館を後にした。
円や月島が眠っている保健室へ向かう途中で、安藤が報告する。
「ちなみに学校を覆っている結界だけど、解除するだけなら簡単みたいだ。やろうと思えば、すぐにでもできる」
「んじゃ解除しちまうか。魂は全部集め終わったし」
「いや。自動的に結界が解ける明日の正午まで、この状態を維持しておいた方がいいと思う」
「……なんでだ?」
訝しげに問う天崎に向けて、安藤は肩を落としながら答えた。
「解析して判明したことがある。改造された結界に、天使の術式が組み込まれていたんだ」
「天使の術式?」
「僕は悪魔だから詳しいことは分からないんだけどね。おそらく『認識阻害』か『認識改変』あたりの効果が付与されてるんじゃないかと思ってる」
「……あ」
説明を聞き、安藤が言わんとしていることが分かった。
「つまり倒れている人たちが目を覚ました後、魂を失っていた間の記憶が改竄されるかもしれないってことか?」
「そう。たぶん結界を解除するのと同時に、意識を失っていた人たちは順次目を覚ましていくと思う。でも今は深夜二時だろ? 今までの記憶が適当なもので埋められたとしても、そこから先はどう自分を納得させるんだ?」
「少なからず騒ぎが起こるってわけか」
天崎は、倒れていた人たちの立場になって考えてみる。
学園祭が楽しすぎて日付が変わるまで遊んでいた、ということもあり得なくはないが、多かれ少なかれ違和感を覚える人も出てくるはず。だったら異変が始まった正午まで待って、一日分の偽りの記憶を植え付けた方が、まだマシだ。
「結界の外の人たちはどうなる? 自分の子供が丸一日も帰ってこなかったら、捜索願いを出す家庭もあるだろ」
「もう深夜二時なんだから、どのみち同じことだよ。それこそ『認識阻害』や『認識改変』が外にまで及んでいることを期待するしかないね」
「確かになぁ」
騒ぎにさせないためには、それが最善か。敵が用意した策に頼るのは癪だけれども。
ただ、その案を採用するなら懸念するべきことが一つある。
「このまま結界を残しとくってことは、明日の正午まで石神の手の内ってわけだろ? 不意を突かれて、また学校中の人たちの魂を抜かれたらどうするんだ?」
「それについては問題ないよ。確認してみたけど、一斉に魂が抜ける現象は、結界が発動するのと連動して起こる仕組みだった。つまり再び発動させるためには、一度結界を解く必要がある。でも、この結界を解いた後は二度と使えなくなるような地雷を仕込んどいたから、そこは安心してくれ」
「じゃあ結界自体が悪さをする心配はないんだな?」
「ただし結界に関しては、だね。石神自身が魂を奪いに来るようなことがあれば、それを阻止する術はない」
「……つまり徹夜で警戒しとけってわけか」
結界を使って一度に大勢の魂を抜き取ることはもうできないが、死神としての固有の能力で人間の魂を狩り取ることは可能なはず。石神が変な気を起こさないよう、常に気を張っておく必要があった。
「にしても天使の術式か。なんで死神のアイツが、そんなもの知ってたんだろ」
「分からないよ。それどころか石神が何をしたかったのか、君にも伝えてないんだろ?」
「……まあな」
結局、石神の目的については何一つ分からないままだった。
天崎が標的だったのは間違いない。しかし、その意図が一切不明だ。
最終的に、石神は自殺を促してきた。そこが計画の終着点ならば、奴は天崎を殺すために、こんな下らないことを企てたのか? それとも死すらも通過点で、天崎に自殺をさせること……すなわち、死神にすることが目的だったのか?
