第8章 ペナルティ
体育館を後にした天崎は、再び魂集めに奔走していた。
時間に追われ焦りながらも、効率の良いやり方を模索していく。
まず天崎が行った方法は、先ほどと同じく近くにある魂を順番に試していくというやり方だった。倒れている人間に身を寄せ、近場にある魂に手を伸ばして引き寄せる。正しい魂を引き当てるまで繰り返し、正解すれば次の人間へと移動。たとえ引き当てられなくとも、周囲の魂を一定数試したら次へ移るという方法だ。
効率的には悪くない。と、実行している天崎は感じていたのだが、それと引き換えに彼の中で不安と罪悪感が徐々に募っていった。
近場に正しい魂はなく、今の時間が無駄になるんじゃないかという不安。
後回しにした人間を、まるで見捨ててしまったような罪悪感。
天崎には一寸たりとも過失はないはずなのだが、助けられなかった人のことを考えてしまうと、どうしても後悔の念に苛まされてしまっていた。
次に天崎は、今とはまったく逆の方法を取ってみた。すなわち、一つの魂を持って倒れている人間一人一人に試していくという方法だ。
しかしこれはあまり効率が良くないと、途中で気づいた。
確実に一人を助けたいのならまだしも、学校中を駆け回ることになるため時間がかかりすぎる。肉体を校庭のような広い場所へ一ヶ所に集められるのなら得策かもしれないが、それをするために浪費する時間はあまり現実的ではなかった。
また、止め時が分からない。もしかしたら次の身体が正解なんじゃないかという期待に囚われ、結局は長々と試行する羽目になるのだ。
これはダメだと悟った天崎は、新しい方法が思いつくまで最初のやり方へと戻す。
そうして二時間、彼は休むこともなく、ぶっ続けに魂集めを行っていた。
「十五人……か」
比較的運が良かったのか、一時間につき八人ほど救うことができていた。
だがまだだ。まだ全然足りない。魂の抜けた肉体は千人以上いるのだから。
ひとまず五分だけ休もうかと思い、天崎は適当な校舎の階段に腰を下ろした。
耳鳴りがするほどの静寂が、辺りを包む。
すでに午後四時を過ぎており、周囲が徐々に暗くなっていく。
五感が新しい情報を取り入れないためか、どうしても思考が内向的になってしまう。しかも悪い方向へ、だ。
たとえこのままのペースで続けたとしても、全員を助けるのはまず不可能だ。ならば新しい方法を思いつかなければいけない。けど、どうやって? 魂は校内中に散らばっているし、まったく見分けもつかない。手掛かりがないのだから試行回数が物を言うのかもしれないが、制限時間はあと二十時間ほど。とてもじゃないが、間に合わない。
やはり無理なのか?
諦めが頭の中に浮かんだところで、先ほどの石神の言葉が過った。
どうせ全員を救えないのなら、自分の親しい人から助ければいい。
しかし天崎は自らの頬を殴りつけることで、瞬時にその考えを振り払った。
被害者に優劣をつけてはダメだ。自分と知り合いじゃなかったから命を落としたなんていう不幸は、決してあってはならない。天崎は神でも仏でもなく、みんなと同じ人間なのだから。
ただ被害者を平等に扱うことに囚われすぎて、自分の知り合いを無意識のうちに避けていることに、彼はまだ気づいていなかった。
「……ん?」
静寂な校舎の中に響く、小さな足音。歩幅からして大人のものではないその足音は、前にも聞いたことがあった。
天崎はゆっくりと振り返る。予想通り、階上には円が立っていた。
「これ」
「……あぁ」
円が差し出してきたのは、濡れタオルだった。
そこで天崎はようやく気づいた。冬も真っただ中だというのに、額や背中など全身が汗にまみれている。ただそれが学校中を駆け回ったことで流れた汗なのか、それとも最悪な未来を想像してしまったことによる冷汗なのかは、彼自身も判断できなかったが。
「ありがとう」
天崎は礼を言って、濡れタオルを受け取った。
ひんやりとした冷たい感触が、手の中に広がる。タオルを広げて顔を覆うと、疲労が一気に吹っ飛ばされるほどの心地良さが頭の中へと伝わっていった。
