第3章 開園前
土曜日の早朝、学園祭に参加するおののき荘の住人たちが軒先に集合していた。
太陽が昇ってすぐということもあってか、日傘を差すリベリアは非常に眠たそうだ。それに対して円は、起き抜けだというのに、いつものような寝ぼけ眼ではない。きっと学校へ行けることで興奮しているのだろう。遠足前日の小学生みたいに寝不足にならなくてよかったなと、天崎は少しだけ安心した。
その隣には、割烹着姿の大家とミルミルがいる。
天崎は腕時計を確認した。午前七時半。そろそろ出発しなければ遅刻してしまう。
マロンは行かないと言っていたし、安田にはそもそも知らせていない。空美には一応集合時間を伝えたが、出てこないところを見ると、どうやら行かないみたいだ。たとえ置いて行ったとしても、それで文句を言うような人ではない。
集まった住人たちを一通り見回した天崎が、号令を掛けた。
「んじゃ時間だし、そろそろ行くか」
「ふぁーい」
「いく!」
欠伸混じりで応じるリベリアと、元気満々の円。
しかし返事はその二人からしか返ってこなかった。
「気をつけて行ってりゃあね。円ちゃんは、ちゃんと東ちゃんの言うことを聞くんだよ」
「あれ? ばっちゃんとミルミルは行かないのか?」
「後から行くでち!」
「あたしゃたちは、お昼から見学しに行くよ」
何か用事でもあるのだろうか。
天崎が首を捻っていると、横にいるリベリアが今日の日程を話してくれた。
「まず、私と円さんが先行して参加します。そして昼前に私は帰らせてもらいます。たぶん眠気が限界を迎えてるでしょうからね。それと入れ替わりで、大家さんとミルミルさんが学校へ行って、円さんと三人で帰るという流れです」
「あたしゃももう歳だからね。東ちゃんの学校を往復するだけでも、疲れちまうよ。学園祭を見て回るのも、三十分から一時間といったところかね」
「なるほどな。じゃあ何ならミルミルも預かろうか? 円と一緒に見て回った方が楽しいだろうし」
天崎が提案するも、大家はやんわりと辞退した。
そして天崎の耳元に顔を寄せると、円とミルミルには聞こえないよう小声で言う。
「ミルミルが側にいると、円ちゃんがお姉さんぶって、はしゃげないでしょ。ちゃんと後から行くから、円ちゃんのこと、よろしく頼むさね」
理由を説明された天崎は、そういうことかと納得した。
普段、円がミルミルとどのように接しているかは知らない。しかし円の性格上、妹分に対して見栄を張りそうではある。もしそれで心の底から羽目を外せないことになっては可哀想だという、大家の配慮なのだろう。
ということで、大家とミルミルに見送られながら、天崎とリベリアと円の三人は学校に向けて出発した。
「っていうかリベリア、この前みたいに途中で寝たりするなよ。ただでさえお前の恰好は目立つんだからさ」
「保証はできませんねぇ。ただ以前異世界へ行った時の影響で、多少は明るくても起きていられるようになりましたよ。太陽の脅威は相変わらずですが。……というか祭りなんですから、コスプレくらい普通なのでは?」
「……いや、そっちの話じゃないんだけどな」
他クラスの出し物は準備中にチラッと見ただけだが、独自のキャラの着ぐるみを作っていたり、ハロウィンよろしくメイクや衣装を用意しているクラスもあった。実際、天崎のクラスもメイドが量産されている。
確かにその中に混じってしまえば、リベリアの翼や牙をコスプレと言い張ってもさほど不自然ではない。だが天崎が懸念しているのは、そこではなかった。
リベリアの容姿は、控えめに見てもかなりの美形だ。吸血鬼だから当たり前なのかもしれないが、『完全なる雑種』でもない普通の高校生の前では、そんな理屈も通用しない。加えて金髪に金眼。嫌でも目を惹く。
さらに言ってしまえば、今から特攻する場所は、思春期真っ只中の男子高校生が自由に闊歩している学校だ。一目惚れを都市伝説と思っている天崎からしても、何人かはリベリアに惚れちまうんじゃないか? と少なからず心配していた。
「大丈夫ですよぉ。いたいけな学生を誘惑したりはしませんって」
