プロローグ
十一月も残り一週間となった平日の夕方、天崎はおののき荘の一室を訪れていた。
インターフォンを押して少し待つ。部屋の中から声が聞こえると、すぐに扉が開いた。
セーラー服姿の高槻真論が、開いた扉の隙間から顔を覗かせる。
来訪者が天崎であることを確認すると、途端にその表情が不機嫌になった。
「……お前、なんで部屋ん中なのにセーラー服なんだよ」
「そんな下らないことを言いに来たの? あんたが奪った私の貴重な数秒間、返してくれないかしら?」
なんでコイツはこんなに喧嘩腰なんだ。と思うも、先に喧嘩を売ったのは自分だと自覚した天崎は、所在なさげに頭を掻いた。普段どんな恰好で部屋にいようと、その人の勝手である。
「悪かったよ。これを渡しに来ただけなんだ」
「なにこれ。……学園祭?」
天崎から渡されたチラシに目を通したマロンは、訝しげな声を上げた。
学園祭開催と大きく見出しが載っているそのチラシは、天崎が通う高校の生徒会が発行したものだった。開催日時と学校周辺の地図、そして男子生徒と女子生徒のイラストがあり、吹き出しには各クラスの出し物が記載されていた。
「今週末にやる予定なんだ。一般の人も見て回れるから、よかったら来ないか?」
「今週末かぁ……」
マロンが物憂げに呟いた。その反応は、どちらかと言えば否定的だった。
そして少し間を置いた返答は、天崎が抱いた印象通りだった。
「悪いけど、行けないと思う。そもそも私、自分の高校も不登校気味なのに、他校の学園祭なんて行ってられないでしょ」
「そんなの関係ないだろ」
「いえ、ごめんなさい。それを抜きにしても、土曜日はちょっと用事があるのよね」
「用事なら仕方ないな。まぁ日曜までやってるから、気が向いたら来てみろよ」
「うーん……場合によっては、それも無理になるかもしれない……」
歯切れの悪い言い方に、天崎は不思議に思った。
土曜日の予定が日曜まで伸びる可能性があるのかと解釈するも、マロンの表情からは大切な日曜日が潰れてしまう以上の憂鬱さがにじみ出ていた。
天崎の誘いが鬱陶しいとかではなく、すごく嫌なことが土曜日に待っているという印象。
目の前でそんな顔をされては、天崎も訊かずにはいられない。
「どうした? 何かあったのか?」
「まあね。今週の土曜日に、ちょっと実家に帰るんだけど……」
「え、そうなのか? ……なんか寂しくなるな。たまに連絡しろよ」
「はっ? もしかして勘違いしてない? ただ実家に帰るだけであって、おののき荘を引っ越すわけじゃないんだけど」
「…………」
素で勘違いしていた天崎は、恥ずかしさのあまり目を逸らすのであった。
そんな彼の内心を知ってか知らずか、マロンの説明は続く。
「私、学校を辞めようかと思ってるのよね。それで異世界で雇われ魔法使いとして生きていくことにした。土曜日は実家に帰って、親にそれを伝えようと思ってるのよ」
「あー、なるほどな」
マロンが憂鬱な気分になるのも、よく分かった。
高校二年の秋まで在籍し、それまでの学費を親に払ってもらっていた立場としては、学校を辞めたいなどと言うのは確かに気が重い。理解ある親ならばまだいいのかもしれないが、それでも絶対にされる質問がある。高校を辞めた後、その先どうするのか、と。
いや、そもそもの話……。と、天崎は疑問に思った。
「高槻の両親って、お前が異世界へ行けることは知ってるのか?」
「知らないわよ。だって異世界へ行ける体質ってのは遺伝じゃないし、高校生にもなってそんなこと告白したら、頭おかしいって思われるのがオチだわ」
「じゃあ今後のことは、どうやって説明するんだよ」
「それで頭を悩ませてるんじゃない」
マロンの返答は、今にも噛みついてきそうな勢いだった。
そういうことか。と、天崎は納得した。マロンの中で学校を辞めることはすでに決定事項であり、それを親に伝えること自体は全然苦ではない。ただ、異世界のことを話さずに今後の進路を説明するのは、かなり難易度が高い。つまり上手い言い訳が浮かばないといったところなのだろう。
別にアルバイトしながらやりたいことを見つけるとか、適当に言っとけばいいんじゃね? と危うく言いかけたが、天崎は自重した。あんまり他人の家庭事情に首を突っ込むのはよろしくない。
「ま、そういうことなら仕方ないな。事情は分かったよ。ただそのチラシ、学校に入るためのチケットみたいなものだから、捨てるのは来週の月曜日にしとけよ」
「えぇ、分かったわ。ありがとう」
そう挨拶を交わし、マロンは扉を閉めた。
天崎は部屋の前から立ち去ろうとし、ふと気づく。あぁ、だから部屋の中でもセーラー服を着ていたのか、と。
そのまま「次は……」と足を踏み出したところで、他の部屋の扉が開いた。
中から出てきたのは、半纏を羽織ったぼさぼさ頭の男。おののき荘の住人の一人、安田清志である。
彼は寒そうに背中を丸めながら、草履を履いて外へ出てくる。
天崎は反射的にチラシを背中へ隠した。
その微細な動きが視界に入ったのか、安田の顔が天崎の方へ向く。二人の視線が交差した。
すると安田は、一目散に距離を詰めてきた。しかも何故か半泣きになりながら。
