エピローグ
日曜から月曜へと日付が変わるほどの深夜。天崎とリベリアとマロンの三人は、おののき荘へ帰るため、寝静まった住宅街を歩いていた。
「いやぁ、お腹いっぱいです。でも、いいんですか? 全部奢ってもらっちゃって」
「いいのよ。異世界攻略を手伝ってくれたお礼なんだから。むしろこっちがお礼し足りないくらい。また遠慮なく言ってね」
「んじゃ、週三くらいで奢ってもらおうかな」
「あんたは途中で裏切ったんだから、少しは弁えなさい」
「…………」
積極的に裏切ったわけじゃなくて、勝手にチート認定されただけなんだけどな。と、天崎は不満げに唇を尖らせたのだった。
近場のファミレスで、マロンに夜食をご馳走してもらった後の帰り道である。マロン自身も言ったように、『クロウディア』の攻略を手伝ってもらったお礼だった。
天崎は途中でパーティを離脱したとはいえ、当初からお礼はすると約束していたわけだし、優勝賞金の他にチーターを討伐するというクエストも達成したため、マロンの懐には想定以上の収入が入っていた。巻き込んでしまった詫びもあってか、マロンはしっかりと天崎にもご馳走していたのだった。
「というよりも、あんたは酒井君にもちゃんとお礼を言っときなさいよ」
「分かってるよ」
残念ながら、姉に連れ戻されていった太郎は夜食会に参加できなかったが。
頭の後ろで手を組み、夜空を仰いだ天崎が、確認のようにぼやいた。
「今回の騒動をまとめると、俺たちってゲームみたいな異世界に召喚されたわけじゃなくて、実際にゲームのために造られた世界で冒険してた……って認識でいいんだよな?」
「そうそう。言わなかったっけ?」
「最初に聞いた覚えはあるけど、あの時はまだ状況を把握してなかったからな」
「どのみち、あんたが理解しようがしまいが私にとってはどうでもよかったしね」
悪びれた風もなく、マロンは飄々と言い放った。
「今度とある異世界で、本人参加型の大規模なゲームが造られることになってるのよ。いろんな異世界を巻き込んだ、誰でも参加できるようなゲームをね。今回の『クロウディア』は、その前身。プロトタイプ? テストサーバー? ベータ版? オンラインゲームに詳しくないから呼び方は知らないけど、とにかく試験的に造られた世界だったのよ」
「じゃあ俺たちは、ゲームのデバッグをしていたようなものなのか?」
「そういうこと。知り合いを召喚できるシステムも、その一環ね。完全版はもっと多くのプレイヤーが参加するはずだから、『クロウディア』がどれだけの参加人数に耐えられるかのテストもしたがってみたいよ」
「ってことは、運営はできるだけプレイヤーに知り合いを召喚してほしかったんだな」
「えぇ。結局そのシステムを逆手にとって、開始早々裏技でズルするチームが現れちゃったんだけど」
と言って、マロンは落胆したようにため息を吐いた。
「システムの脆弱性もいくつか見つかったし、あんたや酒井君みたいなチート能力を持ったプレイヤーもいるみたいだから、けっこう改良する余地があるって話を聞いたわ。完全版が完成するのは、もっと先になるかもしれないわね。ま、どのみちあんたや酒井君は参加できないと思うけど」
「頼まれたって行かねーよ」
今回の異世界攻略で、自分の無力を改めて実感した天崎だった。
ただその説明で、天崎や太郎をチーターだと判断した運営が、彼らを強制的に退場させない理由も分かった。どんなチートを使っていたのか把握する必要もあったし、それをプレイヤーが自力で排除できるのかデータも取りたかったのだろう。要は、完全に神の視点から観察されてたというわけだ。
マロンの説明が続く。
「で、どうせなら賞金を用意して参加者同士を競わせようってなったってわけ。その方がやる気が出るし。どう? これがゲームのような世界『クロウディア』の目的。分かった?」
「分かった。んで、俺が最初から抱いてた違和感も気づいた。高槻、お前、嘘ついてただろ」
「嘘?」
まったく心当たりのない疑いを掛けられたマロンは、心外だと言わんばかりに訝しげな表情を作った。
「優勝賞金の分け前を渡すって話だよ。安藤から聞いたぞ。異世界の物質は、現実世界には持って帰れないんだってな」
賞金がどんなものかは知らないが、異世界人が用意することは間違いない。ただ異世界へ行けない天崎がそれを受け取ることはできないし、異世界の物質を現実世界に持ち込めないのなら、マロンに持ってきてもらうこともできない。もしそれができるなら、今ごろこの世界にも異世界にしかない物質が溢れ返っているだろう。
という安藤の説明に、天崎は完全同意していた。
説明を聞き終えたマロンは、未だに腑に落ちないような顔をしていた。
「その安藤って人は、異世界に行ける人?」
「いいや。むしろ異世界の存在自体否定派だったな」
「じゃあたぶん勘違いしてるわね。正確には『異世界の物質を現実世界に持ち込めない』じゃなくて、『現実世界に存在しない物質は持ち込めない』だから」
「……どういう意味だ?」
「例えば大量のダイヤモンドは持って帰れるけど、砂粒程度でもオリハルコンは持ち込めないってことよ。この世界には存在しないからね。それに能力も同じ。この世界に魔法は存在しないから、それを使うこともできないわ。そして、そのルールを覆すことは絶対にできない」
「なるほどな」
