第13章 最終の地へ
今まで耳に入っていた大きな音が途切れたのを境に、天崎は目を覚ました。
何の音が消えたのだろうと、寝ぼけ眼で周囲を見回してみる。隣で眠っている太郎の鼾がなくなっていることは、すぐに気づいた。
マロンに襲われ太郎と共に村から逃げ出した天崎は、一心不乱に走った。陽が落ち、辺りが暗闇に満ちても足を止めることなく、日付が変わるくらいの時間帯まで、ずっと。
そして目的地である湖の畔まで辿り着くと、急に力尽きて倒れ込んでしまったのだ。
モンスターが現れても、もう知らん! と自暴自棄になった天崎は、太郎を地面に投げ下ろした後、マロンの顔を恨めしげに思い浮かべながら、自らも深い眠りに落ちていった。
無事に目を覚ましたということは、モンスターに襲われたりはしなかったのだろう。ただ無意識に気を張っていたからか、熟睡していたという感覚があまりない。もう少しだけ寝ようかなと、剥き出しの地面に背中を預けたところで、すでに空が白ばんでいることに気がついた。もうすぐ夜明けだ。
「……ぐっ、むぅ……」
今になって、ようやく太郎が眠りの世界から帰還したようだった。
まったく、十八時間以上も熟睡しやがって……と妬ましげに歯噛みするも、むしろ今までよく起きなかったものだ。その睡眠欲には驚嘆に値する。
「おはよう、酒井」
上半身を起こした太郎に向けて、声を掛ける。
太郎の目は未だ半開きだったが、夢うつつというわけではなさそうだ。天崎の声に反応して首を回した。
「おう、天崎か。おはよう」
挨拶を返した太郎は、ゆっくりと自分の身体を見下ろす。続いて周囲を眺め、たっぷり二十秒ほど現状を確認したところで、最終的に天崎に答えを求めたのだった。
「ここ、どこだ?」
「外……は見て分かるよな。ここは『クロウディア』の中心にある湖の畔……って言えば分かるか? 俺は最終の地を目指して、ずっと走ってきたんだ」
「そうだったのか。……全然わからん」
寝起きであるためか、太郎のテンションは低めだった。
「金髪のねえちゃんと、魔女っ子のねえちゃんはどこだ?」
「別れたよ。仲間割れしちまったんだ」
「そうだったのか! なんか寂しくなるな……。でも、天崎がいるから別にいいか」
「そこはもう少し深刻になって欲しいところなんだけどな」
唯一の異世界経験者であるマロンと仲違いしたことは、相当な痛手であるはずなのだが。
しかし問題はない。今後のことについては、何も心配していなかった。
なぜなら天崎の頭の中には、すでにこのゲームのエンディングが描かれているのだから。
立ち上がって、東らしき空から昇ってくる朝日に身を晒す。
そして天崎は、未だ眠そうに欠伸をかます太郎に向けて、得意げに言い放った。
「なぁ、酒井。この世界で一番強い奴と戦いたくないか?」
「一番強い奴! 戦いてぇ! 誰なんだ!?」
「それは後で分かるよ」
まるで戦闘民族みたいにわくわくと瞳を輝かせる太郎に、天崎は優しく答えた。
しかし太郎は、すぐに元気を失い顔を伏せる。その理由は彼の腹から聞こえてきた。
「天崎。オレ、腹減ったぞ。朝メシは……ないんだよな?」
「ここにはないな。けど今から俺たちが行こうとしている場所にはあると思う。っていうか、ないはずがない」
「どこだ!?」
「あそこだよ」
と言って、天崎は湖の先を指で示した。
朝日が完全に姿を現したため、世界に光が満ちる。日光を反射して輝く湖の向こうに、うっすらと島のような影が見えた。
天崎たちが立っている湖畔から島までは、おそらく二キロ程度だろう。広大な湖に対して見ると小さな島だが、そこにある建造物はかなり大きいらしい。湖畔からでもはっきりとその姿を捉えることができる。
あれが最終の地である、もともとラスボスがいた城……なのだろうが、どちらかといえば巨大な教会堂と表現した方がしっくりきた。
「じゃあ軽く体操したら、あの島へ行く手段を探そう」
天崎が提案するまでもなく、太郎は独自のストレッチで身体をほぐしていた。
「どうやって行くんだ?」
「どこかに船でもあるんじゃないか? ここら辺には見当たらないから、最悪湖をぐるっと一周することになると思うけど」
「走って行けばいいだろ!」
「……その発想はなかったな」
いや、その発想が出た時点で普通の人間ではないのだが。
ただ不安はあった。太郎が水の上を走っている姿は何度も見たことあるが、それはあくまでも二十五メートルプールでのみの話。果たして二キロ先まで湖上を駆け抜けることはできるのだろうか?
