第4章 天崎東四郎、ハニートラップを知る
昼夜問わず、街の中にモンスターは出ない。というマロンの説明を受け、天崎は誰もいない広場へとやってきた。ガスなのか電気なのかも分からない街灯に加え、宝石のように輝く星々が常に瞬いているため、視界の確保に困ることはなかった。
なんか珍しいものでもないかなーと思いながら、近場を散策する。
その途中、大切なことを思い出し、噴水の端に腰を下ろした。
そういえば、安藤に連絡するのを忘れていた。円の写真を見たいとスマホを取り上げられた後は結局、なんやかんやあって連絡する機会がなかったのだ。
あれからけっこう時間が経っちゃったなと思いつつ、天崎はスマホを取り出した。
『おっす、安藤。ちょっと事情があって、数日くらい学校を休むかもしれん』
メッセージを送ると、返事はすぐに返ってきた。
『なんだい? また厄介な面倒事に巻き込まれたのかい?』
『そうなんだよ。実は今、異世界にいる。おののき荘の住人に魔女がいるんだけど、そいつが異世界攻略の助っ人として俺とリベリアを召喚しやがったんだ』
正しくはリベリアだけなのだが、そこは省いておいた。
最初の返信よりかは、少し時間が空く。まぁいきなり異世界と言われても、理解するまでに時間が必要だろう。相手が安藤じゃなければ、このまま即やり取りを断たれてしまってもおかしくはない。
しかし安藤から返ってきたメッセージは、予想から外れたものだった。
『馬鹿なことを言うな。異世界なんて存在するわけないだろ』
その返答を目の当たりにして、天崎は訝しそうに首を傾げた。
実際に今、異世界に居るのだが? と思うも、現実世界にいる安藤にそれを伝えるのは難しい。写真でも撮って送れば信憑性が増すかもしれないが、それでも撮影用のセットだの、どこぞのテーマパークだのと言われてしまえばおしまいだ。
いや、そうではない。天崎が訝しんだのは、そんな些細なことではない。安藤が信じるかどうかは別問題だ。
『お前だって魔界っていう異世界の住人なんだろ? それにこの前だって、天界から堕ちてきた天使に会ったじゃないか。異世界が存在しないなんて、今さらだろ』
『そういう意味での異世界なのかい? 僕はてっきりアニメや漫画のような、完全な別世界……というかファンタジックな世界を想像したんだけど』
天崎は一度スマホから目を離して、周囲を見回してみた。
実際に魔界や天界を見たことはないが、天崎の持つイメージからは大きくかけ離れているような気がする。どちらかと言えば、ファンタジーな街並みに近かった。
『ニュアンスとしてはそっちだな。アニメや漫画、ゲームにあるような世界だ』
『じゃあおかしい。そんなものは存在しないよ』
『やけにはっきり言うんだな』
魔界や天界とゲームの世界で何が違うのか。文字でのやり取りだと相手の真意が読み取れないため、非常にもどかしかった。
『で? いつもみたいに訊くけど、根拠はあるのか?』
『根拠というよりも大前提だな。異世界なんて、魔界が誕生してから誰一人として、その存在を証明した悪魔はいない。だから、それ前提でルールを作ってきたんだよ。ほら、人間で言ったら光より速い物質が発見されていないのと同じ。それを肯定してしまうと、すべての法則が覆ってしまうんでね』
『ははん、なるほどな。つまりお前が意固地になってるのは悪魔の証明を足蹴にしてるんじゃなくて、ただ単に存在しないと仮定してるだけってわけか』
『そう捉えてもらって構わないよ』
そのやり取りに、天崎は納得がいった。
なんとなく理科の実験を思い出す。すべての計測を終えた後に、前提条件となる値が間違っていることに気づいたら、最初からやり直しだ。それでは困るし、非常に面倒くさい。安藤が異世界を否定したくなる気持ちも、よく分かる。
『でも俺、実際に異世界にいるわけなんだけど?』
『知らないよ、そんなこと』
ひどく投げやりな回答。煩わしそうな安藤の顔が、ありありと浮かんだ。
とりあえず安藤は異世界否定派だということは分かった。こりゃ助言は期待できないなと思いつつ本題を打ち込もうとすると、先に相手側から『ただ……』とメッセージが届いた。