確かに。と、天崎は頷く。
たとえトラック一台分のダイヤモンドを持って帰ったとしても、決して異世界へ行ったという証明にはならない。現実世界でも存在している物質だから、異世界へ行けない人間からすれば、大富豪の妄言に聞こえるだろう。むしろ錬金術を疑われるかもしれない。
かといって、異世界にしか存在しない物質を持ち込んだり、魔法などの能力をお披露目することもできない。異世界の存在が、この世界に浸透していないのも頷けた。
と、マロンが独り言のように小さく言い放った。
「ま、そういう意味では、私も純粋な人間とは言い難いんだけどね」
「えっ、そうなんですか?」
その発言には天崎も驚いたが、それ以上にリベリアが驚愕していた。彼女は人間とそれ以外の区別がなんとなくつくため、マロンのことを人間だと信じて疑わなかったのだろう。
ただマロンはリベリアに向けて、驚かせてしまったことを詫びるように弁明した。
「いえ、身体は普通の人間よ。私の親も、種族としてもね。けど、私には普通の人間にはあるはずのものがないのよ」
「あるはずのものが……ない?」
「それに正式な呼び名がついてるわけじゃないんだけど……そうね、便宜上、細胞Xとでも呼びましょうか。普通の人間……いえ、この世界に存在するありとあらゆる生物には、その細胞Xというものが含まれているわ。私の身体には、それが……ない」
「ありとあらゆる生物って?」
「人間は当然だし、犬も猫も鳥も魚も、リベちゃんのような吸血鬼にもあるわ。植物にはたぶんないと思うけど」
「じゃあ高槻は植物と同じってことなのか?」
「その冗談、まったく面白くないわよ」
不気味な笑顔を返されたので、天崎はこれ以上失言しないように、手の平で口を押えたのだった。
「そしてほとんどの異世界では、その細胞Xが存在しない。少なくとも、私が今まで行ったことのある異世界にはなかった」
そこまで聴いていたリベリアが、閃いたように人差し指をピンと立てた。
「あ、だから私たちは異世界へ行けないのですね? 細胞Xを持っているから。異世界へ行ける権限の持ち主っていうのは、つまりその細胞Xを持たない人たちだと」
「そういうこと。逆にほとんどの異世界人は細胞Yというものを持っていて、この世界には存在しない。だからこの世界に異世界人が来たりはできないのよ」
「でも、マロンちゃんみたいに細胞Yを持たない異世界人がいたら、この世界へ入ることもできるんですよね?」
「そういうことにはなるけど、私は見たことないかな」
タイミングを見計らった天崎が、口を開いた。
「じゃあ俺たちが入れた『クロウディア』には、その細胞Xとか細胞Yとかの概念はなかったってことなんだな?」
「概念……まぁ意味は間違ってないから否定はしないけど、『クロウディア』は造られた世界だからね。ある意味なんでもあり……細胞Xや細胞Yが存在してもいいっていうルールが設定されてるのよ」
異世界へ行くためには、そんな複雑なルールがあったのかぁ。と、天崎は他人事のように興味なく納得した。どのみち天崎が異世界へ行くことはもうないだろう。
そのまま三人は、おののき荘に向かって歩を進める。三人とも同じアパートに住んでいるため、途中で別れるということもなかった。
ふとリベリアと天崎は、前方で誰かが立っていることに気づいた。
ただ、様子がおかしい。十一月半ばの深夜はぐっと気温が低くなるため、フェルトハットにトレンチコートという出で立ちは別段不審というわけではない。しかしその人物の佇まいが、この場においてはとても不自然だった。
前から歩いてきたわけではない。立ち止まっているからといって、携帯で通話しているなど何か動作をしているわけでもない。その人物は、まるで三人がここへ訪れることを待っていたように、道路の真ん中でただじっと突っ立ているだけだった。
やがて、一番目の悪いマロンがその人物の存在に気づく程度まで近づいた。
「吸血鬼。魔法使い。そして……」
しゃがれた声で何かを呟いた。しかしあまりに小さな声だったので、誰もその言葉を聞き取れなかった。分かったことは、その人物が男であり、相当年配らしいということだけだ。
なんかヤバそうな奴だな。と警戒心を高めた天崎は、その男を避けるように道路の端へと寄って行く。だが男との距離が残り数メートルほどまで接近した途端、隣を歩いていたリベリアが声を上げた。
「あっ! もしかして、貴方……」
と言って、小走りで男の方へと寄って行く。そして男の顔を真下から覗き込むと、自分の予想が的中したような喜びを表した。
「やっぱり、あの時の方だったんですね! お久しぶりです!」
「久しぶりだな。吸血鬼」
お互い面識があるのか、二人は握手を交わした。とはいっても、リベリアが男の手を無理やり持ち上げて握っているだけのように見えたが。
「リベリアの知り合いなのか?」
当然の疑問である。
するとリベリアは、命の恩人でも紹介するかのように興奮気味で説明した。
「はい! この方は、私がこの国へ来た時に、おののき荘と天崎さんのことを教えてくれた方です」
「俺のことを?」
不思議に思った天崎は、男の顔をまじまじと見つめた。
少し前の話になるが、兄から逃げるため日本へやってきたリベリアは、誰かにおののき荘のことを聞いたと言っていた。それがこの奇妙な男だったということなのか?
