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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第4話『ロスト・ステータス』

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間 章 とある人外たちと????の会話

 十一月も半ばとなれば、陽が落ちるのも早い。まだ多くの人間たちが活動している時間帯ではあるが、住宅街の道路に並ぶ街灯は、すでに仕事を始めていた。


 暗闇に染まる寒空の下、太郎の姉……酒井花子は、『クロウディア』から連れ戻した自分の弟を引きずりながら、自宅を目指して歩いていた。


「ったく、あんたの勉強の世話を任されたあたいの身にもなってよね」

「ごめんよぉ、姉ちゃん。もう二度とサボったりはしないからさ……」

「あんたの二度としないって言葉で、耳にタコができたわ!」


 前科が何犯もあるため仕方のないことだが、自分の言葉を信用してくれないことに悲しみを覚えた太郎は、本気で落ち込んだようにしゅんと項垂れたのだった。


 特に会話もないまま、まったく人通りのない住宅街を花子は進んでいく。

 と、その時だった。


「鬼」


 前方の暗闇から、しゃがれた声が聞こえた。


 空耳かと思いながらも、花子は歩く速度を緩める。そのまま少しだけ歩いていくと、進行方向から一人の男が姿を現した。


 異様に背が高く、電柱のような佇まい。フェルトハットを深々と被り、丈の長いトレンチコートに身を包んだその男は、まるで花子の進路を妨害するかのように、堂々と正面に立ちはだかっていた。


 端から見れば不審者なのかもしれない。しかし花子は、その男と出会うのはこれで二度目だったため、警戒心を解いた。


「あぁ、あなたでしたか。先ほどは弟の居場所を教えていただき、ありがとうございました」

「礼には及ばない」


 丁寧にお辞儀をした花子に対し、男はかすれた声で返した。


 この男と花子の一度目の邂逅については、深く語る必要はない。つい先ほど、街の中で太郎を捜していた花子の前に、今と同じように現れたのだ。そして親切にも、男は太郎の居場所を教えたのである。『ここで待っていれば、黒い渦が現れて金髪の女が放り出される。その中へ入れば、自ずと弟の元へと辿り着けるだろう』と。


 花子も不審には思ったが、実際に金髪の女性が出てきたので、迷わず黒い渦へと突入したのだ。結果は見ての通り、ちゃんと太郎を連れ戻すことができた。花子がお辞儀をしたのは、それに対してのお礼だった。


「ん? 誰だ? 聞いたことのある声だぞ?」


 荷物のように引きずられているため、太郎の視界に男の姿は入っていない。


 気になったのか、無理やり首を回して前方へと視線を移す。男が誰なのかを確認したところで、太郎は嬉しそうに顔を明らめた。


「あっ、この前の変なおっさん! おっさんのおかげでオレ、天崎に会えたぞ!」

「そうか。それはよかった」


 帽子を深く被っているためか、男の表情はよく窺えない。しかし口元が吊り上がっているところを見るに、おそらく笑みを浮かべているのだろう。


 言葉を交わす二人を見て、花子は不思議そうに訊ねた。


「太郎、この人と面識があるの?」

「あるぞ! オレ、天崎と遊ぶ約束して走ってたんだけど、途中でどっちに行きゃいいかわからなくなってさ。で、おっさんと会って言う通りに走ったらちゃんと天崎に会えたんだ!」

「えっ、じゃあ天崎君もあの場所にいたの?」


 もっと周りを見とくんだったと、花子は嘆く。

 それと同時に、目の前の男を睨みつけた。


「ということは、あなたは弟が勉強をサボるのに加担したってことですか?」

「……そういうことになる」


 恩人から一転、花子の目つきは親の仇を前にしたような不機嫌なものになった。

 そして憮然とした態度で言い放つ。


「そういうの、やめてもらえませんか? うちの弟は勉強しなくちゃいけないので、遊んでいる暇なんてないんです」

「それは悪かった。以後、気をつける」


 家庭事情を知らない他人に言うにはあまりに身勝手な物言いだったが、男は素直に謝った。声からしても相当の年配。ここは謝った方が無難だと、年の功で判断したのかもしれない。