『たまにそういう人間がいるってことは噂に聞いてる』
『そういう人間って?』
『異世界を旅できる人間ってことさ。体質なのか能力なのかは知らないけど、複数の世界を渡り歩ける権限の持ち主だ。ほんの数人だけど、確認されているらしい』
『いるんじゃねえか』
『でも、証明ができないんだよ。その人間が異世界に行ってきたという証明がね。なんでも、異世界で手に入れた能力や物質は現実世界には持って帰れないようで、証拠らしい証拠が一切ないんだ。異世界を旅したことのある人の証言くらいしかね。だから今は、証言というよりも妄言と捉えられているらしい』
『はー、なるほどね』
納得しかけたが、何故か違和感を覚えた。
昼間、マロンがした説明と矛盾している? その矛盾点が何なのか思い出せず、頭の中がムズムズする。がんばって記憶を掘り起こそうとするも……送られてきた安藤のメッセージを見て、浮かんだ違和感はすぐに霧散してしまった。
『だから、おののき荘に住むその魔女って人が異世界を行き来できるのか、僕は否定も肯定もできない。けど、君とリベリアさんが異世界にいることは断じて容認できない。そういう体質でもないし、異世界人の血が混じってるというわけでもないだろ?』
血統に関しては、天崎には何も言えなかった。まさか家系図に、『異世界人』と書いているわけもなかろう。
『いや、でも、俺もリベリアも、その魔女に召喚されて来たんだけど』
『同じだよ。召喚だろうが何だろうが、異世界に行ける権限のない人間が召喚されるわけがない。そんな簡単に行き来できるなら君は引っ張りだこだろうし、異世界に行ったことがあるって声ももっと多くていいはずだろ?』
『た、確かに……』
無論、天崎にとって異世界転移は初めての経験だ。それに実際に行ってきたという人間にも会ったことはない。
じゃあ、この世界はいったい何なんだ? 自分はどこに立っているんだ?
疑問と同時に不安と恐怖が沸き上がってきたものの、唐突に思い出した。
『言い忘れてたけど、俺が今いる世界って人工的に造られた世界らしいんだ。なんでも異世界の技術者が空間を作って、いろんな世界から参加者を集めてサバイバルをしてるんだよ。魔女曰く、異世界であって異世界ではないらしい』
『それを先に言え! 無駄に考察してしまったじゃないか!』
なんだか知らないが、どうやら怒っているようだ。
苛立たしげに奥歯を噛みしめている顔が目に浮かぶ。分かりやすい奴だ。
『自然に存在する異世界じゃなくて、誰かが造った空間なんだろ? だったら君がその中に呼び込まれても不思議じゃない』
『不思議じゃないのか……』
『要は天使の亜空間みたいなものなんじゃないか? そこに君みたいな権限のない人間も出入りできるという設定を加えればいい。さすがに亜空間とは別次元だと思うけど……僕は異世界の知識はまったくないから、どんな技術で造られているのかは想像もできないな』
『設定を加える、か……』
なんとなく心当たりはある。それはこの世界のルールそのものだ。
レベルやステータスが存在し、またフィールドによってモンスターの強さが違う。ならば異世界へ行く権限のない人間も呼び込める、という設定を空間に付加することも可能なのかもしれない。
『で、用件は何だい? 言ったように、僕は異世界の存在自体否定派なんだ。助言は当てにするなよ』
『あぁ、いや。助言が欲しいとかじゃなくて、円に伝えてほしかったんだよ。数日くらい帰れないかもしれないから、飯は大家のばっちゃんを頼ってくれって。電話はできないみたいだからさ。いつでもいいから、言っといてくれないか?』
『いつ帰ってくるつもりなんだい?』
『予想もできないな。帰る方法は、死ぬか最後まで生き残るしかないらしい』
『じゃあ死ねばいいだろ。今すぐにでも』
簡単に言ってくれる。と、天崎は大きく肩を竦めた。
『事情はなんとなく分かったよ。了解した。実は今から外出するつもりだったから、ついでにおののき荘にも寄っていくことにする』
ん? 今から外出?
