間 章 とある招待客と非招待客の会話
正午を過ぎた頃。おののき荘の大家と堕天使のミルミルは、天崎の学校で行われている学園祭に参加するため、通学路を歩いていた。
しかし学校へ向かっているのは、二人だけではない。
大家とミルミルの隣には、甚兵衛姿の中年男が一緒に並んでいた。
「いやー、天崎ちゃんも人が悪いねぇ。学園祭なんて大イベントがあるなら、俺にも教えてくれりゃいいのに」
おののき荘の一室に住む、安田清志その人である。
天崎を非難する言葉を吐いてる割には、のけ者にされたことに対する憤りはまったくないよう。それどころか、何故かだらしない表情を浮かべる始末。
「そんな邪な顔してるから、東ちゃんも誘わなかったんでしょ」
「いやいや、何言ってるんだ大家さんよ。これは地顔だぜ」
ため息混じりに窘める大家の言葉も意に介さなかったようで、安田はさらに表情を弛緩させたのであった。
「安田のおじちゃんは、何しに学園祭に行くんでちか? ミルミルたちと同じように、遊びに行くんでちか?」
大家に手を引かれているミルミルが、純粋な疑問を放った。
その問いに対し、呆れた大家が安田を牽制するように答える。
「大方、女子高生の生足でも堪能しに行くんでしょうよ」
「おいおいおい、ひどいぜ大家さん。それじゃまるで、俺が変態エロ親父みたいじゃないか」
「違うのかい?」
「一概には否定できないけどな」
わっはっはと大口開けて笑う安田に、大家は肩を落とした。それと同時に、彼女は心の中で天崎に謝罪する。東ちゃん、安田君に学園祭のことを話しちゃってごめんな、と。
「まぁその気持ちも少しはあるけど、俺の主な目的は取材かな。今の高校が、どんな感じの学園祭をやってるのか知っておいても損はないからね」
「カメラも持たないのに取材でちか?」
「俺はカメラマンじゃなくて作家だからさ。物を見て話を聞くだけで十分なんだよ。もちろんカメラがあった方が便利っちゃ便利だけど、外来も自由に出入りできるからって、俺みたいなおっさんが高校で写真撮ってたらさすがに通報されちまうぜ。なっはっは」
「自覚はあるんだね……」
なおタチが悪いわ。とでも言いたげに、大家は手の平で目頭を覆ったのだった。
そんな大家を尻目に、ミルミルは無邪気に瞳を輝かせる。
「す、すごいでち。ミルミルも取材を受けてみたいでち」
「いいぜぇ。大人になったら、いくらでも取材してやるよ」
「ミルミルは絶対あんたんところに行かせたりはしないからね!」
「いやだなぁ、大家さん。ミルミルちゃんが自分で物事を判断できるような大人になったらって話だぜ。いくら俺でも、それまでは手を出さないさ」
「ふんっ、どうだか」
「いや、マジで俺、ロリコンでもペドフィリアでもないからな。そこだけは絶対に誤解しないでくれよ。マジで本気で」
これまで陽気に喋っていた安田の顔が、焦り模様へと一変した。たとえ安田自身にその気がなくても、一度誤解されたら疑いを晴らすのは難しいと思うほど、自分に信用がないという自覚はあるようだった。
鼻を鳴らした大家が、ダメ押しと言わんばかりにクギを刺す。
「ミルミルに手を出さないのは当然として、学園祭の中でも変なマネはしないでおくれよ」
「しないしない。誓って何もしない。俺はただ見学するだけさ」
「……政治家が掲げる公約くらい信用がないね」
それもまた、安田が今まで積み重ねてきたことのせいかもしれないが。
そんなことを話しているうちにも、三人は天崎の高校へ到着した。そのまま塀に沿って正門へと向かう。
だがしかし――。
もう数十メートルで正門へ到達するというところで、大家が唐突に足を止めた。
「……ありゃ? そういやあたしゃたちって、何しに来たんだっけ?」
「何しにって、そりゃ……」
答えようとした安田もまた、自問するように押し黙ってしまう。
まるで、つい先ほどすれ違った人の顔も思い出せないようなもどかしさ。三人で外を歩いていた理由を一向に思い出せない安田は、ミルミルに話を振った。
「なんでだっけ?」
「分からないでち。楽しい所へ行く途中だったような気がしてたでちが、全然思い出せないでち。散歩じゃないでちか?」
ミルミルも自らの目的を忘れていたようだが、大人二人と比べて、特に訝しんでいる様子でもなかった。
「散歩ぉ? 大家さんとミルミルちゃんの散歩に、俺がついていく理由があるかな?」
「あ、分かったよ。たぶん買い物さ。安田君には荷物持ちとしてついてきてもらったんだよ、きっと」
「大家さん。それ、絶対今思いついたでしょ……」
疑いの眼差しを向けるも、安田自身も思い出せないのもまた事実。買い物の荷物持ちと言われても、否定する材料がなかった。
「なんだい、手伝ってくれないのかい?」
「まさかぁ、ちゃんと手伝いますって。大家さんには日頃からお世話になってるからな」
もちろん、その言葉に嘘はない。だが大家よりももっと若い女の子に会う約束があったような気がしていたため、残念そうな表情が少し表に出てしまっただけだ。
「じゃあ買い物に行くでち! おばあちゃん、ミルミルにお菓子を買ってほしいでちよ!」
「はいはい、一個だけだよ」
日本全国どこにでもいる祖母と孫のような会話をしながら、大家とミルミルは今来た道を引き返していく。そのほのぼのした後ろ姿を追いながら、安田は意外にも好青年らしい爽やかな笑みを浮かべた。
ふと彼は立ち止まり、振り返った。
塀の向こうには、学校の校舎が見える。すでに三十路を過ぎた自分が高校に用などあるはずはないのに、何故か行かなければならない気がしてならなかった。
だが霞がかった心の中は、一向に晴れぬまま。
胸の内にどうしようもない歯痒さを抱きながらも、安田は大家やミルミルと共に買い物へ向かうのであった。