「お前が何もしないでも、周りはそうもいかないだろ。思春期を迎えた男子高校生ってのは、常に可愛い女の子に飢えてるもんなんだぜ」
「へぇ? じゃあ天崎さんもそうなんですか?」
「俺は……」
ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら、リベリアがからかってくる。
言葉を詰まらせた天崎は、バツが悪そうに視線を逸らした。俺は違うと意固地になって否定するのも認めてしまったみたいだし、肯定するのはそれはそれで恥ずかしい。
さて、どう返答したものか。
そんなことを考えながら視線を彷徨わせていると、不意に隣の円と眼が合った。
「まどか、かわいくない?」
「……?」
ちょっと残念そうに問う円を、天崎は不思議に思った。
だがすぐに、円が言わんとしていることに気づく。彼女はおそらく、男子高校生は可愛い女の子に飢えている→けど一緒に住んでいる天崎はそんな素振りは見せないから、自分は可愛くないのかもしれない。という結論に至ったのだろう。
天崎の何倍も生きている座敷童だし、少なからずそういう知識はあるのだろうが、思考回路が見た目通りの子供っぽさに思わず和んでしまった。
円の頭を優しく撫でながら、天崎は答える。
「円は可愛いよ。ただ俺が『完全なる雑種』だから、他の男子とは少し違うだけさ」
撫でられることにむず痒さを感じながらも、円は幸せそうにそれを受け入れていた。
だがしかし、その答えに納得していない吸血鬼が一人。リベリアは頬を膨らませ、不満そうに呟いた。
「もぉ、円さん! せっかく天崎さんから言質が取れそうだったのに! 逃げ道を教えてあげちゃダメじゃないですか!」
「何の言質だよ。お前は俺を強請るつもりだったのか」
リベリアの腹黒い自白に、若干引き気味の天崎だった。
ただ彼女はすぐに尖らせた口を引っ込めると、何故か可笑しそうに笑いだした。
「でも、こうやって三人で並んで歩いてると、まるで家族みたいですね」
「それはまぁ、そうだ……な……?」
肯定しようと頷くも、斜め下からの視線に気づいた天崎は即座に言葉を噤んだ。
見れば、先ほどの幸せ顔とは打って変わって、鬼の形相を浮かべている円がリベリアを睨んでいた。
その表情の意味を明確に悟った天崎は、慌ててリベリアに耳打ちする。
「子ども扱いするな、だってさ」
「それはそれは、失礼いたしました」
リベリアが深々と頭を下げると、円は機嫌を戻してくれたようだった。
他愛のない会話をしながら、歩いて十五分。ようやく高校の正門が見えてきた。まだ時間が早いためか、一般参加客の姿は見当たらない。登校している生徒たちの影が、ちらほら見えるくらいだ。
「俺はいったん教室で出席取ってくるから、悪いけど二人は門の前で待っててくれ。終わったら迎えに行く」
「了解でーす」
「あいあいさ」
元気に返事をする二人を残し、天崎は教室へと向かった。
ほとんどのクラスメイトは、すでに登校しているようだった。おそらく八割くらいだろう。ただ座席がないため、誰がいて誰がいないのか、見ただけでは分からない。
「あっ。天崎さん、おはよう」
「おはよう」
天崎に気づいた月島と挨拶を交わす。
と、そのやり取りを見ていた委員長から声を掛けられた。
「天崎。来たんなら出席簿にチェック入れてね」
「出席簿?」
委員長が黒い平板のような冊子を渡してきた。いつも担任が使っている出席簿なのは一目で分かったが、それは委員長の仕事ではないんじゃなかろうか。
「先生は?」
「たぶん職員室よ。学校行事って言っても、土日の登校だからね。多少の遅刻は大目に見てもらえるそうよ」
それでいいのか監督者よ。と思いながら、天崎は出席簿の名前へとチェックを入れた。
とその時、まだ祭りは始まっていないというのに、バカみたいに陽気な声が背後から近づいてきた。
「うーっす、天っち! お前、見た!? めちゃくちゃ可愛い美人な金髪の美女が校門の正門前に立ってたぞ!」
「落ち着けよ、犬飼。日本語が少しおかしい」
冷静に突っ込みつつも、天崎は心の中で後悔していた。