天崎は空を見上げた。当たり前だが、星が臨めるほどには夜が深まっている。
『ちなみに現実世界って今、何曜日の何時くらいなんだ?』
『土曜日の正午前だけど?』
これは朗報だった。どうやらこっちの世界に比べて、向こうは時間の流れが遅いみたいだ。もしかしたら一週間くらいこちらで過ごしても、月曜日の朝までには戻れるかもしれない。
『悪いな。ありがとう。お礼と言っちゃなんだが、コレやるよ』
メッセージを送り、天崎は昨日撮った円の画像を送信した。
安藤がどう受け取るかは分からないが、女子二人がカワイイと連呼するほどのお墨付き。しかも笑顔の円というレア度の高い写真だ。あって困るものでもないだろう。邪魔なら消せばいいだけだし。
それ以上返信を待つこともなく、天崎はスマホをポケットの中にしまった。
「さって……」
宿屋の二人は、そろそろ風呂から上がっただろうか? 女の風呂は長いと聞くし、しかも一緒に入っているとはいえ二人分だ。天崎には見当もつかない。万が一にも鉢合わせするわけにはいかないので、もう少しだけそこら辺をぶらついてみるか。
そう決め、立ち上がったところで、
「あ、あの……」
と、声を掛けられた。
周囲が薄暗いことに加え、安藤とのやり取りに集中していたため、人の接近にまったく気づかなかった。
一度だけビクッと肩を揺らした天崎は、声の主を確認してすぐに安堵する。モンスターではない。ちゃんとした人間のようだ。
「はぁ……」
驚きと警戒心が邪魔したためか、ため息のような返事しか出てこなかった。
声を掛けてきた方も何故かおどおどとした感じなので、若干の間が生まれる。
相手は女性だった。天崎よりも頭一個分ほど背が低く、踊り子のような民族衣装に身を包んでいる。強調された胸元に視線が吸い寄せられてしまうのは、天崎も健全な男子だという証拠だろう。
特に言葉を交わすわけでもないまま数秒ほど見つめ合ったところで、天崎はふと気づいた。
自発的に話しかけてきたということは、この人はNPCではない。他の参加者だ。そして今はボスを倒すことが目的のRPGではなく、冒険者同士で殺し合うサバイバルの真っ最中。つまり自分たちのチーム以外は、全員……敵!
瞬時に警戒心を高めた天崎は、自分の迂闊さに後悔した。
確かに街の中にモンスターは出ないのかもしれないが、他の冒険者が同じ街で宿を取っているという可能性に考え至らなかった。そのため、先ほど購入した鋼の剣は部屋に置いてきてしまったのだ。安全と決めつけた数分前の自分を、罵ってやりたい衝動に駆られた。
もし戦闘になったら、素手で対応するしかない。
両手に拳を握り、即座に動けるよう身構えた天崎だったが……踊り子衣装の女性は、慌てて一歩身を引くだけだった。
「あっ、いえ、争うつもりはありません。信じてください」
「でも、敵なんだろ?」
「……はい」
「…………」
少しくらいは信じるとしても、警戒心を解くまではできない。物理攻撃ならばある程度は対応できる自信はあるが、魔法に関しての知識はさっぱりだ。どこからどんな攻撃が来るか想像もできない。
それに……相手がこの女性一人だけとは限らなかった。
「争うつもりがないって言うんなら、何が目的なんだ?」
「少し、貴方とお話がしたくて……」
「お話?」
申し訳なさそうに目を逸らす女性の顔を、天崎はじっと見つめる。
レベルは61。そこそこの数値だ。ステータスまでは分からないが、レベル分のブーストで天崎より数段強くても不思議ではない。
しかも相手方にも自分のレベルは視えているはず。圧倒的格下相手に油断を誘うなど、戦略としても無意味に等しいだろう。
戦ったら負けるかもしれない。
そう直感した天崎は、距離を空けたままひとまず話を聞くことにした。
「私は『ステイシア』という世界から助っ人として呼ばれて来ました。『ステイシア』は異世界へ傭兵を派遣する仕事が主流の世界なのですが……残念ながら、私には生まれつき異世界へ旅立つ権限を持っていませんでした。親兄弟がいろんな世界へ旅立つ中、私だけ一つの世界に閉じ込められていたのです。そして今回、権限のない私でも参加できる世界があると聞き、冒険者として志願しました。他の異世界の方々とお会いできるせっかくの機会ですから、いろいろお話を聞きたくて……」
要は異世界交流といったところか。
理由はどうあれ、今は殺し合いの最中なのだ。手放しには信用できない。しかし相手の機嫌を損ね、返り討ちに遭う可能性があるのもまた事実。リベリアやマロンに助けを呼ぶよりも、そちらの方が断然早いだろう。
「まぁ、話をするくらいなら……」
選べる選択肢はあまりない。今は抵抗しないことが最善か。
ただ天崎が渋々といった感じで了承したにも関わらず、女性は全身で喜びを表すようにパッと顔を上げた。
「ほ、本当ですか!?」
うっとりと笑顔を見せた女性が、小走りで天崎の方へと近寄ってくる。
避けることも逃げることも容易だったが、あまりの無防備な足取りに、天崎は身体を仰け反らせるくらいしかできなかった。
そして女性は、天崎の拳を両手で包み込むように握りしめた。
「ありがとうございます!」
「お、おい……」
危機感から手を振り払って一旦距離を置きたかったのだが、天崎にはそれができなかった。
なぜなら女性の手は思ったよりも温かく、そして……かなりの美人だったからだ!