「やってみればわかるぞ!」
「確かに」
計画性は皆無だけれども。
例えばこれが安藤あたりに提案していたら殴られたかもしれないが、無謀なチャレンジに関しては、天崎は太郎に対して絶大な信頼を寄せていた。不可能を可能にする男。それが酒井太郎である。
身を整えた天崎は、太郎の肩に跨った。
「天崎、落ちるなよ!」
珍しく凛々しい感じで忠告してきた太郎が、湖畔で片膝をついた。
クラウチングスタートである。空砲の幻聴が聞こえてくるほどの、見事なスタートダッシュだった。
「す、すげぇ……」
太郎に肩車をされている天崎は、まるでクルーザーの先頭に立っているような感覚になっていた。足を踏み出すごとに、白い水しぶきが舞う。進行方向の水面が、自分たちを避けて後方へ流れていくようにも錯覚した。
どうやっているかは、問うまでもない。右足が沈む前に左足で水面を蹴り、左足が沈む前に右足を踏み込む。その繰り返しだ。そう、意味が分からない。意味が分からないのだが、できているのだから仕方がない。だって酒井太郎なのだから。
これなら行けるんじゃないか? と思ったのも束の間、半分を超えた辺りで太郎の身体が徐々に沈み始めた。それがふくらはぎくらいになると、腰まで落ちていくのは一瞬だった。
「がんばれ、酒井! もうちょっとだ!」
「ダ、ダメだぞ天崎。オレ、腹が減りすぎて、これ以上ゴボボボボボ……」
ついに頭まで浸かってしまい、天崎は仕方なく太郎の肩から降りた。
しかし人一人分軽くなったはずなのに、水中に沈んだ太郎が浮かんでこない。
様子が変だと思いつつも、天崎がその場で立ち泳ぎしながら待っていると……両手両足をめちゃくちゃに暴れさせた太郎が、水面から顔を出した。
「ぶはぁ! あ、天崎、助けてくれ! オレ、泳げないんだ!」
「嘘つけ。お前、泳ぎ方を知らないだけでカナヅチじゃないだろ?」
友人の必死の救難信号にも、天崎は白い目つきで冷静な言葉を返すだけだった。
無尽蔵の体力に加えて、脚が攣ることのない身体の耐久度。つまり今みたいに手足をバタバタさせていれば、決して溺れはしないのである。
とはいえ、このままでは前に進めないのも事実。
天崎は仕方なく助言を出した。
「水面で仰向けになって、力を抜いてみろよ。浮くから」
「おっ、ホントだ!」
呑み込みが早いのは、さすがというべきか。一言言っただけで、太郎は自分の身体が水に浮くことを知ったようだ。
「さて、ここからどうするかな。海水じゃないから人魚にはなれそうにないし……しゃーない泳いでいくか」
結局こうなるのかよと深いため息を吐いた天崎は、水に浮く太郎をビート板のように押しながら、残りの一キロを泳ぐハメになったのだった。
島まで泳ぎきった天崎と太郎は、岸に上がってからひとまず衣服の水分を絞った。
こんな場所に乾燥機なんてねえよなぁと思いつつ、天崎は周囲を見回してみる。目の前には身長の倍以上はある崖が立ち塞がっているため、ここから島内を見渡すことはできない。ただ島の内部へ続くスロープが近くにあったので、無理して登らずに済みそうだ。
準備を終えた二人は、島内の探索に向かうべくスロープを登り始める。しかしその道は、島内唯一の建造物へと一直線に繋がっているようだった。
ラスボスの城の前に到着した二人は、同時に空を仰いだ。
「でっけぇな!」
太陽の塔ほどではないにしろ、真下から見上げれば、その頂上を確認することはできない。さらに横幅も端まで見通せないところから判断するに、おそらく島の面積の大半はこの建造物が占めているのだろうと、天崎は当たりをつけた。
「ここ以外に入り口はなさそうだな。とりあえず入ってみるか」
トラック二台が余裕で通り抜けられそうな、両開きの扉。太郎の力を借りるまでもなく、軽く押しただけで簡単に開いた。
照明や蠟燭などの光源はなく、中は非常に薄暗い。とはいえ嵌め殺しの窓が多数あり、天井付近にはステンドグラスもあるため、視界の確保に困るほどではなかった。
内部は高校の体育館が三つくらい収まってしまいそうな巨大な空間だ。入り口から最奥までレッドカーペットが一直線に敷かれており、突き当りには玉座が見える。そのカーペットの両サイドには、まるで魔王様のありがたいお言葉を拝聴するためのような、木製の長椅子がいくつも並べられていた。
屋内の様子を見て、やはり城というよりは教会に近いかなと天崎は思った。