校門前なんて、一番生徒の目に触れる場所だ。直前の会話もあったというのに、そんな目立つ場所で二人を待たせるなんて、あまりにも迂闊すぎた。
どのみち学園祭に参加するのだから、身を隠しても仕方がない。という油断からきた判断ミスだったのだが、犬飼から追及されるのは目に見えて面倒くさそうだった。
なので逃げる。
「へー、そうなんだ。俺が来た時にはいなかったなぁ」
一発でバレる嘘だったが、今はこれでよい。この場だけ凌げれば。
しかしここで思わぬ伏兵が登場した。
今しがた登校してきた安藤だ。
「おはよう。なんか正門にリベリアさんと円ちゃんが立ってたんだけど?」
「ぬわぁに! 安藤、まさかお前の知り合いなのか!?」
「……知り合いは知り合いだけど、天崎の連れ人だろ」
事情を知らない安藤を責めるのは酷だが、この時ばかりは天崎も安藤を呪った。
般若の形相を浮かべた犬飼の矛先が、天崎へと向く。
「天っち! どういうことだってばよ! 今知らない感じだったよな!」
「悪かった、悪かったって。いきなり連れてきて、驚かせようと思っただけだよ」
「っていうかその金髪の美女って、お前のアパートに住んでる、噂のリベリアちゃんなのかい!?」
噂かどうかは知らないが、そういや犬飼はリベリアの存在自体は知ってたんだなと、天崎は思い出した。確か数週間ほど前、女子大生たちと遊びに行った時に、彼の妹に目撃されていたのだった。
というか何故自分は今、犬飼に胸倉を掴まれているのだろう。そして何故掴んでいる方が泣きそうな顔になっているのだろう。羨ましいと小言を言われるくらいは想定済みだが、自分の友人の必死さに、さすがの天崎もドン引きだった。
飢えるどころか餓死寸前の奴もいるみたいだ。後でリベリアに忠告しておこう。などと天崎が現実逃避していると、助け舟は意外なところからやってきた。
他の生徒の出欠を取っている委員長だ。
「えっ? 天崎、円ちゃんってもう来てるの?」
「一緒に来たぞ。今は門の前で待っててもらってる。一般参加者が校内に入れるのって、八時半からだったよな?」
「そうだけど、三十分も外で待っててもらうのは悪いわ。早く迎えに行ってきなさいよ。ホームルームもないからさ」
「入れてもいいのか?」
「誰かに咎められたら、謝罪よろしく」
なんだかなーと思いつつも、待っててもらうのは悪いという意見には賛成だ。早く来させすぎた自分にも非があるし、さっさと迎えに行くか。
「はいはーい、俺っちも一緒に行きまーす!」
「えっ……来んのかよ」
「俺っちは門の前で看板を持つっていう、大切なお仕事があるもんね!」
嫌そうな顔をする天崎に対し、犬飼は一般客に告知するための看板を持ち上げた。
そういえば、犬飼は看板持ちという雑用を任されているのだった。目的地が一緒ならば同行しない理由はないのだが……ここまで意気揚々と看板持ちの仕事をこなそうとする男が、果たして他にいるだろうか。
「……言っとくけど、俺は二人を迎えに行くだけだからな? すぐに教室に戻るからな?」
「えー、天っちのイケずぅ。紹介くらいしてくれよぉ」
「そりゃ紹介くらいはするけども」
そしてできれば引き合わせたくはないのだけれども。
言葉の裏に隠された些細な願望にも気づかない犬飼は、まるで数分後には恋人ができたも同然の勇み足で、天崎の隣に並ぶのであった。
いつもの登校時間を回っているためか、他の教室からもすでに活気が溢れていた。
ただどのクラスもまだ最終調整を行っているのか、廊下を出歩いている生徒は少ない。犬飼のように門の前で宣伝活動をしに行く雑用係と、部活や体育館など、教室以外で出し物をするため準備に走っている生徒くらいだ。一般参加客の姿は、まだない。
一時間後にはこの廊下も人で溢れ返るのかなぁ、などと思いながら、天崎は犬飼と一緒に靴を履き替え、校門へと向かった。
門前では、すでに何人かが陣取りして看板を掲げていた。どの生徒も呼び込みそっちのけでリベリアたちをチラチラと盗み見ているようだったが、まぁ仕方のないことだ。
「あっ、天崎さーん!」