「死神に恨まれるような覚えはないんだけどなぁ」
「やめときなよ、天崎。考えるだけ無駄だ」
「そりゃそうだけどさ……」
無意味だという自覚はあるが、どうせ今から眠ったりはできないのだ。
明日の正午まで、あと九時間ちょっと。長い夜が始まりそうだった。
寝ずの番で警戒していたものの、石神の再来はなさそうだった。
時計の針が正午を示すのと同時に結界が解けて、学校中で倒れていた人間が一斉に目を覚ます。ただ、安藤の目論見は少しだけ外れたようだ。
大きな混乱こそ起きなかったが、みんな意識を失ったことに対して首を傾げている様子。どうやら結界の術式は、本物の天使が行使する『認識改変』ほど完璧ではなかったらしい。
とはいえ、警察や消防など外的機関に通報されなかったのは幸いだった。おそらく目を覚まさなかった人や、特別体調の悪い人が現れなかったからだろう。いつの間にか丸一日経過していたことに対しては、各々の中で整合性が取れているようだった。
二時間ほどかけて校内を観察しながら歩いていた天崎は、安藤や円に断りを入れた後、校舎の屋上に足を運んでいた。眠気が限界だったのだ。ベンチに横たわるのと同時に、一呼吸もしないまま深い眠りの中へと落ちていった。
それからどれだけの時間が経過しただろう。ポケットの中で震えるスマホに気づき、天崎は夢心地から叩き起こされた。
寝ぼけ眼のまま、スマホを取り出して通話状態にする。
「もしもし。……誰だ?」
『……君は電話に出る時、相手の名前を見ないのか?』
「あぁ、安藤か……」
電話口で呆れる声は、よく聞き慣れた相手のものだった。
「っていうか、仮眠するって伝えただろ。起こすなよ」
『何を言ってるんだ? 仮眠どころか、もうすでに就寝の域だろう』
「は? お前こそ何言って……って寒ッ!?」
冷たい風が頬を撫で、天崎は身体を丸めた。
慌てて周りを確認する。辺りはすっかり暗くなっていた。どうりで寒いわけだ。
スマホを耳から離して時間を確認すると、すでに午後七時過ぎ。夢も見ないまま五時間近くも眠っていたのかと、天崎は自分自身に呆れかえっていた。
『学園祭は無事に終わったよ。君が屋上へ行ってからも、だいぶ慌ただしかったけどね。今は後夜祭の真っ最中だ』
「つーか、お前は眠くないのか?」
安藤だって、自分と同じ時間だけ起きていたはずだ。
にもかかわらず、今までずっと学園祭を見ていたような口ぶりだし、電話口からも眠気は一切感じられなかった。
『多少なら眠気をコントロールできるからね』
「……羨ましい能力だな」
そういえば中身は悪魔だったなと、天崎は改めて実感していた。
『ちなみに僕は後夜祭には参加していない。マジョマジョさんのケアと、石神の行方を追えるかどうか確認するために帰宅したよ。円ちゃんはクラスの女子と一緒にいるはずだから、早く迎えに行ってあげたらどうだい?』
「あぁ、そっか。後夜祭は自由参加だったな……」
学園祭二日目の夜、七時から九時の間が後夜祭の時間だ。
とはいっても、何か特別な催しがあるわけではない。生徒同士で学園祭の感想を言い合ったり、名残惜しむためにプログラムされているだけだ。学校としては修学時間をとっくに過ぎているので、居残るも帰るも自由なのである。
『今回の功労者は、後夜祭でしっかり疲れを癒してくれたまえ。後始末は僕に任せろ』
「悪いな、小悪魔。電話で起こしてくれたことも含めて感謝するよ。このまま寝てたら凍死するところだったぜ」
『……君は裸で南極に放置するくらいしないと凍死なんてしないだろ、『完全なる雑種』』
いつもの軽口を交わした後、安藤は返事も待たずに電話を切ったのだった。
スマホをポケットに入れて立ち上がった天崎は、大きく背伸びをする。確かに凍死なんてするわけないが、全身に鳥肌が立つほどの夜風は不快以外の何物でもなかった。
ふと、視界の端が異様に明るいことに気づき、フェンス越しに下を覗く。
見れば、校庭の中心が真っ赤に燃えていた。
「はぁ!? 火事!?」
慌てて再度スマホを取り出す。だが119を押す前に、奇跡的に思い出した。
後夜祭では、校庭でキャンプファイヤーが行われるんだった。
火事じゃなかったことの安堵と、咄嗟に思い出せたことによる安心感が合わさり、天崎はどっと疲れたように肩を落とした。さっき安藤から後夜祭という単語を聞いといてよかった。でなければ、間違いなく通報していたと思う。