ただ異様なのは、それだけだだっ広い空間なのに人っ子一人いないこと。魔王はすでに討伐されていると聞いていたが、その他のモンスターやNPC、そして最終の地で待つチームもいないのは何故だろう。
という疑問を持つも、天崎はすぐその理由に思い当たった。
「そういえば、今は早朝だったな」
自己解決し、天崎はレッドカーペットの上を歩き始める。
「行くぞ、酒井。気を引き締めろよ」
「おう!」
言葉ではそう言うものの、二人は遠足にでも行くような軽い足取りで城の奥へと歩を進めるのであった。
最初にゲームをクリアしたチームにとって、もはや士気などあるはずもなかった。
無限にレベルを上げられる裏技を発見したまではいい。しかし事を少し急ぎすぎたのだ。自分たちの成長限界まで一気にレベルを上げ、さっさとラスボスを倒してしまったのがいけなかった。
他のチームやその雇い主たちが猛反発した。そして運営内での協議の結果、最初にクリアしたチームは最終の地で他のプレイヤーを待ち、それらを全滅させれば優勝というルールに変更されてしまったのだ。
そのルール変更はあまりにも無慈悲だと、当初は嘆いたものだ。
最終の地で他のプレイヤーを待つということは、この島から出てはいけないということ。ラスボスを倒してしまったため、この城を守っていたモンスターも消えてしまった。つまり敵がいないこの島では、これ以上強くなることができないのだ。
しかも他のチームは、着実にレベルを上げスキルを身に着けながら、この最終の地を目指していることだろう。各地に散らばっている伝説の武具を集める時間だってあるはずだ。もしそれらを二つか三つでも持って来られたら、確実に負けてしまう。
つまり不本意にも新たな魔王の座についてしまったチームには、ほとんど優勝する可能性がないのだ。各地で争っているチームが共倒れになり、全滅してくれるのを願う日々が続いているのである。
決してルール違反をしたわけじゃないのに、なんで自分たちがこんな目に遭うんだ……。
と、最初にクリアしたチームのリーダーは、顔を洗いながら愚痴ったのだった。
他のチームを待つ間の待遇は、はっきり言ってかなり良い。六人いるチームメイト全員に最高クラスの個室が与えられ、出てくる料理はどれも一級品だ。運営もこのチームが優勝する可能性は薄いと判断したのか、せめてもの埋め合わせで用意したような待遇だった。
だが、こんな王様みたいな生活ももうすぐ終わり。
活動可能エリアは、どんどん収縮していっている。そろそろ他のチームが最終の地に辿り着く頃だろう。ま、来たら来たで相手をするだけだ。
いつも通り顔を洗って服を着替えたリーダーは、部屋を出て朝食へと向かった。
食堂では、五人のチームメイトがすでに着席していた。皆一様に表情が暗いのは、寝起きだからだろう。自分たちが死を待つばかりの境遇に陥って嘆いたのは、ずいぶんと昔の話だ。
「それじゃ、いただきます」
リーダーが席に着くのと同時に、お通夜のような朝食会が始まったのだった。
だがしかし、今日ばかりはいつもと違っていた。
チームメイト六人全員が席に着いているというのに、食堂の扉がゆっくりと開いたのだ。
隙間から顔を覗かせたのは、少年だった。
「おはよーございまーす……」
遠慮がちに挨拶をしながら室内を見回した少年……天崎が、食堂内へと足を踏み入れた。
朝食を摂っていたチームの間に、緊張が奔る。
ただ彼らにとって、天崎の顔は初めて見る人物のものではなかった。
「お、お前はまさか、賞金首の……」
そう。昨日の夕方ごろ、自分たちの雇い主から報告があったのだ。この二人の少年が訪れることがあったら、優先的に抹殺せよ。事情は説明できないが、もし討ち取ることができれば、ゲームの賞金とは別に報奨金が出る。と、顔写真を添えて。
チーム六人全員が一斉に立ち上がった。
すでに優勝が薄い自分たちにとっては、報奨金が出る賞金首は格好の獲物だ。
つい先ほどまで死人のようだった六人の瞳に、力強い光が宿った。
それに対して天崎は、臨戦態勢に入った六人を目の当たりにして、彼らが最終の地で待つチームであることを確信する。ようやく見つけた、と言わんばかりに不敵な笑みを見せた後、自分の後ろにいた背の低い少年……酒井太郎を招き入れた。
「というわけだ、酒井。遠慮なくやっちゃってくれ」
「おう!」
そうして一方的な虐殺が始まったのだった。