天崎の迎えに気づいたリベリアが、山彦のような声を上げて大きく手を振った。
それと同時に、周囲にいた男たちが一斉に天崎の方へと首を回す。それらの視線すべてに嫉妬らしき感情が含まれているような気がしたが、それはもうそういうものだと諦めた。
ただ疑問なのは、どうして名前を呼ばれていない方の男が手を振り返しているのかだ。
「くぅー! あれが本場の北欧美女ってやつなのか!? まるで天女みたいだ! 眩しすぎて直視できねえぜ!」
「実際は真逆の闇属性なんだけどな」
明るいのは髪と性格くらいのものだ。
そして普通に会話できるくらいの距離まで近づき、ようやくリベリアが犬飼の存在に気づいたような素振りを見せて、天崎は人知れず涙を流した。あれだけ一生懸命手を振り返していたのに、リベリアにとって犬飼はその他のモブと同じ認識だったのだろう。
「えっと、天崎さん。そちらの方は?」
「こいつは……」
「はっじめまして! 俺っちは天崎君のマブダチの、犬飼省吾って言います! いやぁ、今日はいい天気ですね! 我が校の学園祭に貴女のような美しい方が参加してくれるのを、まるで天が祝福してくれてるみたいだ!」
「へ? は、はぁ……」
勢いに気圧されたリベリアが、助けを求めるように天崎に視線を向けた。
天崎は天崎で両手の平を合わせ、『こういう奴なんだよ、ごめん』と犬飼の背後から口パクで謝る。円の前であるためか、いつものように暴力で事を鎮静化させることを躊躇っているようだった。
リベリアの手を握って恭しく頭を下げていた犬飼が、今度は円の方へと向いた。
「で、こちらが委員長たちも言ってた円ちゃんか。いやぁ、これまた可愛いね! 将来が楽しみだ!」
「えっへん」
褒められて、満更でもない円が胸を張った。
そんな将来は一生来ないのだが、本人が上機嫌なので天崎は黙っておいた。
「んじゃ、教室行くぞ。こんな所で駄弁ってたら、邪魔になっちまう」
「えぇ? ちょっと待ってくれよ、天っち」
「待つも何も、最初に言っただろ? 俺はこいつらを迎えに来ただけだって」
「いや、まぁ、そうだけど……。あっ、リベリアさん。素敵な翼ですね。自前ですか?」
どうしてもリベリアの気を引きたい犬飼が、急に意味不明なこと言い出した。
リベリアは笑顔で答える。ただそれは、天崎も以前コスプレ喫茶で見たことのある接客用の笑みだった。
「ありがとうございます。えぇ、自前ですよ。私は吸血鬼ですので」
「きゅ、吸血鬼……? あぁ吸血鬼のコスプレってことですね。いやぁ、なかなか凝ってますねぇ」
「では、私たちはこれで……」
お世辞まみれの言葉はもう聞きたくないといった感じで、リベリアは踵を返した。
なんかちょっと怒ってるのかなと疑問を抱くのと同時に、犬飼をあしらうのはこれくらいが丁度いいのかもしれないと、天崎は勝手に納得したのだった。
ガックリと肩を落とす犬飼を置いて、早足で歩いていくリベリアを追う。
その際、円の手をしっかりと握ることを忘れない。何もかもが新鮮なのか、ずっと周囲をキョロキョロと見回している円は、今にも迷子になってしまいそうだった。
「……円さんの気持ちが、少し分かりましたよ」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、何も」
単なる独り言だったのだろう。天崎はそれ以上追及しなかった。
リベリアの隣に並ぶと、彼女は歩く速度を緩めてくれた。いつの間にか仮面を被ったような笑みも解け、いつもの調子に戻っている。
「ってか、吸血鬼だって公言していいのかよ」
「構いませんよ。本物の吸血鬼が太陽の真下を歩いてるなんて、誰も思いません。現にあの犬飼さんって人だって、コスプレと思ってたわけじゃないですか。こういうものは、堂々としてた方が分からないものですよ」
「確かになぁ」
スーツ姿の清潔感溢れる男が空き巣だなんて、誰も思わないのと同じ理論だ。
と、文句を言いたげに頬を膨らませているリベリアに気づいた。
「もう、遅いですよ天崎さん。私たち、待ちくたびれちゃってましたよ」