そして何より円の気遣いが……気を許せる相手が側にいてくれることが、天崎の心に蔓延る不安感を和らげていった。
「円は……体調とか悪くなったりはしてないよな?」
「平気」
「そうか。よかった」
最初は影響なかったものの、ここは未だ石神の手の中だ。何が起こっても不思議ではない。円の体調も、逐一気にかけていかなければ……。
そう決意したのも束の間、タオルを返した天崎は立ち上がった。
もともと体力はあまり消費していなかったのだ。参っていたのは、精神の方。それも円のおかげで、だいぶ回復していた。
弱気になっていてはダメだ。今は自分にできることをやるだけ。二時間駆け回っていただけでも、十五人も助けられたのだ。もっと運が良ければ、明日の正午までに二百人はいけるかもしれない。
その間にも、全員を助けられる方法を考える。ポジティブに行動しなければ、救えるはずだった命をも取り逃がしてしまうだろう。だから今は、明るい未来を信じて行動するのみ。
まるで自己暗示のように自分へと語り掛け、士気を高める。
さぁ、そろそろ再開しなくてはならない。そう思い、円にはまた安全な場所で待機していてもらおうと、声を掛けようとした、その時だった。
「そうだ……」
天崎の脳裏に、一筋の閃きが闇を裂いた。
このゲームは行動力も大事だが、何よりも運の要素が大きかった。なんせ見分けもつかない多くの魂を、手当たり次第に試していかなければならないのだ。極論を言うならば、運さえよければ肉体の数と同じ試行回数で終わるはず。
そして天崎の目の前には、運を操作できる神様がいるではないか。
「円! 悪いけど、少し手伝ってくれ!」
「……? わかった」
最初は驚いたように呆気に取られた円だったが、無表情ながらもすぐに顔を引き締めた。
そのまま天崎は、円の手を引いて一番近い教室へと向かった。
そのクラスの出し物は天崎のところと同じく喫茶店だったのか、来客用のテーブルがいくつか並んでいた。ウエイトレス姿の生徒や、外来の客が倒れている。人数はおおよそ二十五人ほど。
中に入った天崎は、扉や窓を閉めて密閉空間を作った。
座敷童である円の能力を左右させる要素は、主に三つある。
一つは時間。自分が住処と決めた空間に住む年月が長ければ長いほど、より優れた能力を使うことができる。
二つ目は面積。四畳程度の面積を最大に、能力を発動させる空間が広くなればなるほど効果が薄くなっていく。
最後に密閉度。外部との接触が少ない閉ざされた空間ほど、生み出した幸運を維持することができる。
前二つは仕方がないとして、できるだけ幸運値を高められるよう、天崎は扉や窓を閉めているのだ。
「円。頼めるか?」
「うん」
特別な仕草は何もしなかったものの、この教室内に幸運が満ちていっている感覚を、天崎は全身で感じ取っていた。まるでおののき荘の自室にいるような安心感だ。
思考すらも前向きになったような錯覚を覚えながら、天崎は窓へ寄った。
校庭の上空に、白い風船のような魂がいくつも浮いているのがよく見える。手袋をはめた天崎は、ガラス越しにそれらに向かって腕を伸ばした。
こういうものは狙ってはいけない。人間の意思は、運とは正反対の性質を持つ。つまりよりランダム性を高めたいのであれば、そこに自分の意思を介入させてはいけない。
頭の中を真っ白にさせたまま、天崎は一つの魂に焦点を合わせた。
その魂はゆっくり彼の元へと寄ってくると、ガラス窓を貫通して手の中に収まった。
それを教室内の人間へ、順番に試していく。一人目、二人目、三人目……そしてなんと、見事に四人目で引き当てたのだった。
「よし!」
これはいける! と、天崎は確信した。
調子に乗った天崎は、同じ方法で次々と魂を試していく。座敷童が完璧に能力を発揮できる環境ではないため、空振りの数もそれなりにあった。だがそれでも、わずか二十分で十人の魂を引き当てることができていた。
「ここはひとまずこれで終わろう」
「もういいの?」
「あぁ。隣に移動する」
母数が減れば減るほど、正解する確率は下がっていく。なら少人数に時間をかけるよりも、まずは大人数をざっくばらんに助け、残りの魂の数を減らしていった方が良いと天崎は判断したのだ。