 と、男が歩き出した。特に別れの挨拶もなく、今まで本当に会話をしていたのかすら曖昧になってしまうほど、自然に姉弟の横を通り過ぎる。


 彼の一連の動きを、花子はじっと目で追っていた。

 そして男の背中が再び暗闇へと消えていくと、怪訝な面持ちで呟いたのだった。


「結局あの人、何だったのかしら?」






 時間は少し遡る。これは太郎が『クロウディア』から帰還する一日前の出来事。


 土曜日の夕刻ごろ、駅前のカフェで学園祭の会議を終えた月島は、自宅に向けて一人帰路を歩いていた。


 今日は、良い事がいくつもあった。


 まず一つ目。学園祭の出し物についてみんなで会議するから、月島さんも参加しない? と委員長が誘ってくれたこと。親の都合で転校の多い月島は親しい友達がおらず、なおかつ学校の学園祭に一から参加すること自体が初めてだった。クラスメイトと一緒にわいわい騒げることが、ただ単純に嬉しかった。


 二つ目は、天崎と以前デートしたという大学生の間に、これといった進展がないと分かったこと。カフェで偶然にも安藤とその彼女に会い、勇気を出して質問してみて本当に良かった。


 しかも相手の女子大生は、天崎にまったく興味がないとのこと。天崎本人も言っていたように、この前のデートは本当にただの付き添いだったのだろう。大きな心配事が一つ減り、月島の足取りは心なしか軽かった。


 そして三つ目は、今彼女が見ているスマホにあった。


 画面の中で天使のような微笑みを見せる円の写真を眺め、月島もまた、つられたように表情を綻ばせていた。


 可愛いなぁ、すごく可愛い。と思う反面、どうしても初対面時のことが思い出される。


 円は月島のことをよく思っていないのか、積極的に不幸を与えてきた。完全に嫌われてしまっているらしい。大まかな理由は聞いたが、しかしそれは月島本人では解決できないような内容だった。


 できれば仲良くしたいなぁ。と願いながらも、どうすればいいのか分からず、頭を悩ませる日々が続いていた。


 ふと、その時である。

 スマホに集中していたため、前方への注意が疎かになっていた。


 下を見ながら歩いていた月島が、何かに衝突する。


「キャッ!」


 幸いにも歩くスピードはそんなに速くなかったので、後ろに弾き飛ばされて転倒するということはなかった。ただ完全に無防備の状態で突っ込んでしまったためか、強打した額が少し痛かった。


 月島は恐る恐る顔を上げた。目の前にあるのが衣服であり、自分がぶつかったのが人間だと認識するやいなや、月島は相手の顔も見ずに頭を下げた。


「ごごごご、ごめんなさい! ふ、不注意でした……」


 精一杯の態度をもって謝罪する。今のはどう考えたって、歩きスマホをしていた自分の方に非がある。そうでなくとも、事あるごとに他者との衝突を避けたがる月島は、たとえ自分が悪くなくても謝ってしまう癖があった。


 頭を下げたまま、数秒が経過した。そこで月島は不思議に思う。相手からのレスポンスがまったくない。


 普通なら気をつけろと窘めるか、いいよいいよ寛容に許すか、不機嫌そうに舌打ちでもして無言で立ち去るか。月島の持っている常識では、基本的にはそのどれかに当てはまるはずだった。


 にもかかわらず、目の前の人間は言葉を返すこともなく、また立ち去ろうとする素振りも見せず、その場にずっと立ちつくすのみ。


 ゆっくりと顔を上げる。まず目に入ったのは、丈の長いトレンチコート。かなり背が高いのか、月島の視線が地面と平行になるまでコートの生地が続く。そのままさらに顎を上げると……フェルトハットの下でギラギラと輝く、妙齢の男の瞳があった。


 視線が合うと、男は無表情のまま唇を動かした。


「亡霊」

「?」


 あまりに小さな声だったので、月島は聞き取れなかった。おそらく独り言だったのだろう。

 ただ次に発した言葉は、間違いなく月島に向けられたものだった。


「久しぶりだな、月島洋子」

「えっ……?」


 不意に名前を呼ばれ、月島は硬直した。


 月島には珍しく、相手の顔を凝視する。もしかして知り合い? と疑うも、こんな背の高い男性は会ったことがない。もしくは親戚とか……いや、自分の家族は転勤で引っ越しを繰り返しているのだ。他県にいるはずの親戚と、こんな所で偶然ばったり会うわけがない。