各クラスの催しは終わっているはずだし、おそらく円もキャンプファイヤーの周辺にいるだろう。
そう当たりを付けた天崎は、早足で階下へと降りていく。
自由参加とあってか、キャンプファイヤーの周りにいる生徒はかなり少なかった。おそらく二百人もいない。これならすぐに見つかるかなと思いながら散策していると、先に月島を発見した。
「よう、月島」
「あ、天崎さん」
声を掛けると、月島と話していた女子たちが、ササーッと横に捌けていった。
気恥ずかしくもあるが、その好意に甘えることにする。月島の横に並んだ天崎は、彼女の痛々しい顔を見て眉尻を下げた。
「怪我は大丈夫か?」
「うん、大丈夫。みんなには、階段から転んだって言ってあるから」
強がりではなさそうだ。大したことがなくて、天崎は心の底から安堵した。
石神の操り人形と化した生徒たちから受けた暴行の痕には、いくつもの絆創膏やシップが貼られていた。かすり傷や青痣程度とはいえ、無数の傷に蝕まれた顔を直視するのは少し躊躇われる。それが自分のせいで負った怪我なのだから、尚のこと。
心配させないよう笑みを浮かべる月島に対し、天崎は頭を下げた。
「本当にごめん。俺のせいで、月島をそんな目に合わせちまって……」
「天崎さんのせいじゃないよ」
そうは言ってくれるものの、天崎の中では自責の念を拭えなかった。自分の行動次第では、月島が傷つくことはなかっただろうと、どうしても考えてしまうから。
天崎に罪はない。しかし詫びずにはいられない。
どうすれば償えるのか心の中で探っていると、キャンプファイヤーを見つめた月島が「でも……」と小さく呟いた。
「そのうちでいいから、何が起こったのか詳しく話してほしい……かな?」
その言葉で天崎は気づいた。今回、月島は何も知らないのだ。
唐突に魂を抜かれ、知らないうちに保健室のベッドへと移動し、気づいたら反射的に円を守ろうと駆け出していた。
それだけ訳の分からない状況にもかかわらず、月島は狼狽えることもなく現状を受け入れている。
本当に強い奴だ。改めてそう思った天崎は、力強く頷いた。
「あぁ、話すよ。でも、今は……」
「うん、そうだね。今は……」
言葉がなくても通じ合った二人は、無言のままキャンプファイヤーを眺める。
ただ天崎には、今どうしても言わなければならないことがあった。
しっかりと月島の横顔を見つめ、自分の想いを伝える。
「月島。今回は……本当にありがとう。お前のおかげで助かったよ」
必ず戻ってくると約束したからこそ、自分は今ここに立っている。あの言葉がなければ、石神に従うまま自害していたかもしれない。安藤は天崎を今回の功労者と言っていたが、天崎のとっての功労者は間違いなく円と月島だった。
だが、あの時は意識が朦朧としていたためか、月島自身は覚えていないようだ。顔の横に疑問符が見えるほど、目をぱちくりさせている。
とはいえ心の底からのお礼を遠慮するほど、お互い他人ではない。
「どういたしまして」
まるで初めてのお遣いを成功させた子供のように、月島は満面の笑みを見せた。
その時、誰かが天崎の背中を軽く押した。
振り返ると、制服の裾を握る円の頭頂部が見下ろせた。
「円? どうしたんだ?」
「あの……」
問う天崎には目もくれず、円は背中に隠れたまま月島の方を窺っている。
何か言いたそうに恐る恐る前に出ると、彼女は礼儀正しく頭を下げた。
「ジュースこぼして、ごめんなさい」
それだけ言って、円はさっさとクラスメイトの女子たちの方へと走り去っていった。
同居人の不可解な行動に、天崎は首を傾げる。
「ジュース? 何のことだ?」
「もしかして、天崎さんの部屋に行った時のことかな?」
「あー……あったな、そんなこと」
月島がおののき荘の間取りを確認するため天崎の部屋を訪れた際、円が意図的にジュースを溢したことがあった。おそらく、それについての謝罪だったのだろう。
もちろん謝ることも大事だが、今はもっと優先的に言うべきことがあるはずだ。
遠くへ行った円を眺めながら、天崎は呆れたように嘆息した。
「ごめんなさいじゃなくて、守ってくれてありがとう、だろ……」
「いいよ、天崎さん。ちゃんと伝わったから」
「月島は優しいな。それに比べて、あいつはまったく素直じゃない」
「そうだね。素直じゃ……ないね」
そう言いながら、二人は声を上げて笑い合ったのだった。