未だ魂が戻っていない人たちに申し訳ないと思いつつも、天崎は円と共に隣のクラスへ移動していった。
そこもまた、先ほどと同じく二十五人ほど。扉と窓を閉めて密閉空間を作り、作業を開始する。
天崎は無我無心だった。残り時間的に後どれだけの人数が助けられるのか、もうペースなど考えてはいない。ただ目の前の命を助けたい、より多くの人間を救いたいという想いだけが、天崎を動かす原動力となっていた。
だがしかし、巡ってきたチャンスは無情にも踏みにじられてしまう。
「なるほど、なるほど。魂の回収率が異様に速くなったと思ったら、こういうことだったんですね」
「!?」
石神の声。あまりに唐突な出現に、天崎は弾かれるように振り返った。
扉の前に、黒い死神が一人。扉を開閉する音すら聞こえなかったところ推察するに、おそらく物体を透過することもできるのだろう。やはり、この結界内は完全に石神のテリトリーだ。どんな時でも油断はできないと、天崎は改めて悟った。
「石神……何しに来た?」
警戒しながらも、声を低くした天崎が問いただした。
「いえ、僕はただ確認しに来ただけですよ。まさか座敷童を使って、効率よく魂集めを進めているとは思いませんでした」
「まさか他人が手伝うのはダメって言うんじゃないだろうな?」
「ダメです」
石神は不服そうに非難した。
「肉体を別の場所に運ぶとか、天崎先輩が魂集めをスムーズに行うために誘導するとか、そういう協力プレイなら構いません。けど座敷童みたいな特殊な能力を使うのはダメです。僕の計画に支障が出ます」
「お前の計画なんか知ったことかよ!」
「何はともあれ……」
会話をぶった切るように、石神が片手を高々と上げた。
すると突然、廊下側の扉が一斉に開いた。何人かの生徒が、おぼつかない足取りでゆっくりと教室に入ってくる。
「ペナルティです。ま、僕も最初に説明しなかったので、魂のリセットなんて酷いことはしませんよ」
「――ッ!? なんだよ、こいつら……」
困惑からか、足が固まってしまって行動できない。
その間にも、ゾンビのように身体を揺らした生徒たちが教室内へと侵入してくる。
何故動けるのか、何故石神の指示に従っているのか分からないまま、天崎は二人の生徒に両腕を拘束されてしまった。
「くっ、離せ……。……?」
拘束を振り払うため、天崎は無我夢中でもがく。しかし自分の両腕を掴んでいる生徒に違和感を覚え、天崎は抵抗を止めてしまった。
まったくビクともしないのだ。
驚きの表情を浮かべ、両脇で腕を掴む生徒を見比べた。
体格からして、おそらくラグビー部や柔道部などの部員だろう。体格だけでいえば、この高校でも一・二を争うほどの巨漢だ。
だが天崎とて普通の人間ではない。あらゆる種族の血統が混じった『完全なる雑種』だ。テクニックを必要とする競技で惨敗することはあっても、単純な力比べで負けることなどまずあり得ない。
十人がかりとかならまだしも、相手はちょっと鍛えただけの人間二人。なのに天崎が全力で抗ったところで、腕を掴んでいる生徒の拘束を解くことはできなかった。
見かねた石神が、横から言葉を挟んでくる。
「あんまり動かない方がいいですよ」
「なに?」
天崎が睨みつけると、石神は得意げな顔をして右手を前に出した。
五本の指先では、まるで蝋燭に灯った炎のような白い物体が揺らめいている。
「彼らの中には今、僕が作った疑似的な魂が入っています。これにより、意思の持たない操り人形のような状態になっているんですよ。つまり痛みも感じないし、手加減も知らない」
「…………?」
「理解していない顔をしていますね。天崎先輩が抵抗すればするだけ、彼らは逃がしはしまいと力を強めていきます。筋肉の限界が来るまで、永遠にね」
「そういうことか……」
要は彼らは今、常時火事場の馬鹿力が使える状態になっているということだ。
人間は普段、三十パーセントくらいの力しか発揮できないと言われている。なぜならそれ以上の力を出すと身体に負担がかかってしまうため、無意識のうちにセーフティをかけているからだ。