 いや、けど、このトレンチコートとフェルトハットの身なりは、どこかで……。

 月島が混乱の渦中にいると、男はさらに言葉を落とした。


「覚えていないのも無理はない。昔の話だ」

「あの、どこかでお会いしたことが……あるんですか?」


 しかしそれ以上はだんまりだった。口を閉じたまま、無機質な瞳が月島を見下すのみ。


 ふと、月島の脳裏に『変質者』という単語が過った。間違いない。こんな怪しい格好で意味の分からない言動を吐く人は、変な人に違いない。


 途端に怖くなった。逃げなきゃと思うも、足が竦んで動けない。

 せめてもの抵抗として、月島はお互いを隔てるように両腕で壁を作った。


 その時だ。恐怖で動けなかった月島の身体が、パッと弾かれるように後方へ跳んだ。


「なんだ貴様!」


 弱々しい態度から一変、男をきつく睨みつけた月島が叫んだ。


 突然人格が変わったような態度にも驚いた様子はなく、男は口の端を釣り上げて不気味に笑うだけだった。


「なるほど、威勢がいい。お前が月島裕子だな?」

「……? 私を知っているのか?」

「知らんよ。俺と面識があるのは、妹の方だ」

「洋子と?」


 警戒心を解かないまま意識を心の中へ向けたが、今は妹と対話できないことを思い出した。


 意思の疎通をするためには、置き手紙による文通など、記録を残せる媒体が必要だ。この場で即座に洋子へ問いただすことは不可能だった。


 ただ、よくよく考えてみれば違和感がある。洋子とだけ面識があり、裕子が知らないというのはあり得ない。


 十一歳の時に事故で亡くなった裕子は、それから六年間、洋子と一緒に過ごしてきた。身体を共有し、月日を共にしてきたのである。故に、どちらか一方だけと出会うことなど決してできやしない。ということは、裕子が存命中に二人は知り合ったということなのか?


 どちらにせよ、洋子は覚えていないようだった。ならば会話をする義理はない。


 裕子がいつでも逃げられるように身を引くと、男はまるで思い出を懐古するように、しゃがれた声で呟いた。


「まさか六年前に蒔いた種が、こんな所で実を結ぶとは思わなかった」

「六年前? 何の話だ?」

「お前は不思議に思わなかったのか? 月島裕子」


 的を射ない男の返答に、裕子は訝しげな表情を作る。

 相手の真意が分からないため、裕子は無言を貫く。すると男は勝手に話し出した。


「十一歳の少女が、死した人間の魂を現世に繋ぎ留める方法など知っていたと思うか? 月島洋子にそんな能力があったと思うか?」

「…………」


 未だ男が何を言いたいのか判断できず、裕子は黙ったまま目を細める。

 だが、ここで逃げてはダメだと思った。話を聞かなければならないと直感した。


「俺が教えたんだよ。姉の魂を自分の魂へと縛り付ける方法を。お前たちが姉妹であり、なおかつ月島洋子に霊感があったからこそできた芸当だがな」

「な……に……?」


 言葉はスムーズに頭へ入っていったが、それを素直に受け止めることはできなかった。


 裕子自身に霊感はない。だから霊感を持っている洋子の感覚が分からなかったし、魂を縛り付けたことに関しては、霊感があったからこそ、そんなことができるんだと勝手に解釈していた。


 しかし……この男は今、なんと言った?

 魂の縛り付け方を教えたのは、俺だ?