ただ半分は納得できても、もう半分はまったく腑に落ちなかった。
おののき荘の住人に人外が多く、吸血鬼でも住みやすい環境だから勧めた、ということについては特に不思議ではない。旧おののき荘は築五十年も経っていたのだ。どこかで知っていてもおかしくはないだろう。
ただリベリアは、天崎のことを教えてくれた。と言った。
それは天崎個人のことを? それとも『完全なる雑種』が住んでいることを?
……どちらにせよ、天崎は目の前の男を一度も見たことがなかった。
ふと気づく。帽子のせいで半分しか見えない男の瞳が、天崎を凝視していた。
「異世界はどうだった? 『完全なる雑種』」
枯れた声で、それでいて喜びという潤いを含んだ声音で男が言った。
やはりこの男は、天崎が『完全なる雑種』であることを知っている? というか、なんで自分たちが今まで異世界へ行っていたことを知っているんだ? それにどうだったって訊かれても……。
浮かんでくる様々な疑問と、なんて返事をしたらいいのかという戸惑いが、天崎の頭の中に混乱を生む。そのため天崎は、数秒ほど沈黙に専念してしまった。
ただ男は天崎の返答を待っていたわけではなかったようだ。自己完結したように頷くと、意味不明なことを言い始めた。
「吸血鬼、神、悪魔、妖怪、亡霊、天使、堕天使、鬼、魔法使い……ずいぶんと集めたものだ。だが、まだだ。まだ足りない。クククク……」
と呟き、男は唐突に踵を返した。三人に背を向け、ゆっくりと闇の中へと消えていく。
三人は呆然としたまま、その場から動けない。というか、動こうとはしなかった。男が去って行った道は三人の帰路と同じ方向だったため、あんまり追いつきたくはないな、という意見が無言で一致していたからだ。
男の姿が完全に見えなくなると、嘆息したマロンが呟いた。
「なに、あれ」
「さぁ?」
俺に訊かれても分かるわけがない。と、天崎は短く返しただけだった。
少し前に出ていたリベリアが、二人の元へ戻ってくる。
「変な人でしたけど、あの方がいなければ、私はこうしてお二人に会うこともありませんでしたからね。その点については多大な感謝をしています」
「そういう見方も、できるっちゃできるけど……」
リベリアの言葉を認めながらも、マロンの態度は否定気味だった。今のは絶対に不審者であり、今後会っても絶対に関わらないようにしようという決意が、その表情からにじみ出ているようだった。
ただ天崎としては、それとは別にどうしても気になることがあった。
「なあリベリア。一つ訊いていいか?」
「なんでしょう?」
「お前が『完全なる雑種』の血を求めたのって、最初からそのつもりだったのか? それともあの男に俺のことを聞いたから、伝説を試してみようと思ったのか?」
「後者ですね。あの時は兄と喧嘩した直後だったので、私も気が動転していたと思います。そんなことを考える余裕はありませんでした。あの方から『完全なる雑種』の話を聞いて、伝説に縋ってみようと思ったはずですよ」
「ふーん」
あの男が天崎を『完全なる雑種』と知っていたことはもう疑いようもないが、しかし聞きようによっては、リベリアに吸血鬼伝説を実行させるために教えたようにも捉えられる。
……いや、深読みしすぎか? ただただ単純な親切だったのでは?
「……分かんね」
そもそも、あの男が不審すぎるのがいけないのだ。余計な猜疑心を抱いてしまう。
天崎の思考停止を促すように、隣のマロンが一言言った。
「ま、ああいう訳の分からない人とは、関わらないのが吉よね」
「そうだな」
軽々しく同意し、今の出来事をなかったかのように記憶から消す天崎だったが……。
彼はまだ知らない。これから起きる、惨劇を。
物語が、動き始める。