「そんなに遅かったか? 出欠取ってから、すぐに向かったつもりだったんだけどな」
「遅いです。私なんか、何人もの男性から声をかけられたんですから」
「えっ、マジで?」
「マジですよ。ねー、円さん」
「アメもらった」
ポケットから出した飴を、得意げに見せてくる。
リベリアがナンパされるのは想定内だが、まさか円にまで声を掛ける奴がいるとは思わなかったと、天崎は驚いていた。
「あれぇ。天崎さん、もしかして心配してくれてるんですかぁ? 大丈夫ですよ。仕事柄、男性からのそういうお誘いの断り方は心得ています」
「心配はしてるけど、それは円にな。円、あんまり知らない人から物をもらうなよ」
「はーい」
無表情で返事をしつつも、円は飴を口の中に放り込んでいる最中だった。
その二人のやり取りを隣で見ていたリベリアは、「なんか円さんが一緒にいると、話が有耶無耶にされますねぇ」と言って唇を尖らせていた。
「にしても、意外と人が少ないんですね」
「そりゃまだ開園前だしな。……って、興味津々にグランドの方を眺めてるようだけど、お前は運動系の催しには参加するなよ」
「分かってますよ。といっても、私も人間の能力に合わせるくらいの制御はできますけどね」
信頼と疑い、両方が入り混じった眼差しをリベリアへ向けた。
天崎の旧友である鬼もまた、九年間の義務教育を問題なく終えられる程度には力の制御ができていた。しかしそれは、調子に乗らなければの話である。状況によっては調子に乗りそうな性格をしているリベリアに、天崎が不安を抱くのも無理はなかった。
とはいえ、リベリアは日傘を差していなければ外を出歩けない。どのみち見学は屋内に限られてくるだろう。
そのまま三人は昇降口を通り、天崎のクラスを目指す。
階段を上って廊下を歩き始めたところで、教室の前で立っている安藤に気づいた。
「おっす、連れてきたぞ」
「おかえり。リベリアさんと円ちゃんは、さっきはどうも」
三人が挨拶を交わしているところを見て、彼らが一度顔を合わせていることを思い出した。というか、声を掛けてきた人数って安藤も含まれてるんじゃ? 知らない人から物をもらうなと注意した円が、即座に飴を食べてたし。
「なんか……教室内がやけに騒がしくないか?」
騒がしいのはどのクラスも同じだが、天崎のクラスはその性質が違うような気がした。意気込んでいるというよりは、慌てているといった様子。
「実は今日シフトの長谷川さんが、風邪引いて来られなくなったらしいんだ」
「それで揉めてるわけか」
「いや、揉めてるってほどではないよ。誰が代わるか相談はしてるみたいだけど。ただ長谷川さんは、学園祭の準備に熱を入れてた一人だったからね。少なからず女子の間で動揺が広がってるみたい」
「なんだか大変ですねぇ」
「……みたいだな」
決して他人事ではないはずなのだが、シフトを決めることも代わることもできない天崎と安藤には、成り行きを見守ることしかできなかった。
手持無沙汰のまま、真剣に話し合っている女子の輪を外から眺める。せっかく来てくれたのに、このまま待ちぼうけではリベリアと円に悪い。少しだけ校内を案内して、ほとぼりが冷めた頃に戻ってくるか。と、天崎が考え始めた、その時だった。
輪の中にいた女子の一人と、不意に眼が合った。
すると彼女はすぐに視線を戻したのだが……次の瞬間には、教室内にいた女子全員がこちらを見つめていた。その光景は、軽くホラーだった。
「ま、円ちゃん! 円ちゃんが来たわ!」「きゃー、可愛い!」「意外と小さい!」「お人形さんみたい!」「ねぇ、笑って笑って!」「こっち向いてぇ!」「お菓子食べる?」
ドドドドと押し寄せる女子の波。
円は瞬く間に女子の群れに呑まれてしまった。
「す、すごい人気ですね……」
圧倒されるその光景は、さすがのリベリアもドン引きするほどだった。
と、一人輪から離れた委員長が近づいてくる。
「天崎。円ちゃんを連れてきてくれて、ありがとね。……えっと、そちらは?」
「はじめまして! 私は天崎さんと同じアパートに住んでる、リベリア=ホームハルトと申します」