「どういう……意味だ?」

「どういう意味もない。そのままの意味だ。姉と離れ離れになりたくないと泣き喚く少女を哀れに思い、俺は一緒にいられる方法を教えただけだ」

「ふざけるな!」


 裕子の咆哮が轟いた。興奮した彼女は息を荒げ、獲物を狩る獣のように目の前の男を睨みつける。


「洋子が私の魂を縛っていたせいで、危うくあの子まで死ぬところだったんだぞ! そうでなくとも、どれだけ寿命が縮んだと思ってるんだ!」

「それは月島洋子が望んだことだ」

「――――ッ!」


 もともと短気だった裕子の堪忍袋の緒が切れた。

 妹の身体だということも忘れて、男へ殴り掛かる。


 しかし拳が男の身体に触れることはなかった。


 まるでたった今お互いがすれ違ったと言わんばかりの自然な歩調で、裕子の横を通り過ぎ、前へ向かって歩き始めたからだ。そのまま男は立ち止まることもなく、また振り返ることすらもせずに、ただ進んでいく。


「お前の役目は終わった。だが、お前の存在が奴を刺激する。非常に面白い」

「?」


 男が何かを喋ったようだったが、背中を向けている裕子には聞き取れなかった。

 そして裕子は男を追いかけることもできず、ただ悔しそうに、地面の小石を蹴り上げるだけだった。






 時間はさらに遡る。


 土曜日の正午過ぎ。伝言を伝えた安藤が立ち去るのと入れ替わるようにして、一人の男がおののき荘を訪れていた。


「堕天使。神」


 フェルトハットを深く被り、トレンチコートに身を包んだ長身の男だった。


 男はおののき荘の敷地に足を踏み入れると、天使のような白い幼女と、着物を着た童女の前で立ち止まった。


「……?」

「でち?」


 誰かが来たことに気づいた二人は、遊ぶのをやめて立ち上がる。

 幼い二人にとっては、山のように大きな男だった。


「お客さんでちか?」


 いきなり現れた不審な男にもまったく物怖じせず、ミルミルが訊ねた。

 しかし男は女児二人を見下ろしたまま電柱のように突っ立っているだけだ。


 不思議そうに首を傾げるミルミルだったが、同時におののき荘のアパートへ視線を向ける。大家は安藤が立ち去った後、一旦部屋へと戻っていた。


「よんでくる」


 円は平坦な声でそう言うと、ミルミルの手を握ってアパートへ駆け出そうとする。

 その背中へ向けて、男がしゃがれた声を放った。


「なるほど。堕天使の能力と共に、記憶まで失ったか。まあいい。お前は大きな役目を果たしてくれた」

「でち?」


 堕天使という単語に反応したのか、ミルミルが足を止めた。

 そして再び男の顔を見上げると、今度は怒ったように訊ねる。


「おじさん、誰でちか?」

「堕天したお前に悪魔の生まれ変わりを教え、力を奪い取るための宝玉を渡した者だ。覚えてはいないだろう?」

「???」


 それでもなおミルミルは分からないと言いたげに、さらに首の角度を傾けた。


 事実、一度すべてを失ったミルミルに、堕天した直後の記憶などあるはずはない。残っていたのは言葉を操る程度の知識のみ。たとえ以前この男と顔見知りだったとしても、覚えているわけがなかった。


 ただ男の興味は、もうミルミルにない。

 次に視線を向けた先は、円だった。


「座敷童。名は何という?」

「……まどか」

「円、か。なるほど。閉じられている。非常に閉じられている。座敷童としては、最上級の名だ」


 何が面白かったのか、男は声を押し殺して不気味に笑い出した。


 褒められているということは感覚的に理解したものの、さすがの円も男が笑い始めた理由が分からず、訝しげに首を傾げる。


 と、男は唐突に踵を返し、おののき荘から立ち去っていく。それはまるで、会話していたこと自体が夢か幻と錯覚させてしまうほど、あまりに突然の出来事だった。


 今の人は何だったんだ? 円とミルミルはお互い顔を見合わせ、再び首を傾げた。

 するとそこで、アパートの一室から大家が出てきた。


「いやぁ、悪いね。電話が鳴っちゃって。……どうしたんだい?」


 異様な雰囲気になっている二人を見て、大家もまた不思議そうに訊ねた。

 アレをどう表現していいものか。二人は視線で相談した後、簡潔に答えた。


「なんか、変なおじさんが来たでち」

「変なおじさん?」


 警戒心を露わにした大家が、おののき荘前の道路を見渡してみる。

 しかし、それらしき人物は見つけられなかった。


「二人とも。変な人が来ても、絶対について行っちゃダメだよ」

「わかった」

「でち!」


 大家の不安とは対照的に、二人は元気に返事をするのであった。

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