「天崎ちゃーん! 俺、聞いてないよぉ!」
「なな、何がですか!」
詰め寄ってきた拍子に両肩を掴まれ、ぐわんぐわんと前後に揺さぶられる。波のように揺れる視界に酔いそうになるのもさることながら、がっつりとホールディングされている肩がとても痛かった。
「天崎ちゃんの友達のピチピチJKが、今度おののき荘に引っ越してくるんでしょ!? なんで言ってくれないの!?」
「ただ単に話す機会がなかっただけですってば! てか、あんたに話したところでどうだってんだよ!」
「そりゃもちろん、お近づきになる準備をするに決まってんじゃんか! JKだぜ、現役JK! 三十過ぎのおっさんにはまったくもって接点のない存在が、近くに越してくるんだぜ! このチャンスを逃す手はないっしょ!」
「女子高生なら高槻もいるでしょうが!」
「あの子はなんか違う」
「うわぁ……」
素直な感想に、天崎はドン引きだった。
と、天崎の手が不自然に背中へ回っていることに、安田が気づく。
「天崎ちゃん、何か隠してる?」
「いえ、何も?」
「ふーん。ま、いっか。でさぁ……」
一瞬で興味を失った安田の表情が一変した。
今度は本泣きだった。
「有沢の奴が、めちゃくちゃ怖い顔して俺に言うんだよ。そのJKに手を出したら去勢してやるってさ! なんでいきなり来てそんなこと言われなきゃならんの!? 俺その時は何も知らなかったんだぜ! まだなんもしてないんだぜ!!」
「……何かしそうなんでしょ」
「しねえよ! ただ単に同じアパートに住む仲間として歓迎するだけだし! そりゃ少しは仲良くなって、あんなことやこんなことできたらいいなっていう腹積もりもあるけどさ……」
「下心丸出しじゃねえか!」
空美じゃなくても、こいつは去勢した方がいいんじゃないかと思わせる発言だった。
ふと、近くで足音がした。天崎は首を捻って、斜め上を確認する。
話題の当事者である有沢空美が、二階からゆっくり降りてきている音だった。しかもめちゃくちゃ怖い顔を、その面に引っ提げて。
「別に手を出したら去勢じゃなくて、手を出さないように去勢してやってもいいんだぞ」
「げぇ、有沢……」
「人の顔見て『げぇ』とか言うんじゃねえよスケベ小僧。マジでお前を末代にしてやろうか?」
「ご、ご勘弁を……」
命乞いをした安田は、自分の股間を抑えながら小走りで道路へと消えていった。
その姿を忌々しげに見送った空美が、天崎の前までやってくる。
「ったく、油断も隙もありゃしねえ奴だな。ホント、あの男の頭の中はどうなってんだ」
「それはあなたも一緒でしょ」
「なんか言ったか?」
「いえ、何も」
危うく口を滑らせてしまったが、どうやら本当に聞こえていないようだった。
「ま、洋子のことはあたしが目を光らせておくから心配するな。それはそうと、安田の奴どこ行ったんだ?」
「あの軽装だから、コンビニかなんかじゃないですかね?」
「マジか。あたしも今から行こうと思ってたのに。……時間ずらすか」
どんだけ嫌われてんだ。と思いつつも、天崎は空美の服装にも難色を示した。
寒くなってきたせいか、以前より露出している肌は少ないものの、明らかに部屋着だと思われる。近所の住民もまだ出歩いている時間帯だし、近場とはいえ外出するのに相応しい恰好とは言えない。
「てか、東四郎。こんな所で何やってたんだ?」
「あぁ、実はですね……」
と言って、天崎は持っていたチラシを空美に渡した。
眉間にしわを寄せた空美が、紙面に視線を走らせる。
「なになに……学園祭か。……ちょっと待て。お前まさか安田にも渡してないだろうな?」
「渡してません」
「お前の判断は正しい」
手放しで褒められてしまった。絶対悪の敵を討ち取った正義のヒーローですら、ここまで称賛されることはないというほどに。
「暇だったら空美さんも足を運んでみてくださいよ」
「ま、そうだな。時間があったら考えとくよ」
と言って踵を返した空美は、自分の部屋へ向かうべく階段を上っていく。本当に時間をずらすみたいだ。
それから天崎は、大家の部屋を訪れてチラシを渡した後、自室へと戻った。リベリアは後でも構わないだろう。どうせ今日の夕食か明日の朝食をたかりに来るだろうし。
「ただいま」
扉を開け、部屋へ上がると……これまた珍妙な物体を発見する。
着物姿の円が、セーラー服の上だけを着て立っていた。ただ円の身体に比べてサイズがあまりにも大きすぎるため、丈の短い割烹着みたいになってしまっている。
家主の帰宅に気づいた円は、わくわくと胸を躍らせて羨望の眼差しを向けてきた。
「が、がっこう!」
「……週末まで待ってろよ。あと、他人の物で勝手に遊んじゃいけません」
前にもそんな注意をしたような気がするなぁ。と思いながらも、天崎は円が着ているセーラー服を無理やり剥いだ。
指でつまんだそれを見つめつつ、天崎はため息を吐く。そういえば月島のセーラー服とブラを未だに返していなかった。まあ何も言ってこないということは、困ってはいないのだろう。ただ単に忘れてるだけかもしれないが。
とにもかくにも、天崎の高校で行われる学園祭は今週末まで迫っていた。