「あぁ、日本に留学してるっていってた、あの……。はじめまして。私はこのクラスの委員長です。よろしく」
そういえばリベリアは海外留学してる設定になってたんだっけ。と、天崎は握手する二人を見て思い出した。
「で、委員長。安藤から聞いたんだけど、長谷川が風邪で来れないんだって?」
「そうなのよ。でも、一人一人のシフトを長くして対応するから大丈夫よ」
まぁ本物の飲食店でもあるまいし、一人休んだところでそうそう問題が出るわけでもないだろう。心配するほどのことでもなかったか。
事は収束に向かっているようだ。が、リベリアが空気を読まずに名乗りを上げた。
「あの、もしよかったら、私が代役として接客しましょうか?」
「は?」「へ?」
あまりに突拍子な発言に、天崎と委員長が同時に声を上げた。
理解を試みようと少しだけ言葉の意味を咀嚼してみたものの、それでも訳が分からないと言いたげに返す。
「なに言ってんだ。無理だろ」
「無理じゃありませんよ。こう見えても私、飲食店でアルバイトをしてますから」
知ってるよ。と言いそうだったが、今のは委員長に向けての言葉だった。
もちろん、天崎もリベリアの接客能力を低くみているわけではない。ただ客として学園祭の見学に来ているのに、店員まがいのことをしようとする意図が分からなかった。
「学内を見て回ることは明日もできますし、生徒の立場として参加するのもなかなかレアな体験じゃないですか。ニホンノガクエンサイ、ワタシモサンカシタイ」
「なんでいきなり片言になってるんだよ」
呆れつつも、リベリアの考えも一理あるなと天崎は思った。
海外には日本の高校の文化祭や学園祭みたいな行事は少ないと聞くし、そもそもリベリアは学校に通ったこともないはずだ。生徒の立場で参加したいという気持ちも、分からなくはなかった。
ただ根本的な問題はある。
天崎は委員長に質問した。
「外来の参加者に手伝わせても大丈夫なのか?」
「ダメという話は聞かないわね。それに人気投票もないから、不公平にもならないと思うし……」
眉間に皺を寄せながら、委員長が思案する。
しかし次の瞬間には吹っ切れていた。
「きっと大丈夫よ。怒られたらやめればいいし、一時間や二時間程度なら」
「異文化交流、イエーイ!」
「い、いえーい……」
テンション高くハイタッチを要求するリベリアに、委員長は恥ずかしそうに応えた。
「じゃあ急いで衣装を見繕わないといけないわね。植松さん、ちょっといい?」
「なんじゃらほい」
委員長が、他の女子と一緒に円を囲っていた植松を呼び止めた。
「こちらのリベリアさんが、長谷川さんの抜けた穴を補ってくれるみたいだから、寸法の見繕いとかできる?」
「えぇ! そうなの!? 見た感じ、長谷川さんと同じような体型だから簡単だと思うけど……えっと、その羽は?」
「コスプレです。できれば外したくないので、衣装の背中に穴を空けることになってしまうと思いますが……」
「やーん、背中に穴を空けるとかセクシィ! うえまっちゃん頑張っちゃうよ!」
変なスイッチが入って意気込む植松。
どうやらリベリアが手伝うことで決定したようだ。
「じゃあ天崎さん、行ってきます。ちょっと待っててくださいね」
「あぁ、分かった」
今から午前のシフトの女子たちも着替えるのか、リベリアは彼女たちと一緒に更衣室へと向かっていった。
「いやぁ、解決してよかったよ。にしてもリベリアさん、ノリノリだったね」
「ああいう奴だからな」
安藤と並んで、しみじみとしながら彼女たちの背中を見送る。
一件落着して気が緩んでいたためか、さらに重大な事件が起こっていることに気づくのが遅れてしまった。
「あ、あれ? 円がいない!?」
「あぁ。円ちゃんなら、女子たちに連れられて一緒に更衣室に行ったよ」
「まさかの誘拐!?」
一応リベリアもいるため大丈夫だとは思うが、二人とも初めて来る土地だ。迷子にならなければいいのだが。
かといって更衣室に向かった彼女たちを男の天崎が追うことなどできるはずもなく、仕方なく教室で待つ他なかった。




