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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第4話『ロスト・ステータス』

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間 章 とある住人たちと大悪魔の会話

 これは天崎が『クロウディア』に召喚される数分前の出来事である。


 時刻は午前五時過ぎ。夏場なら東の空が白ばんでくる時間帯だが、今は十一月も半ば。日の出までには、まだ遠い。


 世間が未だ暗闇に包まれる中、おののき荘の一室にある押し入れが唐突に開いた。

 中から出てきたのは、着物を着付けたおかっぱ頭の童女だった。


 彼女の眼は眠たそうに半開きになっているものの、足取りはしっかりしている。寝ぼけているわけではないようだ。


 座敷童の童女――円は、トイレに行こうとするわけでもなく、かといって特に何かをしようとするわけでもなく、部屋の真ん中で熟睡している家主の顔を、じっと覗き込んでいた。


 円が目を覚ました理由。それは得体の知れない気配を感じたからだ。


 家主である天崎の身体が、どこかへ引っ張られようとしている。まるで誰かに呼ばれているように、見えない何かに肩を掴まれている。


 現在、天崎の部屋をテリトリーとする円には、その呼び寄せを拒否することも可能だった。固定された空間内、かつ自分が縄張りと決めた室内において、座敷童の円にできないことはない。天崎を連れて行こうとする何かを断ち切るのは、円にとってはチリ紙を破るくらい簡単なことだ。


 しかし円は何もしなかった。なぜなら、天崎を呼び寄せようとしている気配が、自分の知っている人物のものだったからだ。円には一切の事情も分からなかったが、もしかしたら彼女は天崎に助けを求めているのかもしれない。と、円は考えた。


 だから円は、とりあえず枕元に置いてあるスマホを天崎のポケットに滑り込ませ……自分は寝床である押し入れの中へと、再び引っ込んでいったのだった。






 土曜日の昼前、自宅で外出の準備をしていた安藤は、友人の天崎から奇妙なメッセージを受け取った。彼曰く、今現在自分は異世界にいるのだと。


 最初は「なに馬鹿なこと言ってるんだ」と鼻で笑ってしまったが、『完全なる雑種』である天崎が巻き込まれたということは、もしかしたら異世界は本当に存在するのかもしれない。と少しだけ思ってしまった。


 ただ天崎が異世界へ召喚されるというのは、どう考えても理屈が合わない。


 異世界を旅できる人間が存在するという事実は、少なからず安藤も耳にしていた。異世界の存在を信じていない安藤にとっては妄言に過ぎないのだが、彼らは異世界に行ける権限を持つ者だけが、召喚されたり他の世界を渡り歩けたりできるのだと言う。


 しかもその権限というのは、生きていく途中で取得できるようなものではない。そういう星の元に生まれたものだけが持っているという、個性もしくは特殊能力のようなものらしい。


 権限云々の話については、安藤も理論的には間違っていないなとは思っていた。簡単に異世界へ行けるようならば、この世界にも異世界旅行者が溢れ返っているだろうし、それが常識になっているはず。ただ権限の存在が、異世界へ行ける者の言葉の信憑性をさらに弱めているのも事実だが。


 では天崎やリベリアは、その異世界に行ける権限を持っていたのか?


 持っていないのであれば、完全に矛盾している。天崎のいる場所が異世界ではないのか、もしくは前提条件が完全に間違っているのか。どちらにせよ、どこかを修正しなければ辻褄が合わない。


 仮に権限を持っていたとしても、それはそれで不可解だ。


 生きていく途中で身に着けるようなものではない。という言葉を信用するのならば、天崎は生れた時から権限を持っていたはずだ。天崎は今年で十七歳。今までまったく異世界へ行ったことがないのは、果たして偶然なのか。もしも権限とやらが『完全なる雑種』の特性であるならば、親以上の世代から話を聞いていてもおかしくはないし……。


 深く考え始めたところで、天崎から衝撃的な返信が返ってきた。


『今いる世界って、人工的に造られた世界らしい』

「なんだよそれ」


 文字に対して、思わず言葉でツッコミを入れてしまった。


 もう意味が分からなかった。造られた空間? 異世界であって異世界ではない? そもそも自分は異世界否定派なのだから、助言を求められるのはお門違いだ。


 急にどうでもよくなった安藤は、そういう旨の内容を投げやりに送信した。


 すると天崎は助言を求めているのではなく、円に伝言を伝えてほしいのだと言う。まあ先日の借りもあるし、ちょうど今から外出するところだったし、少し早めに出ておののき荘へ寄っていこう。


 天崎のお願いを承諾した安藤は、早々に自宅を出ようとした。


 と、再びスマホがメッセージを受信する。天崎からのお礼の返信だったのだが……何故か円の写真が一緒に添付されていた。


『なんだこれ?』


 説明を求めても、既読すらつかない。お礼と言われても、今から実物に会いに行けと言っているのに、写真なんか送ってくる意味が分からない。円の写真が欲しければ、自分で撮ればいいだけの話である。


「まぁいいか」


 特に気にもしなかった安藤は、おののき荘へと向けて出発した。






 おののき荘に到着すると、ちょうど円が敷地内で遊んでいるようだった。


「やぁ、円ちゃん。こんにち……は?」

「こん」


 来訪者に対し、円は無表情で短く挨拶を返した。

 しかし安藤の目は円を見てはいない。彼女と一緒にお手玉で遊んでいる幼女に、視線は釘付けだった。


「おや、安藤君かい。こんにちは」

「あぁ、大家さんもいらしてたんですか。こんにちは。……えーっと、これは?」


 表情を引き攣らせた安藤が、白い幼女を指で差す。幼女本人は、このお兄さん誰だと言わんばかりに「でち?」と首を傾げた。


「かははは。安藤君も東ちゃんと同じ反応するねぇ」


 豪快な笑い声を上げる大家に対し、安藤は恥ずかしそうに頭を掻いた。天崎と同じ反応をしてしまったことは不本意だが、しかし絶句してしまうのも無理はないだろう。ほんの一週間前まで、ミルミルは首も座らない赤ん坊だったのだから。