痛みがなく、指示に従い続けるということは、そのセーフティが取り払われているということ。彼らよりも力の強い天崎が暴れれば、限界を超えてそれ相応の力で対処しようとするだろう。最悪の場合、魂が戻って蘇ったとしても、体中の筋繊維がズタズタになってしまう危険性がある。
罪のない生徒の身体を慮った天崎は、それ以上抵抗できなかった。
それを確認した石神が、不吉な笑みを見せる。
「どうやら分かってくれたようですね。では、ペナルティを課しましょう」
「……おい、何するつもりだ?」
石神は答えなかった。
再び片手を挙げ、下僕となった六人の生徒へと指示を出す。
意識のないままゆっくりと教室内を歩く生徒の手には、いつの間にか箒やモップなどの長物が握られていた。
しかも彼らが進む先に居たのは……呆然と立ち尽くす円だった。
「まさか……」
嫌な予感に囚われた天崎が叫ぶ。
「円! 逃げろ!」
ビクッと身体を震わせた円が、迫ってくる生徒たちを避けるようにして、廊下へと足を向ける。しかしゾンビのような足取りだった生徒たちは、彼女の進路を遮る時だけ素早く移動していた。
そのまま円は、じりじりと壁際まで追い詰められていく。
すると突然、隣り合った生徒同士が、偶然にも足を縺れさせて転倒してしまった。
「よし!」
今のは円の能力だ。そう察した天崎が、思わず声を上げた。
しかし根本的な解決にはならない。倒れた生徒はすぐに立ち上がり、円が逃げられないよう壁となる。座敷童の能力は、他人に不幸を与えることはできても、決して人間を傷つけることはできないのだ。
円の些細な抵抗も虚しく、生徒たちは一歩一歩詰め寄っていく。
十分に手が届く距離まで追い詰めると、彼らは手にしている長物を一斉に振り上げた。
「やめろおおおおおぉぉぉぉ!!!」
天崎の咆哮が教室内に響き渡った。
両腕を掴んでいる生徒のことなど忘れ、全力で飛びかかろうとする。
しかし拘束は外れない。天崎がもがけばもがくほど、拘束は強くなっていく。
ダメだ。間に合わない。
諦めた天崎が、思わず目を逸らした――その時だった。
「円ちゃん!」
女の子の声。聞き慣れた声ではあるが、この場にいるはずのない人物に驚いた天崎は、慌てて教室の入り口へと目を向けた。
その時点で月島はすでに走り出していた。
状況など一つも分かっていないはずなのに、彼女は無我夢中で円の方へと駆け寄っていく。生徒の隙間に割り込んだ月島は、そのまま円の身体を抱き包んだ。
だが石神のペナルティは止まらない。
生徒たちが掲げた箒やモップが、無慈悲にも月島の背中へと叩き下ろされる。
嫌な音が響いた。しかし悲鳴は聞こえなかった。
幾度となく振り下ろされる容赦ない攻撃が、月島からあらゆる自由を奪っていった。
やがてペナルティは済んだと判断したのか、石神が再び片手を挙げた。すると生徒たちの攻撃の嵐がピタリと止んだ。
「以後、座敷童みたいな特殊能力を使うのは禁止します。心得ておいてください」
天崎の方を向いた石神が、無感情な声で警告する。すると彼は、まるで逃げるかのように闇の渦へと呑まれ消え去っていった。
それと同時に、操られていた生徒たちは糸が切れたようにその場に倒れたのだった。
「月島!」
拘束が解かれた天崎は、急いで彼女の元へと駆け寄った。
側で屈んで、状態を窺う。唇が切れて血が滲み、白い肌には所々青痣が現れていた。
あまり良くない……いや、あまりにもひどい状態だ。様子を診ている天崎の方が目を逸らしたくなる惨状にもかかわらず……月島は自分のことなど二の次だった。
「円……ちゃん。大丈夫?」
薄っすらと眼を開けた月島が、抱き込んでいる円へと弱々しく声を掛ける。
身体の下から這い出てきた円は、月島の顔を見ながらゆっくりと頷いた。
「うん。……へいき」
「よかっ……た」
痛いはずなのに、辛いはずなのに、月島は無理やり笑顔を作って円に笑いかける。
そしてゆっくりと安堵の息を吐き出しながら、そのまま意識を失ってしまった。