両手を優しく拘束された天崎は、星明りに照らされる女性の顔から視線を外す。頬に熱が溜まっていくのが、自分でも分かった。
「それで、あの、もしよければ酒場でお話しませんか?」
「酒場?」
「近くに腰を落ち着けてゆっくり話せる場所があるんです。もしお酒がダメでも、他の飲み物もありますので」
話している間にも女性は天崎の両手を解放し、側面へと回り込んだ。そして片腕を、まるで長年大切にしている宝物のように抱きしめる。天崎の肘の辺りが、柔らかい感触に包まれた。
「~~~~ッ!!?」
反射的に腕を引こうとするも、女性の抱きしめる力が意外と強く、抜くことができない。というか、天崎自身が無意識のうちに抵抗を弱めているのかもしれなかった。
胸を押し付けられただけでこんなにもドキドキするということは、この女性は純粋な人間なのか、それとも『完全なる雑種』の血統の中に異世界人の遺伝子は入っていないのか。どちらにせよ美人なお姉さんによる色仕掛けに、天崎は完全に囚われていた。
「こっちです」
「あ、あぁ……」
強引に引っ張られる感じで、天崎は脚を動かす。
できるだけ肘に伝わる感触を意識しないように、天崎は女性に問いかけた。
「なぁ、あんたの名前は?」
「私は……いえ、ごめんなさい。私たちは明日になったら殺し合う仲。お互いの名前を知ってしまうと情が移ってしまうので、できれば名乗りたくはないです」
確かにな。と、天崎も納得した。
処刑人が罪人と会話をしてはいけない。よくある話だ。
「代わりと言ってはなんですが、貴方の住んでる世界の名前を教えてくれませんか? 私は先ほども言いましたように、『ステイシア』という世界から来ました」
「世界の名前、か……」
よくよく考えてみれば、自分が住んでいる世界の名前なんて知らない。マロンは確か、異世界人は他の世界に女性の名前を付けたがるとか言ってたが……。
「この場合、地球……でいいのかな? それとも『ガイア』とか?」
「『チキュウ』? 『ガイア』? すみません、親兄弟からもお聞きしたことのない名前の世界です」
「それはそうだろうな」
そもそも異世界へ行けるのは、ほんの数人しか確認されていないと安藤も言っていた。さらにいえば、異世界人がやって来て冒険やら支援やらをする環境でもない。完全に異世界交流から隔絶された世界と言っても過言ではないだろう。知識の豊富な安藤ですら、異世界の存在には否定的だったし。
「あ、だから名付けられてるわけじゃないのか」
と、天崎は一人納得した。
「でも、今まで誰も知らない世界なんて、とても興味があります!」
肩の辺りから見上げる女性の瞳が輝いた。
あまりに照れ臭く、天崎は思わず顔を背けてしまう。
「あれが酒場です」
広場から外れ、細い道に入って少し歩いたところで、女性が前方を指さした。
窓はないが、店の扉が西部劇風のウェスタンドアであるため、明かりが漏れている。さらに中から人の話し声も聞こえてくるのだが、酒場という店の特性上、NPCたちで賑わっている設定にでもなっているのだろうか?
なんて悠長なことを考えながら、天崎は女性に促されるまま酒場の扉をくぐった。
そして店内に一歩踏み入れるやいなや、背中に衝撃が走る。
「はいっ、一名様ご案なーい」
「えっ?」
バランスを崩した天崎は、二・三歩たたらを踏んだ後、板張りの床に膝をついた。
すると後頭部に、複数人の笑い声と年季の帯びたダミ声が降り注いだ。
「ぐはははは。やっぱ色仕掛けってのは、どこの世界でも共通の有効策なんだな」
頭を上げると、片手に酒瓶を持った、顔に傷のある大男が天崎を見下ろしていた。その周囲には、大男の子分と思しき賊が四人。どう足掻いたところで、勝てるわけがない。
いや、その前に……と、天崎は這いつくばった状態で背後を振り返った。
酒場の扉の前で、踊り子衣装の女性が笑顔で手を振っていた。
この状況、どんな馬鹿でも理解できる。つまりは騙されたのだ。
まさか色仕掛けなんて低俗な罠に引っかかるなんて……。恥ずかしさのあまり顔も上げられない天崎は、真っ赤に熱した額を床に押し付けた。このまま熱で溶けてしまいたかった。
天崎東四郎。十七歳にして、ハニートラップを知ることとなった。