「成長したんさ。元々生まれてから五年くらいだったから、五歳児程度まで一気にね。そこからは普通の人間みたいに成長していくらしいよ。クルクルの情報だから……たぶん間違いはないだろうね」

「そう……ですか」


 大家から視線を離した安藤は、再び白い堕天使を凝視した。


 約二週間前、ミルミルに軟禁された安藤にとってはあまり心穏やかな話ではない。天使としても悪魔としても力を失ったとはいえ、もしかしたらまた何かよからぬことを企んでいるんじゃないかと思ったからだ。


 しかし大家が安藤の心中を読み取ったかのように、説明を付け加えた。


「心配せんでも大丈夫だよ。ミルミルは記憶を失ってるみたいだからね」

「記憶を?」

「天界のことも、自分が堕天使だってことも、安藤君のこともなーんにも覚えとりゃせん。本当にただの子供だと思ってくれても構わないよ」

「なるほど」


 まあ納得できる話だ。一度完全に搾りカスになったわけだから、記憶が残っている方が不自然だ。ある意味生まれ変わりと表現してもいいだろう。たまにミルミル自身が既視感を覚えることもあるだろうが、完璧に記憶を取り戻すことはたぶんない。


 長時間見つめ続ける安藤に向けて、ミルミルは再び不思議そうに首を傾げて「でち?」と呟いたのだった。


「それで安藤君や。せっかく来てもらったところ悪いけど、今日東ちゃんはおらんのさ。出掛けてるみたいでね」

「えぇ、それは知っています。今日は天崎に会いに来たわけじゃないんですよ」


 たとえ事前情報がなくとも、円が外にいる時点で、天崎がアパート内に居ないことは十分予想ができた。


「なんでも天崎は異世界へ行ってるみたいで、数日ほど帰れないという連絡があったんです。円ちゃんのご飯は大家さんを頼ってくれって」

「ほぉ? 異世界かや。まるで高槻ちゃんみたいなこと言うねぇ」

「高槻ちゃん?」

「おののき荘の住人に、高校生の魔女っ子がいるんさね。彼女もよく異世界へ行って冒険しとるらしいよ」

「あぁ、その魔女に呼ばれて行ったみたいですよ」

「なるほどねぇ。ま、面倒事に巻き込まれるのはいつものことやね。東ちゃんはそういう星の元に生まれてきたんだから、諦めるしかないよ」

「そうですね」


 友人とアパートの住人が異世界という辺境へ飛ばされたにもかかわらず、二人の会話はとてものほほんとしていた。


「じゃあ僕は今から用事があるので、これで。また天崎から連絡があったら伝えに来ます」

「悪いね。……あぁ、それと」


 安藤が踵を返したその背中を、大家が呼び止めた。


 振り返った安藤は、少し訝しげに眉を顰める。心なしか、大家の声が先ほどよりも低く聞こえたからだ。


「どうかしましたか?」

「いやね、なんとなくだけど……嫌な予感がするんだよ」

「嫌な予感?」


 一般人の言葉なら「気のせいですよ」と返せないこともない発言だが、相手はおののき荘の大家だ。かなりの的中率を誇る、占い師である。安藤自身、未来予知というのはあまり信じてはいないのだが、大家の抽象的な占いに関して言えば、手放しに信じるに値すると評価していた。おそらくは人生経験から得た、第六感的なものなのだろう。


「それは天崎のいる異世界で、何か悪い事が起こるってことですか?」

「いんや、それは分からんのさ。けどたぶん、もう少し先のことになると思うけど……未来がね、視えんのよ」

「未来が……視えない?」


 それはまるで、普段は未来が視えているような言い草だった。


 いつも視えているものが、急に視えなくなる。という意味で不安を抱えているのなら理解できるが、未来なんて視えないのが当たり前なのだ。そう心配するようなことでもないんじゃなかろうか?


「なんて言うかねぇ……道の先に一部分だけ黒い靄みたいなものが邪魔してて、その先を見通せないような感覚さね。あたしゃの経験から言うと、何か大きな出来事が起こる前兆にこういうものが見えるのさ」

「…………」


 大きな出来事。常日頃からこの街を観察している安藤だったが、まったく心当たりがなかった。天崎の周辺を除けば、特におかしな変化は起きていないはずだ。


 もしかしたら安藤が知らないだけで、水面下では何かが動き始めているのか。それとも近いうちにいきなり事件が起こるのか……。


 真剣に考え始める安藤だったが、何か起きると言った本人が笑いながら一蹴した。


「はっはっは。ま、あたしゃの占いなんて当てにならんことも多いから、そんな気にせんでええよ。でもま、東ちゃんの身近で何かあったら、安藤君も協力してやってくれな」

「……任せてください」


 借りもありますし。とは言わず、安藤は大家の申し出を承諾した。


 とはいえ、この大家が言うのだから、事が大きかれ小さかれ何かは起こるのだろう。少しくらいは警戒した方がいいのかもしれない。


 今後のことを考えながら、安藤はおののき荘を後にした。

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